2019/10/30 - 2019/10/31
3040位(同エリア4771件中)
AandMさん
- AandMさんTOP
- 旅行記263冊
- クチコミ2768件
- Q&A回答97件
- 866,101アクセス
- フォロワー24人
10月下旬、eJALポイントを使って宮古島を訪問しました。台湾に近い南の島ですので、ハワイのような温暖な気候、青い空や海、そして美しい浜辺のある景色などを楽しみました。実際に訪問してみると、自然に恵まれた静かな島ですが、島の歴史を伝える史跡にも巡り合いました。
宮古島を含む沖縄の島々には縄文時代以前から人類が住み、石垣島では2万5千年前の人骨も発見されています。島々は海洋交易の経由地であったため、海外との交流に関連する記念碑などもありました。この旅行記では、宮古島で見学した史跡を紹介したいと思います。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー JALグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
宮古島で一番の観光名所、東平安名崎です。台形状の岬西側は絶壁で、崖下の海辺にゴツゴツした岩が転がっていました。リーフの奇岩は1771年の明和の大津波で遠くの海底から打ち上げられた岩で、津波石と呼ばれています。
東平安名崎/平安名崎灯台 自然・景勝地
-
灯台のある岬先端に向かって進みます。
-
途中に大岩があり、裏側が洞窟状になっていました。説明版が設置されていました。
「マムヤの墓」です。絶世の美女マムヤは民話として伝えられてきた伝説の主人公で、この岩から400m程西側にある岩窟がマムヤの機織場であったとのことです。マムヤの悲劇物語が伝えられています。
岩窟は平成3年に宮古島市の文化財に指定されています。東平安名碕を訪れる大部分の人はこのマムヤの墓を見学するのではないか、と思いますマムヤの墓 名所・史跡
-
岩窟にお墓がありました。マムヤの墓です。ただこれは伝説に即して、後年に設置されたようです。
-
近くにハイビスカスの赤い花が咲いていました。伝説の美女マムヤも情熱的なハイビスカスを愛していたことでしょう。
-
伊良部大橋を渡って伊良部島に入り、東海岸沿いの道を進むと、見晴らしの良い展望台があります。サバウツガー展望台で、展望台下は断崖になっています。
サバ沖井戸 <サバウツガー> 名所・史跡
-
サバウツガーは島で貴重な水が湧き出る井戸で、長い階段を下った崖下にありました。島人達が水を求めてこの階段を上り下りしたところです。
-
伊良部町教育委員会が設置した石碑に「----井戸の無い佐良浜の人々にとっては、昭和41年の簡易水道ができるまでの240年余も生活用水として利用してきた貴重な井戸である。水汲みは女たちの日課で、午前3時から1日3-4回123段の階段を往復したという、生きるための過酷な歴史をもっている。」と書かれていました。
サバ沖井戸 <サバウツガー> 名所・史跡
-
宮古島西側で、伊良部大橋が始まる箇所の近くに「久松五勇士石碑」がありました。
碑があるのは、宮古島の久松地区の港を見下ろす小高い丘で、少し分かりにくい場所でした。車通行が殆どない道路にレンタカーを停めて、顕彰碑を見学しました。久松五勇士顕彰碑 名所・史跡
-
五本の白い柱が木製小舟を支えている形状の顕彰碑で、碑の前面に五人の勇士名が書かれていました。五本の柱は、五人の勇士を象徴しています。
-
久松五勇士顕彰碑は、1956年に久松五勇士顕彰朝成会によって建てられた記念碑で、碑文に経緯が説明されていました。
久松五勇士顕彰碑 名所・史跡
-
記述説明です。
久松五勇士は日露戦争たけなわの明治38年5月25日にロシアのバルチック艦隊が北上してくるのを発見し、波の高い太平洋を小舟で乗り切って八重山の通信局から「敵艦見ゆ」と軍中央に打電し、日露海戦の勝利に貢献しています。
日露戦争での勝利に宮古島久松地区の五勇士の貢献があった話は知りませんでした。日本のほぼ南端にある宮古島に纏わる興味深いお話で、記念碑は史跡です。 -
沖縄の墓は本土とは様式が異なっています。宮古島に残されている「豊見親墓」を訪れました。宮古市街の北側の道路脇にありました。15~16世紀にかけて宮古の首長を務めた豪族の墓で国の有形文化財です。室町から鎌倉時代に建造されたお墓です。
仲宗根豊見親の墓 名所・史跡
-
豊見親は(とうゆみや)と読みます。墓の前に設置されていた碑に書いてありました。
説明碑文によれば、「豊見親の墓」は三つの墓から構成され、一つは「中曽根豊見親の墓」で15-16世紀にかけて宮古の首長を務めた忠導氏一門が祀られており、二つは中曽根豊見親の三男を元祖とする宮金氏一門の墓、そして三つめは「あとんま墓」で忠導氏の継室が祀られているそうです。
宮古島のお墓は近年に造られてものも家形で大きくて立派ですが、国の文化財に指定されている「豊見親の墓」の伝統を引き継いでいるように感じました。 -
石垣で囲まれており、墓地というより住居跡遺跡の印象です。
-
墓は墓石ではなく、石積の城塞の感じです。京都や奈良にある昔の墓とは様式が異なっています。中国大陸の影響もあるように思います。
仲宗根豊見親の墓 名所・史跡
-
「中曽根豊見親の墓」の近くに「アトンマ墓」がありました。
アトンマ墓 名所・史跡
-
案内標識が出ていますが、注意しないと見逃す可能性があります。石積の大きなお墓です。アトンマとは(後妻)のことで、15-16世紀にかけて宮古の首長を務めた忠導氏の後妻だけが葬られています。
当時の宮古島の風習として本妻と同じ墓に葬ることができなかったので、アトンマ(後妻)だけの墓が造られています。後妻だけの墓は、他に類をみないのではないかと思います。 -
墓の規模は「中曽根豊見親の墓」に及びませんが、様式や構造は類似しています。後妻でも立派な墓に埋葬されていることは、後妻が大切に扱われていたことを示しています。15-16世紀の歴史を今日に伝えている貴重な史跡だろうと思います。
アトンマ墓 名所・史跡
-
「漲水御嶽」は宮古市の町中に残されている史跡です。古い神社と石垣で、石垣は1500年頃に造られたものだそうです。
漲水御嶽 寺・神社・教会
-
「漲水御嶽と石垣」の説明がありました。漲水御嶽は(はりみずうたき)と詠みますが、御獄(うたき)は説明がないと分からない沖縄表現です。宮古島創世の神話や人蛇婚説話などに関連する古代宮古人の源流を探る上で貴重な御獄(うたき)である、と説明されていました。御獄とは信仰の対象で、多分、昔の島の神社に相当するのではないか、と思います。
-
「漲水御嶽」の近くに石を敷き詰めた道がありました。「漲水石畳」で、現在も歩行者用通路として使用されています。18世紀始め頃に造られた石畳道路で、現在残っているのは数十m長さの坂道部分だけです。
車通行がなく、地元の人もあまり使わないようで、敷石の隙間に草や苔が生えていました。宮古島市の指定史跡です。漲水石畳道 名所・史跡
-
説明版記述によれば、18世紀頃の宮古島では幅が2間半(4.5m)と広い石畳道路が造られ、町や村を結んでいたそうです。
古代ローマや中世ヨーロッパ都市と同じような石畳道路が宮古島にあったことには驚かされます。20世紀に入ってから、平良港の建設などで石材が流用され、現在残っている石畳道路はほんの僅かだそうです。時代の移り変わりが感じられます -
坂上方から見下ろした光景です。沖縄石灰岩の切石を敷き詰めて造られた道は、当時は自慢の道であったことが想像されます。
坂道を登った所に宮古神社があります。当時、人々はこの石畳坂道から神社にお詣りしていたことでしょう。漲水石畳道 名所・史跡
-
宮古市の町中に「ニコライ・ネフスキー碑」がありました。
ニコライ・ネフスキー(1892~1937)はロシア生まれの東洋言語学者で14年間日本に滞在し、帰国後にレニングラード大学教授になりましたが、スターリンの粛正で処刑されています。宮古島を1922年、1926年と2度訪れ、民話や言語を調査して宮古島方言を研究して世界に発表していましたが、近年、その研究が高く評価されて宮古島を世界的に有名にしました。
2002年3月、平良市が彼の功績に感謝して記念碑を建立し、漲水御嶽から続く石畳をネフスキー通りと命名したものです。ニコライ ネフスキーの顕彰碑 名所・史跡
-
ニコライ・ネフスキーの顕彰碑は漲水石畳道を登った場所にあり、碑の横に「ネフスキー通り」を示す標識もありました。ニコライ・ネフスキーは方言に興味をもって調査した研究者ですが、宮古島と世界を繋いでくれた功労者です。
-
宮古島市の町中に「ドイツ皇帝博愛記念碑」がありました。レンタカーでの訪問でしたが、駐車場が無かったので少し離れた道路脇に車を停めて見学しました。住宅街の狭い道路脇に記念碑がありました。宮古島に何故ドイツ皇帝の記念碑があるのか疑問に思いましたが、説明版に理由が書かれていました。
ドイツ皇帝博愛記念碑 名所・史跡
-
記念碑の碑文の説明です。
1873年(明治6年)に中国からオーストリアに向かっていたドイツ商船ロベルトソン号が宮古沖合で座礁難破した際に、宮古の人々が荒天をついて商船乗組員8人を救助し、その後、島役人たちは官船を与えて帰国させた。この話を聞いたドイツ皇帝ウイルヘルムI世が、宮古島の人々の勇気と博愛の精神を讃え、1876年(明治9年)に軍艦チクローブ号を派遣してここに記念碑を建立した。その際に建てられた碑にはドイツ語が書かれていました。
ただドイツ語が書かれた古い石碑は、長い年月で摩耗が進み幾つかの単語が何とか読み取れる状態でした。過去の記録がこのような記念碑として残されているのは貴重と思います。 -
宮古島市の町中にある古井戸です。
宮古島旧記の記述によれば1720年頃の築造とされています。水道がなかった頃、飲料水の確保は容易ではなかったようで、湧き水が出る箇所はとても大切に扱われています。大和井は水量が豊かで日照りでも枯れることがなかったそうです。伝承によれば一部の上級役人が占有し、庶民には解放されていなかったようです。
大和井は石を積み上げて造られた見事な井戸で、役人たちによる厳重な管理が行われていたことも想像されました。井戸の周囲は木々や草が茂っており、昔の状態が保存されています。一見の価値がある史跡です。大和井 名所・史跡
-
保存地域は樹木が茂る公園のようで、そこに井戸というより、溜池のような水場がありました。
-
深く掘った井戸ではなく、水場の印象です。島の特権階級の人たちは、真水が湧き出るこの水場で水を汲んでいたようです。
大和井 名所・史跡
-
保存地域の林を更に奥に進むと、別の井戸がありました。
-
こちらの井戸の方が囲いの石積もしっかりしていて、立派です。身分の高い上級役人用の井戸のようです。
-
先に見学した井戸に比べて、湧き出ている水も清潔そうです
大和井 名所・史跡
-
宮古島海中公園を訪問した帰りに、道路脇に「海軍特攻艇秘匿濠」の表示があったので、立ち寄ってみました。
第2次世界大戦の末期に、海軍の特攻艇を秘匿する濠跡が残されていました。草木が茂っていますが、濠の入口を認識できました。70数年前に建造されたものですが、島の歴史の一部として記憶すべき史跡です。 -
「海軍特攻艇秘匿濠」は、この先にあります。訪れる観光客も少なく、道路は舗装されていません。
-
四島とは、狩俣・島尻・大神・池間で、これら四島の主の墓は、15世紀中期~16世紀初め頃に建造されたもの、とのことです。
-
墓への入口です。坂を登った丘に墓跡があります。宮古市街にある「豊見親の墓」も見晴らしの良い場所にありましたが、「四島の主の墓」も丘の良い場所にありました。見晴らしの良い場所に石積の立派な墓を造るのは、宮古の伝統のようです。
-
下地町の沖縄製糖(株)宮古工場の西側を走る道路脇に空き地があり、石碑のようなものが建っていたので立ち寄ってみました。石碑に「下地町の池田矼」と刻まれていました。昔の石橋で、沖縄県の指定史跡であることが分かりました。
石碑に日本語、英語、中国語、そしてドイツ語の説明がありました。宮古島観光のポイントと思いますが、駐車場などはなく、訪問者も我々以外にいませんでした。「矼」はあまり見かけない漢字ですが(はし)と読み、(橋)とほぼ同じ意味のようです。池田矼 名所・史跡
-
これは昭和63年に建てられた古い石碑です。沖縄県の指定史跡に登録されたのは昭和52年ですので、指定10年後に設置されたものです。
-
小川に架かっている石橋ですが、現在は道路が改修変更されたため、石橋を渡った所で行き止まりになっていました。琉球王国時代の主要道路に架かっていた橋で、伝承によれば400年以上昔に建造された石橋です。琉球石灰岩の切り石を組み合わせて建造された橋です。説明石碑が建てられ、石碑横にミニチュアの「池田矼」碑もありました。
池田矼 名所・史跡
-
石橋の奥に木製の古い橋もありました。橋の先は行き止まりで、今は使われていません。橋の下を流れる川は、崎田川湧水を水源とする全長1kmに満たない短い川ですが、宮古島では川が殆どないので「池田矼」は、宮古島に残されている有数の史跡橋と思われます。
-
木製橋の周囲は亜熱帯植物が茂っています。昔からの光景が、残されているように感じます。
-
古い方の石碑の一つに、「この矼は、1500年代当時、宮古の中央官庁のあった平良から上地、与那覇へ通じる幹線道路にあたる場所にあり、1506年川満大殿により下地矼道の建設とともに架けられた矼である。---」と書かれていました。
石碑には矼建設以降の経緯も簡略に記されています。昔の宮古島の様子を教えてくれる貴重な史跡です。歴史に興味のある方なら、見逃せない場所であろうと思います。 -
平良港の前を通る道路を北に1km進んだ場所の道路脇にあるゴツゴツした自然石が人頭税石です。高さが1.5mほどの石です。
人頭税石 名所・史跡
-
説明板記述によれば、別名「ぶばかり石(賦計り石)」と呼ばれ、島の人の身長がこの石より高くなったら人頭税を課されたとの言い伝えがあった、そうです。中学生程度の子供でも身長は石の高さを越えますので、若い人も含めて大部分の人々が人頭税を払わされたことが伺われます。
人頭税は過酷な税で、島の人々が貧しい生活の中で長年苦しめられた重税です。柳田国男が「南海小記」で人頭税碑を紹介したことで、この石の存在が全国に知られるようになったそうです。昔の島人の苦難を今日に伝えている遺跡です。人頭税石 名所・史跡
-
宮古島周辺の史跡巡りを終えて、ホテルに戻ってきました。ショップに設置された大きな水槽で色彩豊かな熱帯魚が優雅に泳いでいました。ホテルやショップでは多くの家族連れがはしゃぎまわり、南国パラダイスです。
今回の史跡巡りで、豊かな自然が一杯の宮古島にも長い歴史があることを知りました。墓や井戸などの史跡から裕福な豪族や統治者がいたことが分かりました。人頭税石やドイツ皇帝博愛記念碑などから、人々の生活や海外との交流の様子も知ることができました。数々の史跡は、島の歴史を今日に伝えてくれています。長く大切に保存頂きたく思います。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
宮古島(沖縄) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
47