2007/09/14 - 2007/09/16
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chiaki-kさん
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2007年北海道旅行記もついに第3編。今回の日程は稚内→留萌→美瑛→札幌(泊)→小樽→日本海フェリー→新潟→自宅ということで、最終章となりました。
表紙の写真は道道106号線稚内天塩線、通称・宗谷サンセットロードとBL5。まるで滑走路のような道路が延々と続きます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 船 自家用車
-
9/14
いつものとおり4:00起床。シャワーを浴びたりパソコンをいじったりしているうちに朝食タイム。記憶が今ひとつはっきりしないが、普通の和食だったような気がする。
写真は部屋の窓から眺めた稚内の町。 -
右手には稚内港も見えた。
そして7:30チェックアウト。チェックアウト後に気がついたが、距離をかせぐには朝食抜きで早朝出発という手もあった。 -
稚内市内から10分ほどのところにあるノシャップ岬の灯台。
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そして、ノシャップ岬の碑とイルカの時計台。現在時刻は7:47。
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本来なら、この海の先に利尻・礼文島が見えるのだが、海上がなんとなく、もやっており、こんなに晴れているのに見えない!
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沖には利尻島か礼文島へ行くフェリーが航行中。行きたい~。
*翌年に実現します。 -
これは自衛隊稚内レーダーサイト。例の大韓航空機撃墜事件の無線交信を傍受した基地。
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先日、宗谷岬で見たモニュメントは、この事件で亡くなった犠牲者を悼むもの。
では、ここで大韓航空機撃墜事件についてスタディ。
大韓航空機撃墜事件は、1983年9月1日にニューヨークからアンカレッジを経由し、金浦空港に向かって飛行していた大韓航空KAL007便(B747-230)が、ソビエト連邦の領空を侵犯したために、ソ連防空軍の戦闘機により撃墜された事件のことで、これにより乗員・乗客合わせて269人全員が死亡したが、日本人乗客も28名含まれていた。
事件の原因は、007便乗務員がジャイロを使った慣性航法装置(INS)の操作ミスにより、本来のルートを外れて、ソ連の領空に誤って侵犯したことに、気がつかなかった為だが、1991年、ソ連崩壊後にロシアから返還されたボイスレコーダーには機長と副操縦士、機関士があくびを繰り返すことが記録されていたことから、疲労によるヒューマンエラーを指摘する声もある。
事件を契機として翌1984年にシカゴ条約の改正が行われ、領空を侵犯した民間航空機を撃墜することは禁止された。また、当時アメリカ軍が軍事目的に開発した衛星測位システム(GPS)が、民間航空機の安全な航行のために開放されたこともあり、これ以降、同様な事件は起きていない。
しかし、9月6日まで事件について一切声明を出さず、回収していた機体や遺体の一部を密かに焼却処分し、ブラックボックスについてもソ連が崩壊するまで不明としていたソビエト社会主義共和国連邦という国の陰険な体質は、今でも人々の記憶に残っている。 -
稚内港に戻って北海道遺産の北防波堤ドームを撮影。戦前には、ここまで線路がひかれ、樺太行きの船に乗り換えた。
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こんなイベントもやっていたのね。
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稚内港にあるフェリー乗り場。大改修される前の貴重な写真。
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稚内の町を離れ、日本海が眺められる高台に、こんな場所があったので小休止。
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「夕日が丘パーキング」という公園。
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天気の良い日には、このように利尻島、礼文島が眺められるはずなのだが・・・
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残念ながら何も見えない。
なお、BL5の下だけ濡れているが、持参したポリタンクの水で洗車した跡。 -
稚内から天塩へ向かう道道106号線稚内天塩線、通称・宗谷サンセットロードをスタート。右手には日本海の白波が見える。
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右は日本海、左は北の大地を眺める直線道路が続く。
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Googleで確認すると沖合に利尻島が見えるはずだが、残念。
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稚咲内という交差点を左折して、サロベツ原生花園に立ち寄る。
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利尻礼文サロベツ国立公園。
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ここはエゾカンゾウ(ゼンテイカorニッコウキスゲ)の名所なのだが、時季ハズレなので殆ど何も咲いていない。
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日本で地平線が見える場所は、そうは無い。
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木製の看板あり。来年、この場所へまた来るとは夢にも思わなかった。
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天塩町の手前にあったオトンルイ風力発電所。
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一台の風車がメンテナンス中。
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怖い~
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天塩町で道道106号線は終わり、ここからは国道232号線、通称日本海オロロンラインになる。車は羽幌町通過中。この先の交差点を右折すると天売島、焼尻島へ渡るフェリー乗り場あり。
ちなみにオロロンという名は天売島に生息する海鳥の俗称。正式にはウミガラスというが、絶滅が危惧されている。 -
苫前(とままえ)グリーンヒルウィンドパーク。これもユーラスエナジーの関連施設。なお、今日も昼食は車の中、これで20kmはかせげる。
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小平(おびら)の手前の丘の上にも風車が。まるで、風の谷のナウシカに登場する巨神兵のようだ。
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小平にあった鰊(にしん)番屋(花田番屋)を見学。北海道遺産に指定されている。(入場料350円)
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番屋の内部、一番の時期には「やん衆」と呼ばれる作業員が150人ほど寝泊まりしたという。ちなみに鰊は食用では無く、最高の肥料として珍重された。
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鰊漁のさかんだった頃に使用された「もっこ」と呼ばれる背負い桶。女、子供、老人までかり出された、きびしい労働だった。
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花田番屋の向かいにあった石碑。
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昭和20年8月22日、終戦から7日後に樺太からの引き揚げ者を乗せた3隻の民間船がソ連の潜水艇に攻撃され、1708名が亡くなった事件の犠牲者を悼み、建てられたもの。北方領土といい、シベリア抑留といい、大韓航空機撃墜といい、ソ連という国はろくなことをしていない。
*大相撲の大横綱、大鵬も乗船していたが稚内で下船しており助かったのは有名な話。ちなみに大鵬の父はウクライナ人。 -
留萌到着が13:20、留萌から深川留萌自動車道に入る。無料にしては、ほとんど完成しており、深川到着が13:50、空知地方は良い天気。このまま札幌に向かえば16:00頃到着するが、それならいっそのことと考え、深川JCでハンドルを左に切った。すなわち旭川方面である。写真は留萌市内の交差点。
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旭川鷹栖ICで高速を降り、R237を経由して、15:00少し前にBL5は再び美瑛の大地に到着。まずはパッチワークの丘を走って・・・
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セブンスターの木。
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親子の木。
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北西の丘。
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展望台から東方面を望む。遠くに大雪山山系の山々が見える。
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駐車場も晴れれば、ご覧の通りの混雑。
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遠くに見える白い建物は旭川空港。
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ANA機が降下してきた。
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ケンとメリーの木。その向こうにまもなくランディングするANA機がいるが、見えるかな。
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赤い屋根の家。
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哲学の木は、2016年に安全上の理由などにより切り倒されてしまった。
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残念です。
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平地では無く、このような斜面をトラクターで耕耘するのは、かなり技術が必要で、ポツンと植えられた木は、耕耘する際の目印になるそうだ。
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16:30、後ろ髪を引かれる思いで美瑛を後に旭川鷹栖ICより札幌を目指す。札幌ICを18:30に降りたBL5は久しぶりの渋滞道路へ突入。札幌の街をあっちへウロウロ、こっちへウロウロするが、何とか今夜のホテルである「東横イン札幌すすきの南」に到着。立体駐車場に車を預け、19:00にチェックイン。
写真は部屋の窓から眺めた札幌の夜景。都会だ~。 -
すすきの交差点。ニッカのCM塔はニッカおじさんでは無く、今日は”響”なのね。
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札幌は北海道じゃ無いような気がする。
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夕食は、すすきのにある味の時計台・新ラーメン横町店。頼んだのは、ほたてバターコーンラーメンの大盛り。おいしかったのだが、店の方針か冷房を入れていないので汗びっしょりとなり、スープは残して屋外へ退散した。
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大通り公園の噴水からTV塔をパチリ。ついでにカップルさんまで。
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超有名な札幌時計台。ちゃんとした地図を持っていかなかったので、見つけるのに一苦労した。今ならスマホ一台で全部解決してしまう。
21:00過ぎにホテルに戻り、汗を流してからNET接続にチャレンジ。今回はあっさりと繋がる。これも都会だからか? 羅臼で買ったじゃがいも焼酎や十勝ワインなどを飲みながらネット三昧、明日は小樽までなので、12:00過ぎまでやってしまった。 -
9/15
5:00起床。7:00に食堂へ行き、おにぎりと味噌汁の朝食。いつものとおり7:30チェックアウト、BL5を受け取ると雨の札幌の街へ走り出した。
R12、D124を経由し、札幌西ICから札樽自動車道に入る。ICの手前に「白い恋人パーク」があったが、不祥事(*)の後なので、やっているんだろうか。
* 2007年に発覚した賞味期限改ざん事件。 -
20分ほどで小樽到着。
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雨の中、小樽運河を散策。
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左に大同倉庫があるが、ここにも福沢桃介の関連施設があったのね。
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「小樽の人よ」は、鶴岡雅義と東京ロマンチカのヒット曲。メインボーカルの三條正人さん、ご冥福をお祈りいたします。
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運河見学後、少し時間があったので旭山に登る。ここには小林多喜二の文学碑がある。
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文学碑についての解説はこちらです。
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旭展望台からは・・・
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小樽の町が一望。中央に新日本海フェリー乗り場が見える。
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らいらっくが待っている。
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新日本海フェリー小樽ターミナルはこんな大きな建物。
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9:30 乗船開始。連休でトラックが少なかったせいか比較的すいていた。
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バイクの皆さん、雨の中お疲れ様でしたね。
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10:30 定刻に、らいらっくは出港。
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手を振って見送るフェリー関係者の皆さん。
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そして小樽のかもめさんも見送りに?
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小樽の街がどんどん小さくなって行く、北海道よさらば~。
帰りの食事も同じパターンでは面白くないので、昼食、夕食はグリルでとる。昼食はフランス料理のセミコース。夕食は懐石料理を堪能した。他に客は7・8人しかおらず、クラシックの曲を聴きながら、静かに食事をすることが出来た。
往路の経験から、無理に昼間寝ようとせず、ロビーなどで過ごし、夜も9時まで売店でお土産を買ったり、風呂にはいったり、坂本九さん特集のTVなど見たりして時間をつぶす。 -
9/16
帰りのフェリーは、波もおだやかで、揺れはほとんど無かったこともあり、夜中に目を覚ますこともなく、5時までぐっすりと熟睡できた。写真は朝焼けの新潟港。最後の日はいつも良い天気だ。
いきなり雨の富良野・美瑛、快晴のオンネトー、霧の摩周湖、曇天のトドワラ、羅臼岳がくっきり見えた知床峠、今がピークの能取湖サンゴ草、高速道いらないオホーツクライン、風の宗谷丘陵、滑走路のようなオロロンライン、そして奇跡の美瑛アゲインなどなど、本当に多くの体験が出来ました。でも、北海道はまだまだこんなものじゃありません。利尻・礼文、大雪山、積丹半島、襟裳岬など素晴らしいポイントがまだ、たくさん残っています。
これで「2007年 北海道旅行記3」を終了とします。長時間お付き合いいただきました皆様、ありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- しにあの旅人さん 2020/05/22 06:03:23
- おはようございます
- このコース、7年くらい前に、逆のコースをレンタカーで走りました。旭川に飛行機で降りて、以降は釧路までほぼ同じ。真っ直ぐな道路が最高でした。2007年でも同じだったのですね。この日では、オトンルイ風力発電所をはっきり覚えています。そのときは名前も知りませんでした。
コロナ騒ぎの余波で、皆さんの古めの旅行の記録が出ています。これは貴重かもしれませんね。巣ごもり作戦、100%無駄なわけではないようです。
我が家では亀の子作戦といいます。もう少し頑張って、生き延びましょう。
- chiaki-kさん からの返信 2020/05/22 15:07:55
- まだまだ続きます
- ・
シニアの旅人さん、こんにちは。いつもありがとうございます。
2001年のギリシャ旅行記から始まった、このシリーズはfuzzさんの
シンガポール旅行記に触発されてはじめてみましたが、自分でも
こんなに多く作成するとは思いませんでした。
実を言うと、2009年以前の旅行記は自分のHPにあったもので、それに
修正を加えたり、写真を追加したりして作成してみました。
2日に一本のペースでUPしましたが、昔を思い出しながらの作業は
とても楽しかったです。
北海道旅行記の最後にも書きましたが、ハイペースがたたって
ちょっと疲れが出ましたので、1週間程度お休みをとらせて
いただきます。
休み明けには2008年、2009年、2010年と連続してBLで北海道に
行きましたので、それらを中心にして続編を考えていますが、
UPしたら、また見てやってください。
では、また。
chiaki-k
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