2019/06/09 - 2019/06/09
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ken-kenさん
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ローマからナポリに日帰りで行ってまいりました。
目的はカポディモンテ美術館と考古学博物館です。
特にカポディモンテ美術館は今まで行きたいと思っても行けなかった場所です。
今回ブレラ絵画館も行けたので、これでイタリア五大大国の美術館をすべて網羅することが出来ました。
ちなみに五大大国の美術館とは
ヴェネチア共和国 アカデミア美術館
ミラノ公国 ブレラ絵画館
フィレンツェ共和国 ウフィツィ美術館
ローマ(法王庁) ヴァチカン博物館
ナポリ王国 カポディモンテ美術館
のことです。
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
朝7時35分ローマ発のフレッチャ・ロッサに乗ると8時45分にはナポリ駅に到着します。
そこからタクシーを使ってカポディモンテ美術館に行きました。(20ユーロでした)
この美術館は不便なところにあるし、さほど有名ではないので混雑しません。(カラヴァッジョ展をしていたのでそこだけは混んでいましたが・・・)
カポディモンテ美術館はスペイン王であるカルロス三世が十八世紀に作りました。
カルロス三世は元々はパルマ公でしたが、ポーランド継承戦争でナポリを獲得、さらに異母兄の死によってスペイン王となった人です。 -
入り口を入るとまず飛び込んでくるのがカルロス三世の母方の先祖であるローマ教皇のパウルス三世の肖像画です。
ティツィアーノが描きました。
多分1546年ころの絵です。
この人の本名はアレッサンドロ・ファルネーゼ。
それほど有力な親類縁者はいませんでしたが、自分の妹のジュリア・ファルネーゼがアレッサンドロ六世の愛人となったことで枢機卿の地位を手に入れました。
そして最後には教皇の地位まで上り詰めました。 -
ちなみにヴァチカン博物館のボルジアの間に描かれているこの方がアレッサンドロ六世です。
ピントゥリッキオが描きました。
そう悪名高き本名ロドリゴ・ボルジアです。
息子がチェーザレ・ボルジア。
親子でイタリアを統一しようとしました。 -
そして妹でアレッサンドロ六世の愛人であったジュリア・ファルネーゼの肖像と言われるラファエロが描いた「一角獣を抱く女」
ボルゲーゼ美術館所蔵です。
ジュリアは教皇の愛人と蔑まされていたので、肖像画では必ず「純潔」を意味する一角獣を抱いています。 -
ついでにラファエロがヴァチカン博物館の署名の間に描いた若き日のパウルス三世。
この頃はまだファルネーゼ枢機卿でした。 -
もちろんこの頃は主役であるはずもなく、こんな風にユリウス二世の右脇に控えています。
けれども妹のジュリア・ファルネーゼの愛人ということで自分を重用してくれたアレッサンドロ六世とは犬猿の間柄であったユリウス二世にもちゃんと取り入ったのですから、なかなかの策士ですね(笑)。
ちなみに左側にいる後のレオ十世になるジョヴァンニ・メディチ枢機卿はアレッサンドロ六世が教皇だった時は冷や飯を食わされていたようです。 -
カポディモンテ美術館にもラファエロが描いたパウルス三世の枢機卿時代の肖像画があります。
ラファエロ作「アレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿の肖像画」
ラファエロとティツィアーノの二大画家に肖像画を描いてもらった人ってこの人の外にはユリウス二世の甥であるフランチェスコ二世・マリア・ロヴェーレしか知りません。
しかも実生活ではフランチェスコ二世が無能で領地を取られ、生涯を戦争に明け暮れ最終的には四十八歳で毒殺されたの対し、この人は教皇まで登り詰め八十二歳まで長生きしました。
ただこの肖像画を見る限りなんとなく気が弱そうな中年男って感じです(笑)。 -
この美術館を作ったカルロス三世の母の名前はエリザベッタ・ファルネーゼ。
そう、パウルス三世はエリザベッタの祖先なんですね。
そのエリザベッタが持っていた美術品を飾ったのがこのカポディモンテ美術館です。
ティツィアーノ作「パウルス三世の肖像」
1545年頃の作品です。
気弱そうだった中年男がいかにも気難しい爺さんになったって感じですね(笑)。 -
ティツィアーノ作「ピエール・ルイージ・ファルネーゼの肖像」
この人がパウルス三世の息子です。
この頃は教皇に愛人や子供がいても当たり前の頃でした。
愛人や子供がいない人にはゲイ疑惑がかかってしまうほどです(笑)。
もっとも女装した少年がお好みだったらしいユリウス二世にも娘がいますが・・・・
ピエール・ルイージ・ファルネーゼは父の力でパルマ公となりますが、残忍な性格が災いして後に騎士数名に刺し殺された上、遺体は窓から投げ捨てられたそうです。 -
ティツィアーノ作「パウルス三世と孫たち」
1546年頃の作品です。
パウルス三世とピエール・ルイージ・ファルネーゼの息子たちです。
右がエリザベッタの祖先となる次男のオッターヴィオ・ファルネーゼ。
父の跡を継いでパルマ公になりました。
左が長男なのに何故か僧職に付き祖父の力で枢機卿になったアレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿。 -
こんな感じで飾られています。
-
ティツィアーノ作「アレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿の肖像」
1545年頃の作品です。
アレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿は長男なのに僧職に付いたことからルイージの愛人の子ではないかという憶測が飛び交ったそうです。
ただ結果的には父が暗殺されパルマの失地回復に尽力を尽くさねばならなかったオッターヴィオより恵まれていたのかもしれません。
1580年に一度は教皇の候補者となりましたが落選しています。 -
この部屋にはティツィアーノが描いた肖像画が並んでいます。
ティツィアーノ作「神聖ローマ皇帝 カール五世の肖像」
カール五世はもともとはフランドルのゲント出身でしたが、ブルゴーニュ公でもあり父の関係でスペイン王となり最終的には神聖ローマ皇帝の地位にもつきます。
スペインが「太陽の沈まない国」と言われた時の支配者です。
ただ1527年にイタリアを侵略しドイツのルター派の兵士による「ローマ略奪」を引き起こしました。(ただし、本人はバリバリのカトリックです)
このためローマは完全に壊滅し、しばらくは立ち直れなかったほどです。
そしてこの一件によりルネサンスの時代は終わりを告げました。 -
ティツィアーノ作「フェリペ二世の肖像」
カール五世の息子でスペイン王及びオランダの領主となりました。(神聖ローマ皇帝はカール五世の弟であるフェルディナンド一世が引き継ぎました)
イングランドの女王メアリー1世(プロテスタントを弾圧したのでブラディ・メアリーと呼ばれています)の夫です。(ただし夫婦関係があったのかは怪しいです)
非常に熱心なカトリック教徒でアウグスブルクの宗教和議で神聖ローマ帝国がプロテスタントと和解したのが非常に不満だったみたいで以後カトリックの盟主を任じ、プロテスタント・イスラムと戦います。
イスラムの盟主オスマントルコとは1571年にレパントの海戦で勝利し、以後スペイン艦隊は無敵艦隊と呼ばれるようになります。
当時はカトリックとプロテスタントの争いが激しく、フランスのユグノー(フランス語でプロテスタント)戦争にもカトリック側として介入しています。
またあまりにひどい宗教弾圧にプロテスタント教徒が多かったスペインの領土オランダでも反乱がおこります。
その反乱を支持するイングランド女王エリザベス1世(本人はイギリス国教徒)を叩くため無敵艦隊を派遣しますがアルマダの海戦で敗北します。
そしてこのことからスペインの没落が始まります。 -
さあ、中に入ってみましょう。
まずはティツィアーノから。
多分パウルス3世のお気に入りだったのでしょう、肖像画以外にも何作品かあります。
ティツィアーノ「受胎告知」
1557年頃の作品です。 -
ティツィアーノ「受胎告知」
天使とマリアの部分のアップです。 -
ティツィアーノ「悔悟するマグダラのマリア」
1567年頃の作品です。
ティツィアーノはこの構図で何枚か描いています。 -
ティツィアーノ「ダナエ」
1544年頃の作品。
ギリシア神話のエピソードです。
アルゴス王のアクリシオスが娘のダナエが生んだ男の子(孫)が自分を殺すという神託を受け、男が近づかないようにダナエを地下牢に幽閉します。
しかしゼウスが黄金の雨となって地下牢に降り注ぎ、ダナエは妊娠し英雄ペルセウスを生みます。
これも有名な絵ですが何かが記憶と違います。 -
ウィーンの美術史博物館に飾られている「ダナエ」を見てみましょう。
右側の部分、エロスの代わりにゼウスが化けた黄金の雨を皿で拾おうとする老婆がいるんです。
ただエロスが立っているより、黄金の雨に打たれて恍惚の表情のダナエと欲にまみれた老婆の対比がこの絵に深みを与えている気がします。
調べたところ、ティツィアーノはこの絵を少なくとも5枚描き、そのうち4枚が現存しているそうです。
そしてカポディモンティ博物館にある「ダナエ」は記念すべき第一作だったみたいです。
なので後年いろいろなものが書き足されたんですね。
なお後2枚はマドリードのプラド美術館とサンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館にあります。
この2枚とも老婆が描かれています。(ただし黄金の雨を受けようとしているのは皿ではなくエプロンです) -
時代は少し戻ってやはりヴェネチア派の絵画です。
ジョヴァンニ・ベッリーニ「キリストの割礼」
1500年頃の作品です。
ただ原本は失われていてこれは弟子たちの模写らしいです。
ジョヴァンニ・ベッリーニはティツィアーノの前の時代の人。
15世紀から16世紀前半にかけて活躍しました。
有名な「キリストの神殿奉献」はどこかに貸し出されていたみたいです。 -
ジョヴァンニ・ベッリーニの義理の兄弟にあたるマンテーニャの絵もありました。
マンテーニャ「フランチェスコ・ゴンザーガの肖像」
1461年頃の作品です。
フランチェスコ・ゴンザーガがマントヴァ侯ルドヴィーコ三世・ゴンザーガの次男です。
後にゴンザーガ家初の枢機卿になります。
マンテーニャはヴェネチアを出てマントヴァ侯のお抱えになって、有名な結婚の間のフレスコ画を描きました。 -
そしてシュールと言うか・・・・滅茶グロテスクな一枚です(笑)。
やはりヴェネチア派でティツィアーノと同時代に活躍したロレンツォ・ロットの「聖母子とヴェローナの聖ペテロ」
1503年頃の作品です。
右側の聖母子はいいとして、左にすさまじい恰好でいるのがヴェローナ出身の聖人で13世紀に殉教した聖ペテロです。(十二使徒の聖ペトロと区別するためにヴェローナの聖ペトロと言います)
彼がミラノで布教しているときに異端者に襲われ頭には鉈を胸には短剣を刺されて殉教したそうです。
その為彼が描かれるときは必ず頭には鉈、胸に短剣が刺さった状態なのです。
しかし聖母子の前にこんな格好で現れるとは・・・・・
こんな不気味な人が目の前に現れたのに我関せずという感じの聖母子、ニコニコ笑ってる洗礼者ヨハネの表情もシュールすぎてもうギャグ漫画の領域ですね(笑)。
最初見た時はぎょっとしたのですが、見ているうちになんか味が出てきて結構好きな絵になりました(笑)。 -
時がぐっと下がって
フランチェスコ・グアルディ「ヴェネチアの風景」
フランチェスコ・グアルディは18世紀のヴェネチアで活躍した風景画家です。
そのちょっと前に活躍したカナレットがリアルな描写で風景を描いたのならグアルディはまるで印象派の先駆けのような絵を描きました。 -
そしてウルビーノで生まれ、後にフィレンツェ、ローマで活躍したラファエロは外せません。
ラファエロ「聖母子と神」
1500年頃の作品です。
もとは祭壇画だったらしいですが、惜しいことに切り取られてしまいました。 -
ラファエロの絵を弟子のペンニが模写したものです。
「聖母子と聖アンナ」
1518年頃の作品です。 -
アップです。
-
やはりラファエロの作品を弟子のペンニが模写したものです。
「聖家族」 -
これ、パリ郊外のシャンティ城の美術館にも飾られていました。
ラファエロ作「ロレートの聖母」(弟子の模写かもしれません)
かなり傷んでいました。 -
ラファエロの師匠のペルジーノの「聖母子」
-
エリザベッタの祖先はパルマ公国の支配者だったのでパルマ付近の画家の絵がたくさん所蔵されています。
なかでもこの美術館の必見作品の一つが
パルミジャニーノ作「アンテア」です。
1535年頃の作品です。 -
パルミジャニーノは生粋のパルマっ子でラファエロの影響を強く受けました。
後にマニエリスムの初期の作家として有名になります。
代表作に「首の長い聖母」(フィレンツェ・ウフィツィ美術館所蔵)
この作品も貴婦人が気品があって非常に美しい! -
パルミジャニーノ作「ガレアッゾ・サンヴィターレの肖像」
髭の生えた男性なのにまるで女性のような美しさです。
試しに髭の部分を隠してみてください。
どう見ても女性としか思えなくなってしまいます。 -
パルミジャニーノ作「聖母子」
-
パルマを中心に活躍したコレッジョです。
1500年代前半、パルミジャニーノと同じころに活躍しました。
コレッジョ「聖アントニオ」 -
コレッジョ作「二聖人」
-
コレッジョ作「聖母子と聖カタリナ」
-
アップです。
レオナルド・ダ・ヴィンチの影響を受けた画家です。 -
そしてレオナルド・ダ・ヴィンチの影響を受けているといえばコレッジョたちと同時代にミラノで活躍したこの人は外せません。
ベルナルディーノ・ルイーニ「聖母子」 -
アップです。
この人の作品はあまりにもレオナルド・ダ・ヴィンチに似すぎていてダ・ヴィンチ作と間違われたものが何作もあります。
この作品なんかもレオナルド・ダ・ヴィンチ作と言われたら肯いてしまったかもしれません。 -
時代は16世紀後半になります
初期バロックの時代になります。
アンニーバレ・カラッチ「ピエタ」
1599年頃の作品です。
アンニーバレ・カラッチはボローニャ生まれで兄のアゴスティーノ、従兄のルドヴィーコも有名な画家でカラッチ一族と呼ばれています。
なかでもアンニーバレが一番有名な画家です。
特にローマのコロンナ美術館にある「豆を食う男」は当時まず描かれなかった農民の生活を描きまるでバルビゾン派を先取りしたような作品です。
またアンニーバレの弟子にはドメニキーノ、グイド・レーニと言う高名な画家がいます。 -
アンニーバレ・カラッチ作「聖カタリナの神秘の結婚」
1585年頃の作品です。
聖カタリナは3世紀の人。
幻想の中で天国に運ばれ聖母マリアによってキリストと婚約させられたという話です。 -
アップです。
非常に美しい絵です。
後に聖カタリナはローマ皇帝のもとに行き皇帝のキリスト教迫害を止めようとします。(皇后はキリスト教徒に改宗してしまいます)
皇帝が遣わした異教の賢者を50人も論破し、車輪に括りつけられて転がされるという拷問を受けますが、車輪は壊れてしまいます。
結局は斬首されて殉教します。 -
アンニーバレ・カラッチの弟子のグイド・レーニ「アタランテとヒッポメネス」
1615年頃の作品です。
ギリシア神話から取られた題材です。
絶世の美女アタランテと結婚するには俊足の彼女との競争に勝たねばなりません。
負ければ死刑。
そこでヒッポメネスは美の女神アフロディテから貰った黄金のリンゴを投げそれをアタランテが拾っているすきに抜き去るという姑息な手段で勝つという話です。
黄金のリンゴを拾おうとしているアタランテとその間に走り去るヒッポメネスのシーンです。 -
グイド・レーニ「四季」
1617年頃の作品です。
グイド・レーニはラファエロの再来と呼ばれたほど古典主義様式で描いた絵が多いですが、一方でカラヴァッジョのようなバロック様式の絵も描き、ゲーテに「神のごとき天才」と称されました。
しかし20世紀に入ると古典様式の人気が落ち不当に低く評価されていました。
近年になってまた評価されている画家です。
本当に優美な作品を描き、自分にとっては大好きな画家の一人です。 -
ここからはイタリア以外の国の絵になります。
フランドル(今のベルギー)のアントワープで活躍したヨース・ファン・クレーフェの「三連画」です。
1520年頃の作品です。 -
やはりフランドルの画家でアントワープとブリュッセルで活躍したピーテル・ブリューゲル(父)の「盲人の寓話」
1568年頃の作品です。
かなり不気味な作品です。
ピーテル・ブリューゲルは長男のピーテルと次男のヤン、そして孫(次男の息子)のヤンも有名な画家になったため、それぞれの名前に(父)(子)がつくことになりました。
しかもみんな画風が似ているので区別をするのが難しい画家です。 -
ピーテル・ブリューゲル(父)の「スリ」
1568年頃の作品です。
掏るほうの男も不気味ですが掏られるほうの男もなんか死神みたいで不気味です。
ブリューゲルの絵ってもっと牧歌的なものが多いのですが、なぜよりによってこんな不気味な二作品をコレクションしたのかと思って調べると、意外にもブリュッセルの王立美術館に「堕天使の墜落」なんてまるでヒエロニムス・ボスが描いたような絵があり、かなり見たくなりました(笑)。
その他アントワープのマイヤー・ファン・デン・ベルグ美術館の「悪女フリート」マドリードのプラド美術館にある「死の勝利」、いずれもヒエロニムス・ボス調です。
ただwikiによればいずれも注文主の趣味みたいです。 -
アンソニー・ヴァン・ダイクの「キリストの磔刑図」
1620年頃の作品です。
アンソニー・ヴァン・ダイクはアントワープの裕福な家の出身でしたが幼少期から絵画に優れた才能を見せ、20代の半ばにはルーベンスの筆頭助手にまで上り詰めます。
後にイングランドに渡りチャールズ一世に愛され、ルーベンスと同じように生涯裕福に過ごしました。 -
アップです。
ヴァン・ダイクは四十二歳という若さで亡くなっています。
でもある意味幸運だったのは清教徒革命が起きる前に亡くなったことかもしれません。
パトロンのチャールズ一世は清教徒革命で処刑されていますから、生きていたら亡命と言うことになっていたでしょう。
もっともイギリスは美術面では不毛の地でしたから、クロムウェルのお抱えになっていたかもしれませんが・・・・・
ただ肖像画が中心でしたので後世の人気はそれほどないような気がします(特に日本では)。
本人は天井画などを描きたかったようですが、肖像画があまりに人気で他のものの注文がなかったようですね。 -
スペイン絵画もあります。
エル・グレコ「エル・ソフラン(蝋燭に火をつけようとしている少年)」
1570年頃の作品です。
エル・グレコは後期マニエリスムの巨匠です。
エル・グレコはギリシア人と言うイタリア語の「グレコ」にスペイン語の定冠詞をつけたものです。
と言うことからもわかる通りクレタ島生まれのギリシア人です。
本名はドメニコス・テオトコプーロスといいます。
マニエリスムの作家の中でも一番デフォルメが激しい人です。
なので好き嫌いはあるでしょうが、時代を超えて愛される絵を描いた人だと思います。 -
ゴヤです。
「スペイン王妃マリア・ルイサの肖像」
多分1800年頃の作品です。 -
マリア・ルイサは非常に悪名高い王妃です。
宰相のマヌエル・デ・ゴドイと不倫関係にあり、スペインの政治は宰相によって差配され新フランス政策をとったものの結局フランスのナポレオンによって退位され、亡命生活を余儀なくされます。
しかしこの下品な顔!
もし下品な顔の貴婦人の肖像画を選んだら3本の指には入るんじゃないでしょうか?
彼女、腕だけは自慢で腕を見せるために好んで短い袖のドレスを着たそうですが、ぶっとい丸太のようにしか見えません(笑)。
ちなみにゴヤはパトロン中のパトロンだったマリア・ルイサのことを大嫌いだったみたいです。 -
カノーヴァの彫刻もありました。
この時は「あ!カノーヴァの彫刻がある!」くらいで写真に写したのですが、あとで調べてびっくり!
なんとナポレオンのお母さんレティツィア・ボナパルトの彫刻だそうです。
1804年頃の作品です。 -
この彫刻、普段はイギリスのデヴォンシャー州のチャッツワースハウスと言う邸宅(と言うか宮殿)にあるみたいですが、今回この美術館に特別展示されていたみたいです。
最初見た時ボルゲーゼ美術館にある同じカノーヴァの彫刻パオリーナ・ボルゲーゼの彫刻に似てるなと思ったんですが母娘なんですから当たり前かもしれません。
レティツィアは肝っ玉母さんと言う形容がぴったりの人で、ナポレオンの皇帝就任には反対し、戴冠式には出席せず、他の親族が贅沢をする中一人質素に暮らしたそうです。
名誉・誇り・約束を重んじ、それを破ったナポレオンにも度々小言を言い、堪り兼ねたナポレオンが「余は皇帝なるぞ」と言うと「私はその母なるぞ」と言い返したといいます。
そしてナポレオンが失脚しエルバ島に流された時、数多い親族の中でナポレオンのもとに駆け付けたのは母のレティツィアと妹のパオリーナだけだったそうです。 -
ちなみにこれがボルゲーゼ美術館にあるカノーヴァの「パオリーナ・ボルゲーゼの彫刻」です。
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カポディモンテ美術館は本来宮殿として建てられたので部屋の内装も美しいです。
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こんな豪華なシャンデリアもありました。
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カポディモンテ美術館の内部。
ただし内装が美しい部屋には有名な絵は飾られていませんでした。 -
ところでどこを探してもこの美術館の一番の目玉であるカラヴァッジョが見当たりません。
係の人に聞いてみると、カラヴァッジョは別棟に展示してあるとのこと。
なるほど別棟でカラヴァッジョ展が催されていました。
カポディモンテ美術館所蔵のカラヴァッジョ「キリストの鞭打ち」
1607年頃の作品です。 -
この作品を中心にヨーロッパから集められたいくつかのカラヴァッジョの作品とカラヴァッジョに影響を受けた画家をテーマにした特別展示が行われていました。
よその美術館から借りてきた作品だと著作権の関係上写真撮影禁止と言うことが多いのですが、なんとすべて撮影可でした! -
アップしました。
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さらにアップしました。
素晴らしい絵です! -
そしてフランス、ルーアンのルーアン美術館から借りだされた
カラヴァッジョ「柱に括りつけられるキリスト」
やはり1607年頃の作品です。 -
アップにしてみました。
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キリストのアップです。
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そしてキリストを柱に括りつけている男たちのアップ。
いかにも当時のイタリアの労務者と言う感じです。 -
ロンドンのナショナルギャラリーから借りだされた
「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」
1609年頃の作品です。 -
マドリードの王宮に飾られている
「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」
1609年頃の作品です。 -
アップしてみました。
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サロメのアップです。
いかにもイタリアの女性って感じです。
庶民感ありすぎてサロメって感じはしませんね。 -
ローマのボルゲーゼ美術館から借りだされた
「洗礼者ヨハネ」
1610年の作品です。
ともかく凄い作品群です!
カラヴァッジョ好きにはたまらないでしょう! -
ナポリのゼヴァロス・スティグリアーノ宮殿から借りだされた
「聖ウルスラの殉教」
1610年の作品
しかしカラヴァッジョだけでもなんと六作品!
凄い特別展ですね。
ここだけはかなりの混雑でした。 -
ゼヴァロス・スティグリアーノ宮殿は元々は貴族の邸宅で、現在はイタリア商業銀行が所有しています。
この絵も銀行の所有。
今は一般公開していますが、かつては一般の人はあまり目にすることが出来なかった絵でしょう。
フン族の放った矢がウルスラの胸に当たっています。
最初は胸にできた腫物を針かなんかで突いて膿を出しているのかと思いました(笑)
これがカラヴァッジョの遺作になりました。
これらの作品を堪能してカポディモンテ美術館を後に、ナポリ考古学博物館に向かうことにします。 -
カポディモンテ美術館から南に真っ直ぐ2kmほど歩くと考古学博物館あります。
バスも出ているらしいのですが乗り場が良くわからず2kmくらいならと歩いてしまいました。
カポディモンテの丘あたりは綺麗なのですが、歩いていくうちにゴミゴミしてきていかにもナポリって感じになります(笑)。
考古学博物館にはポンペイやエルコラーノの遺跡から出土した彫刻・モザイクなどが飾られています。
そしてファルネーゼ家が所有していたファルネーゼコレクションで有名です。
ファルネーゼコレクションの一つ
「ファルネーゼの雄牛」
こちらは1546年にローマのカラカラ浴場で発見されたのをファルネーゼ家が所有していたそうです。
紀元前二世紀頃の作品だそうです。 -
自らの母親を苛め抜いたテーバイの王妃ディルケを二人の息子が復讐する話らしいです。
なんと二人はディルケを雄牛に縛り付け死ぬまで引きずらせました。
多分下にいる女性を二人の息子が雄牛に縛り付けようとしているところだと思います。 -
後ろに立っている女性は?
もしかしたら復讐の女神エリニュスかなと想像してしまいました。 -
非常に躍動的な彫刻です。
-
下部を写しました。
-
「ファルネーゼのフローラ」です。
フローラは春の女神です。 -
そして有名な「ファルネーゼのヘラクレス」です。
-
こちらもカラカラ浴場からの出土だそうです。
古代ギリシアで紀元前に造られた彫像を帝政ローマ時代の二世紀ころに複製したものだそうです。 -
「ファルネーゼのアンティノウス」
こちらもローマで発掘されました。 -
非常に優美な彫刻です。
アンティノウスは古代ローマ帝国の五賢帝の一人ハドリアヌス帝が非常に愛した美青年。
ハドリアヌスとローマ帝国の巡行中にエジプトでナイル川に落ちて客死します。
ハドリアヌス帝は彼の死を嘆き悲しみ彼を模した彫刻をたくさん作りました。 -
バッカスの扮装をしたアンティノウスの像。
-
そしてこれがハドリアヌス帝の彫像です。
-
これを見たときとハリウッド映画「クォヴァディス」でピーター・ユスティノフが扮した皇帝ネロにそっくりだと思ってしまいました。
-
もう一人五賢帝の彫刻を。
「アントニヌス・ピウス」の像。 -
ファルネーゼコレクションの一つ「アポロン像」
-
赤い石で胴体が作られています。
まるで女性のような顔立ちです。 -
「死せるアマゾネス」
この躍動感!
凄いです! -
「死んだ子供を担ぐ兵士」
-
「ディオニソスとエロス」
-
ポンペイから出土した「踊る牧神の像」
-
「牧神とヤギ」
かなりエロチックな彫刻です(笑)。 -
そしてポンペイから出土したモザイク
「アレキサンダー大王とダレイオス三世の戦い」
教科書でおなじみのモザイク画です。
ギリシアのマケドニアとアケメネス朝ペルシアがイッソス(現在のトルコ)と言う場所で戦った場面です。
この戦いでペルシア軍は敗れ、アケメネス朝ペルシアは滅亡することとなります。 -
こちらがアレキサンダー大王。
残念ながらこちら側はかなり剥げています。 -
右側のほうはしっかり残っています。
アケメネス朝ペルシアの最後の王になったダレイオス三世の軍です。 -
ダレイオス三世です。
しかし・・・・これだけの素晴らしい古典美術の宝庫なのにカポディモンテ美術館に比べると本当に写真を撮っていませんね。
コメントもおざなりなものですし・・・・
こうやって旅行記にしてみていかに自分が彫刻に興味ないかが改めてわかりました(笑)。
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旅行記グループ
南部イタリア旅行
この旅行記へのコメント (2)
-
- makiさん 2019/11/18 11:45:52
- こんにちは!
- 私もローマのポポロ教会のカラヴァジョの作品に衝撃を覚え
古典絵画が好きに成りヨーロッパの美術館巡りしてます!
と言っても美術史に詳しく無く作者や描写人物の背景が解らずの
観賞で良さが半減したます!
ken-kennさん美術に詳しい方の説明を聞くと、もっと感動出来るんでしょうが!
ナポリはツアーだったので、こんな素晴らしい美術館が有るとは知りませんでした!
今回は特別展と知って行かれたのですか?
中々これだけの作品を一同に観ることが出来ないですよね!
ナショナル・プラド・ウッフェ・エルミタージュ等で作品が多く見逃したのか?
貸し出し中だったのか?
カラヴァジョって生首や暗い作品の他にも意外と静かな作品も在るんですね!
今回は本当に勉強に成り有難うございます!
又他の投稿でも楽しませて頂きます!
- ken-kenさん からの返信 2019/11/18 19:11:05
- RE: こんにちは!
- makiさん、今晩は。
この度は投票とコメントをありがとうございました。
> ナポリはツアーだったので、こんな素晴らしい美術館が有るとは知りませんでした!
ナポリは近くにポンペイ遺跡がありますので、どちらかと言えば絵画より古代ローマ彫刻の方メインになりますね。
ですからツアーですと、行ったとしても国立考古学博物館と言うことになりますね。
また日本のツアーだと美術館に行くことはあまりないようですね。
せいぜいがパリのルーブル、フィレンツェのウフィツィ、サンクトペテルブルクのエルミタージュとミラノの最後の晩餐と言う所でしょうか?
美術館に行く暇があるのなら少しでも多くの名所を見たいという方が多いのではないでしょうか?
ですから絵画を見るなら個人旅行に限ると思います。
> 今回は特別展と知って行かれたのですか?
いえ、全然知りませんでした。
なのですごくラッキーでした。
それからお詫びなのですが、makiさんの旅行記に投票しようと思ったのですが、どうやらすべての旅行記に投票したらしく投票することが出来ませんでした。
これからもよろしくお願いします。
ken-ken
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旅行記グループ 南部イタリア旅行
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