2019/03/01 - 2019/03/05
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タヌキを連れた布袋(ほてい)さん
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「18世紀終わりのミナンカバウは,金にかわり,肉桂,コーヒーやガンビルなどの商品作物の栽培が盛んとなり,ペナン開港にも刺激され,商業活動も盛んになっていた。だが同時に,盗賊が横行するなど,市場活動の安全性がしばしば脅かされて,また賭博,飲酒など非イスラーム的慣行も盛んにおこなわれていた。1803年,メッカより,ワッハーブ派の復古運動の影響を受けたハジ・ミスキンら三名のハジが帰還した。彼らは,賭博,闘鶏,飲酒,アヘン吸引やミナンカバウ社会の母系制に基づく財産相続の慣行などを非難し,イスラーム法の厳守を人々に訴えた。
彼らの活動は,商品作物栽培の盛んだったアガム地区の村々に支持をえた。その後彼らの活動は一層精力的になり,イスラーム法を遵守しない村々にたいしては,聖戦を唱えて襲撃さえしかけるようになった。彼らイスラーム改革派は,パドリ派と呼ばれたが,ミナンカバウ地域はこのパドリ派と反パドリ派の村に分れて,内戦状態に突入したのである。
パドリ派は1810年代になると,パガルユン王家の存在する水田地帯のタナダタル地区へ勢力を拡大しようとした。1815年,パドリ派がパガルユン王を追放し,二人の王子を殺害すると,パガルユン王家の関係者は,ラッフルズに支援を求めた。ラッフルズはイギリスがスマトラに拠点を獲得することの重要性を再認識し,王室派の求めに応じた。しかし1819年,ラッフルズはオランダ側に主権を委譲し,スマトラを離れた。
オランダも,パダンとミナンカバウ内陸部との交易路を保持する必要性から,王室派の支援に乗り出した。1821年オランダは最後のパガルユン王の甥などの王室派と協約を結び,タナダタルに兵士を駐屯させた。そして,パドリ派との戦闘の末,1822年3月初めまでにタナダタル中心部のパドリ派を制圧した。(中略)パドリ派の活動は,イマム・ボンジョルやトゥアンク・タムブサイによって,なお1838年まで続けられた。しかし,ミナンカバウの中核地域は,1833年までにオランダによって制圧されてしまった。
オランダはこの地を西スマトラ州とし,首長のプンフルの協力のもとに統治を進めた。1847年よりこの西スマトラ州にもコーヒーの強制栽培を導入した。オランダは自然村落を整理して行政村落に再編成し,プンフルをその首長に任命した。彼らはコーヒーの栽培と引き渡しを監督し,政庁より給料を受け取った。オランダは,拠点とした西岸のパダンとコーヒー産地の高地地区との交通網を整備した。住民の海峡植民地との交易は厳重に制限された。」
弘末雅士「近世国家の終焉と植民地支配の進行」(池端雪穂編『新版世界各国史6 東南アジア史Ⅱ島嶼部』(山川出版社1999)収録)より
パダン逍遥~その1:街歩き
https://4travel.jp/travelogue/11558378
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 2.0
- ホテル
- 2.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- エアアジア
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
昼食は本場パダン料理を堪能して,さすがに腹に応えた。
夜は軽く済ませよう。 -
パダンで人気があるという店で「エス・ドリアン」を食べてみる。
ドリアンは,ぽってりとペースト状にされていて,味も香りも上品に作ってある。
インドネシアには生のドリアンなんかいくらでもあるわけで,こうしてチョコレートソースや練乳をあしらい,食感をがらりと変えたようなものにしたほうが売れるのだろう(24kIDR+サービス料10%)。
ちなみに,この店がある周辺のエリアは飲食店がかなり多く,パダンで食事をする際には便利。
「Es Durian Ganti Nan Lamo」Google座標:-0.959141,100.361001 -
さらに,屋台でマルタバ・マニス(インドネシア名物のパンケーキ)を買って帰る。
朝食に食べたらさぞ美味しかろうと思うのだが,マルタバ・マニスの屋台は夜に営業する。
この屋台のおすすめは「Keju Special」(チーズ味)だというのでそれをもらう(16kIDR)。焼きたてのものを一口大にカットして,紙箱に詰めてくれる。
(1kIDR=約8円) -
翌日の朝食はロントン・サユール。
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ロントンは,炊き干しで炊いたうるち米を筒状などに成型し,バナナの葉などで包んでゆでてから冷ましたもの。食べやすい大きさに切って使う。
生米からゆでて作るのが正統らしいが,その場合,ゆで時間は数時間に及ぶ。
朝食の定番で,この店のロントン・サユールはナンカ(ジャックフルーツ)をたっぷり使ってあった(↑の写真のタケノコのようなもの)。
ただし,味は激辛。個人的には,朝食にここまで辛いものはつらい。 -
昼は,再びパダン料理店へ。
老舗のようである。ジャカルタやパレンバンにも同名の高級パダン料理店があるようだが,つながりは不明。 -
ずらりと並んだ9品。この店は比較的,野菜率が高い。
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パダン料理の王者,ルンダン・サピ(強勢の「ル」は強い巻き舌で)。牛肉の佃煮である。
煮汁まで一滴も残さず,米飯によくなじませて食べるのがよい。 -
アヤム・ポップ。
かなり手間ひまをかけた料理のようで,普通の手羽唐のごとくパクパクと食べてしまうのはいささかもったいない。 -
この料理はまっ赤だが,見かけとは裏腹にそんなに辛くはなかった。
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この茄子(バラド・テロン)もサンバルまみれだが,そこまで辛くない。
辛さより柑橘の酸味や塩味がよくきいていて,飯が進む。
この店でも調子に乗って料理をほしいままに平らげていたら,勘定は170kIDRを超えてしまった。
いくら何でも,これはローカルで支払う金額ではない。食べ過ぎだ。
(1kIDR=約8円) -
食後は,近くの珈琲店(ワルン・コピ=略称ワルコプ,マレーシアでいうコピティアム)へ。
ここは50年以上の老舗のようだ。 -
店内は,作ったような感じではない本当のレトロ。
昭和の洋食屋にあったような紙ナプキン入れがある(これは他の食堂でも見た)。
日本独特のものかと思っていたが,スマトラ島で出会うとは。 -
バラエティ豊かなクエは魅力だが,残念ながら,もうこれ以上は食べられない。
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天気はいまひとつだったが,パダンの海岸へ行ってみた。
パダンビーチ ビーチ
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ごく普通の砂浜だが,道路沿いには食堂や売店が数軒並んでいて,シーズンにはそこそこ観光客がいそうな感じだ。
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夕方,「Plaza Andalas」モールへ行って買物。
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インドネシアはカップ麺が結構美味しかったりするのだが,
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カップ麺よりさらにおすすめなのが,この「マルキスト」クラッカーだ。
軽くて香ばしい。日本では売っていないタイプのクラッカーである。 -
このクラッカーは,東南アジアのたいがいの国にある。(フィリピンは独自のクラッカー文化を持っているので,なかったかも知れない。)
「マルキストクラッカー」という名称は普通名詞化していて,色々な製菓メーカーから「マルキスト」が発売されている。
個人的には,インドネシアのRoma社のものが一番気に入っている。
オリジナルは砂糖味だが,チョコ味やビーフ味なども定番になっている。 -
翌日,宿の男に「ブキティンギ行きのバスの乗り場に行きたい」と言うと,知人を白タクに仕立てて,市内北側にある「Basko Grand Mall」西側の路上へ連れて行かれた。
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ここからブキッティンギ行きの乗合タクシーが出ているようだ。
運賃は一人40kIDRだが,荷物についても一人分の運賃を取られた。大きすぎて座席に置くしかなかったため仕方がない。
7名分の乗客を集めてから出発するので,しばらく待つこともあるだろう。
ブキッティンギまで所要約2時間半。目的地(宿)まで直接送ってくれる。
(1kIDR=約8円)
パダン逍遥~その1:街歩き
https://4travel.jp/travelogue/11558378
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