2019/12/01 - 2019/12/01
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旅人のくまさんさん
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初冬の熱田・白鳥の紅葉巡りです。この方面には、堀川を中心に史跡などもありますので、紅葉以外にも見るところは沢山ありそうです。(ウィキペディア)
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『円福寺』の表示があった説明立札の光景です。山号は『亀井山』です。熱田区神戸町(ごうどちょう)に位置する時宗四条派のお寺です。元々は天台宗寺院でしたが、足利氏の一族であるという厳阿が、遊行2代他阿真教に帰依して時宗に改めたとされます。亀井道場または亀井山と号します。(同上)
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『尾張名所図会・円福寺』のタイトルがあった説明看板の光景です。時宗四条派の四条道場金蓮寺の末寺で、浄信寺、引接寺、善通寺とともに四条派御四箇寺と呼ばれる中本寺でした。当寺から金蓮寺の四条上人になる例も多かったとされます。歴代住職は『厳阿(ごんな)』を称します。室町幕府初代の征夷大将軍の『足利尊氏(1305~1358年)』も祈願所として堂宇を建立したといわれます。また、第8代の『足利義政(1436~1490年)』は、永享4年(1432年)9月、富士遊覧のため下向した際、この寺に3日間逗留し、連歌会を催したとされます。(同上)
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『亀井山』の扁額が懸かった玄関の光景です。近世には、芝居興行権を持つ寺でした。熱田神宮西南角に位置するように、熱田神宮とは関係が深いお寺とされます。神宮宝物館に伝わる『日本書紀・熱田本』(重要文化財)は、室町時代前期に当寺・厳阿が仲介して四条道場・浄阿が寄進したものとされます。宗派の『時宗』は、鎌倉時代末期に興った浄土教の一宗派で、開祖は一遍上人です。(同上)
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圓福寺縁起によれば、厳阿上人が井戸を掘らせたところ、亀甲に似た大きな岩盤に当たり「霊泉湧き出す 清きこと水晶を見るごとく」とあり、これが『亀井』の山号の由来となりました。その水質の良さから、熱田に水道が敷設されるまで、近隣の人々は亀井の水を汲みによく来山したと言います。また、この井戸に馴染んだ人々は、圓福寺を寺号より「亀井山」の山号で呼ぶ場合が多かったとされます。(同上)
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『宝勝院』の表示があった、同じく名古屋市教育委員会名の説明立札の紹介です。名古屋市熱田区神戸町(ごうどちょう)にある西山浄土宗のお寺、『蓬寿山・宝勝院』は、熱田湊の常夜灯を、承応3年(1654年)から明治24年(1891年)まで管理してきたお寺とされます。2015年5月の『尾張の寺社巡り』のブログでも紹介しました。(同上)
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唐風の屋根が付いた、『蓬寿山・宝勝院』の山門光景です。鎌倉時代に作られた国の重要文化財の木造阿弥陀如来立像を所有しています。元々は、昭和27年(1952年)に合併した高仙寺の御本尊だった立像です。『西山浄土宗(せいざんじょうどしゅう)』は、京都府長岡京市の光明寺(粟生光明寺)を総本山とする広義の浄土宗の一派とされます。(同上)
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『西山浄土宗』の浄土三部経は、『仏説無量寿経』、『仏説観無量寿経』、『仏説阿弥陀経』の三経典を指します。法然を宗祖とする浄土宗、親鸞を宗祖とする浄土真宗に共通の根本経典とされます。浄土宗の開祖法然上人の高弟である西山上人証空が、自らが唱える西山義の教えを広めたことに始まる西山浄土宗は、その後、分派と合併を繰り返しているようです。(同上)
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鉄筋コンクリート造りの近代ビルのように見えた、本堂の光景です。二階部分に、唐風の玄関屋根がありました。この写真では確認できませんが、『蓬寿山』の扁額が懸かっていました。『第24世沙門秀宝書』の落款があります。このお寺の山号も、熱田蓬莱伝説に因むようでした。(同上)
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塀の一部を窪ませて祀ってあった小さな社の光景です。赤い幟には、『うすさま明王』の文字がありました。烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう、うすしまみょうおう)とは、密教における明王の一尊です。『うすさま』は、『烏枢瑟摩』、『烏芻沙摩』、『烏瑟娑摩』、『烏枢沙摩』とも表記されます。(同上)
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平らに開いた、六弁の白い花の光景です。クレマチスに良く似た『鉄線(てっせん)』のようです。キンポウゲ科センニチソウ属の植物です。本来はクレマチスの種類の一つで、主に野草として中国に自生しています。名前の通り、鉄線のように丈夫なツルを絡ませながら成長していく姿が特徴です。(同上)
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名前:『テッセン(鉄線)』
分類:キンポウゲ科センニチソウ属
分布:中国原産。
その他:開花時期は5~6月頃、春から初夏にかけて白や紫色の花を咲かせます。日本に自生している野草はカザグルマと呼ばれ、花弁は8枚です。(同上) -
『金王山・等覚院』の正面光景です。ビルの造りの本堂に向かって、石畳の参道が伸びていました。左手には、扁額が懸かった二階に向かって階段がありました。『等覺院・観音堂』や『大瀬子の観音様』の呼び名を持つようです。かつての境内が大幅に整理・縮小されたような、現在の参道脇の光景でした。御本尊は、『十一面聖観世音菩薩』です。(同上)
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堀川に面した、小さな公園の光景です。石造の椅子が並んでしました。公園の名前は分かりませんでしたが、夏場には、木陰になる場所がないのが大変なようでした。(同上)
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少し珍しい名前の『軻具突智社』の石標があった小さな社の光景です。『軻具突智社(かぐつちしゃ)』は、記紀神話における「火の神」です。古事記では『火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)』や『火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)』など、日本書記では『軻遇突智(かぐつち)』、『火産霊(ほむすび)』などと表記されます。(同上)
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イチオシ
『堀川』の紹介です。『堀川(ほりかわ)』は、名古屋市を流れる庄内川水系の一級河川です。江戸時代初期の名古屋開府に際して、建築資材運搬用の運河として伊勢湾から名古屋城付近まで開削されたことがそのルーツとされます。その後、明治初期に庄内川からの取水を開始し、庄内川水系に属する形となりました。(同上)
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『堀川』の紹介が続きます。堀川の一部の区間は、その成立の経緯から『黒川(くろかわ)』とも呼ばれ、流域の地名『黒川本通』にもなっています。名古屋市守山区で庄内川から取水する形で始まり、矢田川を地下水路で伏越した後、名古屋城のある南西方向へ流れます。名古屋城を北側から西側に回り込んだ後、名古屋市中心部を南方向へ流れて伊勢湾の名古屋港に注ぎます。(同上)
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庄内川の水分橋東側に所在する庄内用水頭首工においてせき止められた水を、庄内用水元杁樋門より取水し、水路は庄内用水として南下します。矢田川の地下を三階橋東側に所在するトンネル(伏越)で潜り、トンネル出口の三階橋ポンプ場内で農業用水である庄内用水と分岐します。水量調整用の水門である黒川樋門から通称『黒川』として名古屋城周辺まで南西方向に流れます。(同上)
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名古屋城を北側から西側に回りこ込んだ後、朝日橋以降は『堀川』としてほぼ南方向に流れ、河口の名古屋港(伊勢湾)に至ります。途中、熱田区の七里の渡し付近で『新堀川』と合流します。かつては、松重閘門(中川区)において中川運河とも連絡していましたが、2012年時点で閘門水路は埋め立てが行われ、船舶による往来はできません。(同上)
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『堀川千年プロムナード』の文字が刻まれた石標の光景です。『堀川千年プロムナード』は、『対岸の宮の渡し公園や大瀬子公園が織り成す歴史的景観をイメージして、和風の四阿(あずまや)や松、竹、梅などの日本的な植樹を行い、落ち着いた雰囲気に包まれた遊歩道として整備された』、大瀬子橋から白鳥橋(堀川右岸側)までの区間です。『千年』は地名です。(同上)
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イチオシ
『熱田空襲』の記念碑です。弾痕が残る護岸の一部と、名古屋市名の説明プレートが展示されていました。『熱田空襲』は、名古屋大空襲の一つで、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)6月9日、名古屋市熱田区の愛知時計電機船方工場・愛知航空機(現愛知機械工業)工場周辺にアメリカ軍が行った空襲です。多数の犠牲者が出ました。戦争の傷跡として整備されたようです。(同上)
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紹介するのを躊躇した写真です。亡くなった方の慰霊のために置かれていたお地蔵さんが行方不明になってしまったので、心当たりのある方は、元に戻しておいてくださいとのお願い文でした。いなくなったお地蔵様は、弾痕が残る護岸の一部と、説明プレートの間に置かれていた小さなお地蔵様のようでした。早く元に戻されることをお祈りします。(同上)
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『堀川』の紹介に戻ります。庄内用水は、三階橋ポンプ場内で黒川と分離した後、ほぼ矢田川、庄内川に並行する形で流れます。名古屋城周辺から熱田までの区間は、熱田台地(名古屋台地)の西側に沿う形で流れています。このため、総じて川の左岸(東側)が、右岸(西側)より高くなっています。(同上)
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黒川部分の途中、猿投橋において流れに約3.8mの段差が生じていて、それ以降の下流域は伊勢湾の潮汐の影響を受け、満潮時には流れの逆行も起こる感潮域となっています。また、堀川の水深は潮の干満で1~3m程度変化します。(同上)
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発祥の経緯のとおり、特に朝日橋より下流の「堀川」は名古屋港の一部として指定され、河川管理を名古屋港管理組合が主管しているなど、川というよりは運河としての性格が強いとされます。朝日橋は、現在の国道22号線に架かる幅下橋の北側に位置し、名城の能楽堂のすぐ西側になります。(以上)
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『白鳥庭園』の前の堀川の光景です。遊覧船が通り過ぎるところでした。『堀川(中川運河)は、宮本輝さんの小説をもとにした映画、『泥の河』の撮影場所となりました。小栗康平監督で、田村高広(1828~2006年)さんや加賀まりこさんが出演し、数多くの賞を受賞した名作です。昭和56年(1981年)に公開されました。(同上)
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堀川で泳ぐ、シルエット姿の鳥さんです。名古屋市の公式サイトでは、堀川に棲む鳥さんは、次の14種が写真紹介されていました。カワセミ、カルガモ、マガモ、オナガガモ、ホシハジロ、キンクロハジロ、コサギ、ゴイサギ、アオサギ、ユリカモメ、ハクセキレイ、セクロセイレイ、キセキレイ、カワウです。(同上)
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シルエット姿ですから、特定はできませんでしたが、カルガモ、マガモ、オナガガモ、ホシハジロ、キンクロハジロ、コサギ、ゴイサギ、アオサギ、ユリカモメ、カワウなどが可能性があるようでした。可能性が高いのは、冬鳥のキンクロハジロ、ホシハジロかオナガガモあたりでしょうか。(同上)
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イチオシ
最初の目的地の『白鳥庭園』の案内看板光景です。左側に横向きの茶色地に白文字の看板と、右手には縦長の白地の看板もありました。『白鳥(しろとり)庭園』は、名古屋市熱田区にある都市公園の『白鳥公園』の一部になります。白鳥公園は、「名古屋国際会議場」とその「南広場」、「白鳥庭園」を中核に、旗屋町の街区公園、白鳥町にある古墳公園の「白鳥御陵」で構成されています。(同上)
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ここからは、『白鳥庭園』の紹介です。白鳥公園のテーマは、『池泉回遊式庭園で中部地方の地形をモチーフに、築山を「御嶽山」、そこからの流れを「木曽川」、流れの水が注ぎ込む池を「伊勢湾」に見立て、源流から大海までの『水の物語』をテーマにした市内随一の規模を誇る日本庭園です。(公式サイト)』と紹介されていました。(同上)
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通路脇に置かれた、『活け花』を連想させる飾り物の光景です。白鳥庭園は、中部地方の地形をモチーフにした敷地面積3.7ヘクタール(一万一千坪)の東海地方最大級の規模を誇る池泉回遊式日本庭園です。(公式サイト)とも紹介されていました。(同上)
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