2025/10/15 - 2025/10/15
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この旅行記のスケジュール
2025/10/15
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ザ・マニラホテル
この旅行記スケジュールを元に
前回大聖堂迄Grabを使って行ったのに、マサカのサンチャゴ要塞と反対方向に歩いてしまい、リーサル公園も定休日で閉まっていて、汗だくに成りながら、安全そうな場所でGrabを拾って帰った。
今回の目的は見れなかった「サンチャゴ要塞」の見学
まさか、こんなに広くて、資料館も満載で、途中休憩でもしないと疲れてしまう場所だった。
ツアーでは要塞部分しか見ないようだが、資料館には物凄い量のホセ氏の資料が残っていて、ホセ氏がいかにフィリピン人の方々にとって英雄だったかが偲ばれた。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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マニラホテル全様(建築当時の模型だそうです)
ザ マニラ ホテル ホテル
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マニラホテル
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マニラホテルロビーを抜けて・・・
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車の入る門のところに・・・この子が足に絡みついて来る・・・
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こっちの子は三毛なので私はこっちが気に成るが・・・のそっとして動かない
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これは前回車の中から見た光景・・・車が渋滞や信号などで止まると、物を売りに来る人達が意外と多い・・・
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こっちの人もそう・・・マニラは物凄く貧富の差が多い・・・
物売りの子供も多い・・・何度も声を掛けられたけど、悪いけど、無視する・・・ -
マニラホテルから歩けると解って、サンチャゴ要塞を目指した。
途中大きな噴水を発見!! -
トライシクルと噴水(以前どこかの国で乗ったトライシクルだけど、この国は英語が公用語だが、多くのフィリピン人がタガログ語の方が得意で、値段交渉が疲れるので今回は乗って居ない)
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イントラムス地区に入って来た
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柵が有り・・・何処から入るの???
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此処は入場料が有った・・・私達はパスポートのコピーを見せてシニア料金で入場
夫は66歳なので一応シニアだけど、私は63歳・・・シニアって、この国は何歳からなのだろうか?サンチャゴ要塞 建造物
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入場口
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welcomeの御挨拶(チケット売り場のオバサンは超不愛想だったが(笑)
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なにか説明をしている・・・ガイドさん(白人の団体さんだった)
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大砲と珍しい形の建物
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不思議な建物
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かなり広い敷地のサンチャゴ要塞
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サンチャゴ要塞
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向こうに見えるのが所謂サンチャゴ要塞の主要部分
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これだね・・・
フィリピンのHP https://philippinetravel.jp/fort-santiago/ -
イントラロムスの北の一角に位置し、かつてスペインやアメリカがフィリピンを統治していた頃に、軍事的に最も重要な役割を果たしていた場所。城門内には「リサール記念館」があり、英雄ホセ・リサールが使っていた机や服、当時描かれた絵画などが展示されています。
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反対側では新郎新婦が写真撮影して居ました
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名称 サンチャゴ要塞跡
英表記 Fort Santiago
営業時間 8:00~21:00(定休日:月曜日) -
サンチャゴ要塞
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説明
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サンチャゴ要塞
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イントラムス地区
1571年、スペイン人がフィリピン統治のために建てたマニラ最古の旧城壁都市。イントラムロスはスペイン語で“壁の内側”という意味。城壁に囲まれた市内のロマネスク風建築は太平洋戦争末期にほとんど破壊されてしまいましたが、12の教会のうち世界遺産にも登録されているサン?アグスチン教会が現存し、歴史的な名所を巡るツアーが人気です。 -
サンチャゴ要塞
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サンチャゴ要塞
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サンチャゴ要塞
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綺麗な芝生が続いて居ます
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サンチャゴ要塞
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サンチャゴ要塞
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説明
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サンチャゴ要塞
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説明
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ホセ・リサール記念像
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ホセ・リサール記念像の説明
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説明
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サンチャゴ要塞
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サンチャゴ要塞
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多分昔は牢獄だったものと思われる
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サンチャゴ要塞
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サンチャゴ要塞
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下記の説明
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この門から逃げ出そうとしていた模様
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巡礼者記念
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上記説明
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説明
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サンタ・バーバラ
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この場所の説明
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ホセ・リサール記念館
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フィリピン内の有名建築
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フィリピン内の有名建築・内部構造
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フィリピン内の有名建築(教会)
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フィリピン内の有名建築(教会)
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博物館内はドーム式
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当時の大砲の映像
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イントラムス地区
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フィリピン内の映像
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多分マニラ大聖堂
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時計塔
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資料館内での映像
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時計塔と教会
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サンチャゴ要塞
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三段噴水
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此処は知らない・・・
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何処に有るんだろう?
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たぶん美術館所蔵
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イントラムス地区の夜景
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フィリピン内の有名建築
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意味不明・・・
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フィリピン内の有名建築
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フィリピン内の有名建築
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フィリピン内の有名建築(教会)
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フィリピン内の有名建築
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フィリピン内の有名建築
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フィリピン内の有名建築(教会)
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市バス???
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市民の足のバス
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フィリピン鷲
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生息はフィリピン内だけだそうな・・・
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フィリピン鷲
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フィリピン鷲~~凛々しい!
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けど・・・夫が私に似てると・・・実は親子です(嘘)
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フィリピン内の有名建築(教会)
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フィリピン内の有名建築(教会)
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フィリピン内の有名建築(教会)
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フィリピン内の有名建築(教会)
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フィリピン内の有名建築(教会)
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フィリピン内の有名建築(教会)
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博物館内部先に映ってるのが先程の映像
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博物館内
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外に出て見た・・・
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中華街に行く途中でも流れて居た川~~パシッグ川
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下には兵士の門が有る
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博物館屋上地下は牢獄???
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大きな川だ・・・パシッグ川
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で・・・人も居る・・何してるんだろう???
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パシッグ川向こうは大型建築
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屋上
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屋上からの眺望
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ちょっと貧民街が見える・・・
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地下への階段
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この人は誰???
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近p先は行けないと思ってたら、次の資料館への道だった(一般人は通れません)
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門番
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リアルです
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きっと名前が有る川だと思う
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夜のライトアップが綺麗だった橋
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5代目世代の華僑系メスティーソ(混血)、ドミニコ修道会所有の農園の小作農であったが、教育の機会に恵まれマニラのサント・トマス大学で医学を学び、21歳でスペインに留学した。マドリッドで同じく留学中のフィリピン人と会い、フィリピン人はスペイン人に劣るのではなく、足りないのはただ教育の機会だけだと考えるようになり、同胞を啓蒙して、フィリピンをスペインの従属から解放することに使命を見出した。
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ホセ・リサール氏の経歴
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説明
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ホセ・リサール氏の部屋
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博物館内部の案内図
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ホセ・リサール氏とあと誰か・・・
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ホセ・リサール氏の歴史
1887年に『ノリ・メ・タンヘレ(私にさわるな)』、91年に『エル・フィリプステリスモ』を出版し、激しくスペインの支配を告発した。92年、マニラに戻り、社会改革を目ざすフィリピン民族同盟(リガ)を結成したが、ただちにスペインの総督によって逮捕されミンダナオ島に追放された。96年、かねて志願していたキューバへの軍医としての派遣を許可され、ミンダナオ島を離れた。 -
ホセ・リサール氏の肖像
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ホセ・リサール氏の着用品
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ホセ・リサール氏
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ホセ・リサール氏は1861~1896 はフィリピン独立運動の初期の指導者。
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おりから1896年8月、ボニファシオらが組織した独立派の武装組織「カティプーナン」が蜂起しフィリピン革命が始まると、リサールもその指導者のひとりとして再び逮捕され、簡単な裁判にかけられた。リサールはこの蜂起には直接かかわってはいなかったが、有罪とされ、1896年12月30日に銃殺刑となった。この日は現在、国民的英雄リサールの命日としてフィリピンの祭日となっている。
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ホセ=リサールが書いた小説『ノリ・メ・タンヘレ』については、ベネディクト=アンダーソンが『想像の共同体 ナショナリズムの起源と流行』(1983年に発表され、改訂が加えられ、2007年に日本で『定本 想像の共同体』が刊行された)で取り上げられ、よく知られるようになった。
(引用)1887年、「フィリピン・ナショナリズムの父」ホセ・リサールは小説『ノリ・メ・タンヘレ』を著し、この作品は今日、近代フィリピン文学最高の作品とされている。それはまた「インディオ」によって書かれた最初の小説でもあった。<ベネディクト=アンダーソン/白石隆・さや訳『定本 想像の共同体』2007 書籍工房早山 p.52>
注によれば、「リサールはこの小説を、当時、民族的に多様なユーラシアンと原住民エリートの共通語であった植民者の言語(スペイン語)で書いた。この小説と同じころ、最初の「国民主義的」新聞が、スペイン語ばかりでなく、タガログ語、イロカノ語のような「民族」語でも出版された」という。 -
説明
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愛用の時計
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軍法会議にかけられ、同年12月26日に銃殺刑が宣告された
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処刑の前の晩に妹に手渡した遺言代わりの辞世の詩は、後に『ミ・ウルティモ・アディオス(Mi Ultimo Adios,『我が最後の別れ』の意)』と名づけられ、彼の祖国への熱い思いを伝えるものとなっている。同年12月30日、リサールを一目見ようと集まったフィリピン民衆が見守る中、35歳にしてマニラで銃殺された[40]。
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当時の紙幣
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ホセ・リサールの描かれた切手や手紙など・・・
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フィリピンの英雄 ホセ・リサール氏を偲ぶ遺品の数々が展示されて居た。
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ホセ・リサール氏
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やはり英雄なのだ・・・
ウィキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%BB%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%AB#%E8%A9%95%E4%BE%A1 参照 -
食卓
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ホセ氏の肖像
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ホセ氏の家具など
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外に出たらもう夕暮れ時だ・・・
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此処が先程の屋上と繋がっていた道(帰り道)
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リサールは1888年に来日しており、1ヶ月ほど東京都(当時・東京府)内に滞在している。これを記念して東京の日比谷公園にはホセ・リサール記念像が設置されている。
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サンチャゴ要塞
日本人にとっては、余りゆかりの無いホセ・リサール氏ですが、資料館や遺品館なども有るので、パッと見て帰る日本人達が居るのも、何の為に来たの?と思った・・・
まぁ~~私も、ホセ氏の事は知らなかったけど、良い勉強に成りました。 -
ここでお茶休憩(お土産屋さんに成ってます)
ウィキペディアなどでホセ氏の経歴など見ると、20か国語を操る天才級の凄い方だったんだぁ~~と思った。 -
サンチャゴ要塞を出た交差点
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ホテルかな?立派な建物です・・・
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此処もイントラムス地区だけど、今日は何か催し物が有るようです。
続きは大聖堂と中華街編に続きます。
~~~サンチャゴ要塞を見学する方は、事前にホセ氏の事を調べて行かれる事をお勧めします。ありがとうございました~~~
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