2019/02/16 - 2019/02/16
108位(同エリア261件中)
cielさん
1600年、現在の岐阜県不破郡関ケ原町において、徳川家康をはじめとする東軍と、石田三成を中心とする西軍(総大将は毛利輝元。ただし戦闘には不参加)が激突します。世に言う関ヶ原の戦いです。古戦場跡は、各陣跡に石碑が建ち、当時をしのぶことができます。
太多線乗車とともに訪問しました。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 新幹線 JR特急 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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新大阪6:00発 のぞみ200号 X18編成に乗車。
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名古屋6:48着。
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名古屋7:00発 しなの1号に乗り換え。
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多治見7:22着。
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多治見7:25発 太多線3605Dに乗車。
太多線は初乗車。 -
美濃太田7:57着
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美濃太田駅は美濃加茂市の中心駅となる立派な駅。
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美濃加茂市マンホール。
木曽川の峡谷、日本ライン下りがデザインされています。 -
駅近くで、名古屋発ひだ5号+大阪発ひだ25号をパチリ。
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美濃太田へ戻り、美濃太田10:54発 高山線3718Cに乗車。
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岐阜11:32着。
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岐阜11:35発 特別快速5117Fで大垣11:47着。
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大垣12:12発 東海道線3215Fに乗り換え。
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関ケ原12:25着。
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関ケ原と言えば、天下分け目の関ヶ原の戦い。
ホームにもこんな看板が。 -
古戦場めぐりの前に、腹ごしらえ。
関ケ原は伊吹山の麓に位置しますが、伊吹はそば発祥の地とも言われているそうです。 -
観光案内所でレンタサイクルを借りて古戦場めぐり開始!
観光案内所のコインロッカーは武将の家紋! -
関ヶ原開戦直後の布陣図。
時計回りに主要な陣跡を巡ります。 -
まずは徳川四天王の一人、本多忠勝の陣跡。
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藤堂高虎、京極高知の陣跡。
戦国の転職王藤堂高虎の城が好きです。彼の旗印が白餅三つの由来は、銭も使い果たし仕官先を求めて彷徨っていた三河で、餅屋の店先で焼かれていた餅を盗み食いし始めましたが、餅屋の主人はこれを咎めず、銭を与えて親孝行するようにアドバイスを送ります。その恩を忘れぬよう旗印に描いたといういわれがあります。 -
豊臣恩顧の武将、福島正則陣跡。
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石田三成の盟友、大谷吉継の陣跡入り口。
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山に囲まれた関ヶ原の南西に位置する山を登ります。
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陣跡付近の展望所。
ここからは寝返りで有名は、小早川秀秋の陣が見えます。大谷吉継は、小早川秀秋の裏切りをあらかじめ予測していたといわれています。 -
その最奥にある、大谷吉継の墓。
彼はこの戦に勝ち目がないことを石田三成に忠告しますが、三成の後に引けない状況を汲み取り、西軍で参戦し、この地で亡くなった。 -
こちらも石田三成の盟友平塚為広の陣跡。
彼はこの近くの垂井城の城主。 -
そして最も奥にあるのが、西軍の石田三成の陣跡。
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旗印と馬防柵。
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石田三成陣跡の近くにあるのが、関ケ原決戦地。
関ヶ原の戦いの勝敗が決した場所。三成の陣近くで決したということから、勝敗が読み取れる場所でもあります。 -
三成と対峙したのは北側の山に布陣した、黒田長政・竹中重門。
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東軍細川忠興陣跡。
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徳川家康の最後の陣地。
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続いて、西軍島津義弘の陣。
敗戦を悟ったし島津軍は、東軍に向かって突進し、敵をかすめて関ケ原を撤退した、島津の退き口が有名です。 -
豊臣恩顧の武将、小西行長は西軍に。
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小西行長の陣の近くにあるのが、関ヶ原の戦い開戦地。
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豊臣政権の五大老の一人、宇喜多秀家の陣。
岡山城の主です。 -
井伊直政・松平忠吉の陣。
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関ケ原町マンホール。
町の花はウメだそう。 -
関ケ原16:18発 東海道線5513Fに乗車。
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米原16:39着。新幹線に乗り換え。
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明るい時間に新幹線で帰るのは新鮮です。
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米原16:52発 ひかり517号 X63編成にて帰ります。
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あっという間に京都を過ぎ、帰宅。
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