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2017年11月27日(月)の午後3時過ぎ、リマ(Lima)旧市街(Centoro)の観光を終え、新市街に向かう。来る時にも乗って来たメトロポリターノ((Metropolitano)という専用レーンを走る高速市内バスで、海軍英雄広場(Paseo de los Heroes Navales)の地下にあるセントラル駅(Estacion Central)から移動開始。この駅、地上からの距離がやたら長い。で、バスはやはり混んでる。5つ目のカナバル・モレイラ駅(Canaval y Moreyra)で下車。この辺りはサンイシドロ(San Isidro)地区。リマ郊外の高級住宅地区の一つで、金融の中心地でもある。地区の名前はこの辺りの最初の領主のサンイシドロ伯(Conde de San Isidro)から。当初の予定ではこの駅から2㎞足らず歩く予定だったが、結構歩き疲れてしんどいので、タクシーに。<br /><br />で、5分ほど乗車して(確か10S/(約360円))着いたのはワカワジャマルカ遺跡(Huaca Huallamarca)。しかし、どうも開いてる気配がない。とりあえずタクシーを降りて、ウロチョロしてみるがどうやら休み。月曜休みパターンに嵌まったようだ。残念だけど、しょうがないので、柵の外から写真を撮る。階段状のピラミッドに登る大きなスロープが続き、なんか登れないのが残念! 長さ85m、幅67m、高さ20mのアドベ(Adobe=日干しレンガ)製のピラミッドなのだが、実は元々あった形とは全く違う。<br /><br />この遺跡は紀元前200頃に、この周辺にある小さな集落をまとめる行政センターとして造られたもので、紀元後200年頃にいったんは放棄されたが、3世紀から8世紀にかけて成立した古代アンデス文明古典期リマ文化(Cultura Lima)の後期から墓地として再び利用されるようになった。以来、リマ文化の後に興ったイチマ文化(Cultura Ychsma)やそのイチマを支配したインカ(Inca)時代を通じ、長きにわたって墓地として使われたところ。<br /><br />しかし、この遺跡を構成しているアドベは実際にはトウモロコシの粒のような形、円錐形をしていた。1990年代に行われた調査で遺跡の東側からオリジナルの形のものが発掘されている。また、この遺跡は19世紀に書かれた文献にはパン・デ・アスーカル(Pan de Azucar)と云う名前で登場しており、これは円錐形に固められた砂糖の塊のことを示す。全体としても円錐形だったと云うことのようだ。その名前、リオ(Rio)のポン・ヂ・アスーカル(Pao de Acucar)の同じやわ(リオのはポルトガル語)。ちなみに1900年前半に今の名前を命名したのはペルー考古学の父フリオ・C・テーヨ(Julio C. Tello)で、ケチュア語(Quechua)でワジャ(Hualla)の村を意味する。<br /><br />1958年に区の支援を得た民俗学者のヒメネス(Arturo Jimenez Borja)博士が修復したのだが、外観にインパクトを与える目的から円錐形だった遺跡を削って角をつけ、スロープを増築した。その結果、オリジナルの形とは似ても似つかない遺跡となってしまった。しかし、現在もその地中深くにはいにしえの遺構が残っており、都市開発から免れたことは大変意味があったと云える。<br /><br />ピラミッドに上がれず残念だったが、しょうがないのでもう一つの遺跡に向かう。ミラフローレス地区(Miraflores)にあり、約2.5㎞程度離れているが、これも元の予定では歩く積もりだった。でも、とてもそんな気になれずにタクシーを探す。遺跡が閉まってると云うことで、なかなか見つけられなかったが、近くの道を通りかかったタクシーをなんとか止めることが出来た。4時頃もう一つの遺跡、ワカプクヤーナ遺跡に到着。確か、タクシー代は今度は20S/(約720円)だったと思う。メータないので言い値だけどね。ちなみにミラフローレスは「花を見ろ」と云う意味で、16世紀半ば、まだインカの村があった頃、この辺りは1年中ブーゲンビリア(Bougainvillea)が咲いていたのでそう呼ばれるようになったそうだ。<br /><br />ワカプクヤーナ遺跡(Huaca Pucllana)はリマ文化の遺跡で、地域支配の中心となる宗教都市の跡。16haの敷地に約44の寺院があったが、都市開発で三分の一になり、7つのピラミッドといくつかの建物の基礎部分だけが発掘された。リマ文化衰退後にアンデスの山岳地帯で繁栄したワリ文化(Huari)がこの辺りまで勢力を伸ばし、ピラミッドの上にはワリ時代の墓が作られている。遺跡の名前は、ケチュア語でPlayを意味するPukllayからと云う説が有力で「試合のための聖なる場所」と云われている。何の試合かは不明。<br /><br />ここは月曜だが、開いてて良かった。ガイド付きでしか回れないので、12S/(400円ちょっと)でチケットを買って、併設の出土品を展示する博物館などで30分近く待つ。博物館の前にはコロニアル調の建物のレストランもあり、テラス席では遺跡を目の前に眺めながら創作ペルー料理を楽しめるそうだ。日本に帰ってからの話になるが、知り合いの人に実際にこのレストランで食べたと云う方がいたのには驚いた。本当に有名なんだ。<br /><br />4時半頃、ようやくガイドツアー開始。英語ツアーで、私の他にはカップルが1組。ツアーは結構掛かり、45分ほど歩き、ピラミッドの上までも登る。遺跡は膨大な数のアドベで造られている。この辺りは雨がほとんど降らないため、泥を天日乾燥させたレンガで十分に巨大な建築物を建てることが出来た。これらのレンガは少し傾いていたり、縦にして少し隙間を空けて積まれているが、これらは自然の耐震構造となっており、1500年以上も崩れずにいることがその技術力を証明している。<br /><br />まずはピラミッドの下に広がる広場や部屋などを回る。人形で当時の人々の生活の様子が再現されている。発掘された丸太の柱の高さから、当時の人々は身長140㎝もないと云われている。遺跡の一番北側には当時の人々が食べていた白いトウモロコシ「チョクロ」やキヌア、トウガラシ、ジャガイモなどが植えられ、飼われていたアルパカやクイ、カモなどもいた。<br /><br />ピラミッドは、祭祀場と考えられており、重要な儀式や政治集会で部族民が集まる場の中心にあったと推測されている。ピラミッドの上には族長の墓もあり、そこには生け贄となった人々も葬られている。ワリ時代には墓として使われたので、元のピラミッドを覆うように拡張されており、その時代のミイラを再現した墓もある。最上部まで登ると、すぐ近くまで住宅地が迫っていることを実感できる。ここの発掘や復元が始まったのは1981年で、それまでに多くの遺跡が失われた。このピラミッドも土で覆われた丘で、ゴミ捨て場になっていたり、自転車やバイクのモトクロスコースとして使われていた。埋もれた1500年前の遺跡の上をバイクが走り回ってたとは・・・<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.2152522768151069&amp;type=1&amp;l=8a89379cb0<br /><br />5時20分頃、十分満足して次の目的地へ。これも元々は歩きと思っていたが、入口前に停まってたタクシーに迷わず乗り込み、3㎞ほどさらに南に走る。この時は確か25S/(約1080円)だったと思う。乗る前に交渉して、すぐ手を打った。<br /><br />5時半過ぎにラルコマール(Larcomar)到着。高級住宅街と高級ショッピング街が多いミラフローレス地区を代表するような、太平洋岸の断崖の上に1998年にオープンした大型モール。レストラン、カフェ、ブティック、本屋、ボウリング場、映画館など、80店舗が入っている。と云っても別にお店に来た訳ではなく、太平洋に沈む夕陽が目的。テラスに立つと、いや確かに雄大。左手、南側の突き出たモロソラル(Morro Solar)の先に近いところで光っているのは、1988年のローマ法王ヨハネ・パウロ2世(Giovanni Paolo II)の2回目のペルー訪問に合わせて建てられた教皇の十字架(Cruz del Papa)。また、反対側、右手の崖の下に突き出た桟橋にはペルーのベストレストランに選ばれたこともあるラ・ロサ・ナウティカ(La Rosa Nautica)がある。<br /><br />日没までまだ少し時間があるので、ラルコマールから1㎞ほど北にある恋人たちの公園(Parque del Amor)まで5分ほど歩く。2014年に、1996年から6年間リマ市長を務めたアルベルト・アンドラーデ・カルモナ(Alberto Andrade Carmona)の名前の公園に改名されているそうだが、それじゃイマイチだな。93年に出来た公園で、真ん中にビクター・デルフィン(Victor Delfin)作の恋人のキスの彫刻エルベソ(El Beso)がある。これはなかなか強烈! 18時18分、陽が沈む。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.2152527428150603&amp;type=1&amp;l=8a89379cb0<br /><br />日も沈んだし、さあ夕食。ところが、最初に行こうと思ってた店(プンタサル(Punta Sal))は、行くと閉まってる。ありゃ、5時までしかやってないんだ。しょうがないので、次の候補(コスタスルシーフード(Costazul Seafood))まで15分ほど歩くと、ありゃここも閉まってる。今度は月曜定休・・・ と云うことでさらに20分ほど歩き、7時頃ようやく開いてるレストランに到着。エル・セニョリオ・デ・スルコ(El Senorio de Sulco)。なかなか敷居が高そうな店だが、もう耐えられないと云うことで入る。時間が早いんだろうな、他に客いない。中もワインセラーなどあって、格調高い。あとで知ったが、リマのグルメ御用達の有名店だそうだ。南米でおなじみの魚介料理、生の魚介をフレッシュな野菜や果物と一緒にマリネしたセビチェ(Ceviche)をペルーのビールとして一番有名といっても過言ではないクスケーニャ(Cusquena)と、白ワインで戴いた。ムチャ美味しかった。92S/(\3647)也。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.2152530121483667&amp;type=1&amp;l=8a89379cb0<br /><br />8時過ぎ、帰り道でクスケーニャの缶ビール3.90S/(約140円)とミネラルウォーター1.90S/(70円弱)を買って宿に戻る。この日もほぼ3万歩。ああ、疲れた。翌日も早朝から移動なので、さっさと寝た。<br /><br /><br />リマ終了。月曜で入れなかったところも結構あったので、もう1日くらいゆっくりしたい街だった。もう行かないやろうなあ・・・

ペルー リマ 新市街(San Isidro & Miraflores, Lima, Peru)

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2017/11/27 - 2017/11/27

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ちふゆ

ちふゆさん

2017年11月27日(月)の午後3時過ぎ、リマ(Lima)旧市街(Centoro)の観光を終え、新市街に向かう。来る時にも乗って来たメトロポリターノ((Metropolitano)という専用レーンを走る高速市内バスで、海軍英雄広場(Paseo de los Heroes Navales)の地下にあるセントラル駅(Estacion Central)から移動開始。この駅、地上からの距離がやたら長い。で、バスはやはり混んでる。5つ目のカナバル・モレイラ駅(Canaval y Moreyra)で下車。この辺りはサンイシドロ(San Isidro)地区。リマ郊外の高級住宅地区の一つで、金融の中心地でもある。地区の名前はこの辺りの最初の領主のサンイシドロ伯(Conde de San Isidro)から。当初の予定ではこの駅から2㎞足らず歩く予定だったが、結構歩き疲れてしんどいので、タクシーに。

で、5分ほど乗車して(確か10S/(約360円))着いたのはワカワジャマルカ遺跡(Huaca Huallamarca)。しかし、どうも開いてる気配がない。とりあえずタクシーを降りて、ウロチョロしてみるがどうやら休み。月曜休みパターンに嵌まったようだ。残念だけど、しょうがないので、柵の外から写真を撮る。階段状のピラミッドに登る大きなスロープが続き、なんか登れないのが残念! 長さ85m、幅67m、高さ20mのアドベ(Adobe=日干しレンガ)製のピラミッドなのだが、実は元々あった形とは全く違う。

この遺跡は紀元前200頃に、この周辺にある小さな集落をまとめる行政センターとして造られたもので、紀元後200年頃にいったんは放棄されたが、3世紀から8世紀にかけて成立した古代アンデス文明古典期リマ文化(Cultura Lima)の後期から墓地として再び利用されるようになった。以来、リマ文化の後に興ったイチマ文化(Cultura Ychsma)やそのイチマを支配したインカ(Inca)時代を通じ、長きにわたって墓地として使われたところ。

しかし、この遺跡を構成しているアドベは実際にはトウモロコシの粒のような形、円錐形をしていた。1990年代に行われた調査で遺跡の東側からオリジナルの形のものが発掘されている。また、この遺跡は19世紀に書かれた文献にはパン・デ・アスーカル(Pan de Azucar)と云う名前で登場しており、これは円錐形に固められた砂糖の塊のことを示す。全体としても円錐形だったと云うことのようだ。その名前、リオ(Rio)のポン・ヂ・アスーカル(Pao de Acucar)の同じやわ(リオのはポルトガル語)。ちなみに1900年前半に今の名前を命名したのはペルー考古学の父フリオ・C・テーヨ(Julio C. Tello)で、ケチュア語(Quechua)でワジャ(Hualla)の村を意味する。

1958年に区の支援を得た民俗学者のヒメネス(Arturo Jimenez Borja)博士が修復したのだが、外観にインパクトを与える目的から円錐形だった遺跡を削って角をつけ、スロープを増築した。その結果、オリジナルの形とは似ても似つかない遺跡となってしまった。しかし、現在もその地中深くにはいにしえの遺構が残っており、都市開発から免れたことは大変意味があったと云える。

ピラミッドに上がれず残念だったが、しょうがないのでもう一つの遺跡に向かう。ミラフローレス地区(Miraflores)にあり、約2.5㎞程度離れているが、これも元の予定では歩く積もりだった。でも、とてもそんな気になれずにタクシーを探す。遺跡が閉まってると云うことで、なかなか見つけられなかったが、近くの道を通りかかったタクシーをなんとか止めることが出来た。4時頃もう一つの遺跡、ワカプクヤーナ遺跡に到着。確か、タクシー代は今度は20S/(約720円)だったと思う。メータないので言い値だけどね。ちなみにミラフローレスは「花を見ろ」と云う意味で、16世紀半ば、まだインカの村があった頃、この辺りは1年中ブーゲンビリア(Bougainvillea)が咲いていたのでそう呼ばれるようになったそうだ。

ワカプクヤーナ遺跡(Huaca Pucllana)はリマ文化の遺跡で、地域支配の中心となる宗教都市の跡。16haの敷地に約44の寺院があったが、都市開発で三分の一になり、7つのピラミッドといくつかの建物の基礎部分だけが発掘された。リマ文化衰退後にアンデスの山岳地帯で繁栄したワリ文化(Huari)がこの辺りまで勢力を伸ばし、ピラミッドの上にはワリ時代の墓が作られている。遺跡の名前は、ケチュア語でPlayを意味するPukllayからと云う説が有力で「試合のための聖なる場所」と云われている。何の試合かは不明。

ここは月曜だが、開いてて良かった。ガイド付きでしか回れないので、12S/(400円ちょっと)でチケットを買って、併設の出土品を展示する博物館などで30分近く待つ。博物館の前にはコロニアル調の建物のレストランもあり、テラス席では遺跡を目の前に眺めながら創作ペルー料理を楽しめるそうだ。日本に帰ってからの話になるが、知り合いの人に実際にこのレストランで食べたと云う方がいたのには驚いた。本当に有名なんだ。

4時半頃、ようやくガイドツアー開始。英語ツアーで、私の他にはカップルが1組。ツアーは結構掛かり、45分ほど歩き、ピラミッドの上までも登る。遺跡は膨大な数のアドベで造られている。この辺りは雨がほとんど降らないため、泥を天日乾燥させたレンガで十分に巨大な建築物を建てることが出来た。これらのレンガは少し傾いていたり、縦にして少し隙間を空けて積まれているが、これらは自然の耐震構造となっており、1500年以上も崩れずにいることがその技術力を証明している。

まずはピラミッドの下に広がる広場や部屋などを回る。人形で当時の人々の生活の様子が再現されている。発掘された丸太の柱の高さから、当時の人々は身長140㎝もないと云われている。遺跡の一番北側には当時の人々が食べていた白いトウモロコシ「チョクロ」やキヌア、トウガラシ、ジャガイモなどが植えられ、飼われていたアルパカやクイ、カモなどもいた。

ピラミッドは、祭祀場と考えられており、重要な儀式や政治集会で部族民が集まる場の中心にあったと推測されている。ピラミッドの上には族長の墓もあり、そこには生け贄となった人々も葬られている。ワリ時代には墓として使われたので、元のピラミッドを覆うように拡張されており、その時代のミイラを再現した墓もある。最上部まで登ると、すぐ近くまで住宅地が迫っていることを実感できる。ここの発掘や復元が始まったのは1981年で、それまでに多くの遺跡が失われた。このピラミッドも土で覆われた丘で、ゴミ捨て場になっていたり、自転車やバイクのモトクロスコースとして使われていた。埋もれた1500年前の遺跡の上をバイクが走り回ってたとは・・・
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.2152522768151069&type=1&l=8a89379cb0

5時20分頃、十分満足して次の目的地へ。これも元々は歩きと思っていたが、入口前に停まってたタクシーに迷わず乗り込み、3㎞ほどさらに南に走る。この時は確か25S/(約1080円)だったと思う。乗る前に交渉して、すぐ手を打った。

5時半過ぎにラルコマール(Larcomar)到着。高級住宅街と高級ショッピング街が多いミラフローレス地区を代表するような、太平洋岸の断崖の上に1998年にオープンした大型モール。レストラン、カフェ、ブティック、本屋、ボウリング場、映画館など、80店舗が入っている。と云っても別にお店に来た訳ではなく、太平洋に沈む夕陽が目的。テラスに立つと、いや確かに雄大。左手、南側の突き出たモロソラル(Morro Solar)の先に近いところで光っているのは、1988年のローマ法王ヨハネ・パウロ2世(Giovanni Paolo II)の2回目のペルー訪問に合わせて建てられた教皇の十字架(Cruz del Papa)。また、反対側、右手の崖の下に突き出た桟橋にはペルーのベストレストランに選ばれたこともあるラ・ロサ・ナウティカ(La Rosa Nautica)がある。

日没までまだ少し時間があるので、ラルコマールから1㎞ほど北にある恋人たちの公園(Parque del Amor)まで5分ほど歩く。2014年に、1996年から6年間リマ市長を務めたアルベルト・アンドラーデ・カルモナ(Alberto Andrade Carmona)の名前の公園に改名されているそうだが、それじゃイマイチだな。93年に出来た公園で、真ん中にビクター・デルフィン(Victor Delfin)作の恋人のキスの彫刻エルベソ(El Beso)がある。これはなかなか強烈! 18時18分、陽が沈む。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.2152527428150603&type=1&l=8a89379cb0

日も沈んだし、さあ夕食。ところが、最初に行こうと思ってた店(プンタサル(Punta Sal))は、行くと閉まってる。ありゃ、5時までしかやってないんだ。しょうがないので、次の候補(コスタスルシーフード(Costazul Seafood))まで15分ほど歩くと、ありゃここも閉まってる。今度は月曜定休・・・ と云うことでさらに20分ほど歩き、7時頃ようやく開いてるレストランに到着。エル・セニョリオ・デ・スルコ(El Senorio de Sulco)。なかなか敷居が高そうな店だが、もう耐えられないと云うことで入る。時間が早いんだろうな、他に客いない。中もワインセラーなどあって、格調高い。あとで知ったが、リマのグルメ御用達の有名店だそうだ。南米でおなじみの魚介料理、生の魚介をフレッシュな野菜や果物と一緒にマリネしたセビチェ(Ceviche)をペルーのビールとして一番有名といっても過言ではないクスケーニャ(Cusquena)と、白ワインで戴いた。ムチャ美味しかった。92S/(\3647)也。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.2152530121483667&type=1&l=8a89379cb0

8時過ぎ、帰り道でクスケーニャの缶ビール3.90S/(約140円)とミネラルウォーター1.90S/(70円弱)を買って宿に戻る。この日もほぼ3万歩。ああ、疲れた。翌日も早朝から移動なので、さっさと寝た。


リマ終了。月曜で入れなかったところも結構あったので、もう1日くらいゆっくりしたい街だった。もう行かないやろうなあ・・・

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