2018/02/21 - 2018/02/26
8位(同エリア528件中)
ローマ人さん
ローマ滞在2日目は、鉄道を使ってナポリに向かい、午前中にポンペイ遺跡を観光します。
この旅をする前年の2017年9月頃にパソコンを覗いていたら、シンガポール航空設立70周年記念キャンペーンで特別運賃が設定されているのを見つけました。
2016年2月、2017年2月と2度訪れたイタリアが気に入って、3度目の訪問を考えていたところだったので渡りに船で直ぐに購入しました。
航空券代金は、ローマ行きエコノミークラスが何と49,000円(込々で58,370円)です。
限られた日数の旅程の中で、往路のシンガポールでの乗り継ぎ時間が10時間30分と長いのが頭が痛いところでしたが、チャンギ国際空港での長時間の乗り継ぎ客を対象にした、シンガポール航空、チャンギ国際空港とシンガポール政府が共同で行っている無料の「フリー・シンガポールツアー」があることを知り、それを利用して30数年振りのシンガポール市内観光もついでに楽しむことにしました。
ローマに到着後は、ローマ市内観光と初めてのポンペイ遺跡、ナポリを訪れました。
*日程
2月21日(水)
・SQ635便 羽田発22:50
2月22日(木)
・シンガポール着5:25
・9:00-11:30 フリーシンガポールツアー参加
・リトル・インディア、チャイナタウン、マリーナ・ベイ・サンズ、
ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ、マーライオン公園、夜のスペクタクルショ
ー観光
2月23日(金)
・SQ366便 シンガポール発1:55-ローマ着8:10
・サンタ・マリア・デル・ポポロ教会、サンピエトロ広場、サンタンジェロ
城、スペイン広場観光
2月24日(土)
・イタロ テルミニ駅発7:40-ナポリ・チェントラーレ駅着8:50
・ポンペイ遺跡観光
・ナポリ市内観光
・イタロ ナポリ・チェントラーレ駅発18:25発-テルミニ駅着19:35着
2月25日(日)
・8:00発レオナルドエクスプレスで空港へ
・SQ365便 ローマ発11:15
2月26日(月)
・シンガポール着6:05
・SQ632便 シンガポール発8:05-羽田着15:35
*費用
・航空機 シンガポール航空エコノミー 総額58,370円
・ホテル マディソンホテル 2泊(朝食付き) 総額10,416円
・鉄道 ローマ-ナポリ イタロプリマクラス(1等車) 総額10,600円
*通貨レート
・1シンガポールドル(SGD)=約85円
・1ユーロ=約135円
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
2月24日(土)、ローマ滞在2日目です。
今日は、テルミニ駅から鉄道でナポリに向かい、ポンペイ遺跡とナポリ市内を観光します。
初めての訪問地なのでとても楽しみです。
写真は、テルミニ駅の入口付近にある発着時刻表示です。
外国のほとんどの鉄道は、日本と違って乗車ホームが事前に決まっていないので、多くの人が乗車ホームが表示されるのを待っています。 -
7:40発の高速鉄道.italo(イタロ)9901便ナポリ・チェントラーレ(NAPOLI C
.LE)駅行きに乗車します。
イタリアの鉄道には、イタリア全土を網羅している旧国鉄のトレニタリア(Trenitalia)と、イタリアの5大都市ローマ、ミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェ、ナポリの主要都市間のみを高速鉄道で結ぶ民間のヌオーヴォ・トラスポルト・ヴィアッジャトーリ社(NTV)が運営する.italo(イタロ)があります。
なお、トレニタリアの高速鉄道は「フレッチャロッサ」といい、イタロと同じ区間に設定されているものもあります。
写真の時刻表示を見ると、私が乗車するイタロの出発5分前、7:35発のナポリ行がフレッチャロッサですね。 -
プラットホームで待っているとイタロが入線してきました。
イタロの車体は、イタリアを代表する工業デザイナーでフェラーリのデザインにも携わったジョルジェット・ジウジアーロ(Giorgetto Giugiaro)がデザインしたというだけに、とても洗練された姿をしています。
このデザインが名車フェラーリを彷彿とさせるので、「フェラーリ特急」とも呼ばれているそうです。 -
イタロの座席クラスは、標準の「スマート(Smart)」、「プリマ(Prima)」、最上クラスの「クラブ(Club)」の3種類があり、私が乗車するのはプリマです。
チケットはレイルヨーロッパ社で前年の11月に購入し、往復10,600円(手数料+キャンセル返金保証含む)でした。
事前購入すると割安な料金で利用できます。 -
座席は、肘掛けとフットレストがついた広い本革シートです。
配列は1列3席(1席+通路+2席)で空間にかなり余裕があります。
私の座席は1人席です。
車体だけでなく内装のデザインも良いですね。
ドリンクとスナックのサービスもあります。 -
8:50、ナポリ・チェントラーレ駅に到着。
-
ポンペイ遺跡にはヴェスビアーナ周遊鉄道で向かいます。
乗車するナポリ・ガリバルディ駅はナポリ・チェントラーレ駅の地下にあります。
チケットは改札口横の窓口で購入します。
料金は2.8ユーロ(380円位)です。 -
9:11発の列車が15分位遅れて到着しました。
列車は混んでいて座席は満席でした。
座席を確保したいなら、1つ隣の始発駅ナポリ・ポルタ・ノラーナ(Napoli - Porta Nolana)駅から乗車するのがおすすめです。 -
10:05、ポンペイ・スカーヴィ(Pompei Scavi )駅に到着。
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駅から歩いて5分位で「ポンペイ遺跡」のマリーナ門側のチケット売場に到着。
チケット料金は13ユーロ(1,755円位)です。
チケット売場の近くに、無料の日本語版ポンペイ遺跡ガイドブックがありました。
ここでポンペイ遺跡についてご説明。
ポンペイは、ナポリ湾に面してヴェスビオ火山の南麓に位置する古代都市でした。
この街は、古代ローマが興隆する以前の紀元前8世紀頃に築かれ、ローマの支配下に置かれた紀元前89年以降は、豊かな地方として知られる南イタリアの当時の典型的な地方都市でしたが、紀元79年8月24日のヴェスビオ火山の大噴火により火砕石と火山灰が降り注ぎ、半日くらいの間に町全体が4mの厚さで埋め尽くされてしまいました。しかも、その後に降った雨でセメント状に固まり、遺体の収容も不可能だったようです。
そのようなわけで、2万人が生活していたポンペイは、当時の生活の様子をそのま残して時が止まったような姿で地下に眠ることになりました。
当時のヴェスビオ火山は、付近で温泉が湧く火山帯にありながらも900年以上も噴火したことがなく、山頂に至るまでの稜線は木々で埋まり、活火山特有の山肌の露出もなかったので、噴火するとは誰一人思っていませんでした。
これが、5,000人ともいわれる死者数の増大につながったのだそうです。
ほとんどの人が、約400℃にも達する火砕サージ(火山灰を多量に含んだガス雲)による窒息死だったようです。
この時代を生きた著作家「プリニウス・カエキリウス・セクンドウス(小プリニウス)は、40㎞以上離れた対岸のミセーノ岬から眺めたヴェスビオ火山の噴火の様子を、紀元100年前後に以下の様に手紙に書き記しています。
「黒雲に似た巨大な噴煙は、高く広がっていた。遠方からの眺めではどの火山なのかわからなかったが、それがヴェスヴィオであるのは後になってわかったことだった。そのヴェスヴィオから巻き上がる巨大な噴煙は、傘松の形をしていた。なぜなら、長い幹は上空目指して高く伸びたところで、前後左右に大きく枝分かれしているからだ。爆発によって猛烈に駆け昇った後で、爆風の勢いが衰えたためか、それとも噴煙自体の重さによるのか、中央部から左右に広がるにつれて色合いも変化していた。あるところでは白く、他の部分は灰色で、別のところでは赤黒い色をしていたのだ。この色分けは、押し上げられた火山灰や火砕石の混じり具合に寄ったのではないかと思う。」
*ローマ人の物語Ⅷ(塩野七生著)より
ちなみに、船で救援に向かった小プリニウスの叔父で「博物誌」の著作で知られる「プリニウス・セクンドウス(大プリニウス)」は、現地に上陸したものの荒れた海に再び船出することが出来ないまま、噴火で発生したガスによる呼吸困難で亡くなっています。
時は流れて、長く忘れ去られていたポンペイは、1700年代になって偶然による発見から本格的な発掘が始まり、古代ローマ時代そのままに封印された豊かな日常生活の姿を再び現し、現在に至っています。 -
遺跡の入場口は、チケット売場から少し下ったところにあります。
ポンペイ遺跡は全体で約66haの面積があり、そのうち約45haがこれまでに発掘されているそうです。
さて、広大な遺跡を約3時間の観光時間でどれだけ巡ることが出来るでしょうか。 -
入場すると、かつてポンペイ市街地を囲んでいた城壁の入口のマリーナ門(写真右側上部)が見えてきます。
マリーナ門という名前が示す通り、かつてはこの近くまで海が迫っていましたが、ヴェスビオ火山の噴火による火砕石と火山灰で埋まってしまったために、海岸線が遠のいて今の姿になったのだそうです。 -
マリーナ門にある2つの通路の内、右側の高い方を馬や荷役のロバなどが通り、左側の低い通路を人が通ったのだとか。
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マリーナ門を過ぎると石畳の上り坂「マリーナ通り」です。
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左側に伸びる路地です。
雨に濡れて光る石畳がとても綺麗です。 -
路地横にある住居跡です。
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通りの横の壁は長い年月を経てきたこと感じさせます。
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「マリーナ通り」の左側にある「ロムルスとレムスの家」です。
名前の由来は、ローマを建国の伝説に登場する「ロムルスとレムスに乳をのませる狼」を描いたフレスコ画が発掘されたことだそうです。 -
「マリーナ通り」を挟んで「ロムルスとレムスの家」の向かいにある「バジリカ」です。
バジリカは、現在では教会を表す言葉になっていますが、古代ローマ時代は司法業務や裁判に使用されていた建物をそう呼んでいました。
写真中央の建物には、見事な装飾を施した「トブリーナ(古代ローマ時代の行政官が審理の際に占めた場所)」があり、司法業務にあたる行政官が座ったのだそうです。 -
「バジリカ」です。
建設時期は、紀元前130年~120年ごろと推定されているそうです。
内部は、イオニア式の柱頭を持つレンガで出来た列の円柱によって3廊に分かれています。 -
「マリーナ通り」に戻って先に進みます。
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次は「アポロ神殿」です。
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「アポロ神殿」です。
紀元前3世紀頃に建築された、ポンペイで最も古い信仰施設の1つだそうです。
アポロが選ばれた背景には、ポンペイの都市建設がギリシャ人やエトルリア人(イタリア半島中部の先住民族で、徐々に古代ローマ人と同化して消滅)によってなされたことと関係があるようです。 -
「アポロ神殿」です。
ポディウム(神殿を載せるために高く造られた基壇)の上に神殿を建て、柱廊で囲んで中庭を形成し、中庭の中央には祭壇を置くという形式をしていたようです。 -
ズームアップ。
これは「弓を射るアポロ」のブロンズ像(レプリカ)です。
ヘレニズム時代の貴重な彫刻だそうで、本物はナポリ国立考古学博物館に展示されているそうです。
本物を見てみたいですが、ナポリ国立考古学博物館は旅程に入れていません。
残念です。 -
「アポロ神殿」の隣にある「フォロ」です。
南方向の眺め。
ここは、ポンペイの政治・経済・宗教の中心だった場所で、全長142m、幅38mの広さがあります。
いわば公共広場ですね。 -
「フォロ」です。
ケンタウルスの彫像があります。 -
「フォロ」です。
北方向の眺め。 -
「フォロ」の北側端にある「ユピテル神殿」です。
神殿の両脇には、「儀式のアーチ」があります。
本来は神殿の後ろにヴェスヴィオ山が見えるはずですが、あいにくの雨天で見ることが出来ないのが残念です。 -
「フォロ」から「サルノ門」に向かって市街地の東西を貫く「アッボンダンツァ通り」を進みます。
石畳で舗装された通りは当時のままだそうです。
中央は車道で馬車が走り、歩行者は車道の左右に設けられた歩道を歩くようになっていました。
手前の3つの石は車止めで、「フォロ」に馬車で入ることが出来ないようになっていたのだとか。 -
道路を横断するために置かれた飛び石は、馬車の轍を避けるように間を空けてあります。
さしずめ古代の横断歩道でしょうか。 -
道路の脇に水飲み場があります。
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水飲み場に設置された豊穣の女神「アッボンダンツァ」像が、通りの名前の由来だそうです。
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ここは「アッボンダンツァ通り」と交差して市街地の東西を貫く「スタビアーナ通り」です。
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「スタビアーナ通り」に沿って「スタビアーナ浴場」があります。
紀元前2世紀に建てられたポンペイ最古で最大のテルメ(共同浴場)だそうです。 -
入口から中に入ると広い中庭が広がっています。
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上の写真の建物の中には、大噴火による犠牲者の石膏像が展示されています。
大噴火による堆積物の下に埋もれた犠牲者が、長い年月を経て朽ち果てた後の空洞に石膏を流し入れて固めたものだそうです。
さすがにリアリティがありますね。 -
「スタビアーナ浴場」です。
男女別の脱衣場、フリギダリウム(水風呂)、テピダリウム(温浴室)、カルダリウム(高温浴室)があったそうです。 -
ここは男性用カルダリウムです。
お湯を張った浴槽は無く、サウナ風呂みたいなものだったようです。
床下は、部屋を暖めるために熱い空気を流す構造になっていたそうです。 -
男性用のテピダリウムのアーチ型天井には、漆喰の美しい装飾の跡が残っています。
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「スタビアーナ浴場」から「アッボンダンツァ通り」に出て、「スタビアーナ通り」を右折すると緩やかな下り坂になります。
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進行方向右側に見えてきたのが「ユピテル・メイキリオスの神殿」です。
ポンペイの信仰施設の中では一番小さい神殿で、冥界に属する「メイキリオス(蜜のようにやさしいという意味)」の「ユピテル」に捧げられたものだそうです。 -
「ユピテル・メイキリオスの神殿」の隣にある「小劇場(オデオン)」です。
ポンペイがローマの傘下に入って直ぐの紀元前79年に建設されたそうです。
なんと約3,000年も前ですよ。 -
レンガ造りの入口にある表示板です。
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「小劇場(オデオン)」です。
凝灰岩で造られた「テラモン(男性像を丸彫りした柱で支えや骨組みの一部、装飾に使われた)」が階段席を支えています。 -
「小劇場(オデオン)」です。
すぐ隣に「大劇場」があるのですが、何故か見落としてしまい心残りです。 -
「アッボンダンツァ通り」に戻ってきました。
ここは「カスカ・ロングスの家」です。
隣り合った2軒の家を統合した家で、ここはそのアトリウム(古代ローマ時代の中庭)部分です。 -
「カスカ・ロングスの家」です。
この獅子の脚を象った大理石の三脚は、テーブルを支える脚だそうです。
この脚には、元の所有者で紀元前44年にカエサル・シーザーを暗殺した「Publius Servilius Casca Longus(プブリウス・セルヴィリウス・カスカ・ロングス)」の名前が刻まれています。
カエサルを暗殺した後に没収された後に、流れ流れてこの家の調度品に加えられたようです。 -
「カスカ・ロングスの家」です。
これは、「インプルヴィウム」というアトリウムに設置された雨受水盤です。
彩色の大理石で装飾されていて、長い時を経ていることを感じさせない綺麗さです。 -
「カスカ・ロングスの家」です。
アトリウムの壁画は、初代ローマ皇帝アウグストウス時代に製作されたものだそうです。 -
壁画をズームアップ。
古代ギリシアの喜劇作家「メナンドロス」の喜劇を題材とした壁画だそうです。
色彩鮮やかに残っています。 -
移動の途中にあった水飲み場です。
大昔でも公共の水飲み場が充実していたのですね。 -
「アッボンダンツァ通り」の商店街には、往時の「落書き」が多く残されています。
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ズームアップ。
ラテン語で、政治家の悪口や、日本語に翻訳するのが憚られるようなことが書かれているとか。 -
ここは「パクイウス・プロクルスの家」です。
家の中は、カーペット形状のモザイクが床の全面を覆っているそうですが、中に入ることが出来ないようになっていました。
写真は、入口の床面に描かれた、扉の前に座る鎖につながれた犬のモザイクで、ガラスで覆って保護されています。
家を守る番犬は、ポンペイでよく使われたテーマだそうです。 -
ここは「ヴェトゥティウス・プラキドゥスの家とテルモポリウム」です。
テルモポリウム(「温かいものを出す店」の意味)とは居酒屋のことで、道路に面して設けられたカウンターに嵌め込んだ大きな瓶で、食べ物と飲み物を保存し売っていたそうです。
ここでの注目個所は、奥の壁にある非常に保存状態が良い「ララリウム(各家庭や公共の場所の守護神『ラール』を祀る神棚のようなもの)」です。
家の守護神「ラール」、所有者の守護神「ゲニウス」、商いの神「メリクリウス」、酒の神「デュオニソス」が祀られていました。
また、店と続きになっている奥の建物はフレスコ画で装飾された住居で、屋外で饗宴に使われた「トリクリニウム(庭園に面しては寝台《注:ローマ時代の食事は寝台に横になって食べた》が三方に配置された食堂)が残っています。 -
ここも「テルモポリウム」です。
華々しく装飾されたレンガ造りのカウンターに当時の生活の様子が偲ばれます。 -
ここは「円形闘技場」です。
遺跡の東側の端に位置しています。
大勢の観客が移動しやすいように、街の中心から離れたエリアに建てられたのだそうです。 -
中に入ります。
左右の観客席の壁に空いた穴は通路です。 -
来た方向を振り返ってみた眺め。
3層の観客席には、約2万人を収容できたそうです。 -
「小劇場(オデオン)と同時期に建築された、古代ローマの円形闘技場としては最古の部類のものだそうです。
アリーナに立ってみると、とても広いことが実感できます。 -
街の中心部に戻って、やってきたのが「娼館(Lupanare)」です。
ここでは、主に東方やギリシャの奴隷だった娼婦たちが2~8アス(ワイン1杯が1アス程度)の料金で商売(?)をしていたそうです。
建物の2階が住居で、1階には2つの出入口を結ぶ通路があり、通路を挟んで造られた5つの部屋にはレンガで出来た作り付けの寝台が備わっていました。 -
中央通路の壁にある官能的な絵。
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中央に通路の壁にある官能的な絵。
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中央に通路の壁にある官能的な絵。
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中央に通路の壁にある官能的な絵。
ここで提供されるサービスをお客に示す絵だそうです。
いわばメニューみたいなものでしょうか。 -
これがベッドです。
狭い上に硬いレンガ造りなので、居心地は悪そうです。 -
再び「フォロ」です。
写真は「フォロ」に面して東側にある「ゲニウス・アウグスティの神殿(通称ベシパスアヌスの神殿)」です。
この神殿は、高いポディウムの上に4本の円柱が建つ小神殿と小さな中庭、祭壇で構成されていたそうです。 -
「ユピテル神殿」の左脇にある「儀式のアーチ」を潜って進みます。
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ここは「浴場通り(VICOLO DELLE TERME)です。
右側の建物一帯が「フォルムの浴場」です。
ちょうど「ユピテル神殿」の後ろ辺りにあります。
時間の都合と「サタビアーネ浴場」を見たのでパスしましたが、内部装飾が素晴らしいということを後でポンペイ遺跡ガイドブックを読み返して知りました。 -
「メルクリオ通り(VIA DI MERCURIO)」を北上します。
綺麗な石畳です。 -
ここは「小さな噴水の家」です。
入口から中に入ると直ぐに、奥の庭園にある噴水を眺めることが出来るように配置されています。
この造りから、所有者の社会的地位が高いことが窺えるそうです。 -
「小さな噴水の家」です。
噴水は2015年に修復されたもので、漁師とキューピッドのブロンズ像(レプリカ)が置かれています。 -
ズームアップ。
多色のモザイクと貝殻で装飾されて、とても綺麗です。 -
噴水の後ろの壁は、大きな風景のフレスコ画で装飾されています。
-
「海辺の街」の風景は、当時大流行した題材だったそうです。
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フレスコ画が色鮮やかなままに残っていて驚きです。
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ここは「ファウノの家」です。
2つのアトリウムを持つ、ポンペイ最大の豪邸跡だそうです。 -
ここのアトリウムの「インプルヴィウム」には彩色されたモザイク画が施されています。
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「インプルヴィウム」の中央には、牧神「ファウヌス」のブロンズ像があります。
これはレプリカで、本物はナポリ国立考古学博物館に展示されているそうです。 -
列柱に囲まれたアトリウムの面した居間の床には、紀元前333年にアレキサンダー大王がペルシャ王ダリウス3世を破った「イッソスの戦い」を描いたモザイクがあります。
これもレプリカで、本物は牧神「ファウヌス」のブロンズ像と同じくナポリ国立考古学博物館に展示されているそうです。 -
「イッソスの戦い」を描いたモザイクです。
写真の左側上部で金の兜をかぶっているのがダリウス3世だそうです。 -
「イッソスの戦い」を描いたモザイクです。
これがアレキサンダー大王です。 -
ズームアップ。
とても細かくて色彩豊かなモザイクです。 -
ここは「ヴェッティの家」です。
商いで一財産を築いた「リベルティ(奴隷から解放された自由民)」のヴェッティ兄弟が建てた、ポンペイで最も贅沢な家として有名だそうです。
この時代は身分の流動性が高かったことが窺えます。 -
部屋の壁一面に施されたフレスコ画が見所だそうです。
入口を入ると直ぐに帯状装飾が目に入ってきました。 -
ここは「ペリスティリウム(柱廊で囲まれた中庭)」に面したアトリウムです。
美しいと評判のペリスティリウムは現在は修復中のようで、実物を見ることはできんせんでしたが、ペリスティリウムの写真がプリントされた工事用の幕が張られていて、素晴らしさを少しだけイメージすることが出来ました。 -
帯状装飾をズームアップ。
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「ヴェッティの家」です。
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ズームアップ。
特徴的な彫像です。 -
上部は、可愛らしい「クピド(キューピッド:羽根をもつ子どもで描かれる)」の絵です。
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「ヴェッティの家」のフレスコ画です。
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「ヴェッティの家」のフレスコ画です。
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ズームアップ。
官能的な絵です。
時間が押して来たので、ここから「悲劇詩人の家」を経由して、最後に「秘儀荘」を訪れます。 -
ここは「悲劇詩人の家」です。
中流家庭の代表的な家屋で、居間にギリシャ悲劇のモザイク画があったことから名付けられたそうです。 -
玄関の床面にある「CAVE CANEM(猛犬注意)」のモザイクも有名です。
-
「悲劇詩人の家」からエルコラーノ門をぬけて、遺跡の中心から北西方向に少し離れた場所にある「秘儀荘」にやってきました。
限りある観光時間を割いてやってきたのは、かつて大邸宅であったこの建物の中にある「ディオニュソス秘儀の図」のフレスコ画をどうしても見たかったからです。
ディオニュソスは、バッカスの名前で知られるギリシャ神話に登場する酒の神ですが、多神教であった古代ローマでは、ディオニュソス神が人々の間で広く信仰の対象とされていました。
秘儀荘が現在の形になったのは紀元前80年頃だそうですが、この頃のローマ帝国では、ギリシャから伝来した集団的狂乱と陶酔を伴う秘教「ディオニュソス教」の崇拝はローマ帝国の秩序を乱すものとして禁じられていました。
そのような状況の中で、ローマ帝国の監視が緩かったポンペイをはじめとしたイタリア南部の諸都市では、ディオニュソス教信仰の風習が秘かに残っていたようです。
これは、「秘儀荘」が街の中心部から離れた場所に建てられていることの理由かもしれませんね。 -
建物の入口は美しい装飾の柱で飾られていて、いかにも大邸宅といった佇まいです。
-
ここはアトリウムです。
本来は、中庭に面しているのですが、現在は修復中のようで中庭の写真がプリントされた工事用の幕が張られているので、往年の姿は想像するしかありません。
少し暗くて、噴火の犠牲者の石膏像が不気味な雰囲気を出しています。 -
ここは「踊るサテュロスの間」です。
-
右側の絵が「踊るサテュロス」だそうです。
「サテュロス」はギリシャ神話に登場する半人半獣の自然の精霊で、「自然の豊饒の化身、欲情の塊」として表現されるそうです。
ディオニュソスの従者といわれているそうですので、ここに描かれているのも関連があるのでしょうね。
ディオニュソスが酒の神だけに、サテュロスは酔っぱらって陽気になって踊っているのかもしれません。 -
「ポンペイ・レッド」と呼ばれる独特な赤色を背景にして描かれていて、とても美しいです。
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そして、ついにやってきたのが「ディオニュソスの間」です。
壁に描かれている絵が「ディオニュソス秘儀の図」です。
ディオニュソス教の秘密の重要な儀式「入信儀式」の様子を描いていると考えられていて、部屋に入ると左壁から順に「ポンペイ・レッド」を背景にして等身大に描かれた29人の人物が登場します。
写真は左側の壁画です。 -
正面の壁画です。
-
左側の壁から時計回りにズームアップ。
左端に立つ教理を受ける入信者の女性に少年ディオニュソスが儀式作法を読み聞かせ、その様子を巻物を左手に持って背後に座る伝授者が見ています。
右端の結婚のシンボルの冠をしてお盆を手にした女性は、食べ物を運んでいます。 -
前の写真のお盆を手にした女性が食べ物を運ぶ先は、中央に座り背中を見せている奉納の儀式を司る女性です。
奉納の儀式を司る女性の両脇では、召使たちが食べ物を運んだり、テーブルを整えています。
右端はギリシャ神話の神でディオニュソスの従者「シノレス」で、うっとりとした表情でリラ(古代ギリシャの竪琴)を奏でています。 -
左側では、サテュロスが縦笛を吹きその横で女サテュロスが小鹿に乳を飲ませています。
右側の黒いマントの女性は入信者で、右側の壁に続く入信儀式の様子を見て恐怖で後退りをしています。 -
肥ったシノレスがサテュロスに酒を飲ませ、その右側のもう1人のサテュロスが恐ろしい仮面を掲げています。
-
顔の部分が失われていますが、右側の秘儀椅子に座る人物がディオニュソスの妻アリアドネで、アリアドネにもたれかかっているのがディオニュソスです。
ディオニュソスは、足に奇跡をもたらすという長い霊杖テュルソスをかけています。
ディオニュソスは陶酔しているのか、恍惚の表情でアリアドネを見ているかのようです。 -
アリアドネの横でひざまずく女性は、受胎のシンボル「ファルス」のベールをとろうとしています。
その右横では、黒い羽根を持つ女神が容赦なく入信者の女性に鞭を振り上げています。
ズームアップの写真はありませんが、更に右側の壁に、鞭うたれた入信者の女性が慈悲深い案内役の女性の膝に逃れて助けを求める姿が、更に、神聖なテュルソスの杖を持った巫女の前で、試練を乗り越えた入信者の女性が裸で喜びの踊りを踊る姿が描かれています。 -
窓を挟んで最後の場面は、美しい若い女性が座って身支度をしている姿です。
キューピッドが鏡を差し出して身支度を手伝い、案内役の女性が付き添っています。
儀式を終えて、入信者が神聖な結婚のために身支度を儀式を終え、入門者が神聖な結婚のための身支度をしているところだそうです。
「ディオニュソス秘儀の図」の解釈についてはいろいろと争いがあるようですが、実際にこの美しい壁画を目の当たりにすると、そんな難しいこととは関係なく感動してしまします。
本当に来て良かったと思いました。 -
観光予定時間を1時間ほどオーバーしてポンペイ遺跡観光を終了しました。
名残惜しいですが、ナポリ市内観光も捨てきれません。
「秘儀荘」の入場口から出て、長閑な田舎道を途中誰にも会うことなく10分位歩いてヴェスビアーナ周遊鉄道ポンペイ・スカーヴィ駅に到着しました。 -
13:40発の列車でナポリ市内観光に向かいます。
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2018年 3度目のイタリアとちょっとだけシンガポール1人旅 その4 ナポリ編
2018/02/21~
ナポリ
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2018年 3度目のイタリアとちょっとだけシンガポール1人旅 番外 サンタ・マリア・デル・ポポロ教会編
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ローマ
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旅行記グループ 2018年 3度目のイタリアとちょっとだけシンガポール 1人旅
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