2019/09/19 - 2019/09/24
145位(同エリア489件中)
SOUNIONさん
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NHKシルクロードの再放送を見て以来、30年近く憧れていた敦煌。
どういうわけか大事にとっておき過ぎて、なかなか行くことができずにいたところ、
とうとう夢が実現する時がやってきた。
7歳娘も含め家族3人で、敦煌の見どころをしっかり見て回るために、
敦煌で4連泊して、自然と歴史を堪能しました。
9/19 羽田⇒北京(泊)
9/20 北京⇒敦煌(泊) 敦煌市街観光(沙州故城、白馬塔、鳴沙山他)
9/21 敦煌西郊観光(西千仏洞、陽関、玉門関、ヤルダン他) 敦煌(泊)
9/22 敦煌東郊観光(瓜州楡林窟、鎖陽故城他) 鳴沙山再訪 敦煌(泊)
★9/23 莫高窟 敦煌市街 敦煌(泊)
★9/24 敦煌⇒北京⇒羽田
3連休を間にはさみ、前後2日間の有給休暇で行ってきました。
うまくカットすればあと1日短縮でも行けるかもと思いつつ、
家族でゆっくりできたのでちょうど良い日程でした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
とうとう莫高窟に行く朝。
8:30からの予約なので、早朝6:30に起床。
急いで用意をして居一昨日食べたクレープ風のものを買いに出かけて、ホテルで朝食。
外に出たときには、きれいなオリオン座が見えました。
初秋の砂漠の町で見る冬の星座。感慨深い。 -
ホテルからそう遠くない三危路にあるバス停に向かいます。
ここは莫高窟数字中心(デジタルセンター)、駅、空港に行くバスが出るところです。
路線バスなので、人が集まって出発です。
最初は2台目のバスに案内されたのですが、人が全く乗っていなかったので、これでは間に合わないといったんバスを降りて、「8時半」真でに行かないといけないと伝えたら、1台目のバスに案内されました。
路線バスもなかなか難しい・・・ -
10分前の8:20に幹線道路沿いのバス停に到着しました。
近頃は莫高窟に直接行けず、まずはデジタルセンターで映像を見てから、シャトルバスに乗る必要があるのです。 -
近代的な素晴らしい建物ができていました。
敦煌到着時に飛行機から見えた建物でした。
あんまり人がいないと思いきや、近づいてみるとたくさんの人がいました。 -
中には2つのシアターと、2つのドーム型シアターがあるようで、
進んでいくと自然と整理されてどちらかの列に並ばされます。
ちょうどもう一方の列がいっぱいになったところらしく、新し入れるの前の方に並ぶことになりました。
多分10分か15分遅い回に混じった形です。
このあたりはあんまり厳密には運用されていないようです。
並んでいるときにチケットを見せると、多国語のガイドを貸してくれます。
誰なのかわかりませんでしたが、日本語の分かるガイド風の人がいろいろ世話を焼いてくれました。
日本人ツアーの姿はなかったと思うので、たまたま日本語ができるガイドだったのかも。 -
1つ目のシアターで20分の壮大なシルクロードの歴史を学ぶ映像を見ます。
娘も飽きることなく寝ることなく見ていました。
たしかにとてもわかりやすくスペクタクル感あふれる映像でした。 -
そのまま360度シアターへ移動。
こちらでは莫高窟の魅力を映像で。
月夜の南大仏の雰囲気はとても最高でした。
いろいろ見学ががんじがらめになっていて、早朝や夜間に近づくことができないのはちょっと残念。 -
シャトルバスでとうとう莫高窟へ向かいます。
今回はわざわざ最後の日に莫高窟を持ってきたのは、
各地の石窟を見て最後に最高のものが見たかったというのとあわせて、
日本では祝日でも中国では祝日ではないので、少しは空いているかなと思ったから。
でもそれは甘かった・・・。
朝一番はやっぱり混むらしいです。 -
バスは右側を確保してじっと鳴沙山側の山並みを見ていました。
北区の石窟群を真っ先に見たかったので。
かつて画工や僧たちが住んでいたとかそういうところらしいです。
わくわくしてきます。 -
バス停に到着です。
ここから莫高窟の始まりです!
荷物を預けるところはありませんでした。
昔はリュックはダメという情報があったのですが、今は大丈夫なようです。莫高窟 史跡・遺跡
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バス停からまず目の前の橋で、鳴沙山に崖を刻んだ大泉河を渡ります。
かつてはかなり多くの水量があったらしいですが、今は少量の水が流れていました。
奥に北区の石窟と、山の上に仏塔のようなものが見えます。莫高窟 史跡・遺跡
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わかりやすい地図がいろいろなところに置かれていました。
右下の駐車場から橋を渡って見学者の入口へ進み、莫高窟を見学した後その他の施設を見て、博物館から駐車場に戻るルートとなるようです。莫高窟 史跡・遺跡
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並木の道を進んでいきます。
この右手に、あこがれの石窟群が木立の陰に並んでいました。
にくい演出・・・
すっきりとは見せない感じ。莫高窟 史跡・遺跡
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この小さな「莫高窟」と書かれた牌楼の前が入場口。
莫高窟 史跡・遺跡
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牌楼の前に並ぶのですが、事前の情報通り、外国人は係員に声をかけるらしいので、チケットを見せ長r「日本人」とアピール。
すると、列を出てベンチで20分ほど待っていなさいとの指示。莫高窟 史跡・遺跡
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木陰のベンチに、中国語以外の人たちが集められています。
にらんだ通り、今回も私たち家族だけになりそうな気配。
この連休で日本から来られた方も、普通は先に莫高窟に来るかなと思っていましたが、やっぱりそうだったかな。莫高窟 史跡・遺跡
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待っている間、ゲート近くの子の窓口を確認します。
ここが、特別窟の申し込み場所になっているようです。
英語も通じます。
今回は、最初期の275窟、塑像が素晴らしい45窟、壁画が素晴らしい57窟、胡旋舞の壁画がある220窟、涅槃仏のある158窟を別料金で見学しようと思っていました。
ただ、158窟は楡林窟で涅槃仏を見ることができたので、結果4つを希望。
なんと残念なことに、220窟は今日は開放なしとのこと。胡旋舞見たかった・・・。
7歳娘も興味はないであろうが、料金はかかるとのことで、それぞれ200元×3で600元。3窟で1800元。3万円近くの料金となりました。
でも、想定していた分を見られなかっただけ安く上がりました。
今後どんどん値上がりしそうなので、特別窟狙いの場合は早めに訪れた方が良さそうです。
ちなみに、ここで料金を払っている人は、一人も見かけませんでした。
料金表はいろいろ掲げられている割に、特別窟まで行く人はいないようです。莫高窟 史跡・遺跡
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こちらのガイドさんと一緒に石窟を回ります。
目論見通り私たち家族の専属です。
一応行きたい一般開放窟についてもお伝えしたところ、
なるべくということで、了承してくれました。
原則としてガイドさんの指示に従って、その時空いているところなどを見ていくことになります。
ちなみに、行きたかったのは17窟蔵経洞、249窟説法洞、428窟です。莫高窟 史跡・遺跡
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あるいているだけでも壁画を見ることができます。
かつては窟内だったところが前室が壊れてしまったため露出しているものなどです。莫高窟 史跡・遺跡
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まずは25窟(宋代、清代重種)から、329窟(初唐)、334窟(初唐)と立て続けに見学。
礫がんの山肌に藁のようなものを混ぜた泥を塗り、その上にさらに細かい泥を塗って絵を描いているのだそうで、はがれたところからその構造が良くわかりました。
途方もない努力。
写真は撮影できないので、しっかりと目に焼き付けます。
自分で見るためにLEDのライトを持っていきましたが、ガイドの持っているものの威力がすごいので、見せてもらったほうが楽。
ガイドさんを独り占めできない場合のため、強めのLEDは必携かも。莫高窟 史跡・遺跡
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見学できるエリアの北端近くにある寺院の建物は、すぐ近くにある蔵経洞関連の陳列館となっていました。
ガイドさんに希望しないと素通りしてしまうようです。
ここは1900年に敦煌文書を発見した王圓籙道士が住んでいたところ。
ここから各石窟を巡り、いまとなっては「勝手な」通路を空けたり、修復をしたりしていたそうです。
敦煌を訪れて文書を持ち去ったスタイン、ペリオ、ウォーナー、そして大谷探検隊などの資料が展示されていました。莫高窟 史跡・遺跡
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南区の最も北の端にある、北大門です。
ここはかつての莫高窟のメインの入口だったところだったと井上靖の本には書かれています。ここを登ると鳴沙山へと至り、10数キロの砂漠の中を行くと、敦煌の街に至ります。
ここを登って鳴沙山の上に上がり、九層楼を眺めるのを楽しみにしていたのですが、いろいろ厳重になっていて、入ることができませんでした。
残念。莫高窟 史跡・遺跡
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蔵経洞として知られる17窟(16窟)はこの楼閣の1層目にあります。
ここはすべての観光客が訪れることになるようで、大変な混雑です。
16窟は思っていたよりもかなり大きな石窟で、その通路も想像したよりもかなり幅広のものでした。
そして16窟の通路に開かれた17窟蔵経洞は、まず入口がかなり高いのにびっくり。そしてやはり思ったよりも狭い部屋でした。
今は高僧洪辨の像が置かれています。
たしかに供養者としての洪辨を祀る小窟としてはよくわかります。
となると、どうしてここに書物を封じたのか、やっぱり謎です。莫高窟 史跡・遺跡
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北の端まで行ったので、今度は南に戻りながら見学します。
莫高窟 史跡・遺跡
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一般窟の中で一番見たかった428窟に入ります。
大き目の搭廟窟(中心に柱が立つ窟)で、極彩色の壁画が周囲を彩ります。
残念ながら後ろが修復中で、中央の柱を回って参拝することはできませんで。
中央柱の龕には柔和な仏様、周囲の壁には降魔変、サッタ王子本生、スダーナ王子本生、素晴らしい物語が描かれていました。
サッタ王子の捨身飼虎図は法隆寺の玉虫厨子と構図がほぼ一緒だというので、ぜひ見たかった。法隆寺のは全然覚えていないけど・・・
初期の男っぽくて角ばった飛天も、縁取りが変色しているためユニークになっていて印象的。莫高窟 史跡・遺跡
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外と中がこんなに印象の違う場所もめったにない。
九層楼が近づいてきました。莫高窟 史跡・遺跡
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楼閣が残っている石窟もいくつかありました。
古いものばかりではないそうです。莫高窟 史跡・遺跡
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露出していた壁画。
明るいところで見る壁画も良い。莫高窟 史跡・遺跡
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特別窟は厳重に保護されていて、それぞれのところに別の警備員がいて、その人に鍵を借りるみたいでした。
莫高窟 史跡・遺跡
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最初の特別窟275窟。北涼時代のもので、莫高窟に残る最古の石窟のひとつ。
今回いくら払ってでも最も見たかった石窟です。
実にユニークな交脚弥勒菩薩様がいます。
それほど大きくない石窟の奥に、これまたユニークな狛犬を志賀が得て鎮座していた弥勒様を、右から左から、上から下から、本当にじっくりと堪能しました。
左右の壁の交脚仏、ほりの深い西域風の顔、体の大きな飛天、シビ王本生、ビリンジュリ本生、小さな靴なのに見飽きることがありませんでした。莫高窟 史跡・遺跡
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後ろ髪を引かれる思いで次の57窟へ。
平山郁夫が絶賛した金泥で装飾された美人菩薩がいます。
ちょうど目線のところで、等身大よりは小さめ。
入って左側に美人菩薩がいらっしゃるのだが、全体的に非常に美しい壁画が残されています。ただ、一部20世紀初頭の生活跡として煤けてしまっているのが残念。
逆に右側の壁画は、題材は似ているにもかかわらず、やや稚拙な感じが残ります。
ガイドさんの話によると、2人で描いたのかもしれないとのことでした。莫高窟 史跡・遺跡
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さらに続いて45窟。
こちらは莫高窟に絡むいろいろなポスターなどでも紹介される、盛唐の三曲法が後いられた美しい菩薩の塑像が知られています。
美菩薩は左右にいて、それぞれ好みがあるでしょうが、それだけではなく、七尊像はすべて素晴らしく、特に仏の右隣にいる迦葉の姿が素晴らしい。
今回は双眼鏡を持っていったのもとても役立ちました。
像の表情や天井の模様などをしっかりと見ることができました。
この窟は、壁画もすばらしく、山賊に襲われる西域商人など観音様に助けられる場面が細かく描かれています。
それぞれの特別窟は、自分たちだけでかなりじっくりと見学することができました。莫高窟 史跡・遺跡
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特別窟のあとは61窟(宋代)文殊洞に案内されました。
ここもかなり大きな石窟で、かつては大きな文殊菩薩像が置かれていたそうですが、残念ながら菩薩が乗っていた獅子のしっぽのみが残されています。
背後にある五台山図が巨大かつ緻密で本当に素晴らしい。莫高窟 史跡・遺跡
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最後は九層楼の96窟です。
ルートのせいか、それとも忘れたのか、249窟は行けませんでした。莫高窟 史跡・遺跡
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96窟は北大仏です。
入ると目の前は足。
高いところに清代にかなり手を加えてしまったお顔が見えます。
大仏自体は唐代の則天武后の頃のもの。
ここはBチケットの人たちも見るとのことで、かなりの混雑です。莫高窟 史跡・遺跡
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九層楼から南はBチケットの人たちのエリアだそう。
でもいろいろ写真を撮りたいというと、ガイドさんは去り際に自由にしていいと言ってくれました。
なので、少し南側を散策。莫高窟 史跡・遺跡
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今見ることができない北大仏は、写真左側の楼閣の中。
こちらは唐代の顔そのままに残っています。
今度来るときはここが見られるときにしたいなあと思いつつ、写真を撮っていました。莫高窟 史跡・遺跡
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九層楼の前から柵を出ます。
少し離れるとこの楼のてっぺんがようやく見えてきます。莫高窟 史跡・遺跡
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みんな記念写真を撮っています。
でもこれだけ大きいものを一緒に撮ろうとすると、どうせ豆粒になりますね。莫高窟 史跡・遺跡
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近くの陳列館は、かつての寺を利用した初期の敦煌研究院のようです。
莫高窟 史跡・遺跡
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寺の建物ごとにいろいろな展示がありますが、
特に初代院長の常書鴻氏の書斎が残されていました。
井上靖の本に書かれていた、月の夜に九層楼の風鐸の音が聞こえてくるというのは、この書斎のことでしょうか。莫高窟 史跡・遺跡
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常書鴻氏のアトリエのようです。
この展示館には、彼の油絵も多数展示されていました。莫高窟 史跡・遺跡
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大泉河の対岸にいくつもの仏塔が立っています。
その奥に見えるのが、三危山です。
あとでそちら側からの写真を撮ろうと思っていたのですが、今は行けなくなっていました。常書鴻氏のお墓もあると聞いたのですが、こちらも行けませんでした。莫高窟 史跡・遺跡
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簡単なものが食べられるレストランや、おしゃれな土産品を売っているショップがありました。
莫高窟 史跡・遺跡
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慈氏塔と呼ばれるものです。
いつのものでどういうものか良くわかりませんでした。莫高窟 史跡・遺跡
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美術館を見学。敦煌文書のレプリカなど面白い展示でした。
莫高窟 史跡・遺跡
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美術館でようやくお目にかかった。
220窟の胡旋舞。
このあと夜市で、左側の模写を購入しました。莫高窟 史跡・遺跡
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大牌楼。ここを出て橋を渡ると、博物館です。
莫高窟 史跡・遺跡
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大牌楼は振り返らないと・・・
なぜなら「石室宝蔵」と莫高窟らしい文字が書かれているから。莫高窟 史跡・遺跡
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素晴らしい展示館ができていました。
日中で10億円かけて作ったものだそうです。莫高窟 史跡・遺跡
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展示館には、代表的な石窟のレプリカがありました。
でも・・・275窟を見てみたけれど、やはり本物とは全く違うものでした。
なんでだろう。莫高窟 史跡・遺跡
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展示館近くに立つ王圓籙道士の墓。
中国では世紀の発見をするも、わずかな金品で各国の探検隊に売り渡してしまった裏切り者ともいわれているようです。莫高窟 史跡・遺跡
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陳列館の表から。莫高窟見学から来ると、裏から入って表に出るみたいな流れになります。
莫高窟 史跡・遺跡
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陳列館前のバス停からデジタルセンターに戻ることができます。
じっくり見学したので、昼食をとらないまま15時が過ぎていました。莫高窟 史跡・遺跡
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空腹が過ぎるということで、デジタルセンターの食堂で、カレーとミートソーススパゲッティを食べることに。
国際的な観光地だからなのか、レトルトが楽だからなのか、不思議なメニュー。 -
カレー
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ボロネーゼスパゲッティ
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デジタルセンターにはミュージアムショップがあります。
もう少し莫高窟グッズみたいなものがあると良いのですが、ちょっと洗練しすぎ。 -
路線バスで敦煌の町中に戻りました。
ちょうど小学校の下校時間です。 -
この3輪車みたいなので迎えに来る親も結構いて、大混雑です。
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タクシーに乗って汽車駅(バスターミナル)へ。
それはターミナルそばのこの牌楼が見たかったから。
町の外から見ると「敦煌」と書かれています。 -
逆側から見ると「沙州」と書かれています。
シルクロードロマンあふれる演出ですね。 -
ちなみにバスターミナルはこんな感じ。
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バスターミナルから戻るところで、市場を発見してちょっと寄ってみました。
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20年前のウイグルでも見かけたような造りの市場です。
時間帯が夕方だからか、あまりお客さんは多くありませんでした。 -
季節的になのか、葡萄は生も干しもたくさん。
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屋内は野菜です。
日本のキュウリの3倍はありそうなキュウリにびっくり。 -
豆腐屋さんも。
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新鮮そうなお野菜。
砂漠の中のオアシスということを考えると、こんなにみずみずしいものが採れるのは大切ですね。 -
市場からまたタクシーに乗って夜市北門へ。
だんだん暗くなってきたので、人出が出てきました。
ぶらぶらお土産を物色しながら南門近くまで歩きました。 -
途中になんと「貢茶」を発見!
日本では並んでいてなかなか入れないとのことなので、入ってみました。
ちなみにお客さんはなし。 -
こちらがタピオカミルクティーです。
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おみやげに干し葡萄。
いろいろ種類があります。 -
いろいろなお店を見た結果、このお店で砂絵を購入。
なんとなくセンスがいいんです。 -
イスラムレストラン街で夕食。
娘にはチャーハンを。 -
おいしかったジャガイモのスーラ―炒めも追加。
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最終日、食べるかどうか迷っていた敦煌名物「驢肉黄色麺」。
つまりロバ肉ミートソースの麺。
まあ、見た目通りの味です。ピリ辛はちょっと意外。 -
どうしても最後に娘のリクエストでラクダのぬいぐるみを購入。
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最後の夜なので、一人でうろうろして、12時ごろにホテルへと戻りました。
敦煌夜市 露店・屋台
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最終日はまっすぐ東京へ。
朝食はいつも蒸し器の煙が気になっていたホテル近くの店へ。 -
小籠包とお粥
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そしてワンタン。
どれもかなりおいしかった。
ここに毎日通えばよかった・・・ -
こういう店。
右側のところで蒸してます。 -
街のポストで日本へのはがきを投函。
そしてホテルに戻り、最後のチェック。
ホテルをチェックアウトして、空港へ。
とてもいい宿でした。
タクシーはホテルの運転手さんが交渉してくれて、30元で空港へ。 -
立派な空港です。
戻ってきました。敦煌空港 (DNH) 空港
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ちょうどカウンターが空いたところみたい。
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空港の中にもぶどうが。
-
この店素晴らしかった。甘粛省博物館の公式ショップ。
一度訪ねたい蘭州の博物館。どういうわけかここに店が。
私が大好きな馬踏飛燕の像を描いたトートバックを購入。 -
敦煌さよなら!
飛び立つと砂漠とオアシスが良く見える。 -
機内食はカレー風。
国内線でも立派。 -
北京近くまで来ると、万里の長城が見えました。
-
北京の街を南から回って首都空港へ。
遠くに紫禁城の屋根が見えていました。 -
北京首都空港。
乗り継ぎを1:30ではなく3:00の便にして正解。
順調に手続きは済んだけど、やっぱり結構時間がかかる。
今回最後のフライトは時間通り順調に出発。
予定通り21:30に羽田空港に到着しました。
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