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高岡城(富山県高岡市定塚)跡は加賀二代藩主である前田利長(まえだ・としなが、1562~1614)の隠居城として慶長14年(1609)築かれたものですが、元和元年(1645)の幕府のいわゆる「一国一城令」により廃城となったものです。<br /><br />その縄張りは秀吉より高槻城主を追われ客将として前田家に身を寄せていたキリシタン大名で築城の名人でもあった高山右近(たかやま・うこん、1552~1615)と伝えられています。<br /><br />現在は高岡古城公園として散策の場となっていますが、その広さは21万m2という東京ド-ムの約4.5倍に及ぶ広大な規模で、とりわけ全体の1/3を占める水堀は圧巻で、廃城後も万一に備えて加賀藩が実質的な保全を図っていたため当該堀はほぼ築城時の状態で残されているそうです。<br /><br />現地にて入手した「高岡古城公園散策ガイド」によれば下記のように紹介されています。<br /><br />「『前田利長公が築いた高岡城の城跡』<br />加賀藩前田家二代の利長公は、天正13年(1585)から13年間、二上山上にあった守山城の城主でした。慶長3年(1598)に利家公の後を継ぎ藩主となり、同10年(1605)には隠居して富山城に移りました。しかし、同14年(1609)3月の大火により城が焼失したため、当時関野と呼ばれていた地に新しく高岡城をつくりました。<br /><br />縄張(設計)は、キリシタン大名であり、築城の名手として有名な高山右近と伝承されています。入城して5年、利長公は亡くなり、元和元年(1615)の一国一城令により廃城となりました。しかし、城跡は残り、町民から『古御城』として親しまれていました。<br /><br />明治になり、民間に払い下げられ、城跡が消失しそうになりましたが、服部嘉十郎らが公園指定の請願書を提出し、保存運動を展開しました。こうした市民の力により、城跡は高岡古城公園として残り、今に受け継がれています。」<br />

越中富山 一泊二日の慌ただしい北陸城郭散策 加賀藩二代藩主前田利長が晩年を過ごした『高岡古城』訪問

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2019/11/02 - 2019/11/02

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滝山氏照

滝山氏照さん

高岡城(富山県高岡市定塚)跡は加賀二代藩主である前田利長(まえだ・としなが、1562~1614)の隠居城として慶長14年(1609)築かれたものですが、元和元年(1645)の幕府のいわゆる「一国一城令」により廃城となったものです。

その縄張りは秀吉より高槻城主を追われ客将として前田家に身を寄せていたキリシタン大名で築城の名人でもあった高山右近(たかやま・うこん、1552~1615)と伝えられています。

現在は高岡古城公園として散策の場となっていますが、その広さは21万m2という東京ド-ムの約4.5倍に及ぶ広大な規模で、とりわけ全体の1/3を占める水堀は圧巻で、廃城後も万一に備えて加賀藩が実質的な保全を図っていたため当該堀はほぼ築城時の状態で残されているそうです。

現地にて入手した「高岡古城公園散策ガイド」によれば下記のように紹介されています。

「『前田利長公が築いた高岡城の城跡』
加賀藩前田家二代の利長公は、天正13年(1585)から13年間、二上山上にあった守山城の城主でした。慶長3年(1598)に利家公の後を継ぎ藩主となり、同10年(1605)には隠居して富山城に移りました。しかし、同14年(1609)3月の大火により城が焼失したため、当時関野と呼ばれていた地に新しく高岡城をつくりました。

縄張(設計)は、キリシタン大名であり、築城の名手として有名な高山右近と伝承されています。入城して5年、利長公は亡くなり、元和元年(1615)の一国一城令により廃城となりました。しかし、城跡は残り、町民から『古御城』として親しまれていました。

明治になり、民間に払い下げられ、城跡が消失しそうになりましたが、服部嘉十郎らが公園指定の請願書を提出し、保存運動を展開しました。こうした市民の力により、城跡は高岡古城公園として残り、今に受け継がれています。」

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
観光バス ANAグループ
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
阪急交通社
  • 高岡古城公園・石標<br /><br />バス駐車場の関係で小竹薮側から入ってゆきます。

    高岡古城公園・石標

    バス駐車場の関係で小竹薮側から入ってゆきます。

  • 高岡古城公園・案内板(全景)<br /><br />現在では公園となっています。

    高岡古城公園・案内板(全景)

    現在では公園となっています。

  • 高岡古城公園案内板(近景)

    高岡古城公園案内板(近景)

  • お濠巡り遊覧船・案内板<br /><br />公園の1/3が水堀を占めるため「お濠めぐり遊覧船」と称する遊覧船(俐長号・利常号)が運航しています。

    お濠巡り遊覧船・案内板

    公園の1/3が水堀を占めるため「お濠めぐり遊覧船」と称する遊覧船(俐長号・利常号)が運航しています。

  • 朝陽橋<br /><br />この水堀を渡ると広大な面積を有する本丸跡に入ります。

    朝陽橋

    この水堀を渡ると広大な面積を有する本丸跡に入ります。

  • 中の島方向の水堀

    中の島方向の水堀

  • 本丸跡への道

    本丸跡への道

  • 高岡古城公園うつりかわり説明板

    高岡古城公園うつりかわり説明板

  • 高岡古城図(近景)

    高岡古城図(近景)

  • 高岡城石垣の石説明板

    高岡城石垣の石説明板

  • 高岡城・本丸跡<br /><br />広大な本丸跡は広場で、その周辺は散策小路となっています。

    高岡城・本丸跡

    広大な本丸跡は広場で、その周辺は散策小路となっています。

  • 前田利長・乗馬像<br /><br />本丸広場の片隅には晩年を過ごした前田利長の騎馬像が建っています。

    前田利長・乗馬像

    本丸広場の片隅には晩年を過ごした前田利長の騎馬像が建っています。

  • 本丸跡

    本丸跡

  • 本丸跡

    本丸跡

  • 土橋<br /><br />本丸と二の丸を結ぶ橋を渡ります。この土橋は石積みされていますが歩道からは見ることはできません。

    土橋

    本丸と二の丸を結ぶ橋を渡ります。この土橋は石積みされていますが歩道からは見ることはできません。

  • 高岡城跡石垣<br /><br />本丸と二の丸をつなぐ土橋には、築城当時の石垣が今でも残存しており、石には築城時の刻印が施されているそうです。<br /><br />

    高岡城跡石垣

    本丸と二の丸をつなぐ土橋には、築城当時の石垣が今でも残存しており、石には築城時の刻印が施されているそうです。

  • 水堀

    水堀

  • 射水(いみず)神社社標

    射水(いみず)神社社標

  • 射水神社由緒・説明板

    射水神社由緒・説明板

  • 射水(いみず)神社鳥居<br /><br />本丸跡南半分は射水神社が鎮座しています。

    射水(いみず)神社鳥居

    本丸跡南半分は射水神社が鎮座しています。

  • 射水(いみず)神社拝殿

    射水(いみず)神社拝殿

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