2019/06/26 - 2019/11/10
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さいたまさん
皇居の北の丸公園の中に近衛師団司令部、近衛歩兵第一聯隊、第二聯隊の記念碑があります。
そして赤坂の円通寺坂に近衛歩兵第三聯隊の記念碑があり、それぞれをを見て廻りました。
旧近衛師団司令部の庁舎は、現在、東京国立近代美術館工芸館として活用されています。
東京国立近代美術館工芸館は、1910年(明治43年)に建設された大日本帝国陸軍の近衛師団司令部庁舎を改修し、1977年(昭和52年)11月15日に開館しました。
建物自体は、玄関広間部分を除く内装を対象外として、1972年(昭和47年)に、重要文化財に指定されています。
近衛師団は、皇室守護の任務から、衛戍地として東京市(現在のほぼ東京23区)でしたが、他の一般師団と異なり、連隊区といった特定地域からの徴兵によるのではなく、大日本帝国全国から選抜された兵士によって充足されていました。近衛兵になることは大変な名誉とされていたのです。
当初の近衛部隊の所在地は、
近衛師団司令部(東京・北ノ丸)
近歩第一旅団司令部(東京・北ノ丸)
近衛歩兵第一連隊(東京・北ノ丸)
近衛歩兵第二連隊(東京・北ノ丸)
歩兵第二旅団司令部(東京・赤坂一ツ木)
近衛歩兵第三連隊(東京・赤坂一ツ木)
近衛歩兵第四連隊(東京・青山北)にありました。
その後、近衛師団は、第3師団まで編成され、近衛歩兵聯隊は、第十聯隊まで拡充されました。
今回は、近衛歩兵第3聯隊の記念碑まで見ることができましたので紹介します。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
旧近衛師団司令部の庁舎は、現在、東京国立近代美術館の工芸館として活用されていて、北の丸公園にあります。
旧近衛師団司令部の庁舎は、北の丸公園の西側に位置しています。 -
旧近衛師団司令部の庁舎は、北の丸公園の西側にあります。
高速道路の北側です。 -
旧近衛歩兵第一聯隊、近衛歩兵第二聯隊の記念碑は、日本武道館の南側にあります。
近衛歩兵第一聯隊の記念碑は、日本武道館の南西側、
近衛歩兵第二聯隊の記念碑は、日本武道館の南側にあります。 -
旧近衛師団司令部の庁舎の東側の森の中に、北白川宮能久親王の銅像が置かれています。
北白川宮能久親王は、近衛師団長に任ぜられていた折、台湾出兵を命ぜられましたが、同地において逝去されるに至り、陸軍大将に昇任、国葬とされました。 -
旧近衛師団司令部の庁舎の東側の森の中に、北白川宮能久親王の銅像が置かれています。
建立当初は、近衛歩兵第一聯隊、第二聯隊の正門に置かれていましたが、後に、当地に移設されました。 -
旧近衛師団司令部の庁舎の東側の森の中に、北白川宮能久親王の銅像が置かれています。
写真は、北白川宮能久親王の誕生から近衛師団長までの間の経歴等を紹介しています。 -
旧近衛師団司令部の庁舎の正面です。
庁舎のすぐ前には、高速道路が走っているので、正面から庁舎全体を撮影することができません。
横から撮影しています。 -
旧近衛師団司令部の庁舎の正面です。
2階建煉瓦造で、正面中央の玄関部に小さな八角形の塔屋をのせ、両翼部に張り出しがある簡素なゴシック様式の建物です。 -
旧近衛師団司令部庁舎の玄関入口の左側の基礎部分と、庁舎の標識です。
庁舎の基礎部分に鉄の格子が入っています。 -
旧近衛師団司令部庁舎の中央の芝生の中にある標識です。
旧近衛師団司令部庁舎は、重要文化財となっています。 -
旧近衛師団司令部庁舎の基礎部分に鉄の格子が入っています。
庁舎の基礎部分の鉄の格子には、五芒星と呼ばれる星のマークが入っています。 -
旧近衛師団司令部庁舎は、明治43年(1910年)年3月、陸軍の技師田村鎮の設計により、近衛師団司令部庁舎として建築されました。
日本人の設計による建物です。 -
丸の内や霞ヶ関の明治洋風煉瓦造の建物が少なくなっていますが、官庁建築の構造が残っています。
日本人技術者が設計した現存する数少ない遺構として重要な文化財です。 -
旧近衛師団司令部の庁舎の西側の部分です。
2階建煉瓦造です。右側が正面中央の入口玄関になります。
この付近は、北の丸公園のほぼ西端に当たります。 -
旧近衛師団司令部の庁舎の東側の部分です。
2階建煉瓦造です。左側が正面中央の入口玄関になります。
右側の森の中に、北白川宮の銅像があります。 -
旧近衛師団司令部庁舎の入口玄関の様子です。
入口玄関を入り、背後を見ますと師団司令部の前庭と後方の高速道路が見えます。 -
旧近衛師団司令部庁舎の入口の中央にある階段です。
階段の左側手前に、解説板があります。 -
階段の踊り場の窓の様子です。
ガラス窓と鉄製の格子が、印象的です。 -
玄関入口から続く中央階段が、中途で折返しになって、2階に続いています。
手すりが木製で、重々しい感じがします。 -
旧近衛師団司令部の庁舎の北側の部分です。
庁舎の裏手にあたります。
出入口が見えますが、簡素な造りになっています。 -
近衛歩兵第一聯隊記念碑の顕彰板です。
全国近歩一会という戦友団体が建立したのでしょう。
詳しい歴史と伝統が紹介されています。 -
近衛歩兵第一聯隊記念碑を正面から見ています。
中央に大きな石碑が置かれています。
中央の石碑の手前の側面には、近衛歩兵第一聯隊跡との文字が刻されています。 -
近衛歩兵第一聯隊記念碑を右側方から見ています。
中央に大きな石碑が置かれています。
右横の石碑の上面に、碑文が刻されています。 -
近衛歩兵第一聯隊記念碑を左側方から見ています。
中央に大きな石碑と横長の石碑が置かれています。
中央の石碑の右奥に、近衛歩兵第一聯隊の顕彰板が見えます。 -
近衛歩兵第一聯隊記念碑に近づいて、正面から見ています。
中央に大きな石碑が置かれています。
右側に、横長の石碑が置かれています。
中央の石碑の手前の側面には、近衛歩兵第一聯隊跡との文字が刻されています。 -
近衛歩兵第一聯隊記念碑の中央に大きな石碑です。
中央の石碑の手前の側面には、近衛歩兵第一聯隊跡との文字が刻されています。 -
中央の石碑の手前の側面には、近衛歩兵第一聯隊跡との文字が刻されています。
戸の石碑を訪れる人は、万感の思いで、この文字を読むことでしょう。 -
近衛歩兵第一聯隊記念碑の中央の大きな石碑の右側に、横長の石碑が置かれています。
石碑の上面には、長文の文字による碑文が刻されています。 -
全国近歩一会の近衛歩兵第一聯隊の紹介文です。
北白川宮銅像を含め近衛部隊の誇りと伝統について紹介しています。 -
石碑には、近衛歩兵第一聯隊の標識を見ることができます。
五芒星とその周囲を囲む桜葉が付せられています。 -
石碑には、近衛歩兵第一聯隊の標識を見ることができます。
五芒星とその周囲を囲む桜葉が付せられています。
近衛部隊は、五芒星の周囲に桜葉が付せられているのが誇りだったと推察しています。 -
近衛歩兵第一聯隊記念碑の石碑には、数多くの氏名が記されています。
近衛歩兵第一聯隊跡の石碑の建立に携わった方々、賛同された方々の名前なのでしょう。 -
近衛歩兵第一聯隊記念碑の石碑には、数多くの氏名が記されています。
近衛歩兵第一聯隊跡の石碑の建立に携わった方々、賛同された方々の名前なのでしょう。
全国近歩一会の会員かもしれません。 -
近衛歩兵第二聯隊記念碑の顕彰板です。
近歩二会という団体が建立したのでしょう。
近衛歩兵第二聯隊の創設以来の詳しい歴史と伝統が紹介されています。 -
日本武道館の南の周回道から少し中に入った位置に、近衛歩兵第二聯隊記念碑があります。
近衛歩兵第二聯隊記念碑は、森の中の石畳の小路の奥にあります。 -
近衛歩兵第二聯隊記念碑は、森の中の石畳の小路の奥にあります。
近衛歩兵第二聯隊記念碑は、二つの大きな石碑とやや小さな石碑、石柱により構成されています。 -
近衛歩兵第二聯隊記念碑は、森の中の石畳の小路の奥にあります。
近衛歩兵第二聯隊記念碑の二つの大きな石碑と手前の石柱が見えます。 -
森の奥にある近衛歩兵第二聯隊記念碑の右側の石碑です。
上部が、右上がりの斜めになっています。
中央やや左に、近衛歩兵第二聯隊の碑文が入っています。 -
森の中の奥にある右側の石碑のやや中央にある部分です。
近衛歩兵第二聯隊記念碑の文字が刻されています。 -
近衛歩兵第二聯隊記念碑の左側の石碑です。
台形をしています。
中央に大きな碑文が入っています。 -
近衛歩兵第二聯隊記念碑の建立に際して、橘の樹を植樹した経緯があるようです。
その経緯を記した石碑です。
近衛歩兵第二聯隊の近歩二会の戦友会が設置した石碑のようです。 -
近衛歩兵第二聯隊の石碑には、五芒星とその周囲を囲む桜葉が付せられています。
やはり、近衛部隊としては、周囲に桜葉が付せられた五芒星が共通して、誇りだったものと思われます。 -
近衛歩兵第二聯隊の右側の石碑の背面には、近歩二会の会員の名前でしょうか、あるいは建立に尽力された方々の名前だと推察されますが、数多くの方々の名前が記されています。
名前の数から、近歩二会の会員の名前かもしれません。次回訪れて確認したいと思います。 -
近衛歩兵第二聯隊の石碑の背面には、記された名前の数から判断して、建立に尽力された方々の名前だと推察していますが、数多くの方々の名前が記されています。
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近衛歩兵第二聯隊の左側の石碑の背面には、数多くの方々の名前が記されています。
近歩二会の会員の名前なのでしょうか、多くの名前が見られます。 -
近衛歩兵第二聯隊記念碑は、森の中の石畳の小路の奥にあります。
写真左側に、小路が見えます。
石碑の区画の入口に立てられている石柱の背面です。
昭和八年一月建立 近衛歩兵第二聯隊将兵一同とあります。
近衛歩兵第二聯隊記念碑は、二つの大きな石碑とやや小さな石碑、石柱により構成されています。 -
近衛歩兵第三聯隊の石碑は、赤坂御所の南東にあります。
赤坂見附駅から円通寺坂通りを西南に進むと、南側にあります。
青山通りの南側です。 -
近衛歩兵第三聯隊の石碑は、赤坂見附駅から圓通寺坂通りを西南に進むとあります。
写真では、左上部の円通寺坂通りの南側です。
マンションの北側の森の中にあります。 -
近衛歩兵第三聯隊の石碑に行くには、赤坂見附駅から円通寺坂通りを西南に進むとあります。
青山通りの南側の通りです。 -
近衛歩兵第三聯隊の石碑は、円通寺坂公園の西側にあります。
円通寺坂通りの中ほどの南側です。
円通寺の手前です。 -
近衛第二旅団司令部と近衛歩兵第三聯隊は、昔の一ツ木町にありましたが、現在は、一ツ木町という行政区画は無くなりました。
一ツ木通り等の名称は残っていますが。 -
円通寺坂通りの南側に、マンションがあり、その玄関前に森が残っています。
その森の中に、近衛歩兵第三聯隊の石碑があります。 -
マンションの玄関から、北側の森を見ている写真です。
マンションの前は、それはそれは広い広場になっていて、その一角に、写真の森があります。
閑静な感じです。 -
マンションの前の森に近づくと、石の階段があります。
石段の一段高い場所に、近衛歩兵第三聯隊の石碑があります。
階段を上がったところに、白い表示板が見えます。 -
マンションの前の石の階段を上がったところにある白い表示板です。
この奥に、近衛歩兵第三聯隊の石碑があります。 -
公園緑地として保存されている区画は、銀杏ケ丘と名付けられているようです。
この区画の所有者であるマンションとの関連の仔細は、解りません。
いずれにしましても、この標識の奥に、近衛歩兵第三聯隊の石碑があります。 -
銀杏ケ丘との名称の石碑の裏面です。
裏面の表示から見ると、立てたのは、近歩三会のようです。
この区画の所有者であるマンションとの調整経緯は、解りません。 -
公園緑地として保存されている区画の奥に、近衛歩兵第三聯隊の石碑があります。
石畳の小路の奥に、近衛歩兵第三聯隊の石碑があります。
石碑が二つ見えます。 -
老木を奥に挟んで、近衛歩兵第三聯隊の石碑が、二つあります。
右側の石碑に、白色の文字が刻されているのが見えます。 -
老木を奥に挟んで、近衛歩兵第三聯隊の石碑が、二つあります。
右側の石碑に、白色の文字が刻されているのが見えます。
老木は、手入れがされているようです。 -
老木を奥に挟んで、近衛歩兵第三聯隊の石碑が、二つあります。
右側の石碑には、近衛歩兵第三聯隊跡との白色の文字が刻されているのが見えます。 -
老木を奥に挟んで、近衛歩兵第三聯隊関連の石碑が、二つあります。
左側の石碑には、記念碑に添えてという表題で顕彰文が、はめ込まれています。 -
老木を奥に挟んで、近衛歩兵第三聯隊関連の石碑が、二つあるうち、左側の石碑には、記念碑に添えてという表題で顕彰文が、はめ込まれています。
記念碑に添えてとの顕彰文の内容です。 -
近衛歩兵第三聯隊の記念碑の裏面の碑文です。
建立に際して近歩三会の方と製作に当たった群馬の企業、石工の方の名前が記された説明文です。 -
近衛歩兵第三聯隊の記念碑の奥に聳えたつ緑の樹です。
しっかりとした手入れが入っているようです。 -
近衛歩兵第三聯隊の石碑から入口を見た様子です。
石畳の小路、銀杏ケ丘の裏面等が見られます。 -
近衛歩兵第三聯隊の石碑のある銀杏ケ丘の向かいにあるマンションの入口です。
立派な建物です。
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