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2020年2月18日(火)朝の9時前、セントマーチン島(St. Martin)。クルーズ船が着いた島の南半分を占めるオランダ王国の構成国(Land)、シントマールテン(Sint Maarten)のシントマールテン港(Port of Sint Maarten)から、北側を占めるフランス海外準県(Collectivite d&#39;outre-mer)のサンマルタン(Saint-Martin)の行政所在地、島の北西部にあるマリゴ(Marigot)の港(Port de Marigot)にタクシーで到着(下の写真1)。ちょうど30分掛かり、固定料金で25US$。<br /><br />事前のネットチェックでは乗ろうとする船は9時半発のはずで、先にチケットを購入してからマリゴの観光スポットに寄ろうと思っていたのだが、港の中に入ると9時発とのこと(下の写真2)。云われるがままに出国税(Taxe d&#39;embarquement)、5US$を払って(下の写真3)そそくさとフェリー(Anguilla Ferry System)に乗り込む。<br /><br />5分ほど遅れて出港、30分ほど掛けて約10㎞北にあるアンギラ島(Anguilla)に向かう。運賃の20US$は船内で船員さんが集める。船が進むアンギラ海峡(Anguilla Channel)は大西洋(Atlantic Ocean)の中に浮かぶ2つの島の間なので、外海になり、結構波が荒い。9時35分にアンギラ島のブローイングポイント(Blowing Point)に到着。ここはまた国が変わり、イギリス領アンギラ(Anguilla)となり入国審査があり、入国スタンプも押された。8時過ぎに下船してから1時間余りで、あっという間に独立国ではないが3ヵ国を制覇してしまった。<br /><br />イギリス領アンギラはカリブ海(Caribbean Sea)の北側から東側を囲むアンティル諸島(Antilles)の北東の角に位置するアンギラ島と付近の小島(無人島)からなる英国海外領土(British Overseas Territories: BOTs)。首府はバレー(The Valley)。国名は島の名前から来ており、形が似ていると云うことで、イタリア語のウナギ(Anguilla)とコロンブス(Cristoforo Colombo)が名付けたと云われる。同じように形から蛇の島(Snake or Snake Island)とも呼ばれる。<br /><br />アンギラ島はアンティル諸島の小アンティル諸島(Lesser Antilles)北部のリーワード諸島(Leeward Islands)に含まれる。ざっくりと云えば、東西に幅6㎞で長さ26㎞と細長い島で、南側がアンギラ海峡、北側が大西洋。サンゴと石灰岩で構成されており、ほとんどが低地で、最高地点は73m。国土面積は約91平方mで、2つの国が同居するセントマーチン島よりでかい。<br /><br />熱帯のサバナ気候もしくは夏季少雨気候に分類され、北東貿易風によって緩和され、気温は平均で26度から29度と一年を通してほとんど変わらない。年間降水量は約900mmで、最も多いのは9月から10月。セントマーチン島同様に7月から11月にはハリケーンに襲われることがあり、大きな被害を受けることもある。<br /><br />人口は約1万7千人で、アフリカ系黒人の子孫が9割以上を占め、3割弱はアンギラ以外の国籍を持つ。公用語は英語で標準英語に近い。ほとんどの人がキリスト教で、宗派は様々だが英国国教会が一番多い。<br /><br />古くは他のカリブ諸島同様にアラワク族(Arawak)が7世紀頃から住んでいたようで、彼らはアンギラ島のことをマリオハナ(Malliouhana)と呼んでいた。その後カリブ族(Caribs)に追いやられたのも同様で、1493年にコロンブスがこの島を発見した際には、カリブ族は好戦的なので、島に上陸しなかった。<br /><br />1632年にイギリスがアンギラ島を管理下に置き、1650年に入植を開始しカリブ族を追い出す。17世紀から18世紀に掛けてはフランスとの争いが続く。この時期に多くの奴隷が西アフリカと中央アフリカから連れて来られ、タバコ、そして砂糖農園で酷使された。19世紀になりようやく奴隷制度が廃止され、多くの農園主がプランテーションを売却して島を去った。1825年にアンギラ植民地政府の反対にも関わらずセントキッツ島(Saint Kitts)植民地政府の管理下に置かれ、1882年にセントクリストファー・ネイビス・アンギラ植民地(Saint Christopher-Nevis-Anguilla)となる。<br /><br />20世紀、1958年にカリブ海地域のイギリス植民地を併せた西インド連邦(West Indies Federation)に組み込まれるがこの連邦は4年で崩壊し、再びセントクリストファー・ネイビス・アンギラ植民地に戻るが、1967年に自治権を得る。しかし、セントキッツ島中心の政策に不満を抱き5か月後に独立宣言し、1969年にアンギラ共和国(Republic of Anguilla)として独立。しかし、即座にイギリスの武装警官隊に対して無血投降し、イギリス植民地統治下に戻る。1976年、改めて自治権が付与され、1980年にセントクリストファー・ネイビスから正式に分離された。以後、政治的に安定し、観光およびオフショア金融部門で大きな成長を遂げている。<br /><br />住民は英国の市民権を保有し、領土的には欧州連合(European Union: EU)の一部とは見なされず、EU法の適用も受けてなかったが、EUの市民権は有していた(イギリスのEU離脱と共に無くなった)。イギリス女王の代理人である総督(Ggovernor) が国家元首としての儀礼的職務を代行する。行政府の長である首相(Premier)は、議会選挙の直後、議員の中から総督によって任命される。多数派政党の党首が任命される慣例となっており、現在の首相は15年に就任したヴィクター・バンクス(Victor Banks)氏。議会は一院制で、全11議席。うち7名が選挙で選ばれ、任期は5年。4つの政党がある。独自の軍事組織は持たず、英軍基地もない。外交権もない。<br /><br />天然資源がほとんどなく、農業にも適さない土壌であり、観光が産業の中心。2013年の外国人来島者数は人口の4倍以上の約7万人。レオナルド・ディカプリオ(Leonardo Wilhelm DiCaprio)、ブラッド・ピット(Brad Pitt)、イーサン・ホーク(Ethan Green Hawke)、ロバート・デニーロ(Robert De Niro)、ケビン・ベーコン(Kevin Bacon)、サンドラ・ブロック(Sandra Annette Bullock)、ポール・マッカートニー(Sir James Paul McCartney)、ビヨンセ(Beyonce Knowles-Carter)、ジャスティン・ティンバーレイク(Justin Randall Timberlake)、パリス・ヒルトン(Paris Whitney Hilton)、ミランダ・カー(Miranda Kerr)、オーランド・ブルーム(Orlando Jonathan Blanchard Bloom)らもこの島を訪れている。「アンギラの海は世界で最も美しい海のひとつ」とも云われる。<br /><br />電圧とプラグは基本的に日本と同じ。通貨は東カリブドル(Eastern Caribbean dollar)で、通貨コードXCD、通貨記号はEC$。1US$が2.7EC$で固定。1EC$が約41円。ただし、米国ドルが普通に使われており、両替の必要はない。国旗は1990年に制定されたもので、ブルーエンサイン(Blue Ensign)と呼ばれる左上部分にイギリス国旗のユニオンジャック(Union Jack)を配した青地の旗に、アンギラの紋章を右側に配している。紋章には平和を表す白地の下に海・信念・若さを表すターコイズブルーの帯を配し、白地の中央に調和、知恵、忍耐、力を意味する三頭のオレンジ色のイルカが巴状に描かれている。日本より13時間遅れで、サマータイムは採用していない。セントマーチン島と同じ。<br /><br />到着した港があるブローイング・ポイント(Blowing Point)は、アンギラ島南岸、西寄りに位置するセントマーチン島とのフェリーターミナルがある人口1000人足らずの小さな村。観光するようなところは全くない。店もない。<br /><br />正直、この島(国)に上陸することが目的で、15分後の9時45分発の船で戻ってもいいのだが、そこまで慌てて戻らなくてもセントマーチン島を観光する時間は十分にあると思うので、せっかくこの島に上陸したのだし、首府のバレーまで足を延ばすことにする。ただ7㎞以上離れてるので、歩いては行けない。入国したところで、タクシーの勧誘が声を掛けて来たので、10時半の船までバレー観光の交渉。そういう客は珍しくはないらしく、36US$とのこと。ちょっと高いなあとは思ったけど、固定料金のようなのでしゃあない。<br /><br />車はイギリス本国同様に左側通行だが、ハンドルは左右混在。私の乗ったタクシーはヒュンダイで左ハンドルだった。ナンバープレートは国のカラーのターコイズブルーのラインに三頭のオレンジ色のイルカの紋章が描かれており、いい感じ。<br /><br />タクシーで走ると10分も掛からずに首府バレーに到着。首府と云ってもここも人口1000人足らずの村。町の名は単純に丘の間の谷の町だからって・・・ 最初に連れて行ってくれたのは警察署(Royal Anguilla Police Force HQ)。普通の2階建ての建物で、なんで最初のポイントがここなのかは未だによう分からん。<br /><br />続いて土産物屋に。Tシャツは結構高いのしかなかったので、帽子を15US$で購入。続いて英国国教会(St. Mary&#39;s Anglican Church)。ここは歴史的なことはさっぱり分からん。<br /><br />そして、聖堂が2つ建つセントジェラール教会(Saint Gerard&#39;s Church)。ごつごつとした石が埋め込まれたファザードに赤いドアの旧教会は1966年に建てられたもので、地元の医師が使われている。似たような形だが、壁がフラットで時計台が分離されていない新教会が建てられてからはカンファレンスセンターとして使われている。<br /><br />同じ敷地の奥にあるのがウォールブレイクハウス(Wallblake House)。1787年築で、島で最も古いプランテーション農園の大邸宅の一つ。1796年にフランス軍侵攻で焼失したが再建された。のちにカトリック教会に寄贈され、建物は放棄されていたが、2004年に最終的に元のデザインで改装された。ウォールブレイクは18世紀末にこの館に住んでいたウィリアム・ブレイク(William Blake)から名付けられたもの。<br /><br />あっという間にバレー観光は終わり、ブローイングポイント港に戻るが、帰りはクレイトン・J・ロイド国際空港(Clayton J. Lloyd InternationalAirport)からまっすぐ西に進む別の道を通ってもらう。この空港は1940年代に軍用空港として開場した空港で、以前はウォールブレイクハウスから取ってウォールブレイク空港(Wallblake Airport)と呼ばれていたが、2010年にこの国最初のパイロットで航空会社を設立したクレイトン・ロイド(Clayton J. Lloyd)を記念して改名された。ローカル空港で他のカリブ諸島と結ばれている。ちょうど着陸するセスナ機が降りて来た(下の写真4)。<br /><br />空港から西に進み、ブローイングポイントへの分かれ道の手前、サウスヒル(South Hill)と呼ばれる丘の上、工事中だった教会はベテルメソジスト教会(Bethel Methodist Church)。1878年築。石をつなぎ合わせた壁があり、ダブルの扉は赤い色の木製で、ワンポイントになっている。<br /><br />これで終わりかと思ったら、運ちゃんが海を見るかと云って連れて行ってくれたのが、ブローイングポイントと島を挟んだ北側の海岸線の崖の上。崖下にはサンディグラウンド(Sandy Ground)と云う弓状のビーチが伸びており、ヨットがたくさん停泊している。ビーチの奥に広がる池はロードソルト池(Road Salt Pond)で、かつての塩田。こういうビーチにハリウッドスターがいる感じ。<br /><br />10時25分、45分の観光を終えてブローイングポイント港に戻る。サンマルタンの出国税は5US$だったが、アンギラは高い。出国税は20US$取られるし、さらに安全対策費3US$も。10時40分、予定より10分ほど遅れて出港。来た時とは違う船だったが、中はほとんど同じ(下の写真5)。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3952969921439669&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />上陸してから1時間余りの滞在のために往復運賃の40US$に出国税関係、チャータータクシーで100US$以上掛ったが、ちゃんと観光も出来たので満足だった!<br /><br /><br />サンマルタンに戻るが続く。

イギリス領アンギラ(Anguilla)

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2020/02/18 - 2020/02/18

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ちふゆ

ちふゆさん

2020年2月18日(火)朝の9時前、セントマーチン島(St. Martin)。クルーズ船が着いた島の南半分を占めるオランダ王国の構成国(Land)、シントマールテン(Sint Maarten)のシントマールテン港(Port of Sint Maarten)から、北側を占めるフランス海外準県(Collectivite d'outre-mer)のサンマルタン(Saint-Martin)の行政所在地、島の北西部にあるマリゴ(Marigot)の港(Port de Marigot)にタクシーで到着(下の写真1)。ちょうど30分掛かり、固定料金で25US$。

事前のネットチェックでは乗ろうとする船は9時半発のはずで、先にチケットを購入してからマリゴの観光スポットに寄ろうと思っていたのだが、港の中に入ると9時発とのこと(下の写真2)。云われるがままに出国税(Taxe d'embarquement)、5US$を払って(下の写真3)そそくさとフェリー(Anguilla Ferry System)に乗り込む。

5分ほど遅れて出港、30分ほど掛けて約10㎞北にあるアンギラ島(Anguilla)に向かう。運賃の20US$は船内で船員さんが集める。船が進むアンギラ海峡(Anguilla Channel)は大西洋(Atlantic Ocean)の中に浮かぶ2つの島の間なので、外海になり、結構波が荒い。9時35分にアンギラ島のブローイングポイント(Blowing Point)に到着。ここはまた国が変わり、イギリス領アンギラ(Anguilla)となり入国審査があり、入国スタンプも押された。8時過ぎに下船してから1時間余りで、あっという間に独立国ではないが3ヵ国を制覇してしまった。

イギリス領アンギラはカリブ海(Caribbean Sea)の北側から東側を囲むアンティル諸島(Antilles)の北東の角に位置するアンギラ島と付近の小島(無人島)からなる英国海外領土(British Overseas Territories: BOTs)。首府はバレー(The Valley)。国名は島の名前から来ており、形が似ていると云うことで、イタリア語のウナギ(Anguilla)とコロンブス(Cristoforo Colombo)が名付けたと云われる。同じように形から蛇の島(Snake or Snake Island)とも呼ばれる。

アンギラ島はアンティル諸島の小アンティル諸島(Lesser Antilles)北部のリーワード諸島(Leeward Islands)に含まれる。ざっくりと云えば、東西に幅6㎞で長さ26㎞と細長い島で、南側がアンギラ海峡、北側が大西洋。サンゴと石灰岩で構成されており、ほとんどが低地で、最高地点は73m。国土面積は約91平方mで、2つの国が同居するセントマーチン島よりでかい。

熱帯のサバナ気候もしくは夏季少雨気候に分類され、北東貿易風によって緩和され、気温は平均で26度から29度と一年を通してほとんど変わらない。年間降水量は約900mmで、最も多いのは9月から10月。セントマーチン島同様に7月から11月にはハリケーンに襲われることがあり、大きな被害を受けることもある。

人口は約1万7千人で、アフリカ系黒人の子孫が9割以上を占め、3割弱はアンギラ以外の国籍を持つ。公用語は英語で標準英語に近い。ほとんどの人がキリスト教で、宗派は様々だが英国国教会が一番多い。

古くは他のカリブ諸島同様にアラワク族(Arawak)が7世紀頃から住んでいたようで、彼らはアンギラ島のことをマリオハナ(Malliouhana)と呼んでいた。その後カリブ族(Caribs)に追いやられたのも同様で、1493年にコロンブスがこの島を発見した際には、カリブ族は好戦的なので、島に上陸しなかった。

1632年にイギリスがアンギラ島を管理下に置き、1650年に入植を開始しカリブ族を追い出す。17世紀から18世紀に掛けてはフランスとの争いが続く。この時期に多くの奴隷が西アフリカと中央アフリカから連れて来られ、タバコ、そして砂糖農園で酷使された。19世紀になりようやく奴隷制度が廃止され、多くの農園主がプランテーションを売却して島を去った。1825年にアンギラ植民地政府の反対にも関わらずセントキッツ島(Saint Kitts)植民地政府の管理下に置かれ、1882年にセントクリストファー・ネイビス・アンギラ植民地(Saint Christopher-Nevis-Anguilla)となる。

20世紀、1958年にカリブ海地域のイギリス植民地を併せた西インド連邦(West Indies Federation)に組み込まれるがこの連邦は4年で崩壊し、再びセントクリストファー・ネイビス・アンギラ植民地に戻るが、1967年に自治権を得る。しかし、セントキッツ島中心の政策に不満を抱き5か月後に独立宣言し、1969年にアンギラ共和国(Republic of Anguilla)として独立。しかし、即座にイギリスの武装警官隊に対して無血投降し、イギリス植民地統治下に戻る。1976年、改めて自治権が付与され、1980年にセントクリストファー・ネイビスから正式に分離された。以後、政治的に安定し、観光およびオフショア金融部門で大きな成長を遂げている。

住民は英国の市民権を保有し、領土的には欧州連合(European Union: EU)の一部とは見なされず、EU法の適用も受けてなかったが、EUの市民権は有していた(イギリスのEU離脱と共に無くなった)。イギリス女王の代理人である総督(Ggovernor) が国家元首としての儀礼的職務を代行する。行政府の長である首相(Premier)は、議会選挙の直後、議員の中から総督によって任命される。多数派政党の党首が任命される慣例となっており、現在の首相は15年に就任したヴィクター・バンクス(Victor Banks)氏。議会は一院制で、全11議席。うち7名が選挙で選ばれ、任期は5年。4つの政党がある。独自の軍事組織は持たず、英軍基地もない。外交権もない。

天然資源がほとんどなく、農業にも適さない土壌であり、観光が産業の中心。2013年の外国人来島者数は人口の4倍以上の約7万人。レオナルド・ディカプリオ(Leonardo Wilhelm DiCaprio)、ブラッド・ピット(Brad Pitt)、イーサン・ホーク(Ethan Green Hawke)、ロバート・デニーロ(Robert De Niro)、ケビン・ベーコン(Kevin Bacon)、サンドラ・ブロック(Sandra Annette Bullock)、ポール・マッカートニー(Sir James Paul McCartney)、ビヨンセ(Beyonce Knowles-Carter)、ジャスティン・ティンバーレイク(Justin Randall Timberlake)、パリス・ヒルトン(Paris Whitney Hilton)、ミランダ・カー(Miranda Kerr)、オーランド・ブルーム(Orlando Jonathan Blanchard Bloom)らもこの島を訪れている。「アンギラの海は世界で最も美しい海のひとつ」とも云われる。

電圧とプラグは基本的に日本と同じ。通貨は東カリブドル(Eastern Caribbean dollar)で、通貨コードXCD、通貨記号はEC$。1US$が2.7EC$で固定。1EC$が約41円。ただし、米国ドルが普通に使われており、両替の必要はない。国旗は1990年に制定されたもので、ブルーエンサイン(Blue Ensign)と呼ばれる左上部分にイギリス国旗のユニオンジャック(Union Jack)を配した青地の旗に、アンギラの紋章を右側に配している。紋章には平和を表す白地の下に海・信念・若さを表すターコイズブルーの帯を配し、白地の中央に調和、知恵、忍耐、力を意味する三頭のオレンジ色のイルカが巴状に描かれている。日本より13時間遅れで、サマータイムは採用していない。セントマーチン島と同じ。

到着した港があるブローイング・ポイント(Blowing Point)は、アンギラ島南岸、西寄りに位置するセントマーチン島とのフェリーターミナルがある人口1000人足らずの小さな村。観光するようなところは全くない。店もない。

正直、この島(国)に上陸することが目的で、15分後の9時45分発の船で戻ってもいいのだが、そこまで慌てて戻らなくてもセントマーチン島を観光する時間は十分にあると思うので、せっかくこの島に上陸したのだし、首府のバレーまで足を延ばすことにする。ただ7㎞以上離れてるので、歩いては行けない。入国したところで、タクシーの勧誘が声を掛けて来たので、10時半の船までバレー観光の交渉。そういう客は珍しくはないらしく、36US$とのこと。ちょっと高いなあとは思ったけど、固定料金のようなのでしゃあない。

車はイギリス本国同様に左側通行だが、ハンドルは左右混在。私の乗ったタクシーはヒュンダイで左ハンドルだった。ナンバープレートは国のカラーのターコイズブルーのラインに三頭のオレンジ色のイルカの紋章が描かれており、いい感じ。

タクシーで走ると10分も掛からずに首府バレーに到着。首府と云ってもここも人口1000人足らずの村。町の名は単純に丘の間の谷の町だからって・・・ 最初に連れて行ってくれたのは警察署(Royal Anguilla Police Force HQ)。普通の2階建ての建物で、なんで最初のポイントがここなのかは未だによう分からん。

続いて土産物屋に。Tシャツは結構高いのしかなかったので、帽子を15US$で購入。続いて英国国教会(St. Mary's Anglican Church)。ここは歴史的なことはさっぱり分からん。

そして、聖堂が2つ建つセントジェラール教会(Saint Gerard's Church)。ごつごつとした石が埋め込まれたファザードに赤いドアの旧教会は1966年に建てられたもので、地元の医師が使われている。似たような形だが、壁がフラットで時計台が分離されていない新教会が建てられてからはカンファレンスセンターとして使われている。

同じ敷地の奥にあるのがウォールブレイクハウス(Wallblake House)。1787年築で、島で最も古いプランテーション農園の大邸宅の一つ。1796年にフランス軍侵攻で焼失したが再建された。のちにカトリック教会に寄贈され、建物は放棄されていたが、2004年に最終的に元のデザインで改装された。ウォールブレイクは18世紀末にこの館に住んでいたウィリアム・ブレイク(William Blake)から名付けられたもの。

あっという間にバレー観光は終わり、ブローイングポイント港に戻るが、帰りはクレイトン・J・ロイド国際空港(Clayton J. Lloyd InternationalAirport)からまっすぐ西に進む別の道を通ってもらう。この空港は1940年代に軍用空港として開場した空港で、以前はウォールブレイクハウスから取ってウォールブレイク空港(Wallblake Airport)と呼ばれていたが、2010年にこの国最初のパイロットで航空会社を設立したクレイトン・ロイド(Clayton J. Lloyd)を記念して改名された。ローカル空港で他のカリブ諸島と結ばれている。ちょうど着陸するセスナ機が降りて来た(下の写真4)。

空港から西に進み、ブローイングポイントへの分かれ道の手前、サウスヒル(South Hill)と呼ばれる丘の上、工事中だった教会はベテルメソジスト教会(Bethel Methodist Church)。1878年築。石をつなぎ合わせた壁があり、ダブルの扉は赤い色の木製で、ワンポイントになっている。

これで終わりかと思ったら、運ちゃんが海を見るかと云って連れて行ってくれたのが、ブローイングポイントと島を挟んだ北側の海岸線の崖の上。崖下にはサンディグラウンド(Sandy Ground)と云う弓状のビーチが伸びており、ヨットがたくさん停泊している。ビーチの奥に広がる池はロードソルト池(Road Salt Pond)で、かつての塩田。こういうビーチにハリウッドスターがいる感じ。

10時25分、45分の観光を終えてブローイングポイント港に戻る。サンマルタンの出国税は5US$だったが、アンギラは高い。出国税は20US$取られるし、さらに安全対策費3US$も。10時40分、予定より10分ほど遅れて出港。来た時とは違う船だったが、中はほとんど同じ(下の写真5)。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3952969921439669&type=1&l=223fe1adec

上陸してから1時間余りの滞在のために往復運賃の40US$に出国税関係、チャータータクシーで100US$以上掛ったが、ちゃんと観光も出来たので満足だった!


サンマルタンに戻るが続く。

  • 写真1 マリゴ港

    写真1 マリゴ港

  • 写真2 フェリースケジュール

    写真2 フェリースケジュール

  • 写真3 サンマルタン出国税

    写真3 サンマルタン出国税

  • 写真4 アンギラ空港に着陸する飛行機

    写真4 アンギラ空港に着陸する飛行機

  • 写真5 アンギラ・マリゴフェリー内部

    写真5 アンギラ・マリゴフェリー内部

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