2019/11/02 - 2019/11/02
120位(同エリア270件中)
滝山氏照さん
加賀小松城(こまつじょう・石川県小松市丸の内町)は加賀百万石第三代藩主であった前田利常(まえだ・としつね、1594~1658)が晩年を過ごした城郭で、その中の三の丸は利常の住居跡として使用され明治37年に芦城公園(ろじょうこうえん〉として開設され現在に至っています。
元々は戦国期に一向一揆方の若林長門守によって築城されたものとされ、織田信長の宿将である柴田勝家の加賀国平定による攻撃を受け、更に江戸時代には加賀藩に編入されるも元和元年(1615)一国一城令で廃城となります。
しかしながら寛永16年(1639)藩主の前田利常の隠居城として一度は廃城となった当該城が復活再築されます。再築にあたっては単なる隠居城にとどまらず大規模な水堀を巡らした戦闘実践を想定した城郭であったようで完成した城域は金沢城に二倍の規模を誇っていったそうです。
ここには博物館をはじめ、美術館、図書館、茶室などの施設が設置され、公園内は池と滝が二カ所ずつ造られ、それらを結ぶせせらぎと共に築山が配された和風公園で小松市の絶えざる管理が窺えます。
芦城公園の正面玄関脇に設置の説明版には下記の通り書かれています。
「芦城公園
芦城公園の前身である小松城は村上氏・丹羽氏居城の時代を経て、慶長5年
(1600)より前田氏の管轄となり、加賀前田家三代利常が小松を隠居地に定めたことで、城の姿が一新されました。寛永17年(1640)利常が入城し、この後の城の拡張に伴って「三ノ丸」として城内に取り込まれた場所がここ芦城公園にあたります。
時が移り、幕末から明治にかけて小松の象徴として永く親しまれてきた小松城が次第に取り壊され、跡地が民間へと売り払われてゆく中で、小松の人々の中にその面影を残したいとの思いから公園設置の機運が高まりました。その結果、この跡地に大蔵省に申請し明治37年、永代無償貸下の許可を得て開園、明治39年、正式に「芦城公園」と名付けられました。
大正5年(1916)には加賀100万石を盤石にし、小松発展の礎ともなった前田利常の遺徳を讃えて、園内に銅像が創建され(昭和41年再建)、今も人々を見守り続けています。
現在、園内には、図書館・博物館。本陣記念美術館・茶室(仙?屋敷ならびに玄庵」等の施設が設置され、文化と憩いの場として市民に親しまれています。」
確かに立派な和風公園でしたが自分の目的とする城郭らしき片鱗が園内には見いだせず物足りなさを感じながら見学時間が終了となりました。
後日小松城を調べると芦城公園に隣接した場所に天守台や内堀の石垣が遺構として存在していることが判りひじょうに残念な思いをした次第です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 3.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 観光バス JALグループ ANAグループ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
羽田空港出発ゲ-ト
1泊2日で8城郭を周遊する北陸ツア-のためANAの早朝便となります。
欲張り訪問は歓迎ですが逆に1ケ所当りの滞在時間が短くなるのでは・・・と懸念されます。 -
芦城公園入口
小松空港到着後、35名のツア-団体はバスにて8カ所の城跡を訪問。まず最初は空港に近い小松城の三の丸であった芦城公園を訪れます。 -
芦城公園説明版
公園の玄関脇には「芦城公園」説明版が掲示されています。 -
小松氏まちなか案内板
-
芦城公園
-
芦城公園内風景
-
-
第三代藩主前田利常立像
-
前田利常立像(近景)
立像台座正面には「贈従二位前田利常」と刻されています。 -
前田利常立像裏面
-
整備された庭園
-
芦城公園全景見取図
-
-
-
-
錦橋
-
公園内の大池
-
-
-
-
-
-
-
三の丸跡に立つ樹木
-
三の丸跡標柱
-
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
26