2020/01/30 - 2020/01/30
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ドクターキムルさん
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成就院山門前から山道を上ると、山頂手前の中腹に日枝社が鎮座している。
日枝社は今の大庭東町の鎮守で、山王神社、日吉神社とともに山王権現を祭る社である。山王権現は比叡山の守護神から始まったとされる。ただし、日枝社の縁起は不詳である。
元々は近くのガスタンクの近くにあったものを、戦争中に海軍の飛行場が出来たことから現在地に移転した経緯が碑分から読み取れる。
境内に庚申塔等が集められている。判然としないものもあるが、寛文6年(1666年)建立の古いものもある。
(表紙写真は日枝社社殿)
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山頂手前の中腹に日枝社。
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日枝社の鳥居。
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庚申塚。
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庚申塔。
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「奉造立庚申供養塔」。
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庚申塔(寛文6年(1666年)銘)。
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「寛文六丙午年」。
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庚申供養塔()。
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「文政十〇年」。文政10年(1798年)~文政13年(1801年)。
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石仏。庚申塔であろう。
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「日枝社(山王様とも称す)の元の境内は大庭持瀬八一九一番地大庭原の畑に囲まれた中に有り幾百年余りの大樹森の中に祭られ氏子の信仰を集め春秋の祭典は氏子全員に依り行われて来たが支那事変が大東亜戦争となるや俄かに海軍の飛行場となるため境内は国に買収された其の為借地仮移転を行う其の後終戦食糧難等により農地となり食料の増産に活用されたが然し世の様は食料難と加え人情の希薄さはその極みに達して居た暫くして移り変わる月日が過ぎた時に農林省令に依って此の耕地が元耕作者に払い下げられた時の役員氏子調査の結果国と氏子の間に於いて登記未完了のため境内は元通り所有権は氏子に戻されたが依然として日枝社は借地仮移転で有った其の後氏子にても元に復元する話は度々有ったが資金難と戦後の苦難も有り実現は非常に困難で有った、昭和三十五年当市の工場誘致に依って現荏原製作所が元飛行場の一括買収計画を行ったた為に協議の結果止むを得ず之を売る此れの土地の代金を以って大庭持瀬八一五二番地を買収老朽せる社殿を改築境内は氏子民の労力の奉仕に依り整備移転の完成を見たもので有る
昭和四十三年九月十三日」。
注.昭和四十三年は1968年。 -
日枝社の社殿。食料
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