2026/04/11 - 2026/04/11
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一度歩いてみたかったJR新川崎駅から東横線日吉駅は、意外と近かったし、歴史遺産の穴場でした。
初めて降りたJR新川崎駅から、夢見ケ崎とも呼ばれる加瀬台に登り、古い古墳から天照皇大神を始めとする寺社仏閣、太田道灌の石碑、川崎市戦没者慰霊塔、川崎市の動物公園、児童遊園など、ごった煮でひしめく諸施設を見学し、広い矢上川の谷へ。
細い矢上川を渡って、南側から日吉の丘に登り、第二次世界大戦の戦争遺産地下壕の竪穴や海軍拠点跡の建物などを訪ねて東急東横線の日吉駅まで歩く半日コースの旅。
どこの土地にも歴史が存在するが、古代から海辺であったこの辺りは、縄文時代の貝塚から弥生時代の住居跡、中世から近代にかけて多くの歴史遺産が遺されている。
第二次世界大戦末期、敗色濃厚の昭和19年に帝国海軍連合艦隊司令部が、東京湾の軽巡洋艦大淀から、通信機能と安全性が秀でた日吉台に移転したのを知る人は年配者に多い。しかし、海軍省の部局なども慶應大学校舎を借り上げて移転し、大規模な地下壕陣地を構築し、その一部は遺されていることは余り知られていない。
表紙の写真は、当時の日吉台地下壕の面影を今も残す、キノコ状の耐弾式竪穴入口構築物の戦争遺産。煙突のような役割で丘の上の微風でも地下壕の空気を吸い上げる竪穴機能と非常口機能、爆弾が竪穴に落ちないようにする頑丈な屋根を備えていたとされる。解説板がないのが惜しまれる。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
今日のスタートはJR新宿駅の埼京線ホーム。
定刻、これまで見た記憶がない塗色の列車が入線してきた。
何と相模鉄道の海老名駅行き新型車両で、運転手はJR東日本の女性運転手。
これでは新川崎駅には降りられないが(武蔵小杉からずっと貨物線を走って相鉄線に入るという昔は考えられなかったルート)、武蔵小杉駅で次の横須賀線に乗り換えれば新川崎駅に停まるので、乗車する。
新宿から海老名に行く客は、早くて安い小田急に乗るから、車内はガラガラ。新宿駅 駅
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武蔵小杉駅で降りて、同一ホームに来る次の横須賀線に乗り換え。
横須賀線の列車の顔は、近年流行りのドット柄。武蔵小杉駅 駅
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次の新川崎駅で下車。
元々は東洋一の規模を誇った新鶴見操車場であったが、横須賀線や湘南新宿ラインの旅客駅として発展。背景の駅前ビルはタワーマンションなどか。
この駅で降りるのは生まれて初めて。
JR貨物の機関庫があって、広い構内には力強いELがひしめく。
下車して、長い道路橋を西に渡って行く。新川崎駅 駅
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夢見ケ崎と呼ばれているのは直ぐ近くの「加瀬台」の島のような形の台地状の丘で、緑が多い。西側からは車道もあるが、東側からは階段を登る。
多摩丘陵からつづく日吉の丘との間を、鶴見川支流の矢上川が開析して、矢上台や加瀬台が残ったよう。
今から約550年前に、のち江戸城を築いた太田道灌が、この丘に陣を敷いて築城を計画したとされる。
しかし、ある夜、道灌は「武士の魂である兜を白鷲がくわえ去る夢」を見たという。
そこで、築城をあきらめた伝説によって夢見ケ崎と呼ばれるようになったという。 -
夢見ケ崎がある加瀬台にはいくつかのお寺と神社、古墳などもある。
こちらは東側にある了源寺。
日蓮宗 頂龍山 了源寺(りょうげんじ)は身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗の寺院 -
了源寺墓地の入口には、「赤穂義士ゆかりの軽部五兵衛家の墓碑が並んでいる」と案内板にあるが、本日はパスする。
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夢見ケ崎の大部分は川崎市の公園として整備されている。
このようなカイヅカイブキの老並木でつくられたトンネルは初体験。 -
こちらは江戸城をつくった太田道灌の碑。
4つ前の写真に書いたように、当初はここ夢見ケ崎に江戸城のような城をつくる考えがあったとされていたのにびっくり。 -
太田道灌といえば、東京の面影橋近くの山吹の里が有名であるが、ここにも一重のヤマブキが咲いていた。
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夢見ヶ崎には海進が進んで島だったころの南加瀬貝塚(現存せず)と、加瀬台古墳群という古墳が11基ほどあって、破壊を免れた古墳7基が現存するよう。
こちらが夢見ケ崎の加瀬台古墳群の全体地図案内板(赤印)。 -
こちらの解説板には、川崎市内最大級の前方後円墳だった白山古墳は破壊されたが、4世紀後半から7世紀後半にかけて造営されたとある。同時代には日吉台、矢上台にも古代人が住んだ痕跡があるという。
古代人の豪族は、見晴らしが良い丘に墓をつくったのであろう。 -
台地の南端に建つ川崎市戦没者慰霊塔
慰霊塔記に『この慰霊塔は明治以降幾多の戦争において護国のために散萃された戦没者並びに戦災死者の霊を慰め かつその冥福を祈るため建てられたものである・・・』と。
毎年8月15日には川崎市戦没者・戦災者追悼式が執り行われるとされる。 -
染井吉野の花には遅かったが、八重桜が満開。
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このサル舎から入場無料の1972年開設という市立動物公園が始まる。
(小さな山に無料の動物公園をつくったのは、1951年に開設されたという隣接市の横浜市立野毛山動物園に張り合ったのかと頭によぎる。
動物園は維持費もかかるであろうが、社会教育施設としては利用者が多い施設であろう。)夢見ケ崎動物公園 動物園・水族館
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楽しみにしていたレッサーパンダはお昼寝?中。
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アフガニスタンなどの高山に棲むヤギの一種「マーコール」。
(オスは立派な角があるようだが隠れていた) -
小さなフンボルトペンギン。寒流育ちなので、日本は暑かろう。
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フラミンゴもいる。こちらは暑さには強そう、
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こどもに人気があるシマウマもいる。暑さには強いだろうが日影にいる。
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こちらの熊野神社は、なんと動物公園の途中にあるので驚き。
もちろん北条氏直が天正15年に創建という熊野神社が先にあったわけだが。 -
こちらがボリビアリスザル。よく動き回るので面白い。
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原猿類の一種、リングテールレムール。
日本では、キツネザルの一種として「ワオキツネザル」と呼ぶ方が多いが、(キツネ顔の)サルではなく、マダガスカル島で進化から取り残されたように生きている原猿(レムール)の仲間。研究者は国際的にサルとは呼ばず「レムール」と呼ぶので、ここでも「レムール舎」の一画に展示されている。
昔、東京農業大学の進化生物研究所で、マダガスカルの生物を研究する教授から、飼育中のハリネズミに似たテンレックや、各種カメレオンなどとともに見せていただいたのを思い出す。
その後も飛び跳ねるテレビCMなどで人気が出たので知名度が高い。
手前にはシャガが咲いているように、まだ四月の初めというのに、初夏のような日和。 -
これも原猿=レムール。ブラウンキツネザル。
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ボスのように逞しい雄ヤギ。高い場所を好むという解説にも納得の姿。
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夢見ヶ崎の丘の北端は、夢見ヶ崎動物公園児童遊園になっていて、矢上川の谷を挟んでやや高い日吉台(慶應義塾)方面を眺望できる。
正面の日吉台の大きな建物が、創立150周年で建替えられた記念館、その左フェンスは慶應義塾高等学校野球部の野球場であろう。立派な専用球場があれば、甲子園で優勝も納得。 -
夢見ケ崎の北西隅に鎮座する天照皇大神(てんしょうこうだいじん)神社
天照皇大神(アマテラススメオオカミ)ほかを祭神とする。
天照大神(アマテラスオオミカミ)かと思ったが、神話においても重要な神であり、両者は異なる側面を持つ存在として描かれているとされる。天照皇大神は皇室の祖神だという。難解。天照皇大神 寺・神社・教会
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正面は、こちらの南側で、一直線の階段で丘に登って参拝する。
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夢見ヶ崎(加瀬台)の丘から降りると、市街化されたまっ平な低地に出て、日吉の丘との間を流れる矢上川を渡る。
今ではマンションも建つが、日吉駅からはやや遠いし、新川崎駅はなかったので、日吉の丘の開発が始まった約百年前は田圃だったのではなかろうか。 -
東海道新幹線に乗ったことがある方は通っているはずだが、下り列車が多摩川鉄橋を渡るとすぐに矢上台の短いトンネルを抜け、蝮谷の東側を通って、ここ日吉台が南に張り出した宮崎台部分の地下をトンネルで貫通している。
前の東京オリンピック開会日の直前1964年の開通です。
日吉台の南側、トンネルを出た新幹線の高架下から、台地上に登る階段には稲荷神社が鎮座している。
社は小さいが、参道の石段と鳥居は社に比較しると立派。
参道は分岐から先の右側部分だけで、丘の上に通じる階段道そのものは公道か? -
石段を登ると標高35m前後の日吉台の台地上に出る。
道路の右側は通称イタリア半島とよばれる宮前台地先端に向かい自動車部の車両置き場などで行き止まり。
左は、ここの先で、左手に慶應義塾寄宿舎への道を分け、高等学校体育館の脇を通って綱島街道に降りる道。 -
日吉台の南西端には慶應義塾の寄宿舎が3棟建ち、大きな浴室棟も含めて戦時末期の昭和19年秋には帝国海軍聯合艦隊司令部に貸し出されていた。
当時の建物は現存するようなので、覗いてみたかったが左側に「私有地につき立入禁止」の看板があり、奥には進むのを断念した。正面の森の先であろう。 -
道路沿いの東側フェンスの内部にある第111号弥生時代竪穴住居跡は、手前の縁石状のあたりか?
1936年(昭和11年)の慶應義塾大学三田史学会によるK地区の発掘調査で発見され、建物は長径9.4mの隅丸方形建物で、発見当時は弥生時代建物跡として日本最大規模であり、当時話題となったとされる。
奥が見にくいが、日吉台地下壕(ひよしだいちかごう)の一部。
第二次世界大戦末期に大日本帝国海軍が横浜市港北区日吉の慶應義塾大学日吉キャンパス地下などの一帯に建設した防空壕で、地下にトンネルで残っている部分は多いが、現在では保存が良好な地上部はここと、蝮谷中腹のトンネル入口のみのよう。 -
外から見ることができる第二次世界大戦の戦争遺産とされる日吉台防空壕の耐弾式竪穴構築物。
この直下に竪穴があって、地下深くの横穴トンネルの各室用の換気塔として機能するとともに、非常出口とされていたよう。爆撃機からの爆弾が入らないように頑丈な屋根を載せている。7~8基あったようだが他は埋められて撤去された。
正確な場所は。1つ前の写真の第111号弥生時代竪穴建物跡のすぐ東側。
なお、日吉台防空壕などに関しては、『キャンパスの戦争 慶應日吉1934-1949』阿久澤武史氏著に詳しく紹介されている。 -
慶應義塾 日吉第一校舎
戦前に慶應義塾大学予科の校舎として建設され、戦争末期に海軍省などに貸し出され海軍軍令部第三部のほか、海軍省航空本部・人事局・経理局などが使った。
鉄筋コンクリート造り3階(一部4階)建てであるが、近年の鉄骨鉄筋造と違い外壁が50cmも厚いといわれる頑丈な建物で、一世紀近く現役で使われている。
戦後すぐに新制の慶應義塾高等学校の校舎になり、以後80年ほど高校校舎で使われている。昭和40年代まで、手前の出口脇には地下防空壕入口があった記憶。 -
日吉第一校舎(現慶應義塾高等学校校舎)北側から。
左側の台座には「2594」の数字が刻まれている。
神武天皇が即位したとされる紀元前660年から数える「皇紀(こうき)」で、この第一校舎が完成した西暦1934年(昭和9年)を表したもの。 -
日吉第一校舎(当初は大学予科で、現慶應義塾高等学校校舎)の竣工時からあるとされるカップの地球儀風装飾物。
90年余の風雪に耐えて、よくぞ残っていた設計者の網戸武夫氏のアート。 -
こちらは、日吉の駅前から真っ直ぐに丘の上に上がって来る銀杏並木。
奥の真っ白な建物が、慶應義塾創立150周年記念で建替えられた新記念館(アリーナとホール兼用)。慶應義塾大学 日吉キャンパス 名所・史跡
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銀杏並木を下っていくと、突き当りの綱島街道の向かい側が東横線の日吉駅(正面の大空間が改札出入り口)。
駅のビルというよりもショッピングセンターという感。
東急目黒線や横浜市営地下鉄も乗り入れて交通結節点になっているが、元々の東急東横線では、特急電車は停車しない駅。日吉駅 駅
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