2020/05/23 - 2020/05/23
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ミスターDさん
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関西の2府1県の緊急事態宣言の解除を受け、大河ドラマで盛り上がりつつある、京都の天王山近辺をぶらりとしてみました。
まだまだ油断は出来ませんが、三密を避けて、人の少ない場所に行ってみました。
個人的な趣味のスポットを巡りましたので、さらっと見ていただけば幸いです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
-
阪急電車に乗り、大山崎駅に向かいます。
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大山崎駅より望む、天王山です。
さほど高い山ではなさそうです。
安土桃山時代に天下の覇権をかけて、明智光秀公と羽柴秀吉公が戦った地です。気軽に登山が出来ます by ミスターDさん天王山 (山崎城跡) 自然・景勝地
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最初に大山崎町歴史資料館に行ってみます。
大山崎町歴史資料館 美術館・博物館
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コロナの影響が懸念されましたが、開館されていました。
豊臣秀吉が使っていたと伝わる鎧兜のレプリカがありました。 -
大阪と京都を結ぶ交通の要衝で、古代から近世にかけての大山崎町を紹介しています。
入館料は大人が200円です。 -
狭い資料館ですので、15分ほどの見学時間でした。
千利休が造ったと言われる茶室が復元されていました。 -
JR山崎駅方面に移動すると、離宮八幡宮が鎮座しています。
離宮八幡宮 寺・神社・教会
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起源は860年に大分の宇佐八幡宮の分祀を受けて始まったことによるそうです。
昔から油の商売が行われていたようです。 -
学業成就にもご利益があるとのことです。
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山崎駅前にある妙黄庵というお寺です。
千利休が造った茶室:待庵があり、予約をすれば見学が出来ます。
本日は拝観は中止となっていました。妙喜庵(国宝「待庵」) 寺・神社・教会
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庭園の様子です。
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山崎駅前のモニュメントです。
天王山のふもとの山崎合戦をPRされています。 -
これより天王山に登ってみます。
この入口より、約50分ほどのようです。 -
その前にアサヒビール大山崎山荘美術館に行ってみます。
当然、今は閉館となっています。 -
敷地内は新緑が素晴らしかったです。
紅葉の時期も良さそうです。 -
庭園にある池です。
蓮の風景も非常に落ち着きます。 -
美術館となっている英国風邸宅を見ようと思いましたが、そこまでは入れませんでした。
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続いて、天王山のふもとに鎮座する宝積寺さんです。
ハイキングコースの途中に鎮座しています。宝積寺(宝寺) 寺・神社・教会
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仁王門の金剛力士像です。
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迫力のある金剛力士像です。
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724年に行基様により、始まったとされている古い寺院です。
桃山時代に造られた、秀吉「一夜の塔」と呼ばれる重要文化財です。 -
本堂です。
参拝をして、登山に向かいます。宝積寺(宝寺) 寺・神社・教会
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登山道は整備されていて、勾配も緩やかですので、小さなお子さんや年配の方もいらっしゃいました。
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中腹ほどに鎮座する、酒解神社の鳥居がありました。
自玉手祭来酒解神社 (酒解神社) 寺・神社・教会
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途中に山崎の合戦の案内板が数か所、展示されています。
本能寺の変により、織田信長が討たれたことを知った羽柴秀吉は中国地方から急ぎ、京都に引き返してきました。
(現地の案内板より引用) -
急ぎ戻った秀吉は山崎町を見下ろすこの天王山の中腹にある松に旗を掲げて、味方の士気を挙げました。
旗立松展望台 名所・史跡
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松がある展望台からの山崎町が一望できます。
旗立松展望台 名所・史跡
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明智光秀公は秀吉を迎え討つために陣を敷きました。
(現地の案内板より引用) -
小泉川を挟み、戦いが始まりました。
(現地の案内板より引用) -
旗立松の少し奥に、山崎合戦之地碑がありました。
実際はこの天王山では戦いは行われず、山を下った小泉川辺りで行われました。 -
登山道の途中に十七烈士の墓が残されています。
十七烈士の墓 名所・史跡
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こちらは山崎の合戦より後の幕末に、禁門の変の首謀者の一人、元久留米藩士の真木和泉守など17人が眠る墓所です。
禁門の変に敗れた志士たちが、この天王山で自刃されました。
(現地の案内板より引用) -
天王山の中腹に鎮座する酒解神社です。
自玉手祭来酒解神社 (酒解神社) 寺・神社・教会
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天王山の山頂が見えてきました。
森林を伐採した跡が見られます。 -
天王山の山頂に着きました。
山崎城の本丸があった場所です。 -
天王山を先に制した秀吉軍が戦いに勝ったこともあり、「天王山」は山崎の合戦での経緯により、以降は勝敗の分かれ目の意味で使われるようになりました。
気軽に登山が出来ます by ミスターDさん天王山 (山崎城跡) 自然・景勝地
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山崎の合戦の後に秀吉は、天王山の山頂に山崎城を築きました。
大阪城に入るまで、この地を拠点としたようです。
井戸の跡が残っていました。 -
山崎城の遺構はほとんど残っていないようですが、本丸の西側に石垣の遺構がありました。
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城郭ファンや石垣マニアの方にはお薦めした遺構です。
気軽に登山が出来ます by ミスターDさん天王山 (山崎城跡) 自然・景勝地
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天王山の山頂は木々が生い茂っていますので、良い展望は見られませんでした。
唯一見れる展望です。
奈良方面の展望です。 -
下山の途中に鎮座する、観音寺さんです。
平安時代に始まった寺院です。観音寺 (山崎聖天) 花見
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非常に大きな仁王門が印象的です。
大きすぎて、全体を収められませんでした。 -
観音寺さんの参道にある鳥居です。
お寺さんですが、鳥居がある珍しい光景でした。 -
天王山を下山して、実際に山崎の合戦が行われた、小泉川(円明寺川)に来ました。
この川を挟んで、明智軍と秀吉軍が戦いました。山崎合戦古戦場跡 名所・史跡
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天王山夢ほたる公園となっていて、古戦場の石碑がありました。
奥が天王山です。山崎合戦古戦場跡 名所・史跡
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さらに歩いて10分ほどの場所に、明智光秀公 本陣の跡があります。
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古墳があった小高い丘になっていて、そこに明智光秀公は陣を敷いたようです。
現在はビール会社の工場や墓地となっています。 -
当時の明智光秀公の本陣の様子です。
(現地の案内板より引用) -
山崎の合戦に敗れた光秀公は、近くにある勝竜寺城に退却されて、さらに本拠地がある近江坂本城へ脱出を図られました。
(天王山の案内板より引用) -
光秀公が戦いに敗れて退却された勝竜寺城に行ってみます。
途中にある、恵解山古墳です。恵解山古墳 名所・史跡
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現在は公園として整備されていました。
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前方部は現在、墓地として利用されていました。
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勝竜寺城につきました。
一時期、細川藤孝・忠興父子が治めた城でもあります。
細川忠興公はこの城で、明智光秀公の娘、細川ガラシャと結婚されました。勝竜寺城公園 公園・植物園
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城跡は公園として整備されています。
この日は新型肺炎の影響で、公園内は入れずに閉鎖されていました。 -
明智光秀公は秀吉と戦う際に、娘のガラシャが嫁いだ細川家に味方になるように頼みましたが、細川藤孝・忠興父子はこれを断りました。
信長公を討った光秀公への思いや、その時の情勢など、様々な考えがあったことでしょう。 -
長岡京駅の近くに勝竜寺城の土塁・空堀が残されていました。
かなり歩きまわりましたので、これより大阪に戻ります。 -
山崎の合戦に勝利した秀吉は、その後大阪城を造り、天下人として歩んでいくこととなります。
本日はその秀吉と戦った、明智光秀公のゆかりの地をぶらりとしてみました。
最後まで見ていただき、ありがとうございました。大阪城 名所・史跡
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この旅行記へのコメント (1)
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- marsyさん 2021/02/19 00:07:42
- 一昨日行ってきました
- ミスターDさんはじめまして、marsyと言います。
先日終了した「麒麟が来る」の最後で、天王山(山崎の戦い)がスルーされてしまったので、現地を歩いてきました。
行くコースが一緒なので、当然写真もほぼ同じものですね(笑い)
では失礼いたします。ぽちっとな、は既にしてあったみたいですね。
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