東神奈川・保土ヶ谷・弘明寺旅行記(ブログ) 一覧に戻る
今回は、旧東海道の神奈川宿を巡りまして、その後はおまけの横浜開港祭です。<br />ところで、黒船来航の翌年である安政元年(1854年)、日米和親条約が神奈川で結ばれ、徳川幕府は下田と函館の2港を開港。250年続いた鎖国が終わります。4年後の安政5年(1858年)、日米修好通商条約で、さらに、神奈川、長崎、新潟、新潟を開港。神奈川港の開港で下田港が閉鎖され、5港体制となります。<br />ちなみに、日米修好通商条約の取り決めでは開港は神奈川港だったんですが、神奈川港を控える神奈川宿は江戸にも直結していて、幕府としては不安もある。おまけに、攘夷の事件が絶えないこともあり、宿場町が近い神奈川港では混乱は必至。そこで、当時まだ寒村だった横浜村を埋め立てて、本格的な港を作り居留地ほかを確保しようとしたのが幕府の考えでした。これにより、横浜の発展が築かれたのですが、逆に旧神奈川宿がどの辺りにあったのやら。今の横浜市神奈川区なんですが、意外に知られていなくて、けっこう分かりにくい。それを今回はきちんと回ってみることにしたというわけ。<br /><br />ただ、訪ねてみると、そこには神奈川宿歴史の道というのが整備されていて。旧神奈川宿を中心に、歴史や伝説を残す要所にガイドパネルもあって、神奈川区のルーツを楽しみながら歩ける散歩道となっていました。<br /><br />改めてですが、神奈川宿は、品川宿、川崎宿の次。東海道五十三次の3番目の宿場です。神奈川湊を控えていて、相模国や武蔵国方面への物資の経由地としても栄えていました。<br />前述のとおり、実際に開港されたのは横浜村だったのですが、各国は領事館については神奈川宿に置くことを要求。そのため、本覚寺のアメリカ領事館、長延寺のオランダ領事館、慶運寺のフランス領事館、浄瀧寺のイギリス領事館など、宿内の寺が領事館に充てられることになりました。なので、このエリアの寺にはそれぞれ寺の由緒のほかに、開港当時の様子を記した案内板が少なくない。一見、地味なエリアなんですが、とっても親切。楽しく回ることができました。<br /><br />あと、少し時代背景を踏まえておいた方がいいので、黒船来航から明治維新までの15年間の年表も付けておきたいと思います。 <br /><br />嘉永6年(1853) 6月 黒船来航<br />嘉永7年(1854)  3月 日米和親条約調印、下田港開港(函館は1年後)<br />                          4月 吉田松陰、米国への渡航を企て投獄<br />安政4年(1857) 11月 吉田松陰、萩の松下村塾を引き継ぐ<br />安政5年(1858)   4月 井伊直弼、大老に就任<br />                           6月 日米修好通商条約調印<br />                           7月 安政の大獄の始まり<br />安政6年(1859) 7月 神奈川港、長崎港の開港(他港は順次)<br />         10月 吉田松陰、死刑<br />安政7年(1860)   3月 桜田門外の変<br />文久元年(1861)10月 和宮、将軍徳川家茂へ降嫁<br />文久2年(1862)  4月 寺田屋事件 薩摩藩攘夷派一掃される<br />                           6月 勅使・大原重徳、島津久光に護衛され江戸に到着                   7月 徳川慶喜、将軍後見職となる<br />                         8月 生麦事件<br />                                 会津藩主・松平容保、京都守護職となる<br />文久3年(1863)  3月 徳川家茂上洛。<br />                           4月 家茂、孝明天皇に5月10日をもっての攘夷実行<br />                                 を約束させられる。<br />                   5月 長州藩、関門海峡の外国艦船を砲撃(下関事件)<br />                 6月 高杉晋作、奇兵隊を結成<br />                 7月 薩英戦争<br />                 8月 中山忠光らの天誅組、大和五条代官所を襲撃<br />                     八・一八の政変。七卿落ち<br />                          10月 薩英戦争の講和成立<br />元治元年(1864)   3月 天狗党の乱<br />                            6月 池田屋事件<br />                            7月 禁門の変<br />                            8月 四国艦隊下関砲撃事件(馬関戦争)<br />           11月 第一次長州征伐<br />                           12月 高杉晋作、下関で挙兵(功山寺挙兵)<br />慶応2年(1866)    1月 京都で坂本龍馬の仲介で西郷隆盛・小松帯刀と桂<br />                                   小五郎会談(薩長同盟成立)<br />                             6月 第二次長州征伐開始。薩摩藩は出兵拒否<br />                             9月 幕府、長州征伐の目的果たせず、講和成立<br />                           12月 徳川慶喜、十五代将軍に就任<br />慶応3年(1867)  1月 明治天皇即位<br />                         4月 高杉晋作死去<br />                             5月 四侯会議(島津久光、松平慶永、山内豊信、伊達<br />                                   宗城)薩摩藩は意見入れられず、統幕の方針へ<br />                           10月 徳川慶喜、政権返上(大政奉還)<br />                           11月 坂本龍馬、中岡慎太郎、暗殺(近江屋事件)<br />明治元年(1868)    1月 慶喜、大阪から京都へ向けて出発<br />                                   鳥羽・伏見の戦い、戊辰戦争始まる  <br /><br /><br /> <br />     

生麦事件の生麦から旧神奈川宿巡りと横浜開港祭へ~黒船来航から日米修好通商条約締結、神奈川港の開港へ。明治維新に向かう奇跡の時代の始まりです~

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2019/06/01 - 2019/06/01

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たびたび

たびたびさん

今回は、旧東海道の神奈川宿を巡りまして、その後はおまけの横浜開港祭です。
ところで、黒船来航の翌年である安政元年(1854年)、日米和親条約が神奈川で結ばれ、徳川幕府は下田と函館の2港を開港。250年続いた鎖国が終わります。4年後の安政5年(1858年)、日米修好通商条約で、さらに、神奈川、長崎、新潟、新潟を開港。神奈川港の開港で下田港が閉鎖され、5港体制となります。
ちなみに、日米修好通商条約の取り決めでは開港は神奈川港だったんですが、神奈川港を控える神奈川宿は江戸にも直結していて、幕府としては不安もある。おまけに、攘夷の事件が絶えないこともあり、宿場町が近い神奈川港では混乱は必至。そこで、当時まだ寒村だった横浜村を埋め立てて、本格的な港を作り居留地ほかを確保しようとしたのが幕府の考えでした。これにより、横浜の発展が築かれたのですが、逆に旧神奈川宿がどの辺りにあったのやら。今の横浜市神奈川区なんですが、意外に知られていなくて、けっこう分かりにくい。それを今回はきちんと回ってみることにしたというわけ。

ただ、訪ねてみると、そこには神奈川宿歴史の道というのが整備されていて。旧神奈川宿を中心に、歴史や伝説を残す要所にガイドパネルもあって、神奈川区のルーツを楽しみながら歩ける散歩道となっていました。

改めてですが、神奈川宿は、品川宿、川崎宿の次。東海道五十三次の3番目の宿場です。神奈川湊を控えていて、相模国や武蔵国方面への物資の経由地としても栄えていました。
前述のとおり、実際に開港されたのは横浜村だったのですが、各国は領事館については神奈川宿に置くことを要求。そのため、本覚寺のアメリカ領事館、長延寺のオランダ領事館、慶運寺のフランス領事館、浄瀧寺のイギリス領事館など、宿内の寺が領事館に充てられることになりました。なので、このエリアの寺にはそれぞれ寺の由緒のほかに、開港当時の様子を記した案内板が少なくない。一見、地味なエリアなんですが、とっても親切。楽しく回ることができました。

あと、少し時代背景を踏まえておいた方がいいので、黒船来航から明治維新までの15年間の年表も付けておきたいと思います。

嘉永6年(1853) 6月 黒船来航
嘉永7年(1854) 3月 日米和親条約調印、下田港開港(函館は1年後)
4月 吉田松陰、米国への渡航を企て投獄
安政4年(1857) 11月 吉田松陰、萩の松下村塾を引き継ぐ
安政5年(1858) 4月 井伊直弼、大老に就任
6月 日米修好通商条約調印
7月 安政の大獄の始まり
安政6年(1859) 7月 神奈川港、長崎港の開港(他港は順次)
         10月 吉田松陰、死刑
安政7年(1860) 3月 桜田門外の変
文久元年(1861)10月 和宮、将軍徳川家茂へ降嫁
文久2年(1862) 4月 寺田屋事件 薩摩藩攘夷派一掃される
6月 勅使・大原重徳、島津久光に護衛され江戸に到着     7月 徳川慶喜、将軍後見職となる
  8月 生麦事件
会津藩主・松平容保、京都守護職となる
文久3年(1863) 3月 徳川家茂上洛。
4月 家茂、孝明天皇に5月10日をもっての攘夷実行
を約束させられる。
     5月 長州藩、関門海峡の外国艦船を砲撃(下関事件)
      6月 高杉晋作、奇兵隊を結成
      7月 薩英戦争
      8月 中山忠光らの天誅組、大和五条代官所を襲撃
        八・一八の政変。七卿落ち
10月 薩英戦争の講和成立
元治元年(1864) 3月 天狗党の乱
6月 池田屋事件
7月 禁門の変
8月 四国艦隊下関砲撃事件(馬関戦争)
         11月 第一次長州征伐
12月 高杉晋作、下関で挙兵(功山寺挙兵)
慶応2年(1866) 1月 京都で坂本龍馬の仲介で西郷隆盛・小松帯刀と桂
小五郎会談(薩長同盟成立)
6月 第二次長州征伐開始。薩摩藩は出兵拒否
9月 幕府、長州征伐の目的果たせず、講和成立
12月 徳川慶喜、十五代将軍に就任
慶応3年(1867)  1月 明治天皇即位
   4月 高杉晋作死去
5月 四侯会議(島津久光、松平慶永、山内豊信、伊達
宗城)薩摩藩は意見入れられず、統幕の方針へ
10月 徳川慶喜、政権返上(大政奉還)
11月 坂本龍馬、中岡慎太郎、暗殺(近江屋事件)
明治元年(1868) 1月 慶喜、大阪から京都へ向けて出発
鳥羽・伏見の戦い、戊辰戦争始まる


 
     

  • 品川駅から京浜急行で、まずは生麦まで。<br />生麦事件参考館を訪ねます。こちらは、地元の篤志家が私的に収集した事件の関係資料を展示する資料館。予め予約が必要ということでしたが、直前に電話を入れると快く了解が取れました。<br />館長は、ひょんなことから生麦事件の重要性を知り、64才から猛勉強を始め、苦節10年以上をかけてあらゆる情報を集めたのだそう。<br />事件の顛末を詳しく解説する講演会を全国各地で200回以上。基本は2時間の講演だそうですが、それを1時間にした講演のビデオを拝見しました。情景の解説がとてもリアルで面白い。

    品川駅から京浜急行で、まずは生麦まで。
    生麦事件参考館を訪ねます。こちらは、地元の篤志家が私的に収集した事件の関係資料を展示する資料館。予め予約が必要ということでしたが、直前に電話を入れると快く了解が取れました。
    館長は、ひょんなことから生麦事件の重要性を知り、64才から猛勉強を始め、苦節10年以上をかけてあらゆる情報を集めたのだそう。
    事件の顛末を詳しく解説する講演会を全国各地で200回以上。基本は2時間の講演だそうですが、それを1時間にした講演のビデオを拝見しました。情景の解説がとてもリアルで面白い。

  • 戦国の武将たちとか城マニアの人たちとかも含めて、日本人には歴史好きという人たちがたくさんいますが、私の感覚でいうと、その中でも明治維新が好きという人は、たぶん、半分以上。圧倒的な多数派を占めています。その理由はいくつもありますが、やはり、今の日本の礎を築いた成功体験だから。そして、司馬遼太郎ほかの小説家が維新を題材にして、坂本龍馬らの幕末の志士たちのドラマを鮮やかに描き出して伝えたことも大きな要因ではないかと思います。<br />志士では誰が好き。誰が嫌いとか。まあ、そんな話題はみんな好きです。<br />そこに、私もちょっと言わせてもらうと、例えば志士の10点満点評価。<br />一番人気の坂本龍馬、これに並ぶ人気の西郷隆盛は5点です。ドラマチックではあるのですが、我々凡人にもその考え方や行動は理解できる範囲かな。これを超えるのは誰か。まずは、高杉晋作。これは7点です。功山寺の挙兵など。凡人にはとても理解できない行動ですが、これがないと討幕はけっして実現していないはずです。そして、10点は吉田松陰。その天才的な先見性と情報収集力に行動力。それが故のその苦悩と結果としての爆発的な影響力。松陰先生は他の追従をまったく許しません。私は、松陰先生のことを思うといつでも泣けます。そんな感じかな。<br />ちょっと視点は違いますが、大久保利通、三条実美は陰の主役。実は討幕は避けて通れないとの意志をはっきり持っていたのはこの二人だけ。島津久光なんて関係なし。二人がいなかったら、もしかして鳥羽伏見の戦いから始まる戊辰戦争もなかったかも。坂本龍馬や西郷隆盛の平和主義的な曖昧さなんか、この二人に比べれば、お子ちゃまのレベルです。<br />館長の講演がお見事で、私もけっこう盛り上がってしまいました。<br /><br />ちなみに、松陰先生を偲ぶ萩の旅は、参考まで<br />https://4travel.jp/travelogue/11156687

    戦国の武将たちとか城マニアの人たちとかも含めて、日本人には歴史好きという人たちがたくさんいますが、私の感覚でいうと、その中でも明治維新が好きという人は、たぶん、半分以上。圧倒的な多数派を占めています。その理由はいくつもありますが、やはり、今の日本の礎を築いた成功体験だから。そして、司馬遼太郎ほかの小説家が維新を題材にして、坂本龍馬らの幕末の志士たちのドラマを鮮やかに描き出して伝えたことも大きな要因ではないかと思います。
    志士では誰が好き。誰が嫌いとか。まあ、そんな話題はみんな好きです。
    そこに、私もちょっと言わせてもらうと、例えば志士の10点満点評価。
    一番人気の坂本龍馬、これに並ぶ人気の西郷隆盛は5点です。ドラマチックではあるのですが、我々凡人にもその考え方や行動は理解できる範囲かな。これを超えるのは誰か。まずは、高杉晋作。これは7点です。功山寺の挙兵など。凡人にはとても理解できない行動ですが、これがないと討幕はけっして実現していないはずです。そして、10点は吉田松陰。その天才的な先見性と情報収集力に行動力。それが故のその苦悩と結果としての爆発的な影響力。松陰先生は他の追従をまったく許しません。私は、松陰先生のことを思うといつでも泣けます。そんな感じかな。
    ちょっと視点は違いますが、大久保利通、三条実美は陰の主役。実は討幕は避けて通れないとの意志をはっきり持っていたのはこの二人だけ。島津久光なんて関係なし。二人がいなかったら、もしかして鳥羽伏見の戦いから始まる戊辰戦争もなかったかも。坂本龍馬や西郷隆盛の平和主義的な曖昧さなんか、この二人に比べれば、お子ちゃまのレベルです。
    館長の講演がお見事で、私もけっこう盛り上がってしまいました。

    ちなみに、松陰先生を偲ぶ萩の旅は、参考まで
    https://4travel.jp/travelogue/11156687

  • では、ここから生麦事件碑へ。碑は、麒麟麦酒の敷地の端っこ。小さな神社みたいにも見えましたが、それは石碑を安置する小屋でした。<br />

    では、ここから生麦事件碑へ。碑は、麒麟麦酒の敷地の端っこ。小さな神社みたいにも見えましたが、それは石碑を安置する小屋でした。

  • 事件は、幕末の文久2年(1862年)8月。薩摩藩主島津茂久の父、久光の行列に遭遇した騎馬のイギリス人4人が殺傷された事件。イギリスは賠償を求め、それを拒否した薩摩との間で、翌文久3年(1863年)7月、薩英戦争が起きています。<br />薩英戦争によって、薩摩藩はお気楽な攘夷の妄信から目を開かれるのですが、それで維新に向かって突き進んだかというとそんなに単純なものではない。鹿児島の人は薩英戦争のことをよくそういう風に言うのですが、そうではないです。私は、この辺りも言いたいことがたくさんあるのですが、まあ、またそれは別の機会に。。

    イチオシ

    事件は、幕末の文久2年(1862年)8月。薩摩藩主島津茂久の父、久光の行列に遭遇した騎馬のイギリス人4人が殺傷された事件。イギリスは賠償を求め、それを拒否した薩摩との間で、翌文久3年(1863年)7月、薩英戦争が起きています。
    薩英戦争によって、薩摩藩はお気楽な攘夷の妄信から目を開かれるのですが、それで維新に向かって突き進んだかというとそんなに単純なものではない。鹿児島の人は薩英戦争のことをよくそういう風に言うのですが、そうではないです。私は、この辺りも言いたいことがたくさんあるのですが、まあ、またそれは別の機会に。。

  • 生麦駅から神奈川新町駅へ移動して。<br />神奈川新町駅からすぐの児童公園、神奈川通東公園の中にオランダ領事館跡の石碑がありました。<br />1859年の横浜開港時、幕府は、開港場の横浜に領事館を置くことを要請しますが、各国は東海道の神奈川宿内を要求。やむなく、神奈川宿内の長延寺に置かれたオランダ領事館の跡です。しかし、やっぱり攘夷事件は後を絶たない。結局、2年足らずの1861年、横浜の弁天社続きの埋め立て地に移転することなりました。

    生麦駅から神奈川新町駅へ移動して。
    神奈川新町駅からすぐの児童公園、神奈川通東公園の中にオランダ領事館跡の石碑がありました。
    1859年の横浜開港時、幕府は、開港場の横浜に領事館を置くことを要請しますが、各国は東海道の神奈川宿内を要求。やむなく、神奈川宿内の長延寺に置かれたオランダ領事館の跡です。しかし、やっぱり攘夷事件は後を絶たない。結局、2年足らずの1861年、横浜の弁天社続きの埋め立て地に移転することなりました。

  • 良泉寺は、門前に簡単な説明版があって。<br />それによると。。横浜の開港当時、各国は神奈川宿内に領事館を求め、寺がそれに充てられたのですが、それを快しとしない住職が本堂の屋根をはがし、修理中であるとして、幕府の命令を断ったのだとか。

    良泉寺は、門前に簡単な説明版があって。
    それによると。。横浜の開港当時、各国は神奈川宿内に領事館を求め、寺がそれに充てられたのですが、それを快しとしない住職が本堂の屋根をはがし、修理中であるとして、幕府の命令を断ったのだとか。

  • 攘夷事件が頻発する時代。住職の考えは突飛なものではなかったと思います。

    攘夷事件が頻発する時代。住職の考えは突飛なものではなかったと思います。

  • 境内はさほど広くはないですが、本堂の前とかは穏やか。<br />枯山水風によく整備されています。

    境内はさほど広くはないですが、本堂の前とかは穏やか。
    枯山水風によく整備されています。

  • 笠のぎ稲荷神社は、天慶年間(938~947年)に、伏見稲荷大社の分霊を勧請したことが始まり。元寇の際には、鎌倉幕府の執権北条時宗が菊一の銘刀と神鈴を奉納して、国家の安泰を祈願したとも。

    笠のぎ稲荷神社は、天慶年間(938~947年)に、伏見稲荷大社の分霊を勧請したことが始まり。元寇の際には、鎌倉幕府の執権北条時宗が菊一の銘刀と神鈴を奉納して、国家の安泰を祈願したとも。

  • 付近の産土神であり、緑も濃い一段高い場所に、しっかりとした境内を持った立派な稲荷神社です。<br />いずれにしても、以降、旧神奈川宿の散策は寺社が中心になりますね。

    付近の産土神であり、緑も濃い一段高い場所に、しっかりとした境内を持った立派な稲荷神社です。
    いずれにしても、以降、旧神奈川宿の散策は寺社が中心になりますね。

  • 能満寺は、真言宗の古刹。見上げるような立派な楼門形式の山門前に説明版があって、鎌倉時代の正安元年(1299年)、内海新四郎光善という網元漁師が、海中より霊像をすくい上げ、彼の娘に託されたという仏のことばにしたがって、このお寺を建立したという寺。

    イチオシ

    能満寺は、真言宗の古刹。見上げるような立派な楼門形式の山門前に説明版があって、鎌倉時代の正安元年(1299年)、内海新四郎光善という網元漁師が、海中より霊像をすくい上げ、彼の娘に託されたという仏のことばにしたがって、このお寺を建立したという寺。

  • 境内もすっきり。銅板葺きの本堂が静かに建っています。

    境内もすっきり。銅板葺きの本堂が静かに建っています。

  • 神明宮は、境内は空き地のような感じで無造作に車が何台か停めてあったり。ちょっとどうかという感じです。<br />

    神明宮は、境内は空き地のような感じで無造作に車が何台か停めてあったり。ちょっとどうかという感じです。

  • 創建は、さきほどの能満寺の境内に祀られたということで、能満寺と同じ1299年(正安元年)。かつてこの上無川に牛頭天王の御神体が現れ、村人はこの御神体を洲崎大神に合祀。その御分霊を神明宮にも祀ったということです。

    創建は、さきほどの能満寺の境内に祀られたということで、能満寺と同じ1299年(正安元年)。かつてこの上無川に牛頭天王の御神体が現れ、村人はこの御神体を洲崎大神に合祀。その御分霊を神明宮にも祀ったということです。

  • 東光寺は、新義真言宗の寺。門前に説明版があって、この寺の本尊は太田道灌の守護仏であったが、道灌の小机城攻略後、平尾内膳がこれを譲り受け、この寺を創建。

    東光寺は、新義真言宗の寺。門前に説明版があって、この寺の本尊は太田道灌の守護仏であったが、道灌の小机城攻略後、平尾内膳がこれを譲り受け、この寺を創建。

  • この時、道灌が「海山をへだつ東のお国より、放つ光はここもかわらじ」と歌を詠、それが寺の名前の由来となったそうです。

    この時、道灌が「海山をへだつ東のお国より、放つ光はここもかわらじ」と歌を詠、それが寺の名前の由来となったそうです。

  • 金蔵院は、京都の醍醐寺三宝院の開祖、照覚僧正が平安末期に創建。

    金蔵院は、京都の醍醐寺三宝院の開祖、照覚僧正が平安末期に創建。

  • 徳川家康からは10石の朱印状も許された名刹です。<br />神奈川宿の様子を書いた「金川砂子」には家康の手折梅が描かれたりしていたようです。塀をめぐらした途中の唐門や本堂の構えなどもかつての威厳を感じる雰囲気が残っていると思います。

    イチオシ

    徳川家康からは10石の朱印状も許された名刹です。
    神奈川宿の様子を書いた「金川砂子」には家康の手折梅が描かれたりしていたようです。塀をめぐらした途中の唐門や本堂の構えなどもかつての威厳を感じる雰囲気が残っていると思います。

  • 熊野神社の創建は、寛治元年(1087年)、醍醐三宝院宮勝覚僧正が紀伊国の熊野権現の分霊を祀ったこと。神奈川郷の総鎮主であり、後三年の役の奥州征伐の途上、源義家も当社に立ち寄ったと伝わります。<br />

    熊野神社の創建は、寛治元年(1087年)、醍醐三宝院宮勝覚僧正が紀伊国の熊野権現の分霊を祀ったこと。神奈川郷の総鎮主であり、後三年の役の奥州征伐の途上、源義家も当社に立ち寄ったと伝わります。

  • 屋根の構えとか熊捕本宮大社を彷彿とさせるような重厚な雰囲気も。

    屋根の構えとか熊捕本宮大社を彷彿とさせるような重厚な雰囲気も。

  • 彫りの深い狛犬も見事です。

    彫りの深い狛犬も見事です。

  • ところで、旧東海道ですが、この辺りはけっこう細い通り。<br />なんかかつての隆盛はどこに行ったのかなという感じ。旧神奈川宿が紛れてしまっているのも、これではやむを得ないかなと思います。

    ところで、旧東海道ですが、この辺りはけっこう細い通り。
    なんかかつての隆盛はどこに行ったのかなという感じ。旧神奈川宿が紛れてしまっているのも、これではやむを得ないかなと思います。

  • 高札場は、宿場町にあって、幕府や領主の決め事を書いた高札を掲示した場所。宿場町でも往来の多く人目に付くところに設置されたもの。現在の高札場は、復元されたものですが、間口が5m 、高さが3.5m。しっかりした石の土台と木の柵で囲われていました。

    高札場は、宿場町にあって、幕府や領主の決め事を書いた高札を掲示した場所。宿場町でも往来の多く人目に付くところに設置されたもの。現在の高札場は、復元されたものですが、間口が5m 、高さが3.5m。しっかりした石の土台と木の柵で囲われていました。

  • 成仏寺は、旧神奈川宿の中ほどにある浄土宗のお寺です。

    成仏寺は、旧神奈川宿の中ほどにある浄土宗のお寺です。

  • 成仏寺の門前には、外国宣教師宿舎跡碑。幕末の横浜港開港時、この寺の本堂が外国人宣教師の宿舎となったことを記念するものです。<br />ヘボン式ローマ字の創始者ヘボン博士も当時ここに滞在。日本語塾も開かれ、アーネスト・サトウもここで学んだということです。

    成仏寺の門前には、外国宣教師宿舎跡碑。幕末の横浜港開港時、この寺の本堂が外国人宣教師の宿舎となったことを記念するものです。
    ヘボン式ローマ字の創始者ヘボン博士も当時ここに滞在。日本語塾も開かれ、アーネスト・サトウもここで学んだということです。

  • 比較的低いコンクリート塀に境内には芝生の緑の先にその本堂。シンプルで、都会的な清潔感もありますが、かつて、家康から十石の朱印地の寄進も受けたという名刹です。<br />

    イチオシ

    比較的低いコンクリート塀に境内には芝生の緑の先にその本堂。シンプルで、都会的な清潔感もありますが、かつて、家康から十石の朱印地の寄進も受けたという名刹です。

  • ちかくの明治天皇行在所碑の行在所は、明治天皇が宿泊した場所のこと。<br />明治元年、明治天皇は京都を発ち、東幸(とうこう)。東海道を20日間かけて東京に入ります。神奈川宿の本陣、石井源右衛門宅で宿泊したとされ、ここがその地になるということです。ただ、説明版も何もなく、これを見ただけではほとんど理解できないかなと思います。

    ちかくの明治天皇行在所碑の行在所は、明治天皇が宿泊した場所のこと。
    明治元年、明治天皇は京都を発ち、東幸(とうこう)。東海道を20日間かけて東京に入ります。神奈川宿の本陣、石井源右衛門宅で宿泊したとされ、ここがその地になるということです。ただ、説明版も何もなく、これを見ただけではほとんど理解できないかなと思います。

  • 慶運寺の始まりは、室町時代。芝増上寺三世、定蓮社音誉聖観によって開創されました。

    慶運寺の始まりは、室町時代。芝増上寺三世、定蓮社音誉聖観によって開創されました。

  • 横浜開港の当時、フランス領事館が置かれた寺ですが、

    横浜開港の当時、フランス領事館が置かれた寺ですが、

  • 一方で浦島寺とも。<br />

    一方で浦島寺とも。

  • 境内に建つ観音堂に安置された浦島観世音は浦島太郎が竜宮から持ち帰ったとされるもの。

    境内に建つ観音堂に安置された浦島観世音は浦島太郎が竜宮から持ち帰ったとされるもの。

  • 浦島太郎像と乙姫像とともに安置されていました。これは写真ですが、実際に中を覗くとこんな風に見えています。

    浦島太郎像と乙姫像とともに安置されていました。これは写真ですが、実際に中を覗くとこんな風に見えています。

  • 反町公園は、児童公園。都会の公園なので、コンクリート敷の部分が多くて、子供が遊ぶにはどうなんでしょうね。<br />この辺りは、旧神奈川宿。ちょっとした歴史もあって、昭和初期には、青木町遊郭という遊郭もあったそうです。<br />あまり広さはないのですが、戦後は、日本貿易博覧会の第二会場としても利用されたそうです。

    反町公園は、児童公園。都会の公園なので、コンクリート敷の部分が多くて、子供が遊ぶにはどうなんでしょうね。
    この辺りは、旧神奈川宿。ちょっとした歴史もあって、昭和初期には、青木町遊郭という遊郭もあったそうです。
    あまり広さはないのですが、戦後は、日本貿易博覧会の第二会場としても利用されたそうです。

  • 浄瀧寺の開山は妙湖尼。日蓮が安房から鎌倉へ向かう途中、妙湖尼が帰依し弟子となり、その庵室を寺に改めたのが始まりです。<br />

    浄瀧寺の開山は妙湖尼。日蓮が安房から鎌倉へ向かう途中、妙湖尼が帰依し弟子となり、その庵室を寺に改めたのが始まりです。

  • 境内は低いコンクリート塀で囲まれて、シンプルな構え。本堂の軒破風がまあまあ威厳を保っています。

    境内は低いコンクリート塀で囲まれて、シンプルな構え。本堂の軒破風がまあまあ威厳を保っています。

  • そして、イギリス領事館跡碑が門前にありました。

    そして、イギリス領事館跡碑が門前にありました。

  • ヘボン博士施療所跡碑は、ちょっと洋風の建物ですが、曹洞宗の宗興寺の境内にありました。<br />

    ヘボン博士施療所跡碑は、ちょっと洋風の建物ですが、曹洞宗の宗興寺の境内にありました。

  • 安政6年(1859年)の横浜開港。その後、文久元年(1861年)、ヘボンがここに施療所を開き、幕府の命令で閉鎖されるまで、さきほどの成仏寺から通いながら無料で診療にあたったということです。

    イチオシ

    安政6年(1859年)の横浜開港。その後、文久元年(1861年)、ヘボンがここに施療所を開き、幕府の命令で閉鎖されるまで、さきほどの成仏寺から通いながら無料で診療にあたったということです。

  • 洲崎大神は、建久2年(1191年)、源頼朝が安房国一宮の安房神社の霊を移して祀ったことが始まり。<br />

    洲崎大神は、建久2年(1191年)、源頼朝が安房国一宮の安房神社の霊を移して祀ったことが始まり。

  • 「江戸名所図会」によると、神社前から海に向かって延びる参道。そこが船着場となっていて、横浜が開港されると、この船着場は開港場と神奈川宿とを結ぶ渡船場となっていました。<br />

    「江戸名所図会」によると、神社前から海に向かって延びる参道。そこが船着場となっていて、横浜が開港されると、この船着場は開港場と神奈川宿とを結ぶ渡船場となっていました。

  • 丸みを帯びた同じ大きさの石垣を丁寧に積み上げた石段の先に建つ本殿。その構えがちょっと厳かで、歴史を感じる雰囲気もあると思います。

    丸みを帯びた同じ大きさの石垣を丁寧に積み上げた石段の先に建つ本殿。その構えがちょっと厳かで、歴史を感じる雰囲気もあると思います。

  • イギリスは、元治元年(1864年)、港が見える丘公園から横浜山手聖公会一帯に第20連隊第2大隊約1200名を駐屯。その際、この普門寺にイギリス士官の宿舎が置かれました。<br />寺は、通りから坂を上った先。

    イギリスは、元治元年(1864年)、港が見える丘公園から横浜山手聖公会一帯に第20連隊第2大隊約1200名を駐屯。その際、この普門寺にイギリス士官の宿舎が置かれました。
    寺は、通りから坂を上った先。

  • 境内はさほど広くもなく、本堂の建物もどちらかというと粗末かな。今では、公的な施設が置かれた当時の隆盛はまったく感じられません。

    境内はさほど広くもなく、本堂の建物もどちらかというと粗末かな。今では、公的な施設が置かれた当時の隆盛はまったく感じられません。

  • フランス公使館跡は、甚行寺。<br />1959年の横浜開港当時、神奈川宿にあったこの寺に公使館が置かれました。

    フランス公使館跡は、甚行寺。
    1959年の横浜開港当時、神奈川宿にあったこの寺に公使館が置かれました。

  • 本堂は当時土蔵造だったようですが、改造を加えてフランス公使館に充てられる。現在の本堂は、昭和46年に鉄筋コンクリート造で再建されたものです。<br />慶運寺には、フランス領事館が置かれたとありましたが、フランス公使館とフランス領事館。ちょっと関係が紛らわしいですが。<br />つまり、安政6年(1859年)にフランス総領事館を置いたのは江戸で、三田の済海寺。2年後には公使館となって1874年(明治7年)まで続きます。公使館を横浜に移したのは、ヘンリー・ヒュースケン殺害事件の抗議のため。一時的なことのようです。<br />ちなみに、アメリカの公使館は、元麻布の善福寺。イギリスは、品川の東禅寺。オランダは、芝の西応寺(その後、長応寺(現在は北海道に移転してないようです))。公使館は、江戸かその周辺に置いています。 

    本堂は当時土蔵造だったようですが、改造を加えてフランス公使館に充てられる。現在の本堂は、昭和46年に鉄筋コンクリート造で再建されたものです。
    慶運寺には、フランス領事館が置かれたとありましたが、フランス公使館とフランス領事館。ちょっと関係が紛らわしいですが。
    つまり、安政6年(1859年)にフランス総領事館を置いたのは江戸で、三田の済海寺。2年後には公使館となって1874年(明治7年)まで続きます。公使館を横浜に移したのは、ヘンリー・ヒュースケン殺害事件の抗議のため。一時的なことのようです。
    ちなみに、アメリカの公使館は、元麻布の善福寺。イギリスは、品川の東禅寺。オランダは、芝の西応寺(その後、長応寺(現在は北海道に移転してないようです))。公使館は、江戸かその周辺に置いています。 

  • 本覚寺は、鎌倉時代の嘉禄2年(1226年)に始まる曹洞宗の古刹。青木橋のところからでも小高い場所に建っている堂々とした構えがよく見えますが、実際に訪ねると境内の広さもなかなか。悠々とした構えです。<br />

    本覚寺は、鎌倉時代の嘉禄2年(1226年)に始まる曹洞宗の古刹。青木橋のところからでも小高い場所に建っている堂々とした構えがよく見えますが、実際に訪ねると境内の広さもなかなか。悠々とした構えです。

  • こちらは、安政6年(1859年)の横浜開港に伴い、アメリカ領事館が置かれた寺。幕府は横浜を勧めたのですが、駐日公使のタウンゼント・ハリスが見分し、横浜を見渡せるこの寺を領事館に要求したというのですが、その気持ちは分からないでもないですね。<br />

    こちらは、安政6年(1859年)の横浜開港に伴い、アメリカ領事館が置かれた寺。幕府は横浜を勧めたのですが、駐日公使のタウンゼント・ハリスが見分し、横浜を見渡せるこの寺を領事館に要求したというのですが、その気持ちは分からないでもないですね。

  • なお、文久2年(1862年)の生麦事件の際、事件現場からウッドソープ・チャールズ・クラークとウィリアム・マーシャルの2名がここに避難。ヘボン博士が治療にあたったという逸話もあります。

    イチオシ

    なお、文久2年(1862年)の生麦事件の際、事件現場からウッドソープ・チャールズ・クラークとウィリアム・マーシャルの2名がここに避難。ヘボン博士が治療にあたったという逸話もあります。

  • 東横フラワー緑道は、東急東横線の地下化により生じた線路跡地を活用した緑道兼公園。<br />東白楽駅から横浜駅間の約1.4kmにあって、付近の住民にとっては生活道路といった感じ。なだらかな坂の部分やトンネルもありますが、アスファルトで歩きやすいのもいいところです。

    東横フラワー緑道は、東急東横線の地下化により生じた線路跡地を活用した緑道兼公園。
    東白楽駅から横浜駅間の約1.4kmにあって、付近の住民にとっては生活道路といった感じ。なだらかな坂の部分やトンネルもありますが、アスファルトで歩きやすいのもいいところです。

  • 大綱金刀比羅神社は、旧神奈川宿にあった下台町の鎮守。<br />もともとは台町の小山の山頂に大綱神社、中腹に金刀比羅神社があって、明治以降、合祀されて大綱金刀比羅神社となりました。<br />ちなみに、こんぴらさんは、海の神様。石橋山の戦いで敗北し逃亡。安房国へ小舟で脱出した頼朝が、これを感謝し源頼朝が創建したと伝わります。<br />小さな神社ですが、隣に天狗の像もあって、それもちょっと変わっています。

    大綱金刀比羅神社は、旧神奈川宿にあった下台町の鎮守。
    もともとは台町の小山の山頂に大綱神社、中腹に金刀比羅神社があって、明治以降、合祀されて大綱金刀比羅神社となりました。
    ちなみに、こんぴらさんは、海の神様。石橋山の戦いで敗北し逃亡。安房国へ小舟で脱出した頼朝が、これを感謝し源頼朝が創建したと伝わります。
    小さな神社ですが、隣に天狗の像もあって、それもちょっと変わっています。

  • そして、今度はしばらく歩いて。。<br />横浜港開港の後、攘夷の事件が続き外国人の殺傷事件が続いたため、神奈川宿の東西に関門が設けられ、警備が強化されることになりまして。この関門跡は宿の西側にあった関門の跡。だらだらと坂を上がった先の通りの脇に碑と説明版がありました。<br />なお、関門は明治4年に廃止となりました。<br />ここまでくれば横浜駅は歩いて行けますね。山を下りるような感じで、一気に横浜駅に向かいます。これで、結局、新神奈川駅から横浜駅まで歩くことになりました。

    そして、今度はしばらく歩いて。。
    横浜港開港の後、攘夷の事件が続き外国人の殺傷事件が続いたため、神奈川宿の東西に関門が設けられ、警備が強化されることになりまして。この関門跡は宿の西側にあった関門の跡。だらだらと坂を上がった先の通りの脇に碑と説明版がありました。
    なお、関門は明治4年に廃止となりました。
    ここまでくれば横浜駅は歩いて行けますね。山を下りるような感じで、一気に横浜駅に向かいます。これで、結局、新神奈川駅から横浜駅まで歩くことになりました。

  • ここで、昼飯は、ハングリータイガー 横浜モアーズ店。<br />なんか、大変な人気店ですね。土曜の昼。11時過ぎに行ったら、待ち時間が1時間超でした。まあ、なんとか待って。<br />

    ここで、昼飯は、ハングリータイガー 横浜モアーズ店。
    なんか、大変な人気店ですね。土曜の昼。11時過ぎに行ったら、待ち時間が1時間超でした。まあ、なんとか待って。

  • いただいたのは、ハンバーグ。ジュージュー鉄板の上で脂が飛び跳ねて焼きたて感がすごいです。ただ、このハンバーグ。牛肉100%のしっかりしたタイプなのはいいんですが、どうかすると高級ハンバーガーのパテだけを食べているような感覚にもなってしまう。ちょっと妙な感覚でした。

    いただいたのは、ハンバーグ。ジュージュー鉄板の上で脂が飛び跳ねて焼きたて感がすごいです。ただ、このハンバーグ。牛肉100%のしっかりしたタイプなのはいいんですが、どうかすると高級ハンバーガーのパテだけを食べているような感覚にもなってしまう。ちょっと妙な感覚でした。

  • ここでもう一つ。<br />ドーレは、横浜ベイシェラトンの地階。ちょっと高級感もある小さな洋菓子とパンのお店です。

    ここでもう一つ。
    ドーレは、横浜ベイシェラトンの地階。ちょっと高級感もある小さな洋菓子とパンのお店です。

  • いただいたのは、オレンジショコラ。クロワッサン生地のパンですが、チョコにほんのりオレンジの香りがいい感じ。軽い食感も悪くないですが、一個食べても物足りない。ボリューム感がもう少しあったら満点なんですけどね。

    いただいたのは、オレンジショコラ。クロワッサン生地のパンですが、チョコにほんのりオレンジの香りがいい感じ。軽い食感も悪くないですが、一個食べても物足りない。ボリューム感がもう少しあったら満点なんですけどね。

  • さて、これで落ち着いて、みなとみらい地区の横浜開港祭に向かいます。<br />これは、はまみらいウォーク。横浜駅東口からみなとみらい地区に向かうにはこれを通ります。帷子川に架かる人道橋で、2009年に開通しました。

    さて、これで落ち着いて、みなとみらい地区の横浜開港祭に向かいます。
    これは、はまみらいウォーク。横浜駅東口からみなとみらい地区に向かうにはこれを通ります。帷子川に架かる人道橋で、2009年に開通しました。

  • 橋は橋なんですが、ペデストリアンデッキでもあり、ちょっとした広場の雰囲気もあって、これからみなとみらい地区に向かうというワクワク感があるような気がします。

    橋は橋なんですが、ペデストリアンデッキでもあり、ちょっとした広場の雰囲気もあって、これからみなとみらい地区に向かうというワクワク感があるような気がします。

  • さて、横浜開港祭のメイン会場の臨港パークに到着。

    さて、横浜開港祭のメイン会場の臨港パークに到着。

  • 水辺のステージで披露されるパーフォーマンスをしばらく楽しみます。<br />

    イチオシ

    水辺のステージで披露されるパーフォーマンスをしばらく楽しみます。

  • 地元のダンススクールのチームや

    地元のダンススクールのチームや

  • ウクレレやバイオリンの演奏に<br /><br />

    ウクレレやバイオリンの演奏に

  • コーラスグループ。

    コーラスグループ。

  • 一般市民のチームが次々と登場して、のどかな雰囲気。

    一般市民のチームが次々と登場して、のどかな雰囲気。

  • メジャーな感じはイマイチですが、

    メジャーな感じはイマイチですが、

  • このほどよい手作り感は悪くないと思います。

    このほどよい手作り感は悪くないと思います。

  • さりげないパーフォーマンスなんですが、

    さりげないパーフォーマンスなんですが、

  • 私としてはやっぱり港町のバタ臭さを感じる。

    私としてはやっぱり港町のバタ臭さを感じる。

  • 先ほどは旧神奈川宿を回って、横浜開港当時の時代に思いを馳せたんですが、

    先ほどは旧神奈川宿を回って、横浜開港当時の時代に思いを馳せたんですが、

  • こんなに豊かで平和な街になるなんて、

    こんなに豊かで平和な街になるなんて、

  • 当時の人は全く予想もできなかったことだと思います。

    当時の人は全く予想もできなかったことだと思います。

  • ただ、ここに至るまでには平坦な道ではない。

    ただ、ここに至るまでには平坦な道ではない。

  • 特に、昭和の戦争の時代を経ていることが大きなことなんですが、それは特に横浜に限ることではないですか。。<br />ただ、いずれにしても、海外とのつながりで発展してきた街ですから、平和のありがたさはより強く感じているのかも。国際色豊かな味付けも長い歴史の中で自然に身についたもののような気がします。

    イチオシ

    特に、昭和の戦争の時代を経ていることが大きなことなんですが、それは特に横浜に限ることではないですか。。
    ただ、いずれにしても、海外とのつながりで発展してきた街ですから、平和のありがたさはより強く感じているのかも。国際色豊かな味付けも長い歴史の中で自然に身についたもののような気がします。

  • さて、早めの夕食を取って帰りましょう。<br />向かったのはロジック 横浜。ハマボールの一階です。どこかのコンテストで賞を取ったピザが自慢のお店。コンクリート打ちっぱなしの店内はゆったり広々です。<br />

    さて、早めの夕食を取って帰りましょう。
    向かったのはロジック 横浜。ハマボールの一階です。どこかのコンテストで賞を取ったピザが自慢のお店。コンクリート打ちっぱなしの店内はゆったり広々です。

  • マルゲリータをいただきました。もっちりした生地のタイプなので当然なんですが、私の好きな軽さという意味ではイマイチかな。正統派のピザですが、サプライズはないと思います。<br />さて、以上で長い一日も終了。お疲れさまでした。<br />

    マルゲリータをいただきました。もっちりした生地のタイプなので当然なんですが、私の好きな軽さという意味ではイマイチかな。正統派のピザですが、サプライズはないと思います。
    さて、以上で長い一日も終了。お疲れさまでした。

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この旅行記へのコメント (4)

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  • ばねおさん 2020/09/25 19:12:35
    尽きない興味
    たびたびさん こんにちは

    神奈川宿を中心とした旧東海道の道筋を実に丹念に歩かれていて感心いたしました。
    日本の近代化の導入部分にあたる、この辺りの様子は多くの逸話や小史跡が残っていますが、その後のヨコハマの発展に埋もれてしまったかの感があります。

    私的には「ここから日本の近代が始まった」くらい思いをもっていますが、忘れ去られているかのような部分にスポットをあてていただいて嬉しい気持ちです。

    たびたびさんが昼食をとられた横浜駅近辺はかっての内海を埋め立てたところなので、昔は台風などがくるとよく浸水被害があったことを思い出します。
    ご存じかと思いますが、台町の関門跡碑の近くには、坂本龍馬の妻おりょうが龍馬の亡き後に仲居として勤めていた割烹料亭「田中屋」があります。広重の『東海道五十三次』神奈川・台の景に描かれている「さくらや」がそれです。

    又の機会がありましたら、少々料金は高いですが、味も評判のこの店に立ち寄られることをお勧めいたします。

    私もいつかこの神奈川宿~保土ヶ谷宿、そして日本の近代化発祥に至るまでの道程を辿って書いてみたいのですが、なかなかまとまりません。

    それにしても歴史は興味が尽きないですね。

    最後になりましたが、フォローいただきありがとうございます。

    ばねお






    たびたび

    たびたびさん からの返信 2020/09/25 21:56:14
    RE: 尽きない興味
    割烹 田中家ですね。この日の散策で、なにやら歴史のある風があったので気になっていました。おりょうさん、いいですね。横浜駅からでもそんなに遠くないので、ぜひ行ってみたくなりました。貴重な情報をありがとうございます。

    ところで、幕末から明治維新への話ですが、どうも司馬遼太郎の影響が強すぎて、なにか特別な人たちが新しい時代を英雄的に切り開いていったという理解があって、どうにも私は違和感を覚えます。そういう面がゼロとは言いませんが、もっとどういう時代だったのかの視点がないと問題を見誤る。人物を見る時も、たぶん、我々はその人物を通してその時代を理解したいと思っていたはずなのに、そうした最初の視点や動機を忘れてしまうんですよね。

    そういう意味だと旅はいいです。自分の目線が自分の好みに縛られないで、自然にバランスのいいものになっていくような気がします。今後もぼちぼちやっていきたいと思います。

                               たびたび
  • ダディおさん 2020/06/06 20:50:31
    いろいろ勉強になりました
    遠出しなくても、楽しめる所はいろいろありますね。生麦は、名前はよく聞きますが、見所がたくさん残ってることは知りませんでした。私も行ってみようと思いました。

    たびたび

    たびたびさん からの返信 2020/06/10 15:52:29
    RE: いろいろ勉強になりました
    生麦事件参考館は、ぜひ訪ねてみてください。講演のビデオは、事件を臨場感たっぷりに説明していてとってもわかりやすい。館長の長年蓄積した知識と情報もあふれています。

                                 たびたび

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