2020/03/09 - 2020/03/09
58位(同エリア667件中)
琉球熱さん
きっかけは一冊の本だった
たまたま目にした「ハマのメリーさん」を取り上げた本
彼女が主人公ではないが、戦後混乱期の横浜、『ハマのメリーさん』と呼ばれた女性の壮絶な人生を知るには十分な内容だった。
彼女に興味を持ったのは、私自身が青二才の頃に実際に遭遇しその異様な姿に度肝を抜かれたからなのだが、さてその本の本題はまた別にあった。
根岸の外国人墓地に眠る、800~900体とも言われる“GIベビー”
様々な証言や状況証拠があっても、決して認めようとせず
公的記録が残っていないのをよいことに、その痕跡まで抹消しようとした行政
日本の戦後は、敗戦国ゆえに目を背けたくなるような事件に溢れているが、でもやはり目を背けてはいけないと思う。
綺麗事で糊塗すれば、同じ過ちを繰り返すもとになる。
行政の手によって景観は大きく変容してしまったと聞くが、やはり自分の目で確かめておきたいと、休日の朝、現地へ向かった。
- 旅行の満足度
- 4.5
-
根岸外国人墓地を知るきっかけとなった本。
著者の山崎洋子女史も、ゴールデンカップスを追っていく中で偶然知り、見過ごせずに調べることになった。
本来のテーマではなかったが、ゴールデンカップスとの不思議な縁でつながっていく。
「感動」ではない、むしろ「衝撃」の内容で、腹の底から揺さぶられるような読後感がある力作だ。 -
その場所はJR京浜東北線山手駅から徒歩5分ほど。
看板もあるので迷うことはない。
左脇の小さなゲートが訪問者用の出入り口だ。 -
墓苑内にある地図
駅前の小学校の前の道を、仲尾台中学校方面に進めばすぐ。 -
門の脇に設置された当墓地の案内板。
文字がかすみほぼ判読不能である。
これは横浜山手ライオンズクラブが創立20周年記念として1988年に寄贈したもの。
日英2か国語で書かれた文面は、横浜山手ライオンズクラブと横浜市が協議して作成された。
しかし、2000年の補修時、横浜市はこの文面を書き換えたのである。
原文「第二次大戦後に外国人軍属と日本人女性との間に生まれた数多くの子供たちが埋葬されている」
修正文「第二次大戦後に埋葬された嬰児など、埋葬者名が不明なものも多い」
この修正は横浜山手ライオンズクラブに無断で行われた。
彼らがこの事実を知ったのは2015年だったという。
2019年12月13日 NHKでも取り上げられた
https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2019/12/1213.html
そして今、英文も日本文もほとんど判別不能である。
金属に刻印された文字が20年で判別できないほどにかすんでしまうものなのかどうか、私にはわからない -
この墓地は丘の斜面に造られている関係で、不規則な3段構造(数えようによっては5段)になっている。
門を入ってすぐの1段目には、「これは?」というモニュメントがある。 -
台座に刻まれた文字
本来このモニュメントは、横浜山手ライオンズクラブの30周年を記念し、無縁仏のように葬られたGIベビーの慰霊のために創られたものだ。
しかし紆余曲折(当然、行政からの横やりもあり)の末、万人向けの当たり障りのない文言に落ち着いたという。
片翼の天使をイメージしたという彫像は、作者のささやかな抵抗だった -
様々ないわくが付きまとうとはいえ、墓地は墓地である。
このように“まともな”墓も当然ある。 -
この根岸外国人墓地は1880年に開設された。
様々な事情で、墓地として使用開始されたのは1902年だという。
背景には、山手が手狭になったことや、伝染病などで亡くなった人は異なる場所に埋葬すべきとの判断があったようだ。 -
しかし訪問者もほとんどいないというこの墓地は、全体的に荒廃感が漂う。
平日でも観光客が訪れる山手外国人墓地(中に入れるのは年間で数日のみだが)とは大分印象が違う。 -
山手外国人墓地は、横浜開港に功績のあった外国人、いわば「エリート」の墓地。
一方、こちらは「庶民」、山手と違って墓碑も墓標も非常に簡素。 -
かつては海が見えたという場所。
異国の地で生を絶たれた人たちへのせめてもの鎮魂だろうか?
しかし残念ながら、今は家並みが広がるだけである。 -
ここは一応、横浜市営墓地で管理人もいる(常駐ではないようだ)。
しかし手入れは最低限といった感じで、行き届いた状態ではない。 -
墓参に訪れる人がいることを忍ばせる墓はごくわずか。
多くはこのように草むらに放置されたような状態。 -
戦後はGHQに接収され、主に米軍関係者の死者やその後の朝鮮戦争での死者が埋葬されたこともあるという。
off limit
日本人は立入禁止のエリアだった。 -
しかしその後、「接収はされていなかった」という情報も出現し、当時の公文書は米軍がすべて焼却してしまったという事情もあって、もう何が何だかわからんという状態に…
-
閑話休題
ここで、横浜にある4つの外国人墓地のおさらい。
1.山手外国人墓地…説明不要だろう
2.地蔵王廟…中国人
3.英連邦戦没者墓地…エリザベス女王、故ダイアナ妃、ウイリアム王子なども訪問したことから、最も恵まれた墓苑だと言える
4つ目がここである。 -
がらんとした、空き地のような場所。
気まぐれのように置かれた墓標 -
古くて苔むしたような墓標の中で、ひと際目立った
それでも70年前
決して新しくはない
それよりも、生存期間を見て胸が詰まった -
ところが、これで驚くのは早かった
近くの墓標を見てみると -
3~4日しか生きられなかった子
-
こちらはわずか1日
-
「BORN」と[DIED」が同じ日付のものも
下の写真などは、双子だろうか?
生まれた直後に2人とも亡くなっている
ほとんどが50~60年前のもの -
でもなぜ、これほどまでに嬰児の墓が多いのだろう?
当時の医療技術や体制にも起因するのだろうか?
しかしいずれにせよ、これらはきちんと埋葬された子供たちだ。 -
ここに埋葬されているのは一般人であることは前述したとおりだが、奇異なのは埋葬1202体に対し、墓碑・墓標は150あまりしかないこと。
やけに空き地が目立つのも気になるところだ。 -
上に見えるのは横浜市立仲尾台中学校。
この墓地を語る上で、実は重要な役割を果たしている。 -
ここで教鞭を取っていた田村泰治氏は、眼下に見る墓地の荒廃ぶりを見かねて、生徒たちと草刈や清掃を行ってきた。
-
そればかりか、当時の横浜市衛生局に残された墓籍台帳との照合という、気の遠くなるような作業をコツコツと進めてきたのだ。
前述の数字も、田村氏の記録によるものだ。 -
そしてその頃、既に簡素な木の十字架がびっしりと建てられていたのだという。
二本の木を十字に合わせただけの白い十字架、その数約800。 -
調査の結果、ほとんどが終戦直後から数年以内のもので、アメリカ人と日本人女性の間に生まれた嬰児のものらしいということが分かった。
当然、親の身元などは分からない。 -
田村氏は、調査当時の管理人や前任の管理人、近隣住民にまで聞き取り調査を行って、事実をつなぎ合わせていったのである。
-
当時の社会状況や世相を紐解いていくと、どうしても「RAA」や「公娼」「パンパン」「洋娼」などという苦々しい言葉を避けて通れなくなる。
「混血」という今では差別用語も、当時は普通に使われていた。それだけでなく差別も相当なものだったと聞く。 -
コトの発端は山手外国人墓地だったようだ。
ある日、明らかに混血とわかる嬰児の遺体が置かれていた。
生まれてきては困る子だから、死んでもしかるべき墓地に埋葬できない
父親が外国人だから、ここなら何とかしてくれるのではないか…
当時の世相を考えると、母親がそう考えたとしても不思議ではないだろう。 -
実は、当初は山手の墓地内に埋葬した遺体もあったそうだ。
しかし日に日に増えていく嬰児の遺体に困った管理人が、当時荒れ放題だった根岸外国人墓地へ埋葬したのが始まりで、このような身元不明の嬰児の遺体は根岸で埋葬されることになったという。 -
中には、米軍のジープで運ばれた遺体もあったというから、米軍側もこれらの事実(日本人女性との間の私生児)は把握していたということだ。
-
その結果、この墓地には白い十字架が800基もびっしりと立っていた。
これだけの数の十字架は、いったいどこへ消えたのか? -
敷地内のところどころ、不自然な空きスペース
実はこの空きエリアに、かつては白い木製の十字架が建っていたのだ -
70年余の時を経て朽ち落ちたものもあるだろうが、800基全てが朽ち果てたとは考えにくい。
「誰か」が撤去したと考えるのが妥当だろう。 -
ただでさえ祝福されない状況で生まれ、生後間もなくこの世を去った嬰児たち
死んでからもなお、礫で打つようなことをしなくてもよいだろう
存在すら否定された“GIベビー”はこれでは浮かばれない -
この子たちの無念を抱いて
訪問する人も少ない丘に
片翼の天使は佇んでいる
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