1969/04/02 - 1969/04/09
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TAKEおじさん
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コロナで外出自粛が続くので、昔のアルバムをスキャナで読み取り、デジタル化を図っている。
以前も暇なときにやったのだが、PCが壊れてデータが無くなってしまった。
数年ぶりに、再チャレンジ。今度は、バックアップを取らなくては・・・
思い出シリーズを久しぶりに再開。
今回は、九州一人旅です。
学生の頃に、東京から均一周遊券で2週間九州を回った。
行きは3日連続で夜行列車と言う強行軍で大阪、福岡、宮崎まで来た。
福岡、大分、宮崎、鹿児島、熊本、長崎をぐるっと。
宿泊は、夜行列車かユースホステル。
当時の公営ユースホステルは、1泊2食付きで600円。
一日1000円で旅行が出来た。
半世紀前の写真を見ながら、もう一度旅を追体験するのは楽しい時間となった。
本旅行記は後半です。
(前半)
https://4travel.jp/travelogue/11618833
1日目(3月26日) 夜行列車(東京→大阪)
2日目(3月27日) 甲子園球場、大阪城 夜行列車(大阪→福岡)
3日目(3月28日) 福岡大宰府 夜行列車(福岡→宮崎)
4日目(3月29日) 宮崎「こどものくに」
5日目(3月30日) 霧島 えびの高原
6日目(3月31日) 桜島、開聞岳
7日目(4月 1日) 佐多岬
(後半)
https://4travel.jp/travelogue/11620250
8日目(4月 2日) 鹿児島
9日目(4月 3日) 平戸
10日目(4月 4日) 長崎
11日目(4月 5日) 雲仙、島原
12日目(4月 6日) 天草、熊本
13日目(4月 7日) 阿蘇
14日目(4月 8日) 小倉、下関
15日目(4月 9日) 京都、東京
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通手段
- JRローカル
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九州周遊券
1969年頃は、東京から各地に巡る均一周遊券なるものが有った。
当時、学生だった私は、この均一周遊券で日本全国を旅した。
本旅行記は、九州一周の後半です。 -
九州内の移動(前半)マップ
東京→大阪→福岡→宮崎→霧島→桜島→開聞岳→佐多岬→鹿児島と南下した。 -
後半は鹿児島からスタート
地図の南から北上する。
鹿児島→平戸→長崎→雲仙→島原→天草→熊本→阿蘇→京都→東京
おかしなルートだが、均一周遊券のなせる業だ。 -
8日目(4月2日)鹿児島 城山公園
九州旅行の後半は鹿児島から。
城山公園から、桜島、錦江湾、鹿児島市街地を一望できる。城山公園 公園・植物園
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薩摩義士碑
薩摩義士碑は、1753年、徳川幕府より課せられた尾張藩内での宝暦治水で命をかけ犠牲となった薩摩藩士を弔う史跡。1920年に建立された。 -
西郷隆盛銅像
高さ8mも有り大きい。軍服姿で立派。
上野の西郷さんは3.7mで、犬を連れた浴衣姿。
上野のほうが古い。 -
磯庭園(仙巌園)
万治元(1658)年に島津家第19代当主光久が造った。仙巌園(磯庭園) 公園・植物園
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磯御殿
島津家の別邸として利用された。 -
磯庭園
この後、北上して一気に平戸へ。
(経由地として久留米を仮置き)久留米駅 駅
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9日目(4月3日) 平戸
鹿児島から平戸。鹿児島からの経路がはっきりしないが、鹿児島・熊本・佐賀・平戸と思われる。夜行を使ったか?
左に見えるのは平戸城。九州本土から船で渡ったらしい。 -
平戸教会(後に聖フランシスコ・ザビエル記念教会)
1931年(昭和6年)4月に現在の教会堂が建てられた。
私が訪れた2年後、献堂40周年の1971年に、聖フランシスコ・ザビエルの像が聖堂の脇に建立されたことから「聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂」とも呼ばれるようになった。平戸ザビエル記念教会 寺・神社・教会
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フランシスコ・ザビエル記念碑
1949(昭和24)年、ザビエル渡来400年の際、当時ザビエルが滞在した木村宅があった崎方公園に記念碑が建立された。 -
平戸城
1871年(明治4年)、廃藩置県後の廃城令により廃城となり、1962年(昭和37年)、模擬天守などが建てられた。平戸城 名所・史跡
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西海橋を渡って長崎へ
西海橋は1955年に佐世保市と西彼杵半島をつなぐ橋として急流の針尾瀬戸にかけられた全長316m、海面からの高さ43mのアーチ式の橋。
この後、宿泊地の長崎のユースホステル向かう。
民営のユースホステルは超満員で、部屋に入れずロビーでビニール製のリクライニングチェアで寝ることに成った。ロビーはいっぱいの人だった。 -
10日目(4月4日) 長崎 平和公園から
平和祈念像
1945年(昭和20年)8月9日、午前11時02分に、アメリカ軍が長崎市に原子爆弾を投下した。この一発の兵器により当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約14万9千人が死没、建物は約36%が全焼または全半壊した。平和公園 公園・植物園
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平和祈念像
天にのびる右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を、横にした足は原爆投下直後の長崎市の静けさを、立てた足は原爆の恐怖を表し、閉じたまぶたは原爆犠牲者の冥福を祈っている。 -
平和祈念像
長崎市民の平和への願いを象徴する高さ9.7メートル、重さ30トン、青銅製の平和祈念像。 -
長崎の町をぶらぶら歩く
遠くに浦上天主堂が見え、そちらに歩いていく。 -
浦上天主堂
1945年(昭和20年)に長崎への原爆投下によって破壊されたが、1959年(昭和34年)に再建された。 -
日本二十六聖人殉教記念碑
16 世紀に殉教した二十六聖人のために建てられた記念碑、祭壇、歴史博物館。
昭和36年(1961)史跡地内に記念碑が建設された。日本二十六聖人殉教地 名所・史跡
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長崎ぶらぶら
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聖寿山崇福寺(そうふくじ) 三門(楼門)
現在の三門は、游龍彦十郎・鄭幹輔の発願によって1849年(嘉永2)に再建されたもので、日本人棟梁大串五良平の手による。中央にある『聖壽山』の扁額は隠元禅師の筆といわれる。長崎に4つある唐寺の一つ。 -
ここは?
長崎は坂が多い。
長崎には3つの「か」、「墓」「坂」「馬鹿」が多いそうだ。
グラバー邸(グラバー園になる前)に入りたかったが、休み?かなにかで入れなかった。 -
眼鏡橋
観光スポットで訪れた。
2つの半円を描くアーチ形式の石橋、
この後、1982年の長崎大水害では眼鏡橋眼鏡橋は半分程度損壊した。 -
大浦天主堂
カトリックの教会堂で、日本最古の現存するキリスト教建築物。正式名は日本二十六聖殉教者堂で、日本二十六聖人に捧げられた教会堂である。教会堂は殉教地である西坂に向けられている。
さらに隠れキリシタンの信徒も発見した。天主堂が出来た翌年の1865年2月から公開が始まった一ヶ月後に浦上の隠れキリシタン達が信仰告白をして名のりを挙げた。大浦天主堂 寺・神社・教会
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11日目(4月5日)雲仙へ
高度を上げていく。雲仙 仁田峠 自然・景勝地
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山が白く
白いのは霧氷のようだ。 -
妙見岳
標高1333m。4月なのに、まだ雪が残っていて寒い。 -
霧氷
「霧氷」は低温で過冷却の雲や霧が樹木に付着し、霜が降りたように白くなったり、薄氷が張った状態。木に白い花が咲いたように見える。 -
霧氷
蔵王で有名な樹氷(じゅひょう)は、大気中の水蒸気が樹木や植物の表面に直接昇華するのを樹霜、樹霜を含め過冷却な雲粒が付着して凍結した。 -
霧氷
4月に霧氷が見られるとはラッキー。 -
霧氷が美しい
橋幸夫の楽曲「霧氷」は3年前に大ヒットして、第8回日本レコード大賞を受賞した。
霧氷、霧氷 ♪
思い出は帰らない ♪
・・・・・・ -
島原へ
諫早から島原へ。 -
島原城
1618年に島原藩主松倉重政が築き始め、約7年がかりで主要部を完成させたとされる。多くの櫓を配した構造は「近世城郭の最高傑作」と評される。島原城 名所・史跡
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島原城
廃藩置県により、1876年(明治9年)天守以下建造物が破却される。
1964年(昭和39年)天守復元は5年前だ。
白く美しい天守。 -
さくらと島原城
カラーで見たかった。 -
石垣は立派
近年、石垣の一部が壊された。 -
島原の海岸
海岸に出て、少しおセンチになった。
誰も居ないので大きな声で叫んだ!!
何を・・・秘密。 -
12日目(4月6日)天草 殉教戦千人塚
天草島原の乱戦没者(幕府・一揆勢)を祀っていたもので、散在していた千人塚を発掘し、移転・合祀した。殉教戦千人塚 名所・史跡
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本渡城山公園キリシタン墓地
昭和30年代、点在していた墓石を集め本渡城山公園に造営された。 -
本渡城山公園キリシタン墓地
墓地を見守るようにルイス・デ・アルメイダ像(舟越保武原画)やキリスト平和像も造立されている。 -
天草からの眺め パノラマで
雨に煙る。 -
熊本へ 熊本城
加藤清正は、1591年から千葉城・隈本城のあった茶臼山丘陵一帯に城郭を築きはじめ、1600年頃には天守が完成した。1606年には城の完成を祝い、翌年「隈本」を「熊本」と改めた。これが現在の熊本城である。
島原城は白い城だったが、熊本城は黒い。熊本城 名所・史跡
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熊本城 桜が綺麗。カラーで見たかった。
熊本城天守は、再建とはいえ立派な天守である。
西南戦争では政府軍の要拠点で、西郷軍の総攻撃2日前、1877年(明治10年)2月19日原因不明の出火で大小天守などの建物を焼失した。
1960年(昭和35年)に1億8000万円の費用をかけ大小天守と平櫓、塀などを再建した。中身は鉄筋コンクリートである。
外観は同じように復元したので、見た目は元の様に美しい。 -
熊本城
石垣が立派。
さくらも奇麗なのだが。 -
水前寺公園
面積約7万3000平方メートルの大名庭園。
この頃から団子は有名で、団子を食べたと記録されている。
「いきなり団子」を食べたのだろうか??水前寺公園停留場 駅
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13日目(4月7日) 阿蘇
九州最後の訪問地は阿蘇。
山は雪を被っている。 -
阿蘇へ
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阿蘇が近づいてくる
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バスターミナルから噴火口へ登っていく
昨日降った雪で一面の銀世界。 -
白煙を上げる噴火口が見えてきた
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遠くには高千穂峡
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高度を上げていく
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中岳で記念撮影
観光客がほとんど居なかった。阿蘇山 自然・景勝地
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噴火口 パノラマでつなげる
中岳の噴火口。 -
噴火口を回っていく
火口の周りを一周した。 -
素晴らしい雪景色
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まるで雪山の様
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岩もゴロゴロ
冬山登山? -
陽も差して
-
雪山に足跡を残していく
他に登山客はいない。 -
噴火口が
ゴーゴーと音をたてて迫力満点。 -
すごい白煙
地獄の様だった。 -
やっぱり活火山
-
パノラマでつなげる(4枚)
拡大して見てください。 -
2011年に訪れた阿蘇
旅行記は以下です。
https://4travel.jp/travelogue/10622844 -
けっこうな痩せ尾根
痩せた尾根で歩くのが怖い。 -
噴煙を見ながら
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イチオシ
雪景色と阿蘇の噴煙
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回っていく
-
イチオシ
再び高千穂峡
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戻ってきて記念撮影
これで阿蘇は終わり。
九州の旅行はここでお終い。 -
14日目(4月 8日) 小倉、下関
周遊券には、小倉、下関の途中下車印があるので、阿蘇から小倉に行ったらしい。
下関には小倉から鉄道て渡った?小倉駅 (福岡県) 駅
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15日目(4月 9日) 京都、東京
大阪で下車してから京都へ。
なぜ、四条畷で降りたのか分からない??
父方の親類が住んでいるのだが、立ち寄った記憶が無い。 -
15日目(4月 9日) 京都 嵐山渡月橋
京都は嵐山が好きなので、寄って行ったみたいだ。
これ以下の写真はアルバムにも不掲載。ネガから起こした。嵐山 紅葉
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京都市内を
どこから見たのか?嵐山に登った? -
どこの公園?
京都市内とは思うが。 -
京都→東京は新幹線
京都からは新幹線で帰った。
行きは夜行だったが、さすがに帰りは新幹線こだま。
均一周遊券用の特急券が有ったようだ。
2週間の気ままな九州旅行は十分に楽しめた。
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