2019/10/07 - 2019/10/11
70位(同エリア130件中)
ワンダラーさん
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紅葉が始まった東北の山々をメインに、三陸海岸の津波被災地や、学生時代に歩いた地を、再訪する。
それらを繋ぐ町の観光ドライブの一人旅
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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朝は東北自動車道の菅生パーキングエリアからスタートだが、あいにくの雨。
三陸海岸方面に行くには、仙台南部道路経由で三陸縦貫道に入るのが時間的には早いが、一人旅では高速代もばかにならない。
深夜割引料金摘要のままで大和ICで降りて、県道9号、国道45号経由で三陸道無料区間の鳴瀬奥松島を目指すことにする。 -
県道9号大里道の駅で休憩。雨も小降りになる。
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国道45号から鳴瀬奥松島ICで三陸道(復興支援)無料区間に入ると、暫くは田んぼの中を4車線の高規格道路が続くが、やがて対面通行になり、宮古市まで概ね完成(一部未完成)し、復興支援に役立っている。
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先ず、陸前高田で高田松原津波復興祈念公園に立ち寄る。
「タピック45」は1991年(平成3年)に竣工し、1993年(平成5年)に 道の駅に登録された。鉄筋コンクリート造りの構造物である。
津波 来襲時の避難を想定して屋外階段が設置されており、「東日本大震災時にも 津波は T.P.13.7m まで浸水したが、構造物天端まで浸水しなかったため、 周辺から同施設に避難して助かった方がいた。(高田松原津波復興祈念公園 基本構想 参考資料より)」という震災遺構。
「備えあれば憂いなし」で、津波常襲地域で、屋外階段を設置した設計者は偉かったと感じた。 -
これは2011年3月の大震災・津波から8か月後に訪れた時の、閉鎖中の道の駅前の写真(右端の建物が旧道の駅建物の一部)
この西側は、一本松までずっと震災瓦礫の仮置き場だった。 -
震災祈念公園の完成イメージ図です。上が海で、下が国道45号線。
これを見ると、T.P.12.5mの大防潮堤から海側(松原造成中)に向けて斜路があり、素人見には、再び大津波が来たら、斜路を駆け上り、大堤防を駆け下ったら、
そのままの勢いで伝承館と道の駅の間の通路を一気に45号線や市街地に向かいそうに見えます。デザイン優先でしょうか。 -
向って左側の建物が2019年9月22日に開館した「東日本大震災津波伝承館」で、入場無料の施設。
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左手の伝承館と右手の道の駅建物の館には大きな開口部があり、その先の防潮堤までの間の植栽も直線的配置で、防潮堤を越えた津波は、勢いのまま開口部を抜けて国道45号線や市街地に向かいそうです。
東日本大震災時にここの 津波は18mあったという研究もあり、「隣のタビック45で T.P.13.7m まで浸水」という事実から、新しい T.P.12.5m の防潮堤を越える津波は十分に可能性があるのに。
現地に立つと、教訓が大切という施設なのに、なぜ、防潮堤を越えた津波の勢いを殺ぐ建物や松林の再生配置にしなかったのか、はなはだ疑問が湧いてくる。 -
向って右側が道の駅の建物。
集客施設が出来たここに必要なのは、教訓を生かした鉄骨造りで高さ30mくらいの「大避難櫓」ではないかと感じた。屋上にヘリポートとか、最上階のみ避難所とか。
津波避難所は1,000m先の気仙小学校というが、道路は大渋滞で逃げられない観光客や従業員が出るには必死。 -
東日本大震災津波伝承館の内部は、各種の映像や展示で、津波被害の実態や教訓を伝承する。
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教訓という面においては、「自治体や自衛隊などが立派に役割を果たしたというトーンの、お役所がつくった自画自賛の解説文」が目立つように感じた。
津波の教訓を風化させないように、航空自衛隊松島基地では救難ヘリコプター4機が空中避難できずに破壊されたとか、米軍の「トモダチ作戦」で多くの人命が救出され持つべきものは良い隣人だとか、当時の反省を後世に伝承してもらいたいものだ。 -
防潮堤上の献花台。
大防潮堤から第一線の防潮堤までの間は、高田松原を復元させる植林が進んでいる。
しかし建物開口部と防潮堤を結ぶ直線の延長の海岸部分は、松林の植林でなく海まで空いていて、これでは津波の勢いは殺げないと感じる。 -
新しい T.P.12.5m の大防潮堤の西側部分
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新しい T.P.12.5m の大防潮堤の東側部分、高田松原の復元が進んでいる。
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高田松原津波復興祈念公園の西側には「奇跡の一本松のレプリカ」が立つ。
周辺は折れた松の根株を遺構として残すらしい。
海岸にあったユースホステル建物が津波エネルギーを殺いだので一本松が残ったらしいが、この辺りは沈下分を盛り土をしてクロマツを植林した方が、津波の教訓を生かすことになるのでは。 -
道の駅には広田湾漁協が経営する食堂もある。
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陸前高田から大船度方向に45号線を進み、県道38号で広田半島に向かう。
半島の東側が黒崎仙峡と呼ばれる海岸。 -
黒崎仙峡の手前の駐車場脇に黒崎神社があり、なにやらハシゴが組み立てられている。根岬梯子虎舞(ねさきはしごとらまい)の祭礼が近いという地元の方の説明。
ここで4年に一度奉納される、長さ約20mの梯子を50度程の傾斜で立てた上で踊る虎舞で、曲芸的な舞により鑑賞的な要素が強く、正式名「風流唐獅子曲乗之体」といわれる。 -
黒崎神社は、平安時代末期の承安2年(1172年)に造られたという由緒ある神社。
はるか洋上でも社が見えることから、 洋上からの海上安全と大漁の祈願がされ、古くから漁民の厚い信仰を集めているというので、先ず旅の安全を参拝させていただく。 -
こちらが駐車場から徒歩10分くらいに黒崎仙峡。切り立った断崖の下に波が打ち寄せる。
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黒崎仙峡の展望台から北方。
半島部は切り立った断崖が続く。 -
大船度方面に移動し、市街地の南、末崎半島の先端にあたる碁石岬にある灯台を訪ねる。
灯台の看板にある正式な名称は、「碁石埼灯台」と書かれている。
まばらな松林の中に地上10.5mの小さな白い灯台があり、晴れていれば青い空、そして青い太平洋が見渡せる展望台からの風景の広がりを容易に見ることができる。 -
灯台の下の展望台は、駐車場から楽に行ける割りに、コンパクトだが明るい岬で、爽快感を味わうことができる。高度感はそれほどない。
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三陸道無料区間を通って混雑する大船度市内をバイパスして三陸ICで降り越喜来(おっきらい)の浜へ。海岸には津波の痕跡が残っている。
学生時代に歩いて訪れた首崎(こうべざき)を目指す。
崎浜集落から北里大学の施設先までは舗装道路で良いが、首崎への林道は車では無理そうなので断念し、舗装道路をそのまま、当時キャンプした小壁漁場に降りる。 -
ここも津波被害にあったのであろうが、復旧済で、観光地ではない静かな景観に浸ることができる。
学生時代にキャンプしていたら、漁師さんが獲れたてのアワビをくださり、美味しかった思い出の地。 -
越喜来に戻って、45号線を北の吉浜集落に抜け、県道で五葉山の赤坂峠を目指す。
峠には50台ほどの駐車場とトイレが整備されているが、今日は貸し切り状態。 -
ここは、学生時代に、前述の首崎から苦労してテントでキャンプしながら歩いて山を越えて、五葉山に登った思い出の地。昔の鳥居がそのまま残っている感じ。
吉浜ICから、本日の泊まりの宮古に向けて三陸道無料区間を走る。
しかし、50年余りで、随分と交通便利になったものだと感慨する。
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