2019/12/08 - 2019/12/08
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ドクターキムルさん
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横須賀市田戸台にある聖徳寺は浄土宗のお寺で公郷山田津院聖徳寺という。南北朝時代の武将・楠正成(まさしげ)の四男・四郎正徳が文和2年(1353年)に創建したと伝えられている。当初は横須賀市公郷町にある曹洞宗の東光山曹源寺の中に創建された。山号の「公郷山」はそれを伝えるものである。その後、明和6年(1769年)に、現在の場所に移り、本堂が建てられた。山号には「久郷山」も見掛けるが、ここでは聖徳寺に張られている「念佛会」の案内に記載されている「公郷山」を採用した。慶長15年(1610年)銘の石碑には「田津山」とあり、この地に移る前の山号であろう。
三浦一族である大田和義政の父義勝は、中先代の乱に北条時行に加担し、敗れて捕らわれたが、楠正成に預けられ、助命されて三浦に帰った。その後に義政は永嶋を名乗っている。正徳は、永嶋義政を頼り、田戸庄に下向した。義政は、恩義のある楠一族の正徳を楠ヶ浦に館を建て住まわせた。これが、楠ヶ浦の地名の由来となっている。その後、義政の妹・八重姫と結ばれ、義政には子がなかったため、楠正徳が永嶋家を継いで坂下にある赤門で知られる家となった。また、義政の弟・正胤が島崎を名乗り、木曽に移って島崎藤村を輩出した島崎家となっている。
境内に石造宝篋印塔陽刻板碑が立っている。
本堂屋根には唐獅子の飾り瓦と蕾付き牡丹の花の飾り瓦が上がっている。蕾付き牡丹の花の飾り瓦は聖徳太子に因むものであろう。寺名がそうした縁(えにし)を伝えているのであろう。
客殿も立派な造りで本堂と同じく江戸時代に建てられたものであろう。
門前に建つ「浄土宗 正徳寺」の寺号標石は何故か方位が傾けられている。門前から真っすぐに向けられていない寺号標石は初めてだ。
(表紙写真は聖徳寺本堂)
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坂道から聖徳寺本堂。
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聖徳寺墓地。
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聖徳寺墓地。
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聖徳寺墓地。
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聖徳寺本堂の屋根。
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「聖徳寺 永代供養塔」。
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聖徳寺。門柱は1本だけだ。
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正徳寺客殿。
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聖徳寺客殿。
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聖徳寺客殿の唐破風玄関の鬼瓦と懸魚。
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聖徳寺客殿に彫刻。
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「横須賀市指定文化財 石造宝篋印塔陽刻板碑 1基」(慶長15年(1610年)銘)。
写真はこの倍ある鎌倉・長谷寺の「石造宝篋印塔陽刻板碑」(徳治3年(1308年)銘)である。こうした文化財看板に他所の物の写真だけを入れているのも初めて見た。どうも横須賀市の文化財課は基本的なことが行えるだけの技量はなさそうだ。 -
石造宝篋印塔陽刻板碑(慶長15年(1610年)銘)。
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脇の石碑。
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水場。
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聖徳寺本堂。
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聖徳寺本堂屋根に上がる2種類の飾り瓦。
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聖徳寺本堂屋根に上がる唐獅子の飾り瓦。
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聖徳寺本堂屋根に上がる蕾付き牡丹の花の飾り瓦。
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聖徳寺本堂屋根に上がる蕾付き牡丹の花の飾り瓦。
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聖徳寺本堂屋根に上がる唐獅子の飾り瓦。
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聖徳寺本堂に掛かる「田津院」の扁額。
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聖徳寺本堂の龍の彫刻。
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聖徳寺本堂の木鼻。
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聖徳寺本堂の木鼻。
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聖徳寺本堂の彫刻。
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聖徳寺本堂の彫刻。
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「私たちの宗旨」。
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池。
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池に架かる石橋。
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墓地への境内参道。
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住職の墓。
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三界萬霊と六地蔵やお地蔵さま。
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三界萬霊。
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庫裏。
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正徳寺門柱。
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正徳寺門前。
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正徳寺門前に立つ「浄土宗 正徳寺」の寺号標石。真っすぐの方向を向いていない。
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正徳寺掲示板。
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「公郷山 田津院 聖徳寺」と記載されている。
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