2019/11/07 - 2019/11/07
746位(同エリア7077件中)
杏仁豆腐さん
北鎌倉駅から葛原岡神社、源氏山公園、化粧坂切通しと歩き、海蔵寺に。
後半は海蔵寺から始まります。
海蔵寺、浄光明寺とも見どころの多いお寺でした。
遅いランチは、四川麻婆豆腐をいただきました。歩いて汗をかきましたが、麻婆豆腐でさらに汗が出ました。
☆前半の旅行記はこちら
11月初めの北鎌倉①☆葛原岡神社・化粧坂切通し☆光泉・松花堂☆2019/11/07
https://4travel.jp/travelogue/11564247
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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海蔵寺の入口の右側に小さな泉があります。
底脱の井(そこぬけのい)です。 -
鎌倉十井の一つです。
中世の部将の安達泰盛の娘の千代能が、ここに水を汲みに来た時、水桶の底がすっぽり抜けた為、『千代能がいただく桶の底脱けて水たまらねば月もやどらず』と、うたったことから、この名がついたと言われています。
井戸の底ではなく、心の底が抜けて、わだかまりが解け、悟りが開けたと言う歌です。 -
覗いてみました。
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海蔵寺は臨済宗建長寺派の寺です。建長五年(1253)に鎌倉幕府六代将軍宗尊親王の命ましたが、元弘三年(1333)5月、鎌倉滅亡の際の兵火によって全焼してしまいました。
室町時代の応永元年(1394)になって、関東菅領・足利氏満の命により執事の山内上杉憲定が再興しました。薬師如来を本尊とする大寺で盛時には谷戸一帯に塔頭が立ち並ぶ程でありましたが、今はことごとく廃絶してしまいました。
本尊は薬師如来(胎内に啼薬師を納めている)。 -
鐘楼
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薬師堂
中央に本尊の薬師如来坐像が安置され、その両脇に日光菩薩像と月光菩薩像、さらにその脇には十二神将像が並んでいます。 -
中央の薬師如来坐像は「啼薬師」や「児護薬師」と呼ばれ、胎内には「毎晩のように裏山から赤子の泣き声が聞こえるため、その場所を掘ったところ出てきた」と伝わる仏面が納められています。
薬師如来坐像は鎌倉十三仏のひとつです。 -
本堂
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人も少なく、静かです。
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本堂の中。
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庫裏
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静寂
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本堂の左手の崖には「やぐら」が4つあります。
やぐらの中の1つ「雨宝殿」です。人頭蛇身の宇賀福神が祀られています。 -
本堂の裏に心字池の庭園があります。非公開です。 -
十六ノ井に向かいます。
仏殿脇の小道を進みます。 -
十六ノ井です。
弘法大師により掘られたとの言い伝えがあります。 -
円形に掘られた浅い窪みが縦横四つずつ、合計十六、規則正しく並んでいます。
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奥の正面には観音菩薩立像が祀られています。
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海蔵寺を後にし、横須賀線の下をくぐります。
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岩船地蔵があります。
堂の中には頼朝の長女、大姫の守り本尊であったとされる地蔵がまつられています。本尊の地蔵菩薩立像は江戸時代の造立です。その床下には石造の地蔵菩薩らしきものがあり、その光背が舟形であることから岩船の名が来ています。堂は近年、建て替えられています。 -
薬王寺です。
かつては、梅嶺山夜光寺と称し、真言宗の寺院でした。 1293年(永仁元年)日蓮の弟子日像により、日蓮宗に改宗したそうです。 -
徳川忠長供養塔です。
駿河大納言忠長は、徳川第三代将軍家光の弟です。父は二代将軍秀忠、母は浅井長政の三女のお江。 -
観世音菩薩を祀る釈迦堂。
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浄光明寺に来ました。
藤谷黄門遺跡 (ふじがやつこうもんいせき) の碑が立っています。
冷泉為相(れいぜいためすけ)は、為家(ためいえ)の子供です。播磨(はりま:兵庫県)の土地の所有の事で、兄の為氏(ためうじ)と紛争がおきました。そのため、母の阿仏尼(あぶつに)と共に鎌倉に来て、幕府に訴えました。そして、藤谷(ふじがやつ)に住んだので、 藤谷殿と言われました。藤谷百首(ふじがやつひゃくしゅ)と言う和歌集は、この場所で詠まれたものです。網引(あみひき)地蔵を建てるのに、関係しているようです。またその墓は、この後の山の頂にあり、五輪の塔で、月巌寺殿玄国昌久の八文字が刻まれていますが、 現在は、磨り減ってよく読めません。 -
台風で山門が破損してしまいました。
山門は市指定文化財です。 -
楊貴妃観音
京都の泉涌寺の観音堂に安置されている観音像は、玄宗皇帝が亡き楊貴妃の冥福を祈って造らせたものと伝えられ、浄光明寺の楊貴妃観音は、その泉涌寺から贈られたものだそうです。 -
客殿です。
入母屋造り日本最古の唐様建築。 -
仏殿と収蔵庫
仏殿は市指定の文化財で、1668年建立です。現在は三世仏 (釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来) が祀られています。
収蔵庫には、国の重要文化財 阿弥陀三尊(阿弥陀如来坐像、観世音菩薩、勢至菩薩)が祀られています。 -
仏殿裏の石段を登ります。
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網引地蔵とよばれている石造地蔵菩薩坐像が、"やぐら"とよばれるほら穴に 祀られています。
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石造地蔵菩薩坐像
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冷泉為相 (れいぜいためすけ) の墓といわれる宝篋印塔形式の石塔が立っています。
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なかなかの眺めです。
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石段を下りてきました。
仏殿の右手には、墓石や石塔が並んでいます。
鎌倉時代以来の鶴岡八幡宮(寺)の神主大伴家のお墓があります。 -
浄光明寺を後にします。
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扇谷上杉管領屋敷遺迹 (おうぎがやつうえすぎかんれいやしきあと)
藤原高藤(たかとう)より数えて、十三代の子孫に藤原重房(しげふさ)という人がおり、鎌倉6代将軍となった宗尊親王(むねたかしんのう)に従って、鎌倉に行きました。そして、京都の上杉に領地をもらったので、名前を上杉としました。その3代後の上杉憲顕(のりあき)は、将軍基氏(もとうじ)の高官となり、一族の勢力は関東に広がりました。さらに重房から5代後の顕定(あきさだ)は、扇谷家を起こしました。文明(1469‐1487)頃、扇谷家の6代目の定正(さだまさ)は、太田道灌を用いて勢力を拡大しました。世間の人々は、山内(やまのうち)家と共に、両上杉または両管領(かんれい)と言いました。この場所がその屋敷の跡です。 -
岩窟不動尊です。
吾妻鏡にも「窟堂」という名で登場しているそうです。 岩窟茶屋の脇を入るとあります。 -
岩窟不動尊
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寿福寺に来ました。
臨済宗建長寺派の寺です。鎌倉五山の第三位。 -
1200年(正治2年)、源頼朝の妻北条政子の創建です。
中門です。中門から内側の境内は一般公開されていません。 -
境内裏手の墓地に進みます。
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北条政子の五輪塔があります。
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遅い昼食です。
鎌倉駅方面に歩き、かかん鎌倉本店に入りました。 -
本格四川麻婆豆腐定食をいただきました。
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ランチビールもいただきました。
かなり歩いたので、疲れ果てました。
ビールと辛い麻婆豆腐が美味しいです。 -
店内はけっこう混んでいました。
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歩いて汗をかき、麻婆豆腐で汗をかき。
この後、少し買い物をして、帰宅しました。
天気も良く、鎌倉散策を楽しむことができました。
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