2020/02/24 - 2020/02/26
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beanbagさん
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この旅行記のスケジュール
2020/02/25
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車での移動
運転手付きレンタカー 9:00出発→19:00帰着
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旧マニラ国際空港管制塔
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スモーキー マウンテン
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この旅行記スケジュールを元に
2月25日(火)晴れ
メトロ・マニラ(マニラ首都圏)を運転手付きレンタカーで観光します。
到着するまで全く知らなかったのですが、この日はエドゥサ革命記念日でフィリピンの祝日。マニラ名物の交通渋滞が緩和され、効率良く回れました。
レンタカー窓口はHISですが、実際の運行事業者は日本人が代表を務めるPTNトラベルという会社です。アサインされたドライバーはリトさん。彼はとても優秀な運転手で親切。
そんな幸運が重なって事前の予定を遥かに上回る、充実したスケジュールとなりました。オールド・マニラ(マニラ市)からニュー・マニラ(マカティ市)、それにフューチャー・マニラ(BGC@タギッグ市)を網羅し、スラムからマニラのビバリーヒルズと言えるマッキンリー・ヒルなど、マニラ首都圏の主要スポットを隈なく、中身の濃い観光ができました。
9:00~19:00の10時間、16,000円は交通費としては高いですが、2人分のツアー料金と思えばその値打ちは十分あります。スリやぼったくりリスクがほとんどなく、暑い市内を歩くこともなく、体力の衰えたシニア向け。マニラ観光の決定版と言って過言ではありません。これからマニラ観光を考えている人にはぜひおすすめです。
本旅行記は長文になりますが、1日でこれだけ見て回れるという参考になればと、あえて分割しません。
〈旅程〉
2月24日(月) 羽田→ニノイ・アキノ国際空港→BGC(泊)
2月25日(火) メトロ・マニラ観光(BCG泊)
2月26日(水) BGC→ニノイ・アキノ国際空港→羽田
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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朝食は57階のクラブラウンジで。
Grand Hyatt Manila ホテル
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9時15分前、ロビーに下りると車はすでに到着していてドライバーのリトさんが声をかけてくれました。予約バウチャーにセダンとあったので、てっきりそう思っていたら7人乗りのバンでした(写真は夕刻撮影)。
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訪問予定地は事前に私がリストを作成し、リトさんに手渡しました。彼は一見してルートを理解し、途中で立ち寄れる場所を臨機応変に追加してくれました。チェックマークはリトさん。
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マッキンリー・ロードからマカティのメインストリート、アヤラ・アヴェニューを進みます。
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最初に訪れたのは旧マニラ国際空港の管制塔。マカティは、空港が1948年に移転した後、再開発され、高層ビル群が立ち並ぶ「フィリピンのウォール街」と呼ばれる新都心に変貌しました。
Nielson Tower Historical Marker モニュメント・記念碑
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現在はブラック・バードという高級レストランになっています。
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マカティ・アヴェニューの交差点にガブリエラ・シランの銅像が建っています。
夫のディエゴ・シランがスペイン人に殺された後、彼の兵隊を率いて戦った最初のフィリピン女性だそうです。 -
さらに進むとベニグノ・アキノの銅像。
フィリピンの政治家、上院議員。通称「ニノイ」。
『独裁体制を敷いたフェルディナンド・マルコス大統領時代、国民に広く人気があったベニグノ・アキノは、マルコス政権にとっての脅威であり国外追放されていたが、追放先のアメリカ合衆国から帰国した際(1983年)、マニラ国際空港で暗殺された。ニノイの死後、エドゥサ革命によりマルコス政権は崩壊し、ベニグノの妻コラソン・アキノ(コリー)がフィリピン大統領に就任した。』(Wikipedia)
今日はエドゥサ革命記念日なので、彼の銅像の前でテレビ局も来て集会が開かれていました。 -
パシッグ川を跨ぐアヤラ橋。フィリピン最初の鉄橋です。
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向かったのはフィリピンの歴史の証人、マラカニアン宮殿です。新型コロナウイルスのため大統領記念博物館の見学ツアーは一時的に中止されていますが、フェンスの外までは入れます。
警備中の兵士からカメラ撮影を制止されたので、車の中からこっそり撮影。マラカニアン宮殿 / 大統領記念博物館 城・宮殿
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さすが大統領官邸、装甲車も配備され物々しい警戒です。
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次に訪れたのがマニラ・ゴールデン・モスク。
マニラ ゴールデン モスク 寺院・教会
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フィリピン人の95%はカトリックですが、3%はイスラム教徒だそう。
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偶像崇拝を禁じているイスラム教ですから、モスクの中は何もありません。10数人ほどの男が昼寝中でした。
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続いて訪れたのがキアポ教会。
毎年1月9日にフィリピン最大のカトリック行事ブラック・ナザレ祭が行われ、300万人が集まるそうです。キアポ教会 寺院・教会
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ちょうどミサの真っ最中。写真を撮っていたら叱られましたが、せっかくなのでご紹介します。
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教会の横はひっきりなしにジプニーが行き来し、さながらジプニーの品評会。
ほとんどがISUZUエンジンを搭載しているそう。 -
パシッグ川対岸のビノンド地区に建つこのビルはカルヴォ・ビルディング(Calvo Building)。
1938年に建てられ、フィリピンで最も美しいボザール様式の建造物の一つ。現在は博物館となっています。 -
そしてこの美しい橋はジョーンズ・ブリッジ。
フィリピンに立法上の自治権を与えた1916年のジョーンズ法の起草者、米国のウィリアム・ジョーンズ議員にちなんで名付けられました。昨年11月、今の美しい姿に復元されたばかりだそう。 -
この橋を渡ったところにニュー・ビノンド・チャイタウン・アーチ(中華門・親善門)があります。
新型コロナウイルスを水際で阻止するため、ドゥテルテ大統領はいち早く中国・香港・マカオ・台湾からの入国禁止措置を取りました。この英断のおかげでフィリピンは感染者がほとんど無く、街を歩いていてもマスクをした人を見かけることはありません。マスクをしているのは日本人か韓国人観光客だけです。
しかし、妻はビノンドの中華街に降り立つことを断固拒否。このため、ビノンド地区の写真は全て車中から撮影したものです。親善門 建造物
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これがビノンド教会、車窓から眺めるだけ。
1596年にドミニコ会の司祭によって設立されたそうです。ビノンド教会 寺院・教会
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いかにも中華街な風景です。
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ビノンド地区の後はスラムに向かいます。イントラムロスの北のトンド地区、マニラ湾に沿って走るRadial Road 10の両側に広がっています。
一攫千金を夢見て近隣諸島からマニラに渡ってきた人々が、夢破れて港周辺に住みついたのが、スラムの始まりだそうです。その後、道路が拡幅され人々は立ち退きを迫られましたが、多くは路地裏に引っ込んだだけです。 -
スパゲッティ・ワイヤと呼ばれる絡み合った電線。狭い場所に人々が密集して住んでいる姿が想像できます。
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その路地の一つが垣間見えました。スラムでも車から降りることなく、車窓から見物です。
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向こうに見えるのは、スモーキー・マウンテンと呼ばれるゴミの山。
『かつては海岸線に面した一漁村であったが、1954年に焼却されないゴミの投棄場になった。それ以来、マニラ市内(マニラ首都圏)で出たゴミが大量に運び込まれ、その中から廃品回収を行ってわずかな日銭を稼ぐ貧民(スカベンジャー)が住み着き、急速にスラム化した。1980年代後半頃から、フィリピンの貧困の象徴として扱われるようになった。政府は国のイメージが損なわれることを理由に閉鎖を決断し、住民は公共住宅をあてがわれて強制退去させられたが、一部の住民はパヤタス・ダンプサイト(スモーキー・バレー)をはじめとする別の処分場周辺に移住し、従来通りのスカベンジャーとしての生活を続けている。』(Wikipedia) -
スモーキー・マウンテン手前の川岸には劣悪な環境のスラムが広がっています。
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反対側のマニラ湾の眺めは美しいのだけど‥。
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海側には廃倉庫群が並び、ここにも大勢の人が住みついています。
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ゴミを漁るスカベンジャー。BGCやマカティの住人たちとの貧富の格差は歴然。
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いよいよマニラ観光の定番、イントラムロスです。16世紀にスペイン人たちによって建てられたマニラ最古の地区です。
イントラムロス 旧市街・古い町並み
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まずはサンチャゴ要塞。
『1521年3月17日、マゼランがフィリピンに到達、(中略)1571年にはマニラに市政がひかれます。当時のマニラはサンチャゴ要塞を中心とした城塞都市で、現在のイントラムロス歴史地区一帯でした。当時ここには、スペイン人とスペイン系の住民だけが住む事を許され、夜になると7つあった門が全て閉ざされたそうです。』(トラベルコHP)
ホリデーなのでローカルの観光客が目立ちます。入場料@75ペソ(167円)。サンチャゴ要塞 建造物
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公園のように綺麗に整備されています。
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メインゲート
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スペイン軍兵舎の壁だけが残っています。
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フィリピン独立運動に取り組んだ国民的英雄ホセ・リサール記念館があります。
ホセ・リサールが処刑前まで暮らしていた場所です。 -
ホセ・リサールの生涯を偲ぶ様々な展示があります。裁判で死刑を宣告されるホセ・リサール。
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記念館に隣接するこの建物は監獄だそう。
深い堀の中は囚人が外の空気を吸える貴重な場所だったのでしょうか。 -
パシッグ川に突き出た見張り台。
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衛兵詰所。ユーモラスな衛兵の銅像。
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同じ型で作った銅像があちこちに。
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ここも兵舎だったのでしょうか。壁面の一部の窓際にはスペイン時代の手すりも残されていました。
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なぜか闘鶏用の美しい鶏が1羽いました。
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ソリアノ通りのゲート。
フィリピンを代表する2大財閥は「アヤラ」と「ソリアノ」。ソリアノ家はビールのサンミゲル社を中心とした飲食品の複合企業や、銅鉱山会社・製紙・肥料・銅線などを扱う企業を所有しているらしい。 -
やって来たのはマニラ大聖堂。
スペイン統治時代の1571年に創設。第二次世界大戦で破壊されたが、戦後にネオロマネスク様式で再建されたそう。マニラ大聖堂 寺院・教会
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ヨーロッパのカトリック教会にも引けをとらない立派な教会です。
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アジア最大級とされるパイプオルガン。
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ステンドグラスも本格的。
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扉も立派。
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鐘楼も再建されました。
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ローマ広場に面したこの建物は、スペイン統治時代の総督公邸。現在はフィリピン選挙管理委員会本部として利用されています。
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カーサ・マニラに移動します。
時刻はちょうど正午。向かいのサン・オウガスチン教会が昼休みに入ったので、それが終わるまでカーサ・マニラで過ごします。カーサ マニラ博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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カーサ・マニラは、かつてビノンド地区のジャボネロス通りにあった1850年代のサン・ニコラス邸のコピー。1980年代にイメルダ・マルコスによって建設され、スペイン植民地時代の建築をモデルにしているそうです。
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現在は、スペイン統治時代の特権階級の暮らしぶりを窺い知る博物館になっています。
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花が咲き乱れる中庭。
ご覧の通り誰もマスクなどしていません。 -
楽器類
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ダイニングルーム
上部には手動の天井扇が取り付けられています。 -
台所
石窯もあります。 -
貝殻で作られたあかり窓。
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トイレ
並んで使用するのでしょうか? -
中庭から見た建物。風通しが良さそう。
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まだサン・オウガスチン教会の開門まで時間があるので、博物館のバタラ・バーでひと休み。
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サン・オウガスチン教会には大勢の観光客が開門を待っています。
1607年に完成し、フィリピンで最も古い石造りの教会です。第二次世界大戦では屋根の上に赤十字のシートを被せたので破壊されずに済みました。
スペイン植民地時代に建設された4つの教会の1つとして、1993年、世界遺産に認定されました。サンアグスチン教会 (マニラ) 寺院・教会
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午後1時に開門するのは博物館です。教会は博物館側から入れます。
入場料@200ペソ(444円)。サンアグスチン博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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中庭を取り巻く回廊に連なる広い部屋には、宣教師らがフィリピンに持ち込んだキリスト教関連の文物が展示されています。
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これはごく一部。興味がある人には時間がいくらあっても足りないくらいです。
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中庭はいかにもスペイン風。
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パイプオルガン
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そのパイプオルガンの裏側が公開されています。人が手回しでふいごから風を送る仕組みです。
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儀式で用いられるローブでしょうか。見事な刺繍です。
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回廊には祭礼で使用される山車が何台も展示されています。
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何のための祭壇でしょうか?
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壮麗な教会内部。
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細密な扉の細工が美しい。
古さだけではない中身の充実ぶりは、さすが世界遺産と言えます。 -
サン・オウガスチン教会見学を終えてサン・ディエゴ要塞へ。
こちらの兵舎も壁だけ残して、他は破壊されています。 -
サン・ディエゴ要塞に残された太平洋戦争時代の日本軍の大砲。
米軍との激しい戦闘を思い起こさせます。サンディエゴ要塞 建造物
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この要塞は、1586~1587年にかけて、軍事建築に詳しいイエズス会の神父により建設されたそうです。
同心円の3つの大きな石のリングは、数メートル離れて配置され、それぞれが細い道でつながっています。この部分がタワーの基礎になるはずだったのではないかと考えられているそうです。 -
砲台跡が何門も並んでいます。強固な要塞だったようです。
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城壁の外はかつては堀だったようですが、マラリア蚊の繁殖を防ぐため、現在は埋め立てられてゴルフ場です。
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今は砲弾ではなく、ゴルフボールが飛んでくるので危険です。
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ボッタクリで悪名高い観光馬車。
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フィリピン歴代大統領壁画(レリーフ)にも立ち寄りました。
Philippine Presidents' Murals モニュメント・記念碑
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マルコス大統領もちゃんといます。
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こちらは第10代コラソン・アキノ大統領。
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第15代ベニグノ・アキノ3世。ニノイ・アキノとコラソン(コリー)・アキノの息子。
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これでイントラムロスを後にします。
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マニラ・ホテルが見えます。1912年開業以来、世界各国のVIPをゲストとして受け入れて来た格式高いホテル。日本の帝国ホテルのようなもの。
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リサール公園にやって来ました。
アジア最大の都市公園の1つとされ、58haの広さがあります。
巨大な国旗がシンボルとして掲げられています。リサール公園 広場・公園
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1896年12月30日、フィリピンの愛国者ホセ・リサールの処刑がこの場所で行われました。記念碑の地下には、彼の遺体が葬られているそうで、24時間、衛兵により守られています。
ホセ リサール記念像 モニュメント・記念碑
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リサール公園のすぐ南の海沿いがアメリカ大使館。
マニラ市の観光を終え、マカティ市に向かいます。 -
マニラの大動脈、ロハス大通りを南に進みます。右側がマニラ湾、海岸線に沿ったベイウォークは夕陽見物の名所とされていますが、現在は工事中でフェンスに囲まれ、夕陽見物には向いていないそう。
海岸を整備し、砂も入れ替えて、ワイキキビーチのような海水浴場にする計画だそうです。 -
国立文化センター
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LRTのGil Puyat(ヒルプヤット)駅が見えます。
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こちらはフィリピン国鉄のBuendia駅。
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マカティ市のグリーンベルトに到着。
グリーンベルト モール ショッピングセンター
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美しいショッピングモールです。
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時刻は午後3時過ぎ、遅めの昼食を摂ります。
現代フィリピン料理の人気店 Mesa です。メサ 地元の料理
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ほとんどがローカルのお客。
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鶏と豚のアドボ(左上)、ティナパ ロール(右下)、エビのシニガン(右上)にご飯とサンミゲル・ライト。どれも美味しく日本人好みの味。
全部で995ペソ(2,214円)でした。満足。 -
食事を終えて、夕陽見物までの時間、アメリカ記念墓地の見学に向かいます。
途中、マニラのビバリーヒルズと言われるマッキンリーヒルを通ります。 -
52番はマッキンリーヒルでも一番大きな家(ピンボケ)。
マルコス元大統領の末娘が住んでいるそう。 -
豪邸が並び、まさにビバリーヒルズ。
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アメリカ記念墓地です。
タギッグ市のフォートボニファシオにあり、かつてのウィリアム・マッキンリー砦の境界内だそうです。
62 haの墓地は、小高い丘の上にあり美しく整備されています。マニラ アメリカ記念墓地 モニュメント・記念碑
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第二次世界大戦中に亡くなった17,206の墓が11の区画に配置され、ほぼ円形のパターンに並んでいます。米軍墓地としては世界最大級です。墓石は大理石で作られており、さまざまな熱帯の木々や植え込みの中に置かれています。
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周辺の眺めは美しく、まさに一等地にあります。
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中心の回廊の壁には、亡くなった兵士の名前が1つ1つ刻まれています。
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回廊の4つの端には、大戦の主な戦闘の様子が地図と共に全部で19画面、わかりやすく説明されています。これはガダルカナル海戦。
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また回廊の入り口部分に記念館があり、数多くの写真で当時の状況を生々しく伝えています。
閉館時間が迫っていたので、大急ぎで見学。 -
マニラ湾に戻ります。初めてスカイウェイ(高速道路)を利用。
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マカティが遠望できます。
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逆光で見えにくいですが、このスタジアムは闘鶏場。マニラで人気のあるギャンブルだそう。
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高速から降りてパラニャーケ市のIRを見物。
オカダ・マニラは日本資本の高級カジノホテル・IR施設です。オカダ マニラ ホテル
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こちらはソレア リゾート&カジノ。
他にも2つのカジノがあり、まだ続々と建設中。Solaire Resort Entertainment City ホテル
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アヤラ・モール
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モール・オブ・アジア・アリーナ
2万人収容のアリーナでPBA(フィリピン・バスケットボール・アソシエーション)の試合やマドンナのコンサート、ミスユニバース世界大会などが開かれています。
バスケットボールはフィリピンで一番人気のあるスポーツだそうです。SMモール オブ アジア アリーナ 劇場・ホール・ショー
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SMモール・オブ・アジアのシンボルの地球儀。
700ものショップが入っているそうです。当初は立ち寄ることも考えましたが、疲れそうなのでパス。SM モール オブ アジア ショッピングセンター
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夕陽見物に訪れたのは第二次世界大戦の激戦地コレヒドール島に渡るエスプラネード・シーサイド・ターミナル付近の岸壁です。
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時刻は午後5時半、すでに多くのローカル見物客が待機しています。
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ロハス通りの高層ビル群も見えます。
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17:39 夕陽がマニラ湾に反射して美しい。
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ヨットとカヤックのシルエット。
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岸壁には若者がたくさん集まって夕暮れを楽しんでいます。
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恋人たちも。
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よく見ると海に沈むのではなく、山の端に落ちていきます。
マニラ湾の対岸にあるバターン半島のマリべレス山です。 -
イチオシ
午後6時ちょうど、太陽が完全に沈みました。
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丸いドームはガレオン博物館の屋根。SMモール・オブ・アジアにできた海事博物館です。
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リトさんの運転もこれでおしまい。彼は常に笑顔を絶やさず、現地情報を的確に解説してくれました。とりたてて日本語ガイドは雇いませんでしたが、大満足の1日でした。
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ホテルに戻ってクラブラウンジへ。
夜景を楽しみながら、妻はマンゴジュースとスイーツ。Grand Hyatt Manila ホテル
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私はスパークリングワインに白ワイン。
夜食に焼き鳥、茶碗蒸しなど。
うどんラーメンという新種ヌードルもいただきました。
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