2020/03/01 - 2020/03/01
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motogenさん
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岡部の『大旅籠・柏屋』に向かう。
走るのは昭和初期の国道1号線。
途中に大正トンネルがある。
大正トンネルは、大正から昭和5年にかけて造られたもので、現在の昭和トンネル(昭和34年開通)ができるまでの30年間、重要な役割を果たしてきた。
この道には、幼い頃の断片的な記憶があり、思い出そうとすると胸が熱くなる何かがある。
どんな道だったんだろう?
そして今は、どうなっているんだろう?
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
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昭和トンネル造成中の写真があった。
当時の国道1号線は、土埃りがもうもうと上がる砂利道だった。
とぎれとぎれに浮かぶ幼い頃の記憶がある。
運送屋の手伝いをしていた父に連れられて、オート三輪でこの峠を超えたのだ。
道は曲がりくねり、デコボコ道で、内臓が揺さぶられ過ぎて腹痛を起こし、我慢を続けていると、
「静岡に着いたら、安倍川餅、買ってやるから・・」
となぐさめられたこと。
山の中にたくさんの光が瞬き、異様な音が響いていたこと。
「今にあのトンネルができたら、楽になるかな・・」
そんな父の言葉と恐ろしげな光景が、今も脳裏にちらつく。 -
この峠道は、時代と共に大きく変化してきた。
鎌倉時代以前の『つたの細道』
秀吉・家康時代の『東海道』(緑色)
明治時代の道路(赤)
昭和初期の国道1号線(紫)
現在の国道1号線(平成トンネルのある高架道路) -
父に連れられて走った道を訪問する。
宇津ノ谷集落の入り口に来た。
先ほど歩いた場所だ。
集落に入らずに、その北側を迂回する。 -
昭和30年代には砂利道だったのに、今はすっかり整備されている。
日本の道路が舗装されたのは、いつ頃だったんだろう? -
「大正トンネル」が現れた。
昭和トンネルが開通する前は、東西を結ぶ重要なトンネルだ。 -
道幅は狭いが、当時のトラックやバスは小さくて、そもそも車の台数も少ない時代には、これで充分だったのだ。
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トンネルを抜けると、左に折れる細道があった。
明治トンネルへの道だ。 -
坂道を下って行くと、現在の主要道路となっている国道1号線と、しばし並走する。
道の駅も見えた。
国道1号線はこの先、岡部や藤枝の町中を避け、いくつかのトンネル内を走っていくが、 -
私たちが走るこの道は、岡部の町中に向かう。
松並木の松がわずかに残っていて、江戸時代の東海道を感じさせる。 -
岡部の町に入った。
この道が国1だった頃、何回も走り抜けた町だ。
その頃は、車が渋滞するほど賑わっていたのに、静かな町となっている。
「すっかり変わってしまったなあ・・」
気がつくと、大旅籠・柏屋の目の前にあった。
ここまでを動画でも紹介します。
https://youtu.be/obySJTBAuTc岡部宿大旅籠柏屋ひなまつり 祭り・イベント
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駐車場に車を停めて最初に向かったのは、岡部本陣跡。
屋根付きの黒塀と門が、嫌でも人の目を引く。
陣屋は参勤交代の大名や旗本が泊まった宿泊施設だ。 -
陣屋の門と外塀は復元されているが、
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敷地内は芝生の広場で、これといったものは何もない。
館の跡が石のブロックで表示されているだけだ。 -
隣に見えるのが、歴史資料館となっている柏屋で、
その背後の土蔵風の建物は、収納館や展示棟となっている。 -
展示棟を覗くと、季節がら『ひな人形展』が開かれていた。
しかし、ここのひな人形はちょっと変わっている。 -
竹に乗ったひな人形は、竹から生まれたかぐや姫を連想させる。
「可愛い!」
こんな私でも微笑んでしまう。 -
人形などには関心のないのに
ついつい見とれてしまうひな人形たちだ。 -
作者の発想の豊かさに感服し、降参するしかない。
「良いものを見た!」
と中庭に出ると、 -
土蔵風の建物が並び、手前は和食の『一祥庵』、その奥は『ギャラリーなまこ壁』で、
-
ギャラリーに入ると、
-
「あっ!連鶴!」
と女房の顔つきが変わる。 -
「連鶴って何?」
と見れば、一枚の折り紙で何十羽という鶴を折ったもので、芸術作品と言えるものだった。 -
「一枚で、本当にこんなもの、できるの?」
「どんな折り方してるの?」
「もちろん、ハサミは使っているよね?」
次々に疑問がわいてくる。 -
作者はきっと、普通の人ではないな・・
雑念を捨て、人間社会から脱し、虫眼鏡で見るような世界に没頭して、ただひたすらに折り続けるんだろう。
すぐに作者のことを考えてしまうが、そんな人がいることが嬉しくて、 -
いよいよメインの大旅籠に向かう。
この建物は部分的に改修されているものの、180年の歴史をもつ建物だ。
案内所で入場チケットを買って、 -
帳場の前を通って、暖簾をくぐると、
-
大きな人形がずらりと並んでいる。
祭屋台を飾る人形みたいだが、
良く見れば、これは等身大の雛人形だ。
製作されたいきさつや、人形の特徴などを、ボランティア(?)の女性が詳しく説明してくれている。 -
ひな人形師「二代目好光」が、自らの技術向上のために、4年10ヶ月かけて完成させた作品だという。
衣装は西陣織。
顔の表情や所作にはそれぞれ特徴がある。
ずっと蔵の中にしまわれていて、今回50年ぶりの披露のようだ。 -
ひな人形を眺めているのは『やじきた道中』のマネキンで、ひな人形とは別物だが、これも実に良くできている。
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「どうぞ、写真を撮っていってください・・」
「ここからが、一番雰囲気ありますよ。」
と勧めてくれた場所から写真を撮って、 -
別の部屋に移動すると、旅籠屋であった当時の家具や調度品が展示されていた。
江戸時代の旅人の多くは、「木賃宿」に泊まって自炊するのが常だ。
旅費に余裕のある旅人は食事や各種サービス付きの「旅籠」に泊まったのだが、
江戸後期になると、旅籠に泊まる人が多くなってきたという。
町人の経済力が大きくなり、社会が贅沢になってきた表れだ。 -
「大旅籠」は、旅籠の中でも一級品の旅籠で、調度品もそれに見合い、書見台まで備わっている。
そんな解説を読むと、
う~ん・・勉強になる。 -
2階に上がると、
泊り客が酒を飲んでいるシーンがあった。
客と女中の会話が流されている。
「さすが、ここは大旅籠だ。」
「ゆっくり休んで行ってくださいね・・」
「今夜は楽させてもらおうか。」
良くできているものだと感心する。 -
その横には寝具があり、寝床となっている。
床は畳。
畳はまだ庶民のものではない。 -
宿場町を表現したジオラマも一級品で、目が釘付けになってしまう。
客を呼びとめる宿屋の女、どこに泊まろうかと見回す旅人、素通りしていく巡礼者・・
人々のドラマが見えるようだ。
-
すごい雛飾りがあった。
畳四畳を占める大きさだ。
京都御所をかたどった「御殿飾」という雛飾りで、江戸時代後期の関西ではこの形が一般的だったという。
これは160年前の作品で、清涼殿・紫宸殿・宜陽殿を模した3棟が、渡り廊下でつながっている。 -
公家が御殿の階段を上る姿や、廊下を歩く官女の姿など、40体以上もの雛人形が、まるで生きているように表現されている。
これほどの豪華なものは滅多にないという。
山内家所有のものだったというが、山内家といえばこの大旅籠の持ち主だ。
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山内家は旅籠と質屋を兼業し、町の名誉ある地位をつとめてきた岡部屈指の有力者だったという。
明治になると旅籠は衰退していくが、問屋その他の事業で家財を守り、名家として伝統文化を伝えてきた。 -
文化財は歴史のかけらを刻み込んだ、民族としても大切な財産だ。
これらは歴史資料となって、数々のことを教えてくれる。
社会とは何か、日本人とは何か、そして自分とは何かを考える材料てもある。
文化財保存に努力してくれる藤枝市に感謝して帰路についた。
最後はまとめの動画です。
https://youtu.be/X2iaELkOJ4Q
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宇津ノ谷峠・昔の道を歩く
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