2019/11/15 - 2019/11/15
225位(同エリア315件中)
ドクターキムルさん
- ドクターキムルさんTOP
- 旅行記7569冊
- クチコミ134件
- Q&A回答247件
- 7,190,446アクセス
- フォロワー40人
神奈川県川崎市中原区宮内4にある高願寺は浄土真宗本願寺派のお寺で覺王山高願寺という。二ヶ領用水の開削の頃にあたる慶長8年~14年(1603年~1609年)の直前の時期に開かれた。
寺伝によれば、新田義貞の子義興、義宗らが上野で兵を挙げ鎌倉へと進み後、足利尊氏との鎌倉争奪戦の戦乱の影響を市内でも被り、その家臣の霊を弔うための草庵として始まる。その後、庵を改めて真言宗の一寺となった。
寛永15年(1638年)に西本願寺第十三代良如上人に随喜した順徹によって、浄土真宗本願寺派に改宗された。
高願寺は、中原街道と府中街道との交差する位置にあり、府中街道と二ヶ領用水に囲まれたその寺領は、阿弥陀堂領として江戸幕府より賜受されたものであった。帯刀を許されていた家来もいたところから俗称「侍寺」とも呼ばれていた。また、高願寺は、中原街道沿いの西明寺、泉澤寺とあわせて、江戸幕府の小杉御殿の守り固めの役割も果たしていた。
また、高願寺は、宮内の学校教育の発祥の場として、寺小屋教育も行なわれていた。時には用水をめぐる利水、地境の争いの調停役に住職があたることもあったという。
昭和57年(1982年)、火災により本堂は焼失し、現在の堂宇は昭和62年(1987年)に鉄筋コンクリート造で再建されたものである。川崎市内の寺院では鉄筋コンクリート造の本堂があるのは川崎大師が有名であるが、それ以外では初めてである。
また、平成17年(2005年)、寺号を「高元寺」から江戸時代中期頃まで名のっていた「高願寺」に改称した。
江戸時代中期以前から川崎市で最も古い寺子屋が当寺に開設され、広い地域から通う民衆の子弟等の教育にあたっていた。
明治6年(1873年)、寺子屋は「宮内学舎」と名づけられた。後に、「宮内学校」と改称され、明治34年(1901年)「小杉学校」「丸子学校」とが合併されて「尋常中原小学校」が創設された。
二ヶ領用水がある裏門側には数寄屋風の建物を建築中である。
(表紙写真は高願寺本堂)
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ドクターキムルさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
27