2020/03/01 - 2020/03/01
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motogenさん
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歩くこと1時間半。
午後の1時。
岡部側の『道の駅・宇津ノ谷』にたどり着いた。
この道の駅もトイレ改修中で、ごたごたしていた。
さあここで、美味しいものを食べよう!
と期待したのだが・・
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
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-
ところがレストランはなく、小さな販売所しかない。
残りわずかな五目飯おにぎりと、稲荷寿司とチーズパンを買って、道の駅宇津ノ谷峠 (藤枝市) 道の駅
-
外の休憩所でついばむこととなった。
美味い!
口の中に拡がる絶妙な味。
空腹こそ最高の料理人だ。 -
おにぎり飯のありがたさを感じて、やって来た道を引き返す。
-
せっかくだからと、坂下地蔵堂に立ち寄ってみる。
峠を越える旅人に、疲れを癒す木陰を提供する地蔵堂。
旅人は旅の安全を祈願したのだろう。
この地蔵にはまか不思議な伝説があり、『稲刈り地蔵』とも呼ばれている。
(昔話は省略するが、このような話には、実際に起こった何かを暗示させるものが多いという。) -
「明治トンネル」の案内標識のある地点に戻って来た。
元祖東海道の入口だ。
今歩いて来た道も昔の東海道の道筋だが、ここから古の面影を残す道となる。 -
地蔵堂近くにあった地図だが、新旧のたくさんの道が絡まっている。
見ても、何がどうなっているのか判断しにくく、
とにかく進んでみる。 -
豊臣秀吉が小田原征伐を行う際、蔦の細道では進軍に不足して整備した道だという。
蔦の細道よりも峠越えが楽になり、徳川時代になると東海道に発展し、
代わりに蔦の細道は廃れていく。 -
江戸時代、大名行列も通り、幕末の志士達もここを歩いたはずだ。
それにしても急な坂。
「髭題目碑」と呼ばれる石碑があった。
髭文字で「南無妙法蓮華経」と書かれている。
呪文を唱えて登るほどの峠だったのだ、と勝手に想像する。 -
周囲は静まり返る竹藪となり、カサカサと枯葉を踏みながら歩くと、
-
舗装された道路に出た。
「何なの、ここは?」
右は東海道と記されている。
左は明治トンネルへの案内標識。
「さて、どうなっているんだろう?」
トンネルへの道は元来はなく、東海道は一本道だったと思うと辻褄が合う。 -
絡み合った新旧の道が、少しずつ分かりかけてきた。
左に進むと、石畳の道に出た。
石畳といっても今の時代の舗装だ。
明治や大正時代に主流となっていた道のようで、
(左上の道は、今歩いてきた道) -
高級外車が停まっている。
ここから先は車は禁止なので、
ここに車を停めて、明治トンネルを見学しに行った人がいるようだ。 -
坂道を登って行くと、トンネルが見えてきた。
-
明治9年に開通し、明治37年にレンガ造りに改修され、今に至っているトンネルだが、登録有形文化財となっている。
「懐中電灯、持ってくればよかったね・・」
と後悔したが、 -
つまずかない程度に照明が灯されていた
子どもを抱いたカップルがすれ違って行く。
コツン、コツンと響く足音が、異世界を感じさせ、空気までが別世界のもののようだ。
これがトンネルの魅力。 -
トンネルの出口に、一眼カメラを構える人が見える。
-
自転車に乗った人が、さっそうと通り過ぎて行く。
野外活動を楽しむ人には絶好の環境で、
-
写真マニアは腕の見せどころだ。
誰もが撮ろうとするトンネルではなく、山の木々に反射する光と影を、時間を忘れて追い求めているこの男性こそ、マニアのマニアたる姿勢だ。 -
その先の公園に佇む二人のおじさんが、外車でやって来た人たちで、
これから宇津ノ谷集落まで行こうか行かまいか、と迷っていた。
「行きましょうよ。」
と女房が声をかける。 -
峠の立体模型があった。
「なるほど、なるほど・・」
実際に歩き回りながら見ると、分かりにくかった道路のつながりが、すっきりと頭に入ってくる。
ここまでの経過を、動画でご覧ください。
https://youtu.be/wGAKVW8AA-E -
迷っていたおじさん二人を誘って坂道を下る。
-
すると坂の下に現れたのは、宇津ノ谷集落で、
江戸時代に栄えた町並みだ。 -
大正トンネルが開通して、北側に新たな道路が完成すると、すっかり人通りが少なくなってしまったが、
そのため再開発されずに昔の面影が残されたのは、今思えば幸運だったのだろう。 -
静岡市はこの地区を都市景観条例を作って守り、地元住民は歴史文化を継承しようと心意気を見せてくれ、このような街道が保存されている。
-
多くの家屋には、当時の屋号を表す表札が掲げられている。
ここは『角屋』だ。 -
脚が長く、胴がキュッと引き締まった犬が、お留守番をしていた。
人に慣れているのか、吠えないお利巧な犬だ。
「ヒヒみたいな顔してる・・」
「きっと血統書付きの犬だね・・」 -
最近の私たちは、古い町並みや歴史が妙に好きになっている。
なぜだろう?
終戦直後の貧しかった時代、
高度成長の科学万能の時代、
バブル崩壊で就職難の時代、
格差の広がるグローバル時代・・
様々な時代のうつろいに流されながら、年老いてきた感傷もあるだろうが、
便利さや快適さを限りなく追及し、「経済発展、経済発展」と叫び続ける風潮や、
何でも金儲けに絡ませる世の中に、己の反省も込めて、反抗的になっているのだろう。 -
日本人はどう生きてきたんだろう・・?
嵐や落雷、凶作や飢饉、疫病や災難を天の仕業と考え、神仏を祀って祈願し、
争いもあったが協力して地域や家族を守り、徳を信じて生きてきた日本人・・
今の価値観では測れない時代もあったはずで・・
と考えながら、『御羽織屋』の看板を見つめる。 -
『明治天皇・・』の石柱が覗く屋敷があった。
-
明治維新のおり、京から江戸に移る明治天皇が休憩した屋敷だという。
-
数々の屋号を掲げた民家が並んでいる。
商い根性を控え、下卑た観光スポットになっていない集落に、心を打たれながら、 -
ゆっくり、ゆっくり歩を進める。
-
「昔の石畳がなくなってしまって、残念だ。」
とおじさん二人は嘆くが、
おじさん方の見た昔の石畳は、どんなだったのだろう? -
集落の出口は桜が満開だった。
早咲きでピンク色、下向きの花を咲かせるこの桜は、河津桜なんだろうか?
昔は桜なんかに関心はなかったのに、桜に一喜一憂する歳になってしまったと、寂しくもなる。 -
集落を抜けると、大正明治時代そして昭和中期までの国道1号線と合流した。
その先は二俣に分かれている。
道の駅はどっちだろう? -
右に進む。
すると、車が高速で行き交う国道1号線の上に出て、 -
道の駅(下り線)は目の前で、
そして、ウォーキングは完結した。
この経過も動画にしました。
https://youtu.be/Yf4U6jPy1nE
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