1982/07/27 - 1982/08/05
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ねんきん老人さん
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コロナ騒ぎで旅行ができない中、4トラ会員の olive kenji さんが羨ましい旅行記を投稿されました。
50年近く前にシベリア鉄道を使ってヨーロッパに行かれたエネルギッシュな旅で、その行動力に驚嘆しながら一気に読み終えた私は大いに刺激を受け、身の程知らずにも「俺も書こう!」と40年近く前のエジプト旅行の記録を引っ張り出しました。
幸いその旅行については、我ながらよくもまあと思うくらい詳細な記録が残っています。
思えば私の人生は劣等感が服を着て歩いていたようなもので、勉強はダメ、スポーツもダメ、気は小さくて、字は下手、絵は下手、歌も下手。
そんな私ですが、古代エジプト文明についてだけは誰よりも詳しいと自負していたのです。 まさしく井の中の蛙を絵に描いたような自惚れだったのですが、それでもエジプト旅行とくれば張り切りようは尋常ではありません。 事前の下調べで作った分厚いノートを持ち、現地ではそれに余白がなくなるほどの書き込みをし、人との会話まで記録していました。
今回それを基に勢い込んで綴った旅行記は写真の数だけで200枚を超し、説明は卒業論文もかくやというくらい長くなってしまいました。
それを削って削って、やっとこの長さになりましたが、さすがにお読みくださいとは言えない、自分用のダイジェストです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 交通手段
- 観光バス 飛行機
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
【 パックツアー 】
エジプトに行ったのは後にも先にもこのとき1回だけで、現地の治安も心配でしたので、旅行会社のパックツアーに参加しました。
10日間ということでしたが、途中で3日間ギリシャに行き、またエジプトに戻って1泊後カイロ空港から帰国という日程。 往復の時間を引くとエジプトは正味4日間という慌ただしい観光です。
フィルムカメラで撮った写真はすっかり色落ちして、画像の輪郭まで劣化していますが、まあアリバイ証明と考えて並べてみました。 -
【 カイロ空港 】
カイロに着いたのは、7月28日、午前6時過ぎ。
入国審査でいろいろ訊かれたのですが、何を言っているのか殆ど聞き取れません。
かろうじて、「150ドルをエジプトポンドに両替して、そのレシートを」という部分が分かり、そばにあった両替所で交換して戻ると、今度はビザがないからダメだという話。 そんなことは聞いていなかったのですが、急遽アライバルビザを取り、やっと入国できました。
添乗員のYさんにそれを言うと、両替もビザも必要ないとのこと。 あれこれ言われたのは、ワイロ欲しさの嫌がらせで、ツアー名を言えばそのまま通れたのだとも。
そういうことは成田空港で説明があったそうなのですが、実は私は集合時間に大幅に遅れて成田に着き、Yさんは既に出国ゲートを通ってしまった後だったのです。 幸い集合場所で待っていてくれた旅行会社の人から航空券を貰って予定の飛行機には乗れたのですが、Yさんに会ったのは機内。 カイロでの入国手続きなどは何も聞いていませんでした。
これは空港のターミナルを出た所です。
これが空港?と思われるでしょうが、間違いありません。 -
【 ホテルの窓から 】
空港からはバスでホテルに直行しました。 むろん時間外ですが、シャワーだけを使わせてもらうという手配がしてあったようです。
街の喧騒とともにどこからともなくコーランが聞こえてきて、いやがうえにも旅の高揚感が掻き立てられます。 -
【 エジプト考古学博物館 】
ホテルからはバスでまずエジプト考古学博物館に行きました。
まだ早かったらしく、しばらく待ってからの入館になりましたが、その間に得体の知れない男たちが次々と近寄ってきて、バクシーシを要求します。
バクシーシというのはどうやら「施し」というようなものらしく、滞在中どれだけこの言葉を聞いたか分かりません。
子供もいて、少しぐらいならあげてもいいかなと思ったのですが、うっかり応じるとたちまち別の大人たちが群がってくるというのはほかの国で何度も経験していましたから、とにかく目を合わせないようにして、なんとか時間を過ごしました。
さて博物館ですが、その展示について語り出したらこの旅行記は終わりません。 なにしろ私は勤務先の高校で「古代エジプト研究会」というインチキな会を作って生徒たちに受け売りを並べており、文化祭では6年連続で最優秀賞を取っていたのです。
( 早くも自慢が始まりましたが、今回の旅行記は全編これ自慢話の玉手箱みたいなものですので、予めご承知おきください ) -
【 ツタンカーメンの黄金のマスク 】
ツタンカーメンの黄金のマスク。 学生時代に東京国立博物館で展示され、人波に押されながら見たものです。
今回はたっぷり時間をかけ、ガラスに額を押し付けるようにして、とことん細部まで楽しむことができました。
前後左右からしっかりとスケッチを取って頭巾(ネメス)の形を把握し、帰国後自分で作ってみました。・・・還暦の爺さんか大黒様がかぶっているヨレヨレの頭巾にしか見えず・・・誰にも見せずに捨てました。
-
【 矢車菊 】
そのあと私は、あるものを探しました。
ハワード・カーターがツタンカーメンの墓を発見したとき、棺の胸の辺りに王妃アンケセナーメンが手向けた矢車菊の花束が置いてあったといいます。
18歳で死んだ悲運の少年王に妻が最後に捧げた花束と聞けばなんともロマンチックで、世の夫たるものみな、かかる妻を持ちたいと思うのは当然でありましょう。
その花束。 ありました。
いったい、何ということでしょう。 清楚で小さな花束を想像していた私の目に飛び込んできたのは、長さ1メートル近く、大きさはひと抱えほどもある干乾びた花束がデンと、それも2束置かれている光景でした。
こんなものを胸の上に置かれたのでは、死者はさぞかし息苦しかったであろうと思わざるを得ません。
私はしばし呆れた気分でツタンカーメンの死の場面を思い、そのあと、考えてみればそれもそうかな、と思いました。
アンケセナーメンはアメンホテップⅣ世の娘ですが、母の死後、父の後妻となり、その父が死ぬと父の弟、すなわち叔父にあたるツタンカーメンと再婚しました。 そのとき13歳、相手は叔父とはいえ年下の9歳です。
9歳といえば鼻タレ小僧です。 アンケセナーメン自身はそろそろ大人の世界に興味も芽生える年頃で、政略結婚によって夫になったとはいえ、まだ子供々々したツタンカーメンに男としての愛情を感じていたとは考えにくいですね。
ちなみに彼女はツタンカーメンの死後、アメンホテップの家臣であったアイと再々婚しており、やはり大人の男の方が魅力的だと感じていたことは想像に難くありません。
そんなわけですから、アンケセナーメンはツタンカーメンが死んだとき、内心せいせいとして侍女に花束を作らせ、さばさばとした気持ちでそれを棺の上に無造作に置いたのかもしれません。
そう思ってみれば、馬鹿でかい花束もなるほどと思え、それはそれでまたドラマチックと言えなくもありません。
付言すると、その花束をアンケセナーメンが捧げたというのは、発見者ハワード・カーターの単なる推測でしかありません。 また、棺の内部にも別の花輪がありましたが、これまたアンケセナーメンが入れたという記録はどこにもないということです。
なんとなくロマンチックな話につられて花束を探し歩いた私の愚かさは恥じるところですが、忘れ得ぬ思い出でもあります。 -
【 クフ王のピラミッド 】
次に向かったのは、ギザのピラミッド群です。
バスを降りた途端、何人かの男たちに取り囲まれました。 手に手になにやら土産物らしい物を持って、口々に何か叫んでいます。 あとで落ち着いて考えると別に叫んでいたわけではないのですが、その時は一瞬、強盗にでも囲まれたような気がして、おおいに慌てました。
逃げるようにして彼らの間をすり抜けて、ピラミッドの下に立ちます。
なんという大きさでしょう。 残念ながら砂漠のど真ん中にあるという訳ではなく、すぐ近くまでビル街が迫っているし、カメラの角度によってはホテルやレストランが写ってしまいます。
それでもこの大きさは予想を超え、真下から見上げた圧倒的な量感は、筆舌に尽くし難いものです。
あのナポレオンがエジプトを攻めたとき、このピラミッドの前で
「兵よ、今、四千年の歴史が諸君を見ている」
と叫んで疲れた兵士たちの士気を鼓舞したという話が伝わっていますが、今まさにその四千年が俺を見ていると思った私が得も言われぬ感慨に耽っていると、いきなり「ガイド!」と声をかけられました。
振り返ると、風体あやしいオッチャンやアンチャンが観光客という観光客に声をかけています。
「ノーッ!」
この俺様を何だと思ってるんだ? 勿体なくも古代エジプト研究会の会長であるぞ。 ガイドなんぞ頼まなくたって、内部の間取りは自分の家より頭に入っているぜ。
-
【 王の間の入口 】
盗掘孔から上昇通路、女王の間、大回廊等、写真で見知っているとおりの空間を舐めるように確認しながら奥に進み、この狭い穴をくぐって王の間に入ります。
広さは畳にして30畳余り、東西に長い長方形で、全面花崗岩でできているその空間に、壁画、彫刻の類は一切なく、ただのガランドウです。
端の欠けた石棺のようなものが1個ありますが、石棺にしては作りが粗末で、第一、蓋がありません。
ここがあの古代エジプト王国の支配者クフ王の玄室であるとは、とても信じられません。 -
【 石棺?の前での記念撮影 】
ピラミッドといえば、誰もが子供のころに限りない憧れを抱いたものですから、自分が今そのど真ん中に立っているというのは、ひょっとしたら事実ではないのかも知れないと思うほどの不思議でした。
ですから私は、確たる証拠として自分の写真を撮っておこうと思い、近くにいた人にバカチョンカメラを渡して、石棺らしきもののそばに立ちました。
すると一人の若い男が近寄ってきて、なれなれしく私の横に立ったではありませんか。 私はちょっとどけてくれと言ったのですが、通じません。 カメラを構えてくれた人にも私だけを撮ってくれと頼みましたが、それも通じません。
これがその写真。 なんだか長年の夢を台無しにされたような気分です。 -
【 スフィンクス 】
ピラミッドを出たあと、近くにあるスフィンクスを見に行きました。
胴体は長すぎてバランスを欠き、造形的にも稚拙で迫力に乏しいと思いましたが、頭部だけはすばらしいものです。
中世末期にイスラムの軍人によって破壊されたということで、鼻などが欠損していますが、それが却ってこの正体不明の人面獅子像を謎めいた魅力で包んでいます。
私にとっては子供のころの雑誌に連載されていた山川惣治の『少年王者』に出てきた怪人アメンホテップそのものであり、それを直接自分の目で見られる日がくるなどとは夢想だにしなかった異次元のモニュメントです。 -
【 ラクダ 】
スフィンクスに見とれていると、よれよれのガラベーヤを着た男が声をかけてきました。 このガラベーヤというのはエジプトの男たちの日常服で、防暑防砂のためにはまことに具合が良いということですが、見かけはなんともだらしなく感じられます。
「ラクダ、ラクダ、ヤスイ」
私はラクダに乗ったことがなかったのでちょっと興味があり、いくらで乗れるのか訊いてみました。 ピラミッド一周でいくらとか言っていましたが、私はツアーで来ているのでそういう時間はなく、ただ乗って写真を撮るだけなら? と訊きました。 10ポンドだということです。
冗談じゃない! 10ポンドといえば当時のレートで3200円ほどになります。
高いというと、即座に5ポンドに下げてきましたが、それ以上は「ヤスイ」とくり返してなかなか譲りません。 やっと3ポンドまで下がったところで乗ったのがこの写真です。
あとでYさんに話すと、1ポンドが相場だとのこと。 観光地での吹っ掛けはエジプトに限ったことではありませんが、私も舐められたものです。 -
【 1ポンド紙幣 】
その1ポンド。 アブ・シンベル大神殿の正面に彫られたラムセスⅡ世像が絵柄に使われています。
当時のレートでは322円でしたが、今日チェックしてみると6.5円でした。
エジプトのインフレについては時折ニュースにもなっていましたが、ここまでとは驚きです。 -
【 水路で遊ぶ人たち 】
雨がほとんど降らないエジプトでは灌漑用の水路が縦横に走っており、そこではよく人が遊んでいます。
子供はともかく、大の大人が茶褐色の水に浸かって楽しそうにしているのは奇妙な光景ですが、とにかく暑いので、ツアーでなかったら私も泳いでいたかも知れません。
もっとも泥水ですし、私は昔海水浴に行って海の中でオシッコをした経験がありますから、こんな狭い川ではちょっと考えてしまいますが。 -
【 アラバスターのスフィンクス 】
メンフィスに着き、まず向かったのはこのアラバスター(雪花石膏)製のスフィンクスです。
端正な顔立ちが特徴ですが、風化が激しい上に野ざらしで、今後が心配になりました。 一応周囲に杭が打たれていますが、それも傾いており、張られたロープも弛んで地面に接している有様です。
最近の写真を見るとこの辺りはすっかり整備され、このスフィンクスにもきちんとした囲いがついているようですね。 -
【 ラムセスⅡ世像 】
そのすぐそばに、ラムセスⅡ世の巨像を収めた建物があります。
これだけ大きな物を運び込める開口部はどこにもなく、おそらく先に像があって、その周りに建物を作ったということでしょう。
ギャラリーから見下ろしたあと、下に降りて像のそばに行ってみました。 そこにいた係員らしい男にいきなり「スーベニーア」と言われ、知らん顔をしていると今度は「ワンダラー」と言って手を出してきました。
考古学博物館でも同じことがありましたが、こちらはちゃんと入場料を払っているのですから、それ以上払う気にはなれません。 -
【 転がるファラオ像 】
建物の裏手に回ってみると、ナツメ椰子の茂みの中に、さほど大きくはないファラオの石像が転がっていました。
まるで大きなマネキンが捨てられているかのようなその扱いに、エジプト人はカネにならないものには冷淡なのかと、呆れるような腹立たしい思いがしました。 -
【 バクシーシをせびる男たち 】
見学を終えてバスに戻る途中、日陰で何をするでもなくたむろしている男たちが目に入りました。 嫌な予感が的中して、一斉に手を出してきます。
無視すれば実害はないのですが、ちょっと不愉快です。
人に金品をねだる以上、芸をするとか歌を歌うとか、なんらかの労を見せるべきではないでしょうか?
せめて「右や左の旦那様」などと哀れっぽい声を出して同情を誘うくらいの努力をしたらどうかと思いますが、ただ手を出すだけという横着さは不届き千万です。
だんだん分かってきたのですが、彼らは、持てる者は持たざる者に施すべしというイスラム教の教えを都合良く守っているだけで、貰って当然という意識が強く、貰っても礼を言うことはありません。 -
【 水汲み? と思ったら 】
サッカラにある階段ピラミッドに行きました。
ジェセル王のピラミッドだということで、その独特の形で日本でもよく知られているものです。
そこでロバに乗った少女が近づいてきました。 ロバの背には汚れたポリタンクが結び付けられています。
水汲み? こんな小さな子が大変だな、と思ったとき、その子が黙って手を出しました。
私の子と同じくらいの年かさでしょうか。 ちょっと可哀想になって50ピアストルを渡すと、ニコリともせずにそれを受け取り、何も言わずに向こうへ行ってしまいました。 -
【 織物工場 】
私は古代エジプト文明への興味からエジプトに来ただけで、現代の人々の暮らしについてはとりたてて関心がありませんでしたが、ツアーですからバスが止まれば見学はします。
着いたのは織物工場ということでしたが、工場といっても民家の土間で子供たちが布を織っているというだけの作業場です。
布に興味があるわけでもないのに、ついカメラを向けてしまい、当然のように手を出されました。 持っていた一番低額の紙幣が1ポンドだったので、仕方なくそれを渡すと、間髪を入れずもう一人の子が手を出しました。 二人分だと言ったのですが承知せず、結局その子にも1ポンドを渡す羽目に。 -
【 サトウキビの栽培 】
バスで走っていると、よくこういう風景に出会います。
灌漑用水路を隔てた向こうで、サトウキビの栽培が行われていました。
ロバは小さな体ながらとても力があるらしく、大量の荷物を背負っているのをよく見ました。 でも大人が乗るとよけいに小さく見え、乗っている大人が憎たらしく見えます。
イソップ物語だったかに「ロバを売りに行く親子」というのがありましたが、日本人の感覚からいうと、ロバに乗っている大人は怠け者に見えます。 -
【 ロバに乗る子供たち 】
このくらいだと、ロバと人間のバランスがとれていて、いいですね。
水路の向こうですので、写真を撮ってもバクシーシを要求されません。 -
【 ウインターパレスホテル 】
エジプト2日目は、早朝の飛行機でルクソールに移動です。
そのままホテルへ。
私は昔から今に至るまで衣食住に興味がなく、旅行でも宿は雨風を避けられればいいとしか思わないのですが、このホテル宿泊はこのツアーの目玉の一つだったようです。
なんでもアガサ・クリスティーが『ナイルに死す』を執筆するために滞在したということなのですが、私の感想は「だから?」というだけでした。 -
【 ナイル川西岸 】
この日最初の観光はナイル川西岸です。
ルクソールは古代エジプトの都テーベがあった場所ですが、南北に流れるナイル川によって大きく二つに分けられ、東側が生者の世界、西側が死者の世界と考えられていたようです。
日本や中国の仏教で西方浄土という考え方をすることとは何の関係もない筈ですが、西が太陽の沈む方角であることは同じなので、人が死ぬと西に行くという発想は自然なのかも知れませんね。
西岸には渡し船で行きますが、乗船場にも下船場にも暇そうなオヤジたちがたむろしていて、例外なく手を出します。
うっとうしい限りですが、彼らはダメ元で一応手を出すのが習慣になっているだけのことですから、無視すればそれ以上の要求はしません。 -
【 ブルカ姿の女性 】
有名なメムノンの巨像に向けて走るバスの前を黒ずくめの女性が歩いていました。
目だけ出して全身を覆うこの服装。 ブルカというらしく、なんとなく知っていたつもりでしたが、いざ目の前で真っ黒な布に身を包んでいる女性を見るとギョッとしますし、ありていに言うと、ちょっと気持ち悪いものです。
コロナ騒ぎでマスクを外せない今は、ヒゲを剃らなくていいのがなんとも楽なのですが、ブルカの女性はパジャマのままでも分からないので、きっと楽でしょうね。 -
【 メムノンの巨像 】
ご存知アメンホテップⅢ世の像(高さ18m)が2体並んでいます。
なんだってこんな所に、と思ってしまいますが、実はこの後ろにアメンホテップⅢ世葬祭殿が広がっていたのだそうです。
葬祭殿というのは葬式用の建物ですが、それを第19王朝のメルエンプタハ王が自分の葬祭殿を作る石材として利用するために破壊してしまったということですから、まあ、罰当たりな話ですね。
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【 公道を水牛が 】
その巨像のすぐそばで、バスが通る道を水牛が歩いていました。 飼い主らしい人の姿はなく、牛がどこに向かっているのかも分かりません。
のどかといえばのどかですが、そばに来ると結構な迫力で、ちょっと怖かったのも事実です。
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【 バスに駆け寄る土産売り 】
メムノンの巨像は船着き場から王家の谷へ向かう途中にありますので、おそらく観光バスは例外なく止まると思います。
そのたびに土産物売りがバスに駆け寄りますが、その土産というのは腕輪だったりアンク(死者が来世への境界を越えるための通行証)をかたどった真鍮の飾りだったりします。
私はここでファラオの立ち姿をした護符を買いました。
「ホンモノ、テン、テン」
砂で作り、接着剤で固めたもののようで、勿論ニセモノです。 偽物が面白くて買っただけですから、10ポンドも払う気はありません。
1ポンド紙幣を見せて「ワン」と言うと、いともあっさりとOK。 どうもエジプトでは何でも10ポンドと言い、実際は何でも1ポンドで買えるようでした。 -
【 ハトシェプスト女王葬祭殿 】
これはもう、言わずと知れたハトシェプスト女王葬祭殿です。
自分の葬式の舞台を生前に作るというのは洋の東西を問わず絶大な権力を握った為政者によくあることですが、これだけ大規模で堅牢なものはそうそうありません。
しかも全体の美しさと内部の緻密な装飾には言葉を失うばかりで、おそらく女王はやがてそこで行われる自分の葬式を思い描いて満足感に浸ったであろうと思います。 (実際には晩年に権力を奪われ、自分が死後そまつに扱われることを予感して悲嘆にくれたようなのですが)
むろん私にとっても眷恋の場所でしたから、あちこち触りまくってその全容を五感に沁み込ませたのですが、この旅行の15年後、この場所で無差別テロがあり、日本人10人を含む63人が死亡、85人が負傷するという事件がありました。 血なまぐさい殺戮のニュースと美しい神殿の記憶がどうしても結びつきませんでした。 -
【 王家の谷を囲む山 】
ルクソールのナイル西岸は死者の世界と先述しましたが、その中に王家の谷と呼ばれる一角があり、20数基の王墓を含む60基以上の墓が密集しています。
それらはすべて谷あいの地下墳墓であり、長い間そこに墓があることすら知られていませんでした。
なぜなら、それは新王国時代より前の王墓がことごとく盗掘され、副葬品が根こそぎ盗まれてしまったという事実からの苦肉の策だったからです。
死者を偲ぶモニュメントはおろか、墓碑としての石板ひとつないのですから、辺りはただの岩山にしか見えず、まことに寂しいものでした。
王としてこれほど不本意な墓はないと思いますが、そのせいでしょうか、内部は逆に豪華を極めました。
その内部は、ツタンカーメン墓をはじめいつくかの墓に入って見学しましたが、どれも入口でカメラを預けなければならず、写真は1枚もありません。
この写真は、王墓を囲む山に観光客を乗せて登るロバ・タクシーです。 -
【 出土品? を作る少年 】
船着き場への途中、土産物を並べた小屋に寄りました。
遺跡から出たという器が沢山並んでおり、いかつい男が「ホンモノ、ヤスイ」と大声を張り上げていますが、その隣の部屋でその「ホンモノ」を少年たちが作っています。
作製中の壺のようなものを指して「ホンモノ?」と訊いてみました。 勿論からかったのですが、少年はニコリともせず頷いて、「ホンモノ」と答えます。
うっかりカメラを向けたのは軽率の極みで、シャッターを切ったとたん、二人が手を出しました。 しまったと思ったのですが、まあ自業自得ですから1ポンドずつ渡しました。
二人とも当たり前のようにそれを受け取り、礼などは一切言いません。 -
【 ナイル川 】
東岸へ帰る渡し船を待ちます。
しゃがんでいる男性は、17名の参加者中4人しかいなかった男性の一人です。 穏やかな好人物で、ほかの人たちが自分の海外旅行歴を自慢し合っているのをニコニコ聞いていましたが、どこが一番良かったかという月並みな質問をされたときに、サマルカンドなんか良かったですねえ、とさりげなく答えていました。
今から40年も前にサマルカンドなどという所に行っているとは驚きで、さては大学で歴史学でも教えている人かと思ったら、「百姓です」と言ったので、またまた驚きました。 -
【 ファルーカ 】
ゆったりと流れるナイル川。 ファルーカと呼ばれる小型帆船が行き交っています。
小学生のとき、世界の三大河川というようなことを習いましたが、その一つが目の前を流れているのですから、気持ちは昂ります。
岸に腰かけ、足湯のように膝から下を水面に浸けようとしましたが、足首から先しか届かず、三大河川の一つに浸かっているという灌漑は沸きませんでした。
当たり前ですがちっとも冷たくなかったことが、やけにはっきりと記憶に残っています。 -
【 ルクソール神殿のスフィンクス参道 】
ナイル東側に戻りました。
バスはカルナック神殿を素通りしてルクソール神殿に向かいます。
神殿に続く参道には羊頭のスフィンクスが並んでいますが、保存状態はあまりよくありません。
この参道を逆方向に進めばカルナック神殿に行ける筈で、私にとっては「行かないの~っ!?」と叫びたいような話。 実際私は添乗員さんにしつこくオプションの追加を頼んだような気がします。(この部分はメモに残っておらず、正確な記憶ではありません)
-
【 ルクソール神殿 】
これはそのルクソール神殿の正面、第一塔門です。 塔門全体を収めた写真がない(撮らなかった?)ので、絵葉書を借用しました。
完全にシンメトリックな建造物ですが、オベリスクが1本しかないのがなんともチグハグですね。 言うまでもなく、もう1本はフランスに運ばれてパリのコンコルド広場に立っているのですが、フランスはいったいどういう神経をしているのでしょうか。
コンコルド広場といえば、世界中から観光客が集まるパリの顔ではありませんか。 そんな所で、フランスが他国の歴史遺産を横取りした事実をさらし続けていることに、気まずさはないのでしょうか? -
【 ラムセスⅡ世像 】
エジプトではどこに行ってもラムセスⅡ世の像が見られますが、ここルクソール神殿にも多数の像があります。
ラムセスⅡ世は古代エジプト新王国第19王朝で67年間も王位にあったという、ファラオの中のファラオで、89歳まで生きたということです。
多くの側室を抱え、生涯に111人の息子と69人の娘をもち、娘の何人かを自分の側室にしていたということですから、まあ、我々の感覚では理解しがたい人物であったようです。
ちなみに、カイロの博物館にはそのラムセスⅡ世のミイラがありますが、遺体とはいえひょろりとした体形で、顔も鷲鼻で頬がこけ、とてもこの像のような美男子ではありませんし、マッチョでもありません。
水分の抜けたミイラであることを差し引いても、この像が王の願望に添って相当美化されたものであることは間違いありません。 -
【 カルナック神殿 】
カルナック神殿が見学コースに入っていないことで添乗員さんに不満を言った私は、夜も開いていると聞いて、夕食後一人で出かけました。
薄暗い神殿で撮った写真はフラッシュの光が届かず、様子が全然伝わりませんので、ここには絵葉書をそのまま載せています。
映画『ナイル殺人事件』でこの列柱の梁が落ちてくるシーンがありましたが、確かにいつ落ちてきても不思議はないと思えるような石積みの建築でした。
帰りは神殿前に沢山の馬車が待っていて、「ホテル、ホテル」と客の奪い合いをしています。
ウインターパレスホテルまでいくらかと訊くと、1ポンドだと言います。 それは安いと思いましたが、念のため1ポンド紙幣を見せて、これか?と確認。
そうだと頷くので乗り込みましたが、御者はさらに相乗りの客を呼び込みます。 なんだ相乗りか、それならとくに安いということもないと思っていると、4人ほど乗ったところで出発。 馬が行き先を心得ていると見えて、御者は何もせず、御者台に横向きに坐って、ぼんやりしています。 これなら1ポンドで十分です。
それなのに案の定、降りるときになって10ポンドだと言い出しました。 他の客は事前に値段交渉をしていなかったようで、何の抵抗もなくさっさと払い、降りてしまいました。
私もやっぱりかと思いましたが、すんなり払う気にはなれず、一応文句を言いました。 1ポンド紙幣を見せて、これでいいと言ったではないか、と強く言ったつもりです。 御者はまったく動ぜず、10ポンドと言い張ります。
こうなると、だらしないガラベーヤが御者の風体を一層悪く見せ、私はこのまま言い争えば暴力を振るわれるのではないかという不安に襲われました。
「5ポンド」
私は中をとった数字を言いました。 情けないことですが、安全には代えられません。
「テン」
御者はてんとして折れる様子がなく、私は10ポンドを払って馬車を降りました。 悔しいやら腹立たしいやらで、収まりがつかないまま長い夜を送ることになりました。 -
【 ジャガイモ売り? 】
エジプト滞在3日目。 ホテルの前では朝市にでも行くのか、食品を満載した台車が次々と通り過ぎて行きました。
これはジャガイモでしょうか?
私がジャガイモに興味があったとは思えませんが、たぶん商品よりもそれを載せた台車が面白くて撮った写真だと思います。 (これについてもまったく記録がありません)
-
【 アスワン・ハイ・ダム竣工記念塔 】
この日は朝の飛行機でアスワンに飛びました。
まずはアスワン・ハイ・ダムの見学です。 ナイル川の氾濫防止と灌漑用水確保を目的として作られたこのダムによって、私の住む千葉県より広い湖が出現したということですが、その大工事を支えたのが旧ソビエト連邦だったそうで、湖畔にそのことを顕彰する記念塔が建っています。 -
【 塔に登る 】
これは塔の真下から見上げた写真です。
輪になった部分から下に向かって手を振っているのは、誰あろうこの私で、馬鹿と山羊は高い所に登りたがる譬えのとおり、17名のメンバーの中で登ったのは私一人でした。 ( 赤丸の中です )
ちなみに現在はこの塔に登ることは禁止されているそうです。 -
【 ホンモノ? ニセモノ? 】
古代エジプト建築を語る上で、オベリスクの重要性とその高い完成度について相当の紙数を要することは言うまでもありません。
そのオベリスクは花崗岩の岩塊から直接その形が切り出されたようですが、その作業がいつもうまくいくとは限らず、中には途中でひびが入ったりしてそのまま遺棄されることも多かったとのこと。 そういう失敗作が残されている所に行きました。
ひびさえ入らなければ高さ42mになった筈のこのオベリスク、重さはなんと1200トンと推定されているそうです。
その前でありふれた土産物を売っていた中学生ぐらいの兄ちゃん、なにやら意味ありげに台の下から取り出してきたものが。 古代エジプトで死者と一緒に埋葬された護符のイミテーションです。
「ホンモノ」
ああ、エジプトに着いてからいったい何度同じようなものを見せられたことか。
何度同じ言葉を聞いたことか。 -
【 舟あそび 】
いったんホテルに帰って休憩です。 なにしろこの日の気温は43℃、休憩なしで一日観光できるような暑さではありません。
でもホテルはあの『ナイル殺人事件』の舞台にもなったオールド・カタラクト・ホテルですから、映画のシーンを思い出しながら館内を歩くのも楽しく、休憩どころではありません。
そこにYさんから、ナイル川での舟あそびをしたい方はご案内しますよ、という誘いが。 もちろん飛びつきます。
乗ったのはルクソールでも見た、あのファルーカという小型帆船で、そよ風でもすいすいと進み、なかなかの乗り心地でした。 ただ、ときどき風がピタッと止むことがあり、そんなときにはアンチャンが太い櫂を懸命に漕いで進みます。
「手伝おうか?」と言うと、ニヤッと笑って頷きましたので私もにわか漕ぎ手に。
終わって「バクシーシ」と手を出したところ、大げさな身振りで拒否され、降りるときは逆にバクシーシを取られました。
余談ですが、このファルーカに乗った同じツアーの女性たち、なんと、誰からともなく歌い出しました。
「は~るの~ うら~ら~の~ すぅみぃだ~が~わ~」
どう理解したらいいのでしょう? -
【 アガ・カーン廟へ 】
しばらく舟あそびを楽しんだあと、ファルーカは対岸に着きました。
そこから見える高台にはアガ・カーンというイスラム教指導者の廟があり、それを見学してはどうかということです。
私はアガ・カーンという人物を知りませんでしたが、船着き場で一斉にロバを勧められたので、なりゆきで行ってみることにしました。
ロバ代はいくらかと訊くと、1ポンドという返事。 どうせ降りるときに10ポンドと言われるだろうと思いましたが、ロバに乗ったことがなかったので、まあ体験だと思って承知しました。 -
【 ロバの背中から 】
ロバは人に曳かれるわけではなく、誰かが付いてくるわけでもないのですが、毎日のことですっかり慣れているらしく、勝手に歩いて行きます。
手綱もついていないので、乗った私としてもどうすることもできません。
チョコチョコと歩くので、馬に比べると乗り心地は決して良くはありません。
廟に着いて、内部見学の間どうしようかと思ったのですが、ロバを預かる人もいないし、つなぐ杭も紐もありませんから、まあ勝手に帰るだろうとそのままにして廟に入りました。
見学を終えて出てくると、なんとロバはそのままそこにいたので、また乗ると動き出し、船着き場まで戻りました。
10ポンドだろうなと思いながら1ポンドを出すと、信じがたいことにアンチャンは黙ってそれを受け取り、行ってしまいました。
※ 私は却って慌て、アンチャンを呼び止めて何ポンドかを渡したような気がするのですが、どういうわけか事細かに書き止めていた筈の手帳にそのことが書いてありません。 もしかしたら「そうすればよかった」という思いだけだったのかも知れません。 -
【 ゲームに興じる少年たち 】
もう一つ不思議だったのは、観光客が通りそうな場所には必ずたむろしている暇そうなオジサンたちが一人もいなかったので、バクシーシをせびられずに済んだことです。
船着き場の前では砂になにやら窪みをつけて、そこに石を並べて将棋かオセロみたいなことをやっている少年がいましたが、観光客に向かって手も出さず、写真を撮ってもお金を要求することはありませんでした。 -
【 帽子売り 】
エジプト滞在4日目。 この日は朝の飛行機でアブ・シンベルに行き、あのアブ・シンベル大神殿の見学をする日程です。
ホテル前では「シャッポ、シャッポ」と帽子を売る男がいて、ヤスイヨなどというお決まりの日本語以外にも「ダンナ」「サラバジャ」などという言葉をかけてきます。
ちなみに、サラバジャというのはお早うとかこんにちはという意味で使っているようでした。
もう一語、ある日本語を言ったのですが、それはさすがにここには書けません。いったい誰が教えたのでしょう? -
【 アブ・シンベル大神殿 】
アスワンからアブ・シンベルまで、飛行時間についてのメモが残っていませんが、1時間はかからなかったような気がします。
高度をぐっと落としたところで、アブ・シンベル大神殿が見えてきました。
感想は・・・「がっかり」。
御存知のとおりアスワン・ハイ・ダム建造の際にダム湖に沈む筈だった神殿をユネスコの主導で60m上の高台に移動したのですが、当然神殿部分だけを切り取って運んだもので、上空から見るとお椀を伏せたようにそこに「置かれている」わけです。
お椀の後ろ側は宅地造成地の斜面のようになっていて、車で登ることもできます。 -
【 そのまま待っている飛行機 】
アブ・シンベル空港に着いた乗客は全員がバスに乗って神殿に向かい、見学を終えると全員空港に戻ってきます。 なにしろ神殿以外には何もない所なのです。 レストランもなければ土産物屋もなく、人が住んでいるような建物もこのときは殆ど見ませんでした。
そして見学の間、飛行機はそのままそこで待っています。
それを知った私は、カメラを座席に置いて降りました。 理由は暑さです。
先述のとおり連日40℃を超えており、体はだるく、カメラの重さは尋常ではないのです。 もし誰かに盗られたら、という思いはよぎりましたが、盗られたら盗られたでいいやという、半ばやけっぱちの思いが勝りました。
幸いカメラはそのままそこにありましたが、あそこまでの暑さというのはその後経験していません。 -
【 アブ・シンベル大神殿 】
というわけで、これは絵葉書の写真です。
椅子に坐った状態で20mという馬鹿でかい王像が正面に4体並んでいる巨大な神殿で、その規模にも驚きますが、その4体がすべて同じ人物すなわちラムセスⅡ世ということで、その自己顕示欲の深さに、呆れを交えた驚きを抱きます。 -
【 入場券・ガイド券 】
しばらく外観を眺めたあと、中に入ろうとすると薄汚れたガラベーヤを着た初老の男性に止められました。 「3ポンド」と言います。
入場料が必要なのは当然でしょうから3ポンド払うと、写真のようなぺらぺらの紙をよこしました。 200PT、つまり2ポンドと書かれた紙は入場券で、100PTつまり1ポンドというのはガイド券のようです。
当時のレートでそれぞれ640円、320円くらいですから、まあ妥当な額でしょう。 もっとも中では何の説明もありませんでしたから、ガイド料というのはけしからんとも思いました。
とはいえ、事前学習おさおさ怠りない私でしたから、ガイドなど却って邪魔というもので、お目当ての壁画や彫刻を自分のペースでじっくり見学できたのはもっけの幸いでした。 ( 自慢その2 ) -
【 大神殿内部 】
ガイドがいなかったことは別の意味で幸運でもありました。
ツアーのメンバー相手に私自身がガイドもどきのウンチクを傾けて、おおいに株を上げたのです。 (自慢その3 )
私の解説はさながら博物館の学芸員の如くであった・・・とそのときは思っていたのですが、その後旅行会社のパックツアーを何回か経験するうちに、どのツアーにも必ずと言っていいくらい、薄っぺらな知識をひけらかす鼻持ちならない御仁がいて、他のメンバーにとっては迷惑以外の何物でもないということを学びました。
このときの私がまさにそういう存在だったわけで、皆さん、うんざりしながら「へー!」「そうなの!」と調子を合わせていたのだと思います。
この写真は、私の講釈に辛抱強く付き合いながら写真を撮っていたKさんが後日送ってくれたものです。 申し訳ないことで。 -
【 アブ・シンベル小神殿 】
大神殿の隣りには、これまた水没予定地から移設された小神殿があります。
これはラムセスⅡ世が王妃ネフェルタリのために建造したものだそうで、そこにもちゃっかり自分の像を4体も彫り込ませてあります。
一応、2体のネフェルタリ像をそれぞれ2体のラムセス像が守っているような体裁にはなっていますが、まあこれだけ自己顕示に執心した王はほかにいないと思います。 3千年以上たってどこかの国の大統領が自画自賛にうつつを抜かしているのを見ても、「ちっちぇー、ちっちぇー」とせせら笑うだけでしょうね。 -
【 結婚式 】
アブ・シンベル空港で待っていた飛行機は一旦アスワンに戻りましたが、私たちはそのまま機中待機で、そのあとカイロに移動しました。
この旅行で最初に泊まったカイロ・ヒルトンにもう1泊しましたが、折しも結婚式の最中で、我々観光客も手招きされ、新郎新婦のあとに続いて宴会場に入りビール(だけ!)をご馳走になりました。 -
【 ぺらぺらの搭乗券 】
冒頭に書いたように、このツアーはこの翌日からギリシャのアテネに行き、そこで2泊して、どういう訳かまたカイロに戻って1泊してから成田に向かうというスケジュールになっていました。
カイロ~成田は南回りで、バーレーン、ニューデリー、マニラ、香港と寄りながらの帰国です。
酷暑のエジプトでの疲れがいっぺんに出てほとんど寝ていましたが、体はだるく、エコノミークラスで背中は痛く、永遠に続くのかと思える苦行の中で、ちっとも針の進まない時計ばかりを見つめていました。
7~8月はエジプト旅行に最も向いていない灼熱のシーズンだそうですが、そのため旅行費用も安いということで、私にとっては他に選択肢はありません。
予想を超える暑さは、まさにファラオの呪いとも思える苦痛でしたが、それなのに、体力の衰えた今でもまた行きたいと思っているのは、ひょっとしたら私の魂がファラオの魔力に狂わされたままでいるのかも知れません。 -
【 最後の自慢 】
さて、これまで古い旅行でのあれこれについて自慢たらたらで書き綴ってきましたが、その中で私が「古代エジプト研究会」というインチキな会を作っていたこと、その会の展示が文化祭で6年連続最優秀賞を取ったということを書きました。
この写真はその展示の一角で、机の上に立っているのは私が彫った「ラムセスⅡ世像」です。 どうですか? ちょっとそれらしく見えませんか?
以上、自慢話に始まり自慢話に終わった旅行記でした。 40年も前のことを自慢している老人・・・もし自分でなかったら、こう言ってやります。
「そんな暇があったら、終活でもしろよ!」
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この旅行記へのコメント (10)
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- mistralさん 2023/08/03 14:48:22
- 素晴らしいエジプト旅の記憶。
- ねんきん老人さん
酷暑の日々が続きますが、お元気でお過ごしのことと思います。
さて、私の古い旅行記にいつもお立ち寄り下さいましてありがとうございます。
いつか見せて頂きました、ねんきん老人さんのフランスの旅行記にはとっても楽しませていただきましたので、今回も古い旅行記を探して、遡ってみましたら、、、
そうしましたら見つけました。
エジプト!
ご旅行は40年ほど前のようですが、投稿されましたのはどうやら最近のご様子ですね。
以前も同様の感想を抱きましたが、紙焼きの写真を綺麗に保存しておられ、さらに旅の記録、メモなども残されておられる。だからこそ、後になっても、生き生きとした旅行記をお書きになることが出来るんですね。
しかも若々しい青年が登場されている。
当時、古代エジプト研究会を学校内部で主催しておられた、ということを読みますと、旅の中身も面白いものになりそう、、、と。
エジプト考古学博物館、やはりツタンカーメンの棺に王妃がたむけた矢車菊を探した記憶があります。
ねんきん老人さんのお話では、ロマンティックなものではなくサバサバとした気持ちでのお別れの花束だったかも。ふーん、なるほど。その後の再婚話など読みますと、そんな気になってきます。
ギザ、ピラミッド内部でせっかくの記念撮影の最中に、縁もゆかりもない人物が隣に立ち、一緒におさまってしまう。良くある光景ですよね。何が面白くて、そんなことをするのか。更に、勝手に写り込んできて、後でこの写真を送って、など要求。
アスワンハイダム、塔の遥か上から手をふるねんきん老人さん、圧巻のお写真で、これはどなたかにお願いして撮っていただいたもの?
幼い子供の要求するバクシーシ。1人にだけあげるわけにはいかないからと、じっと我慢をし続けることの辛さをあじわいましたが、ファルーカで漕ぎ手のお手伝いをされてバクシーシを要求されたら、断られた、には思わず笑ってしまいました。更にこちらからバクシーシを渡す事に。
数々のエピソードが、つい最近の出来事であるかのように語られていて、古い出来事なのに、今現在でも出合いそうな出来事でもあるようで楽しかったです。
mistral
- ねんきん老人さん からの返信 2023/08/03 16:34:33
- バクシーシをご存知の方に読んでいただけて、ヤッター!という感じです。
- mistral さん、こんにちは。 古い旅行記を見つけてくださって、ありがとうございました。
私は、旅の思い出は火事でも地震・津波でもなくならない財産だと思っていますので、古い旅行記でも自分なりに思い入れを持っています。 ですから、人様の旅行記も(もちろんmistral さんの旅行記も)新旧を問わず拝読していますが、自分の古いものはなかなか読んでいただけません。
ですから今回、同じ千葉県に住み、同じエジプトの思い出を持っていらっしゃるmistral さんに拙稿をお読みいただけたことはとても嬉しく思っています。
エジプト人の行動パターン、思考回路は我々日本人とはかなり違っているようなので、現地でのエピソードはどう伝えたら分かってもらえるのかと心配ですが、mistral さんがご自分の体験を通して私の体験を理解してくださったことは嬉しい限りです。
年齢的にも経済的にも、この先またエジプトに行く機会は持てそうにありませんが、mistral さんのおかげで自分の旅行記を読み返すことができました。 若かった自分のことも含めて、良い思い出に浸った今日の午後でした。
明日・明後日は地域の夏祭りで、この炎天下で終日過ごすことになります。 既に準備で連日汗にまみれており、いつ救急車のお世話になるか分からない状態ですので、明日からは得意の「手抜き」でサボれるだけサボろうと思っています。
mistral さんも、どうか油断なさらず、秋の旅行シーズンに備えて体力を温存されますよう、お祈りしております。
重ねて、ありがとうございました。
ねんきん老人
-
- nimameさん 2022/12/12 15:44:30
- エジプト。
- ねんきん老人さん・こんにちは/
何時もnimameの古いの読んで頂いているので、
nimameも昔の旅にお邪魔しようと覗いたら・
何と遥か昔のエジプトのアップされていて・
若い青年先生が写っている\(^^)/
今のエジプト話より興味深々読ませて貰いました。
貴重な写真ですよね。
しかも詳しく説明付きでねんきん老人さんが高校の先生で
しかも古代エジプト研究会を作っていた!
エジプト好きだったんですね~
しかも詳しくメモが残っていたのでコメントも詳しく書かれて・nimame全てがへ~へ~と感心して読ませて貰いました
すみません・nimameの知識はツタンカーメンとかテレビで見る程度です。
それでももう40年程前ですか!
やはり好きなだけに観察力が凄い~と思いました。
とにかく何処に行ってもバクシーシとか写真写しても手を出すと言うのは、今の時代は無くなっているのかしらね?
あの時代程酷くなくても未だ残っている習慣なんでしょうかね?
チョット考えてしまいました!
知らない事が知れて良かった~と言う気持ちです(笑)
nimame
- ねんきん老人さん からの返信 2022/12/12 19:44:10
- 改めて恥じ入る気分です。
- nimame さん、こんばんは。 書き込みをありがとうございました。
なんと! 私が昔からいい加減だったことがバレてしまいましたね。
若気の至りというにはあまりにもデタラメな自分の過去に、穴があったら入りたい気分です。 そのくせその恥ずべき旅行記を削除もせずに残してあるのは、後悔を含めて自分の人生だと思っているからです。
エジプト人たちが、高級ホテルのスタッフを含めて、人の顔さえ見ればダメ元でバクシーシをねだるという光景に唖然としたことは覚えていますが、考えてみればイスラム教では持たざる者が持てる者に富の分配を求めるのは当然のことのようですから、日本のように「武士は食わねど高楊枝」という文化とは違うのだろうと思います。
近年、民生委員をやっていて驚いたことですが、歳末助け合い活動の一環として低所得者に越年資金(8千円)を配るという毎年の活動に、申請が殺到することです。
大きな家に住み、車を2台持っているような人までもが争うように申請してくるのですが、当然書類審査ではねられます。 でもその人たちはたいしてがっかりもせず、ダメだったかーと笑っています。 つまり、貰えたら儲けものというぐらいの感覚なのですね。
わずか8千円をアテにするような経済状況ではなくても、あたらチャンスに申請もしないというのはバカだとでも思っているのでしょう。
金品を貰うということに対する抵抗感は、これからの日本にはなくなっていくのかも知れません。
あのエジプトの人たちも、一応手を出して、貰えればみっけもの、ダメでも損はない、くらいに考えていたのかも知れません。
毎日カップラーメンでやせ我慢をしている年金生活者の私ですが、いまだに彼らの境地には立てません。
いいのか悪いのか? 考えてしまいます。
古くて何の参考にもならない旅行記にお付き合いをくださって、ありがとうございました。
ねんきん老人
-
- olive kenjiさん 2020/08/16 07:54:22
- バクシーンとホンモノに溢れる古代(40年前) 旅行記
- 年金老人さん お暑うーございます
新作旅行記を待ち憧れていました。昨日アップされているのを知り読んでみたらキャー!びくりぽん。私の名前が出ているじゃありませんか。恥ずかしいい。
But、私の教養無き化石旅行記に触発され、この様な教養高きユーモアたっぷり旅行記を書かれたこと光栄の至りです。この言葉を使ったのは人生で数回です。
先輩が、古代エジプト研究会会長とはつゆ知らず、今は唯々尊敬しております。
自慢話の玉手箱とおっしゃってましたが、所詮4Tは全国旅行愛好家自慢大会の祭典ですので気にしなくていいと思います。中には下らない自慢話ありますよ。
古代エジプト文明に疎い私ですが、先輩の旅行記でよく勉強になりました。
13歳の娘が9歳の鼻垂れ小僧ツタンカーメンと再婚するとか、端正な顔をしたラムセイⅡ世が、子供を自分の側近にするとは、この時代の結婚風習、道徳、風紀は、どないなっとんやと呆れかえりました。
大して価値のないファラオの石造だったら、その辺に野ざらしとは、現金なものです。それなら私に頂戴よ。
ピラミッド石棺の大事な記念写真に関係ないおっさんが入ってきて、折角の記念写真が台無しになってしまいましたね。何で、あんなふざけた輩がいるのでしょうかね。
可愛いロバに乗った水汲みお嬢ちゃんが、自然に手を出す仕草に、この国恐ろしやと思うばかりです。バクシーン満載ですね。
先輩はまたいい文章を残しました。これをまたどこかで受け売りします。
人に金品をねだる以上、芸をするとか歌を歌うとか、なんらかの労を見せるべきではないでしょうか?ただ手を出すだけという横着さは不届き千万です。
知識ある教養人が学者かと思っていたら、百姓ですっていうお話。これこそ男のダンディズムです。こういう方こそ本当のインテリジェンスです。印象深いお話でした。
最後に、古代エジプト研究会会長の成果を見せて頂きました。ラムセイⅡ世像は素晴らしい出来栄えではありませんか。これなら大いに自慢する価値ありです。
これこそお土産屋の偽ホンモノより、ホンモノに近いです。
olive kenji
- ねんきん老人さん からの返信 2020/08/16 08:43:13
- ご指摘にニンマリ。我が意を得たりの思いです。
- olive kenji さん、お早うございます。
お名前を無断で使わせていただいた非礼にもかかわらず、拙稿を細部までお読みくださり、かつ丁寧な書き込みをお寄せくださって、ありがとうございました。
「所詮4Tは全国旅行愛好家自慢大会の祭典」というご指摘には笑ってしまいました。確かに「それがどうした?」と言いたくなるような自慢話が多く、それも投稿者の行動についてというより飛行機の座席やホテルのランク、つまりいかにカネをかけたかという自慢話が多いことには少々うんざりしていたところです。
学者もかくやという教養人が「百姓です」とサラッと言ってのけたエピソードを読み落とさず、「これこそ男のダンディズム」と評価されたolive kenji さんのスタイルに喝采です。
実はあのとき、参加者の中に「なんだ百姓か」とばかりにその後の態度をあからさまに変えた男がいて、私はその男を心底軽蔑したことをよく覚えているのです。
自分と人との上下や位置を目に見える形で表現したい輩は今も私の周囲に沢山いて、常々辟易しているので、今回「男のダンディズム」という捉え方をされたolive kenji さんの言葉には思わず膝を打ちました。 私も改めて見習いたいと思います。
最後にolive kenji さんの「偽ホンモノ」という言葉にまた笑ってしまいました。 拙稿を言葉の隅々まで読み込んでくださったことが伝わってきました。
古い体験を「旅行記」という形で残すことができたのもolive kenji さんからの刺激があったからこそで、本当にありがとうございました。
ねんきん老人
-
- しにあの旅人さん 2020/08/15 15:15:15
- 38年前の旅行記
- お久しぶりです
38年前の旅行記楽しみました。
写真がずいぶん鮮明です。よほど保存状態が良かったのですね。私も1974年の紙焼きをスキャンしましたが、こんなにきれいではありませんでした。
エジプトは行ってみたいけれど、コロナ騒ぎで海外旅行の計画が狂ってしまいました。来年は外国には出られません。ワクチンと治療薬ができない限り、その次もだめでしょうね。
私たちはモロッコには行ったことがあります。1975年でした。似たような感じでした。とにかく物乞いにはうんざりしました。
上中下に分けていただいて、全部見たかった。いまからでも続編、補遺ということで、なんとかなりませんか。ねんきん老人さんの思い入れのつよいものは、きっとおもしろい。
この貴重な記録が、ねんきん老人さんの旅行記一覧の最初にでてきません。4トラのシステムでは、旅行日時の新しい順にならぶので、投稿日が新しくても後ろにいってしまうのですね。なんとか希望する位置に表示させる方法はないものか。
でもそのおかげで、イギリスやポンペイのおもしろい旅行記を見つけました。楽しませていただきます。
- ねんきん老人さん からの返信 2020/08/15 19:19:44
- 4トラのシステム、同感です。
- しにあの旅人さん、次々と古い記録に目を通していただき、その上投票までしていただいて、恐縮しております。 ありがとうございました。
コロナ騒ぎで時間があり余っているとはいえ、どなたの参考にもならない古い思い出など投稿している自分に後ろめたさはあるのですが、そのくせ読んでいただくと嬉しいのですから、勝手なものだと自嘲してはおります。
モロッコに行かれたとか。 エキゾチックな所だと聞いています。 私の知人は確か10年ぐらい前に行ったのですが、他のどこよりも良かったと言っていました。 私も是非行ってみたいと思っている国の一つですが、なんとなく不安があっていまだに実現していません。
4トラのシステムでは、張り切って投稿しても旅行時期が古かったりするとどなたの目にも止まらず、書いた方としては残念な気がします。 極端に古ければ、何かのはずみに「旅行時期の古い順」という選択をしてくださる方もおられるかも知れませんが、中途半端に古いものはもう絶望的ですね。
今回のような場合は、投稿直後に何人かの方に気づいていただけることはあるかも知れませんが、毎日沢山の新作が投稿されている中では、すぐに埋没してしまい、2日目ぐらいからは自分でも探すのに苦労するザマです。
独りよがりな思い入れを否定せずに励ましてくださるしにあの旅人さんのご好意は嬉しい限りですが、その気になって上・中・下などと書き足したりすると不興を買うことになるのは目に見えていますので、今回のエジプト旅行記はこれで終わりにしたいと思います。
ですが、お言葉に甘えてまた古い記録を引っ張り出してみたいという誘惑を感じていることも事実ですので、もしそういうことがありましたら、またよろしくお願いいたします。
しにあの旅人さんの仰るワクチンと治療薬、なんとか私の命のあるうちに開発していただき、また近場にでも出かけられることを願っています。
しにあの旅人さんも、くれぐれもご用心なさって、今は充電に努められるようお祈りいたしております。
ありがとうございました。
ねんきん老人
-
- 琉球熱さん 2020/08/14 22:43:39
- いやいや、貴重な体験記
- ねんきん老人さん、ご無沙汰してます!
またどえらく古い旅を引っ張り出してきましたね~(笑)
でも写真もとてもきれいでびっくりです。
これだけの写真(推敲前は200枚!)をデジタル化するのはかなりの重労働だったのでは?
それに膨大な資料・メモ
これらをまとめるだけでも相当な労力です
思い入れが強ければ写真も文章も多くなるのは当然で、それを「削って削って」の作業もさらに大変だったのではと推察します
私だったら2~3編に分けるという安直な方法を取ってしまいますが・・・
旅も記録も大変な力作でした
---------琉球熱--------
- ねんきん老人さん からの返信 2020/08/15 10:47:06
- 恥ずかしく、申し訳なく・・・
- 琉球熱さん、お早うございます。 棺桶に入れるしか使い道のない旅行記にお付き合いくださり、早速の書き込みをしてくださり、ありがとうございました。
仰るとおり、重なって引っ付いた写真を1枚ずつデジタル化する作業と、殴り書きのメモを時系列に整理する作業には手間がかかりました。 それでも特別の旅行でしたし、今はどこにも出かけられず時間があり余っていますので、むしろ楽しみながらの毎日でした。
辛かったのはむしろ写真や文章を削る作業でしょうか。 上・中・下の3編に分けることは本気で考えましたが、自分にとって思い入れの強いものほど、人様にとっては退屈な記述になってしまうことは、これまでの失敗で何度も経験していますので、断腸の思いで削除・消去を繰り返しました。
その辺をおもんぱかって「私だったら2~3編に分けるという安直な方法を取ってしまいますが」と書いてくださった琉球熱さんのお気づかいに恐縮しながらも、恥ずかしさと申し訳なさが募っております。
次回は新しい旅行記を、とは思っておりますが、周りに気兼ねなく出かけられる日が私の存命中にくるかどうか怪しい状況ですので、お約束は「自粛」しておきます。
もしまた、どなたの参考にもならない単なる回顧録を投稿することになりましたら、そのときもまた今回に懲りずお付き合いいただけたらと虫の良いことを考えている始末です。 どうぞよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
ねんきん老人
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