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2020年2月18日(火)、今回の旅5日目、クルーズ船では3日目の朝。7時前に10階のビュッフェレストランへ上がると、まだほとんど人がいない(下の写真1)。トーストとハム、チーズ、フルーツ、ヨーグルト、ジュース、紅茶で島を見ながら朝食(下の写真2)。<br /><br />食事を終えて外に出ると2ケ所目の停泊地、セントマーチン島(St. Martin)のシントマールテン港(Port of Sint Maarten)がようやく見えてくる。カリブ海(Caribbean Sea)の東、昨夕に出航した米領ヴァージン諸島(U.S. Virgin Islands)のセントトーマス島(St. Thomas)の約200㎞東に位置するこの島は、2つの国に分かれており、港がある南半分はオランダ王国の構成国(Land)であるシントマールテン(Sint Maarten)。<br /><br />主都は港の西奥に見えるフィリップスブルフ(Philipsburg)。国名は島の名前のオランダ語読みで、島の名前はコロンブス(Cristoforo Colombo)が2度目の航海の1493年のトゥールの聖マルティヌス(Saint Martin of Tours)の聖名祝日(11月11日)にこの島を見つけたことから命名された。アンティル諸島(Antilles)の小アンティル諸島(Lesser Antilles)北部のリーワード諸島(Leeward Islands)に含まれる。この島の南にあるオランダ特別自治体(Caribisch Nederland)のシントユースタティウス島(Sint Eustatius)、サバ島(Saba)と併せてSSS諸島(SSS Islands)とも呼ばれる。<br /><br />キューバ島から東に延びるアンティル諸島はこの辺りで、南に大きく方向を変え、カリブ海の北と東を囲んでいる。シントマールテンは88平方㎞の島の南側34平方㎞を占める普通の地図では逆三角形状になる国で、北側はフランス海外準県(Collectivite d&#39;outre-mer)のサンマルタン(Saint-Martin)との国境、東海岸が大西洋(Atlantic Ocean)、南西岸がカリブ海で、50㎞余り先にサバ島が浮かび、南東にサンバルテルミー海峡(Saint-Barthelemy Channel)を挟んで約30㎞先に別のフランス海外準県(Collectivite d&#39;outre-mer)のサンバルテルミー島(Saint Barthelemy)がある。<br /><br />オランダ領をダッチサイド(Dutch Side)、フランス領をフレンチサイド(French Side)とも呼ぶ。島全体が山がちな地形で、起伏に富んだ多くの丘と多くの入り江がある。また、砂州が発達し、多くの潟湖を擁している。ダッチサイドの海岸線の総延長は364kmで、一番高い山はフラッグスタッフ山(Flagstaff)の386mだが、島の最高峰はフレンチサイドにある。2つの自治国家によって分割された最も小さな陸地で、フランスの領土とオランダの領土が地続きで接しているのは、世界でここだけ。<br /><br />海洋性熱帯気候で北東貿易風が卓越している。気候は温暖で、年平均降水量は1,500mmで日本より少し少ない程度で世界では多い方に入る。7月から11月までの間にはハリケーンに襲われることがある。1960年9月のハリケーンドナ(Hurricane Donna)では7人が亡くなり、1995年9月のハリケーンルイス(Hurricane Luis)では12人が亡くなった他、数百人の負傷者、数千軒の家屋の倒壊という大きな被害をもたらし、観光業への打撃とそれに伴う失業者の増大など、産業・経済に大きな影響を及ぼした。2017年9月にもハリケーンイルマ(Hurricane Irma)が来襲、8人が亡くなっている(いずれも島全体)。<br /><br />人口は全部で約4万人で、奴隷として連れて来られたアフリカ系黒人の子孫がほとんど。ただし、国籍は様々で島全体では120あるいは130ヶ国の国籍を持つ人がいると云われる。公用語はオランダ語と英語で、公式にはオランダ語になるが、オランダ語を母国語とする人は5%もおらず、実際には70%の人が母国語とする英語が使われている。ほとんどの人がキリスト教で、宗派は分かれるがプロテスタント(Protestant)の方が比率が高い。<br /><br />1493年にコロンブスに発見されるが、水や塩そして食料などの補給基地として利用されるだけで、1627年から31年に掛けてオランダ人がニューアムステルダム(Nieuw Amsterdam=現在の米国ニューヨーク(New York))とブラジル(Brasil)間の中継基地として入植を始めるまでは他のカリブ諸島と同様にアラワク族(Arawak)とカリブ族(Caribs)が暮らしていた。この時代には塩の島(Sualouiga)と呼ばれることの方が多かったようで、その塩の交易権が島の価値を押し上げた。1633年にスペインが占領しオランダ人を追い出すが、15年後には島を放棄した。スペインの放棄後、オランダとフランスが植民を開始、コンコルディア山の麓で締結されたコンコルディア条約(Treaty of Concordia)で現在と同じ国境が定められた。しかし、18世紀から19世紀にかけては今度はイギリスが島の支配化を図り、フランス・オランダとの争いが長く続き、16回も島の所有者が代わった。<br /><br />1815年のパリ条約(Treaty of Paris)によって、ようやく現在の状況が確定、1818年にオランダ領シントユースタティウス植民地(Sint Eustatius en onderhorigheden)の一部となり、1828年にオランダのカリブ海植民地全ては南米スリナム(Suriname)含む西インド植民地(Geoctroyeerde West-Indische Compagnie)に統合されたが、1845年にスリナムを分割してキュラソー植民地(Curacao en onderhorigheden)の一部となった。この期間に多くの奴隷が連れて来られた。オランダの奴隷解放はフランスに遅れること15年の1863年。奴隷制度廃止後、プランテーション経営が衰退し、島の経済も後退した。<br /><br />1939年に免税港を宣言し、経済発展に向けて進みだす。1943年、米軍基地飛行場(後のプリンセス・ジュリアナ国際空港(Princess Juliana International Airport))が建設され、ドイツ軍の潜水艦との戦いの上で重要な役割を果たした。この頃から島の共通作業言語として英語が広く使われるようになった。1948年、キュラソー植民地はオランダ領アンティル(Nederlandse Antillen)に名を改め、1951年に自治権が与えられ、1954年に自治領となった。<br /><br />1950年代から観光地として着目を浴びるようになり、リゾート地としての開発が進められた。一つの島がオランダとフランスとに分けられているユニークな地理的状況もあって観光熱は周囲の島々よりも高く、島全体の人口は5000人程度から1990年代半ばに8万人にまで増加した。<br /><br />2010年、オランダ領アンティルは解体され、シントマールテンとして、オランダ本国と対等な構成国の一つとなった。2017年に南米ベネズエラ(Venezuela)沖にある島国キュラソー(Curacao)を旅したことがあるが、キュラソーとその隣の島国アルバ(Aruba)も同じ立場で、本国と併せ4つの国でオランダは構成されている。英国がイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4つの国で構成されているのと似たような感じ。内政に関しては完全な自治権を持ち、軍事・外交については本国政府が責任を持っている。国王を元首とし、国王により6年任期で知事が任命されているが、行政は議会によって任命された首相が行っている。現在の首相は19年に就任したシルベリア・ジェイコブス(Silveria Jacobs)氏。任期は4年。議会は一院制で任期4年、定員15名。<br /><br />西部の砂州上に東カリブで最も利用者の多いプリンセス・ジュリアナ国際空港があり、米国東海岸やカナダ、プエルトリコや他のカリブ諸島のみならずヨーロッパ主要都市とも結ばれており、毎年100万人以上にのぼる観光客のほとんどがこの空港を利用している。空港に隣接するマホビーチ(Maho Beach)は、低空で通過するジェット機を見ることができる観光名所となっている。<br /><br />サッカーの国内リーグがあるが、国際サッカー連盟(FIFA)未加盟で、ワールドカップ(FIFA World Cup)には参加できない。北中米カリブ海サッカー連盟(CONCACAF)は正会員になっており、ゴールドカップ(CONCACAF Gold Cup)やカリビアンカップ(Caribbean Cup)には参加できるが、参加した年も、ほとんどは本大会前の予選で敗退している。<br /><br />観光が主要産業で労働人口の8割が観光関連業に従事している。その他は、歴史的には塩で栄えた地だが、今は砂糖が唯一にして最も重要や輸出品目となっている。電圧とプラグは基本的に日本と同じ。通貨はアンティルギルダー(Antilliaanse gulden)で、通貨コードがANGで通貨記号はNAf。1US$が1.67NAfで、1NAfは約66円(2020年2月現在)。ただし、米国ドルが普通に使われており、両替の必要はない。国旗は1985年に制定されたもので、赤が勇気と連帯を表し、白が平和と友情、青がは海と空を象徴している。ヴァージン諸島と同じで、日本より13時間遅れ、サマータイムは採用していない。<br /><br />定刻の8時より少し早くシントマールテン港に着岸。島の南東部に突き出したブランチ岬(Pointe Blanche)の西側、グレート湾(Great Bay)にあるクルーズ船ターミナル。世界最大のクルーズ船であるジェネシス級(Genesis Class)の船を収容できる数少ない港の1つ。ジェネシス級の船2隻が同時に停泊できる445mの第2桟橋(2009年完成)と、それより小さいクルーズ船4隻を同時に停泊できる545mの第1桟橋(2007年完成)を持つ。<br /><br />シントマールテンの主都フィリップスブルフの中心から徒歩15分の距離にあり、水上タクシーでは5分。クルーズ船ターミナルとして稼働し始めたのは1964年。徐々にクルーズ客は増え、1980年に年間10万人を越え、2002年以降は100万人を突破し続けている。<br /><br />着岸した第2桟橋にはすでに1隻が停泊していた。スイスのバーゼル(Basel)に本社を置くバイキングクルーズ社(Viking Cruises)のバイキングシー(Viking Sea)。定員930名、2016年初就航の新しい中型クルーズ船。サンファン(San Juan)をベースに私が乗っているカーニバルファシネーション(Carnival Fascination)のほぼ逆回りのコースを10日で回るクルーズの後半だったようだ。<br /><br />8時20分頃下船(下の写真3)。1998年に亡くなったシントマールテンでは最も人気があったと云われる政治家クロード・ワタイ(Claude Wathey)氏の銅像が建つクルーズターミナルは素通りで、まずはタクシーを捕まえる(下の写真4)。この島の車は左ハンドルで右側通行と米国やヨーロッパ大陸国と同じ。ナンバープレートはしゃれてる。タクシーはフィリップスブルフの町を抜け、島の西南部に広がるシンプソンベイラグーン(Simpson Bay Lagoon)の横を通り、国境を越える。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3952963818106946&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />いきなり国境越えしたが、続く

シントマールテン(Sint Maarten)

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2020/02/18 - 2020/02/18

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ちふゆ

ちふゆさん

2020年2月18日(火)、今回の旅5日目、クルーズ船では3日目の朝。7時前に10階のビュッフェレストランへ上がると、まだほとんど人がいない(下の写真1)。トーストとハム、チーズ、フルーツ、ヨーグルト、ジュース、紅茶で島を見ながら朝食(下の写真2)。

食事を終えて外に出ると2ケ所目の停泊地、セントマーチン島(St. Martin)のシントマールテン港(Port of Sint Maarten)がようやく見えてくる。カリブ海(Caribbean Sea)の東、昨夕に出航した米領ヴァージン諸島(U.S. Virgin Islands)のセントトーマス島(St. Thomas)の約200㎞東に位置するこの島は、2つの国に分かれており、港がある南半分はオランダ王国の構成国(Land)であるシントマールテン(Sint Maarten)。

主都は港の西奥に見えるフィリップスブルフ(Philipsburg)。国名は島の名前のオランダ語読みで、島の名前はコロンブス(Cristoforo Colombo)が2度目の航海の1493年のトゥールの聖マルティヌス(Saint Martin of Tours)の聖名祝日(11月11日)にこの島を見つけたことから命名された。アンティル諸島(Antilles)の小アンティル諸島(Lesser Antilles)北部のリーワード諸島(Leeward Islands)に含まれる。この島の南にあるオランダ特別自治体(Caribisch Nederland)のシントユースタティウス島(Sint Eustatius)、サバ島(Saba)と併せてSSS諸島(SSS Islands)とも呼ばれる。

キューバ島から東に延びるアンティル諸島はこの辺りで、南に大きく方向を変え、カリブ海の北と東を囲んでいる。シントマールテンは88平方㎞の島の南側34平方㎞を占める普通の地図では逆三角形状になる国で、北側はフランス海外準県(Collectivite d'outre-mer)のサンマルタン(Saint-Martin)との国境、東海岸が大西洋(Atlantic Ocean)、南西岸がカリブ海で、50㎞余り先にサバ島が浮かび、南東にサンバルテルミー海峡(Saint-Barthelemy Channel)を挟んで約30㎞先に別のフランス海外準県(Collectivite d'outre-mer)のサンバルテルミー島(Saint Barthelemy)がある。

オランダ領をダッチサイド(Dutch Side)、フランス領をフレンチサイド(French Side)とも呼ぶ。島全体が山がちな地形で、起伏に富んだ多くの丘と多くの入り江がある。また、砂州が発達し、多くの潟湖を擁している。ダッチサイドの海岸線の総延長は364kmで、一番高い山はフラッグスタッフ山(Flagstaff)の386mだが、島の最高峰はフレンチサイドにある。2つの自治国家によって分割された最も小さな陸地で、フランスの領土とオランダの領土が地続きで接しているのは、世界でここだけ。

海洋性熱帯気候で北東貿易風が卓越している。気候は温暖で、年平均降水量は1,500mmで日本より少し少ない程度で世界では多い方に入る。7月から11月までの間にはハリケーンに襲われることがある。1960年9月のハリケーンドナ(Hurricane Donna)では7人が亡くなり、1995年9月のハリケーンルイス(Hurricane Luis)では12人が亡くなった他、数百人の負傷者、数千軒の家屋の倒壊という大きな被害をもたらし、観光業への打撃とそれに伴う失業者の増大など、産業・経済に大きな影響を及ぼした。2017年9月にもハリケーンイルマ(Hurricane Irma)が来襲、8人が亡くなっている(いずれも島全体)。

人口は全部で約4万人で、奴隷として連れて来られたアフリカ系黒人の子孫がほとんど。ただし、国籍は様々で島全体では120あるいは130ヶ国の国籍を持つ人がいると云われる。公用語はオランダ語と英語で、公式にはオランダ語になるが、オランダ語を母国語とする人は5%もおらず、実際には70%の人が母国語とする英語が使われている。ほとんどの人がキリスト教で、宗派は分かれるがプロテスタント(Protestant)の方が比率が高い。

1493年にコロンブスに発見されるが、水や塩そして食料などの補給基地として利用されるだけで、1627年から31年に掛けてオランダ人がニューアムステルダム(Nieuw Amsterdam=現在の米国ニューヨーク(New York))とブラジル(Brasil)間の中継基地として入植を始めるまでは他のカリブ諸島と同様にアラワク族(Arawak)とカリブ族(Caribs)が暮らしていた。この時代には塩の島(Sualouiga)と呼ばれることの方が多かったようで、その塩の交易権が島の価値を押し上げた。1633年にスペインが占領しオランダ人を追い出すが、15年後には島を放棄した。スペインの放棄後、オランダとフランスが植民を開始、コンコルディア山の麓で締結されたコンコルディア条約(Treaty of Concordia)で現在と同じ国境が定められた。しかし、18世紀から19世紀にかけては今度はイギリスが島の支配化を図り、フランス・オランダとの争いが長く続き、16回も島の所有者が代わった。

1815年のパリ条約(Treaty of Paris)によって、ようやく現在の状況が確定、1818年にオランダ領シントユースタティウス植民地(Sint Eustatius en onderhorigheden)の一部となり、1828年にオランダのカリブ海植民地全ては南米スリナム(Suriname)含む西インド植民地(Geoctroyeerde West-Indische Compagnie)に統合されたが、1845年にスリナムを分割してキュラソー植民地(Curacao en onderhorigheden)の一部となった。この期間に多くの奴隷が連れて来られた。オランダの奴隷解放はフランスに遅れること15年の1863年。奴隷制度廃止後、プランテーション経営が衰退し、島の経済も後退した。

1939年に免税港を宣言し、経済発展に向けて進みだす。1943年、米軍基地飛行場(後のプリンセス・ジュリアナ国際空港(Princess Juliana International Airport))が建設され、ドイツ軍の潜水艦との戦いの上で重要な役割を果たした。この頃から島の共通作業言語として英語が広く使われるようになった。1948年、キュラソー植民地はオランダ領アンティル(Nederlandse Antillen)に名を改め、1951年に自治権が与えられ、1954年に自治領となった。

1950年代から観光地として着目を浴びるようになり、リゾート地としての開発が進められた。一つの島がオランダとフランスとに分けられているユニークな地理的状況もあって観光熱は周囲の島々よりも高く、島全体の人口は5000人程度から1990年代半ばに8万人にまで増加した。

2010年、オランダ領アンティルは解体され、シントマールテンとして、オランダ本国と対等な構成国の一つとなった。2017年に南米ベネズエラ(Venezuela)沖にある島国キュラソー(Curacao)を旅したことがあるが、キュラソーとその隣の島国アルバ(Aruba)も同じ立場で、本国と併せ4つの国でオランダは構成されている。英国がイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4つの国で構成されているのと似たような感じ。内政に関しては完全な自治権を持ち、軍事・外交については本国政府が責任を持っている。国王を元首とし、国王により6年任期で知事が任命されているが、行政は議会によって任命された首相が行っている。現在の首相は19年に就任したシルベリア・ジェイコブス(Silveria Jacobs)氏。任期は4年。議会は一院制で任期4年、定員15名。

西部の砂州上に東カリブで最も利用者の多いプリンセス・ジュリアナ国際空港があり、米国東海岸やカナダ、プエルトリコや他のカリブ諸島のみならずヨーロッパ主要都市とも結ばれており、毎年100万人以上にのぼる観光客のほとんどがこの空港を利用している。空港に隣接するマホビーチ(Maho Beach)は、低空で通過するジェット機を見ることができる観光名所となっている。

サッカーの国内リーグがあるが、国際サッカー連盟(FIFA)未加盟で、ワールドカップ(FIFA World Cup)には参加できない。北中米カリブ海サッカー連盟(CONCACAF)は正会員になっており、ゴールドカップ(CONCACAF Gold Cup)やカリビアンカップ(Caribbean Cup)には参加できるが、参加した年も、ほとんどは本大会前の予選で敗退している。

観光が主要産業で労働人口の8割が観光関連業に従事している。その他は、歴史的には塩で栄えた地だが、今は砂糖が唯一にして最も重要や輸出品目となっている。電圧とプラグは基本的に日本と同じ。通貨はアンティルギルダー(Antilliaanse gulden)で、通貨コードがANGで通貨記号はNAf。1US$が1.67NAfで、1NAfは約66円(2020年2月現在)。ただし、米国ドルが普通に使われており、両替の必要はない。国旗は1985年に制定されたもので、赤が勇気と連帯を表し、白が平和と友情、青がは海と空を象徴している。ヴァージン諸島と同じで、日本より13時間遅れ、サマータイムは採用していない。

定刻の8時より少し早くシントマールテン港に着岸。島の南東部に突き出したブランチ岬(Pointe Blanche)の西側、グレート湾(Great Bay)にあるクルーズ船ターミナル。世界最大のクルーズ船であるジェネシス級(Genesis Class)の船を収容できる数少ない港の1つ。ジェネシス級の船2隻が同時に停泊できる445mの第2桟橋(2009年完成)と、それより小さいクルーズ船4隻を同時に停泊できる545mの第1桟橋(2007年完成)を持つ。

シントマールテンの主都フィリップスブルフの中心から徒歩15分の距離にあり、水上タクシーでは5分。クルーズ船ターミナルとして稼働し始めたのは1964年。徐々にクルーズ客は増え、1980年に年間10万人を越え、2002年以降は100万人を突破し続けている。

着岸した第2桟橋にはすでに1隻が停泊していた。スイスのバーゼル(Basel)に本社を置くバイキングクルーズ社(Viking Cruises)のバイキングシー(Viking Sea)。定員930名、2016年初就航の新しい中型クルーズ船。サンファン(San Juan)をベースに私が乗っているカーニバルファシネーション(Carnival Fascination)のほぼ逆回りのコースを10日で回るクルーズの後半だったようだ。

8時20分頃下船(下の写真3)。1998年に亡くなったシントマールテンでは最も人気があったと云われる政治家クロード・ワタイ(Claude Wathey)氏の銅像が建つクルーズターミナルは素通りで、まずはタクシーを捕まえる(下の写真4)。この島の車は左ハンドルで右側通行と米国やヨーロッパ大陸国と同じ。ナンバープレートはしゃれてる。タクシーはフィリップスブルフの町を抜け、島の西南部に広がるシンプソンベイラグーン(Simpson Bay Lagoon)の横を通り、国境を越える。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3952963818106946&type=1&l=223fe1adec


いきなり国境越えしたが、続く

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  • 写真1 クルーズ船のビュッフェレストランの朝

    写真1 クルーズ船のビュッフェレストランの朝

  • 写真2 朝食

    写真2 朝食

  • 写真3 下船

    写真3 下船

  • 写真4 タクシー

    写真4 タクシー

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