2019/12/07 - 2019/12/07
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kojikojiさん
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12月の土曜日に宇都宮の栃木県立美術館で開催されていた「菊川京三の仕事」展を観に行ってきました。妻と弟の3人での日帰り旅でしたが、妻は「帰りに宇都宮餃子を食べに行くよ。」というと初めて首を縦に振りました。お昼を食べてから池袋駅で待ち合わせ、湘南新宿ライナーの快速の宇都宮行きで1時間30分ほどののんびり旅です。宇都宮は30年近く前に宇都宮西武の改装工事とLOFTの新築工事で行った後は2年ほど前に日光へ行く日帰りバスツアーで立ち寄って以来です。特に1991年の仕事で来た際は半年近く滞在したと思います。駅前からタクシーで車窓を眺めていると二荒山神社の先にその当時宿泊していたホテル丸治を見つけると懐かしく思えました。そのころ仕事した宇都宮西武はメガドンキーに変わり、LOFT館も別の商業施設に変わっています。それだけ長く滞在しながら県立美術館に来たのは初めてでした。そして今回ここへ来た理由は昭和20年代に遡ることになります。今回の回顧展の主である菊川京三さんは「國華」という美術書を出版していた会社にいらしたのですが、京都へ来られると母方の祖父の生家だった二条陣屋に滞在されていました。その時に母と知り合い「私にはあなたと同じ年の娘と妹さんと同じ年の娘がいるので文通をしてほしい。」と頼まれたそうです。それが縁でその娘さんは母の兄と結婚することになります。菊川京三さんご本人と最後にお会いしたのは池袋の三越で「画業六十周年展」が開催された時で、子供のころから日本画の模写をしていたので神様のような方でした。お逢いした時は建築やデザインの勉強を始めていましたが、俵屋宗達の「西行物語絵巻」が素晴らしく、欲しいと思ったのですが、その当時で500,000円という値段に絶望した記憶があります。今回その当時の作品も含め、画業の全般が紹介されており、改めてすごい方だったのだと感心しました。餃子目的だった妻もその技法の多様さに驚いて興奮していたのには驚きました。時間があったので常設展示も見学しましたが、益子の島岡達三さんの大作が多く展示してあり、少し早い目の正月を楽しみました。弟は2階の現代美術の展示室が気に入ったようで、兄弟でも好みが違うものだなと感じました。マイセンコーナーも前の年にマイセンへ行っていたので妻と2人で興味深く見入りましたが、弟にケンドラーについて語っても馬耳東風でした。美術館の閉館ぎりぎりまで在てタクシーで二荒山神社に参拝して、メガドンキーの「来らっせ」に向かいました。ここでビールを飲みながら5店舗の餃子を食べ比べて、宇都宮の日帰り旅行は終わりました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- タクシー JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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池袋駅から宇都宮行きの湘南新宿ライナーの快速に乗りましたが、進行方向の後ろの方の車両に乗り込みました。前方は立っている人がいたほどだったので良い選択だったようです。池袋駅からずっと座れましたから。
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途中から最後尾に近い車両に移りました。やはりこういった4人掛けの向かい合わせのシートの方が旅行に出ている気分になります。弟と3人での列車旅は台北駅から九分に近い瑞芳駅へ行った時以来なので17年振りです。
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本当は12月4日からドイツからフランスのクリスマスマーケット巡りに行くはずでしたが、母の入院から退院までのタイミングと重なってしまったので来年に持ち越しになりました。
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午後2時頃に宇都宮に到着しました。列車は途中からガラガラでした。
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こう言ったものはお約束なので中に入ってもらいますが、子供用の高さだったので、ぜひ大人用も作って欲しいものです。
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宇都宮駅に降りたのは1991年の仕事で来た時以来なので28年という年月が経っていました。
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あまり変わった印象が無いというか、記憶もあまり残っていません。この時の仕事が終わって東京に戻って、オーストリアとイタリアとスイスの2か月の1人旅に出て、帰国後に会社を辞めたので人生のターニングポイントの町でもあります。
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駅前から美術館までタクシーに乗りましたが、車窓からその当時泊まっていたホテル丸治が見えました。ほとんど造りは変わっていないようです。この裏は飲み屋街になっていて、夜に飲みに行ったカラオケ屋で井上陽水の「リバーサイドホテル」を♪ホテルは丸治。川沿い丸治。食事も丸治」なんて歌っていたのを懐かしく思い出しました。
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タクシーは美術館の入り口で停まりましたが、初乗りが710円だったかで何となく高く感じました。東京の初乗りが410円だからなのか、先月乗っていたトルコのタクシーが安かったからなのか…。
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今日の目的の「菊川京三の仕事」展です。チケットは京都の従姉妹が送ってくれたので無料ですが、往復の交通費が1人5,000円ほどかかるので2人分10,000円の出費です。そして餃子…。
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初めて来た栃木県立美術館です。ググッてみると建築は川崎清さんという京都大学名誉教授の設計とのことでした。
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弟はカメラマンでもあるし、私も写真を撮るのが好きなのでもたもたしていると先に行った妻から「早くしろ~。」オーラを感じました。
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手塚登久夫「梟の森」を見ていると題名から司馬遼太郎の「梟の城」という長編小説を思い出しました。今では篠田正浩監督の映画の印象が強いですね。
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早く行かないと怒られそうです。我が家は男3人兄弟ですが、父が亡くなった後の実家の「主の席」は妻が踏襲しています。
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「国華」(こっか)は、1889年(明治22年)に創刊された日本と東洋古美術研究誌で、現在も発行を継続している雑誌としては日本で最も古いものです。岡倉天心と高橋健三の二人が中心となって創刊し、雑誌名の由来は天心が執筆したと考えられる創刊の辞の一節「夫れ美術は国の精華なり」から取られているそうです。経営には紆余曲折あり、1939年(昭和14年)からは朝日新聞が経営を引き継ぎ現在に至っています。
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菊川京三さんは1915年(大正5年)に20歳で画家を志し日本画家の池田輝方に入門します。大正10年に同じく栃木県氏家町出身の日本画家の荒井寛方の紹介で「國華」を刊行する國華社に入社し、コロタイプ応用の木版印刷による複製図版の模写制作に専念することになります。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=11&v=xAE2fa2atDQ&feature=emb_logo -
伊東若冲の「葡萄双鶏図」です。展示してあるのは模写された複製であるのは頭で分かっていても、その見事な技術には感心させられます。
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月岡雪鼎の「傀儡廻図」です。月岡雪鼎(つきおかせってい)は江戸時代中期から後期にかけて活躍した浮世絵師で、色白で鼻筋の通った瓜実顔に切れ長の目が特徴ですが、肉筆画のようにしか見えず印刷されたものとは思えないです。傀儡廻(くぐつまわし)とは人形遣いの意味ですが、「攻殻機動隊」を知らなかったら読めない字ですね。
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絵画だけでは無く陶器を描いた作品もあり、こちらは野々村仁清の「帆掛船置物」です。仁清の生地の上に描かれた釉薬の古清水の色合いが見事に再現されていると思います。京都の伯爵家か公爵家に伝わるもので、その当時は模写という作業はあまり認めてられなかったそうで、2日で模写するように言われたそうです。
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中国の「青銅壺」も饕餮模様の上に生じた緑青の再現が見事でした。
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雪村周継の「観音拝宝塔図」の部分です。画面の上半分に描かれた釈迦と多宝仏が中空に浮かび、首飾りを捧げる為に観音が海上に現れた場面です。観音が上空に見える宝塔を仰ぎ見る姿は非常に美しく儚いです。紙本墨画淡彩されたものが完璧なまでに再現されています。
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与謝蕪村の「叡岳望眺図」の筆致は蕪村以外の何物でもなく、一体どれだけの画家の画法を再現できるのだろうかとため息が出てきます。
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葛飾北斎の「鷽垂桜」のような版画の再現は比較的簡単なように思えますが…。鶯が何で桜の木にと思ったら鶯では無くて、鷽(うそ)でした。鷽は江戸時代ではごく身近な鳥であったようで、浮世絵の作品に度々登場しています。画中に書かれた俳句は「鳥ひとつ濡れて出けり朝さくら」ですが、文字まで見事に写し取られています。
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英一蝶「雑画帖」(荘子胡蝶の夢)です。夢の中で胡蝶としてひらひらと飛んでいた所で目が覚めたが、「はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか」という説話です。この説話は「無為自然」「一切斉同」の荘子の考え方がよく現れているものとして有名で、「無為自然」を荘子の言葉でいえば「逍遥遊」となり、それは目的意識に縛られない自由な境地のことであり、その境地に達すれば自然と融和して自由な生き方ができると荘子は説いています。菊川のおじさんもそんな境地で絵を描いていたのだろうかと思いました。
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この絵を見た瞬間に快慶の「僧形八幡神坐像(そうぎょうはちまんしんざぞう」だと分かりました。45年ほど前の中学2年の頃に上野の国立博物館へ「鎌倉時代の彫刻展」を見に行き、1階の中央に置かれていたこの快慶の木像を初めて見たときの衝撃は今でも思い出せます。その当時は展覧会に行けてもカタログは買えなかったのですが、しばらくすると父が同じ展覧会へ行ってカタログを買ってきてくれたことも思い出しました。
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長沢芦雪「蓬莱図」です。蓬莱(ほうらい)とは古代中国の道教の流れを汲む神仙思想のなかで説かれるものでのす。東方の三神山のひとつで渤海湾に面した山東半島のはるか東方の海にあり、不老不死の仙人が住むと伝えられます。徐福伝説を記した司馬遷「史記」にも記されています。個人的には諸星大二郎の「徐福伝説」や「孔子暗黒伝」で孔子が海岸に立って「蜃が気を吐いた」とい呟く場面を思い出します。
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画像がありませんが、旧久保田藩主の佐竹侯爵家に伝来した俗にいう佐竹本三十六歌仙の平兼盛像(MOA美術館蔵)と小大君(大和文華館)の2幅も展示されていました。そういえば今年は京都国立博物館で「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」が開催されていたなということを思い出しました。断簡37点のうち躬恒、猿丸、斎宮、清正、伊勢、中務を除く31点が出展されたそうですが、もう2度とこれだけ集まることは無いでしょうね。
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伝顔輝筆「寒山拾得図」です。顔輝は字を秋月といい南宋末から元時代を代表する道釈人物の画家です。幽暗の中で不気味に破顔大笑する寒山と拾得が描かれています。描き直しの効かないような水墨画までも模写できるのが驚きでした。
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敦煌壁画の観音曼荼羅の模写も見事でした。
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「豊臣秀吉像」
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模写以外の池田輝方に入門していた頃の肉筆画も数多く展示されていました。
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久し振りに懐かしい想いに浸れました。40年ぶりに再会した作品も数多くありました。作品のほとんどは栃木県立美術館に寄贈されているので、今後も作品に出合える機会があるかもしれません。15年ほどヤフーオークションで祖父や大叔父の造った陶器を落札しているのですが、1度だけ菊川さんの作品が出品されたことがあり、その全部3点を落札したことがあります。来歴は娘である叔母から聞いているので、いずれ従姉妹の子供たちに伝えようと思います。
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特別展の見学を終えて母に見せるためにカタログを買い求め、中庭にも出てみました。冬の夕暮れ前の日差しが当たってきれいでした。
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コンサートでもできそうな劇場のようにも見えたのは、トルコで遺跡を見て来たばかりだったからでしょうか。
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東日本大震災の影響なのか大理石の敷石がひどい状態になっていました。それが余計にギリシャやローマの遺跡のように感じたのかもしれません。
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そんな中庭にはいくつかの彫刻作品が並んでいました。
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エミール・アントワーヌ・ブールデル「ペネロペ」です。日本国内だと上野の西洋美術館の「弓をひくヘラクレス」と大原美術館の「ベートヴェン像」が思い出されます。
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この題名を見た瞬間はちょっと鳥肌が立ちました。ギリシャ神話でトロイ遠征に行って帰ってこない英雄オデュッセウスの帰りを待つ妻のペネロペの姿だからです。1か月前にトルコの地中海沿岸からエーゲ海沿岸を走り、トロイ遺跡へ行ったばかりだったからです。余計にこの中庭が古代ローマの劇場に見えてしまいます。
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三木俊治「行列」も印象に残る作品です。ちょうど夕暮れ前の日差しがスポットのように当たっていたからかもしれません。
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そしてその影が建物のタイルに映り込んでいました。この時期の優しい日差しでないときれいに映り込まないのではないだろうかと思います。
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常設展示では島岡達三さんの素晴らしい陶器の数々を楽しみました。なんでも鑑定団で1000万円の値段がついていたものと同じ手のものがありました。それ以外もウイリアム・ターナーの「タンバリンを持つ女」やカミーユ・コローの「ヴィル・ダブレーの池」ジョン・コンスタブルの「デダムの谷」なんて作品も素晴らしかったです。
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マイセン陶磁のコレクションは美術館の中に唐突にありましたが、パンフレットを読んでいくと伊東直子さんという方の収集品でした。並んだ作品を見ると相当な費用をかけて収集されたであろうことが分かります。「猿のオーケストラ」も見事でしたが、「山羊に乗る仕立て屋」が無かったのが残念です。弟にケンドラーやベドガーについて語りましたが、全く興味が無かったようです。
マイセン美術館:https://4travel.jp/travelogue/11445712 -
妻が気を利かせたのか歩きたくなかったのか、美術館の係員さんにお願いしてタクシー手配していました。初めて美術館で「タクシー来ましたよ~。」と名前を呼ばれました。
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二荒山神社の前でタクシーを降りて鳥居の前で名前と住所を継げました。妻は2年前に続き階段を見ただけで「下で待っている。」と言いましたが、弟も参拝するので渋々付いてきました。
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ここへ来るのは3度目で、初めて来たときは半年近い出張の最後でした。誰かが持っていた大谷石のカエルをご本尊に、その辺にあったスチレンボードなどで祠と賽銭箱を作って、毎日「早く東京に帰れますように。」とお祈りしていました。同じような境遇の人や工事できている人などが面白がってお賽銭を入れるので、帰るころには1万円近い小銭が溜まっていました。東京へ帰る日にその小銭を持ってここへ来て全額本物の賽銭箱に納めました。
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神楽殿も昔のままのようです。
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懐かしい本殿でお参りをします。
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本殿の左右には榊と幡(ばん)のような布と何かが下げられていました。
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想像するに短剣と鏡のような気がしました。神社なので三種の神器のようなものかもしれませんが、社務所に行ってまで聞く時間はありません。
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宇都宮らしい餃子の形をしたおみくじがありました。
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名残のもみじを眺めながら坂を下りました。
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元々西武百貨店の宇都宮店だった建物がそのままドン・キホーテに変わり、食品売り場だったフロアに「来らっせ」という宇都宮餃子のイートインがあります。ここへも1度来たことがありました。
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時間があまりないのでかたっぱしに餃子を注文しました。ここには5件の餃子店が出店しているので、簡単に食べ比べが出来ます。市内の店を歩き回ったら時間がかかりますからね。
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以前も食べておいしかった香蘭の刻んだねぎの乗った焼き餃子。最初と最後に1皿づつ注文しました。
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そのあとは各店の焼き餃子を食べ比べしながら生ビールを飲みます。
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めんめんの羽根つき焼き餃子も美味しかったです。
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30分くらいで一通り食べた後は実家で待っている母と弟と姪へのお土産を買いに行きます。
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フードコートの前に冷凍餃子の売り場があって、一通りのお店の餃子を買ったら6,000円を超えてしまいました。このまま実家に持って帰って7人で餃子パーティになります。
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これでしばらく二荒山神社に来ることも無いでしょう。
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ちょうど来たバスに乗って宇都宮駅に戻り、ホームに入っていた湘南新宿ラインの列車で赤羽で乗り換えて池袋に戻ります。久しぶりの日帰り旅行でした。
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家に帰って40年ほど前に池袋にあった三越百貨店で開催された「菊川京三画業六十年展」のパンフレットを探し出しました。最終日に行って後片付けを手伝ったことも思い出しました。
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今回の栃木県立美術館での開催にあたり、いくつかの作品を提供した菊川京三さんの娘でもある叔母は京都から宇都宮まで行くことが出来たそうです。本当は母も行きたがっていたのですが、あいにく入院していてそれも叶いませんでした。そして年を越した令和二年に叔母は亡くなってしまいました。ご冥福を祈ります。合掌。
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