2019/11/02 - 2019/11/02
755位(同エリア1640件中)
滝山氏照さん
富山城(とやまじょう、富山県富山市本丸)は天文元年(1532)に神保氏の家臣である水越勝重(みずこし・かつしげ)が築城したとされ、その後神保長職(じんぼ・ながもと)が入城し神保氏代々が居城し、越後の雄上杉氏と戦っています。
天正9年(1581)、織田信長が当地を侵出後は重臣の佐々成政(さっさ・なりまさ、1536~1588)が入城し城郭を大改修して上杉氏を越後に追いやり越中を平定します。しかしながら羽柴秀吉の北陸進出に伴い成政は臣下となります。
天正15年(1587)成政は九州征伐で戦功挙げ秀吉より肥後国を与えられますが、性急な検地実施に反発した国人らの蜂起を自力で制圧できず周辺の大名の支援を仰がざるを得なくなります。
ようやく反乱国人ら抑えたものの秀吉より統治責任を問われ、これに対し謝罪のため大坂に赴きますが面会を拒否、そして尼崎に幽閉され、後に切腹の命を受け天正16年(1588)同地にて自刃に至ります。
滞在時間短く模擬天守閣に登ることができませんでしたが窓口で入手したパンフレットには次の通り説明がありました。
富山城ものがたり
「中世 天文12年(1543)、神保長職によって築かれた富山城。そして、富山城をめぐり繰り広げられる一向一揆政勢や、上杉謙信、武田信玄ら戦国武将たちの攻防。織田信長の家臣として入城した佐々成政。天正13年(1585)、豊臣秀吉の討伐をうけ、破却された富山城。中世の富山城は、築城以来、様々な勢力の争奪の場でした。
近世 近世富山城を整備した前田利長。大火で焼失した後、元和元年(1615)の一国一城令により一旦廃城。寛永16年(1639)の富山藩分藩に伴い、初代藩主前田利次が入城。その後、明治時代に至るまで、富山前田家13代の居城となった富山城。江戸時代後期に築造された千歳御前。近世の富山城は、藩政の中心として整備が進められました。
近現代 明治6年(1873)に廃城となった富山城。その後、解体と同時に新たな街並みへと変貌を遂げていった富山城。戦災復興のシンボルとして建設された天守閣。富山城跡の中心市街地への変化は、富山市の近代化を象徴するものです。」
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 観光バス ANAグループ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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