2019/07/21 - 2019/07/29
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azianokazeさん
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7月29日 武陵源観光を終えて、広州へ移動 空港着後、そのままガイドの李さんの案内で江門の世界遺産「開平楼閣」を観光
今回旅行最後の観光スポットですが、華僑の財力を示す世界遺産「開平楼閣」以上にユニークだったのは、日本語ガイド李さんの人柄だったかも。
翌日早朝フライトで日本へ帰国。
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- 一人旅
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- 個別手配
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7月29日 早朝7時過ぎのフライトで張家界から広州へ移動。
(張家界のホテルは車で10分ほどと空港に近く、ホテルの車で空港まで送ってもらいました。それでも、ホテルを出るときは夜明け前 早朝フライトは大変です)
空港で出迎えの日本語ガイド李さんと合流。そのまま江門に専用車で向かいます。
先ずは昼食。写真は昼食を食べたレストラン。 -
お昼1時過ぎという時間帯でしたが、200人ぐらいは入れそうな広い店内には客は私ら3人だけ。
日本語ガイドの李さんは、21日に日本から広州到着時も空港から高速鉄道駅まで送ってもらった方です。
50歳前後の女性ですが、日本語が非常に達者なのは当然として、とてもユニークな方でした。 -
アヒルだったでしょうか。
ガイド・ドラーバーと一緒にとる食事は、旅行代金に含まれています。
ということは、会社から示される予算の制約があります。
通常ガイド氏は注文時には、そのあたりもいろいろ考えながらのオーダーになります。
でも、この日の料理はアヒルにしても、下画像の料理にしても、そうした予算の範囲をはるかに超えていると思われます。
李さん「私はおいしいものが食べたいの。会社の予算なんて関係ないわ。自腹で上乗せして、200元、300元(3000円~5000円)かけてもおいしい料理を食べるの」 -
ウナギを炊き込んだご飯・・・だったような。
「食は広州にあり」と言われるグルメの本場です。
お味は・・・李さんの存在感に圧倒されて忘れました。 -
これは何だったでしょうか・・・
李さんはガイドとしての知識も豊富で、観光スポットの説明も延々と続きますが、それ以外でもよくしゃべります。
李さんにかかると、桂林を案内してくれた安さんなどは「ああ、あのおとなしい若い子ね。知ってるわ」といった感じ。
そりゃ、李さんに比べれば“おとなしい”になるでしょう。 -
他にも、野菜料理にスープ・・・いったいいくらの料理でしょうか?
「自腹で」云々と言われると、小心者の私など、チップをいくら払うべきか悩むところも。 -
でもって、やってきたのは「自力村」
この「自力村」を含む江門一帯は「華僑のふるさと」とのこと。
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珠江デルタの一部である江門には、西征をけじめ16もの河川が流れている。また、沖合にはフランシスコ・ザビエル帰天の地、上川島がある。
元未明初に集落が形成され、17世紀に入ると珠江デルタ有数の商業地となり、住民はやがて海外に進出するようになった。
ある資料によると、現在ではその子孫が世界107力国に華人や華僑として400万人以上暮らしているという。
また、現在の住民の半数は、海外からの帰国者またはその子孫が占めている。
江門が脚光を浴びるようになったのは、2007年に「開平楼閣と村落」がユネスコの世界遺産に登録されてから。
この見事な建造物は中国に戻った華僑やその子孫が造り上げたものである。【歩き方】
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「自力村」入口付近の眺め
石造りの堅固な建物は「ちょう楼(「ちょう」は石に周)」と呼ばれるもので、海外で財をなした華僑たちが、盗賊から生命・財産を守るために建てたものです。 -
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この町のいたるところで見られる石造りの建物は「ちょう楼」と呼ばれるが、その建設が始まったのは明未清初。
(この地域)四邑は地理的な要因によりたびたび自然災害に見舞われ、加えて当時この周囲が国家権力の空白地帯にあったことから盗賊が跋扈し、住民は自分たちの力で生命や財産を守らなければならなかった。
そこで堅牢な建物である「ちょう楼」が誕生したのだ。【歩き方】
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「自力村」園内
前を歩くのが、日本語ガイドの李さん。 -
「自力村」を含む開平一帯には、1833棟ものちょう楼が存在するそうです。
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ちょう楼の建設が最盛期を迎えるのは、社会的な混乱期にあった19世紀末から20世紀始めにかけて。
財をなした華僑は競って故郷にちょう楼を建設したが、彼らは進出先で目こした建築様式を持ち込み、中洋折衷の独白な建築様式を生み出した。
それが評価され、2007年にユネスコの世界遺産に登録された。
開平にはちょう楼が1833棟現存するが、用途によって衆楼(473棟)、居楼(1149棟)、更楼(211棟)に分けられる。
衆楼は村人が資金を出し合い建設したもので、防御に優れた建物。村落の奥にあることが多い。
居楼は裕福な者が建てた個人用の建物で、防御性に加え居住性も高い。これも村落の奥にあることが多い。
更楼は村の入口などに建てられた見張り台のような建物(=灯楼)。【歩き方】
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「自力村」の楼閣のなかでも一番有名な「葉生居蘆」と「銘石楼」
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「葉生居蘆」(左)と「銘石楼」(右)
ともに、内部見学ができます。 -
「銘石楼」
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「葉生居蘆」
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ガイドの李さんから写真を撮ってくれと頼まれ、いろんなポーズをする李さん撮影。
李さんの話では、ドライバー氏が「どっちが客で、どっちがガイドだかわからない」と言っていたとか。 -
「銘石楼」の頑丈そうなドア
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「銘石楼」を建てた一族の写真
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室内には当時の生活備品が。
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かまど
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建物の屋上
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この建物に特徴的なのは、四隅に張り出した円形部分。
盗賊などが押し寄せた際に、ここから応戦するためのものでしょう。 -
「銘石楼」屋上からの眺め
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「銘石楼」同様の建物が点在しています。
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「銘石楼」からの眺め
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同上
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同上
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同上
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順番が後先になってしまいましたが、「銘石楼」の説明版
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「自力村」の次に訪れたのが「立園」(りつえん)
入園手続きに行った李さんがなかなか帰ってきません。
やっと帰ってきたと思ったら、旅行会社から送った、ガイド名が書かれたメールを貸してくれとのこと。
私一人だけを連れてのガイドということで、あまりそういうケースはないようで、「だれか知り合いを連れて入ろうということじゃないか?」と疑われているとか。
一人だけを連れてのガイドが訝しく思われたのは、昨年の貴州省観光でもありました。
まあ、なんとか了解してもらったようです。 -
入口付近にあった土産物屋さん
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漢方薬で使うような生薬が並んでいますね。
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****立園****
開平市の中心部から西に約15km。
立園は1936(中華民国25)年アメリカ華僑泮の謝維立によって10年の歳月をかけて建設された別荘で、中国の伝統的な園林と洋風建築を一体化させたもの。
園内は大花園と小花園、別荘区で構成されており、人造の小川や壁で仕切られている。
別荘区には泮文楼など6棟の別荘と1棟の図楼かおる。別荘の内部は美しい家具で飾られている。【歩き方】
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入ります。
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謝維立とその一族が住んだ写真・左の建物「泮立楼」は黄色の壁と緑色の瓦、欧米様式の窓とローマ様式の柱、モザイクの床に水洗トイレと中国と西洋の粋を融合させた建築です。
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建物内部
居合わせた中国人観光客グループのガイドが例によってマイクで解説。
私のガイドの李さんに「マイク使われると、他の客が迷惑するんだけどね・・・」ってなことを言うと、李さんは「中国でもマイクは使わないように言われているんだけど・・・」
それで済むかと思ったら、李さん、マイクを持ったガイド女性に近づいて、何やらマイク使用を辞めるように言っているみたい。
ただ、相手も多少抗議されたぐらいではひるみません。
同業者に抗議するガイド氏というのは初めてです。
李さん、実にユニークな女性です。 -
建物内部は、正直に言えば、さほど興味を引くようなものはありません。
財をなした華僑とは言っても、現代の基準からすれば、そんなに派手な生活をしていた訳でもありません。 -
床
もともと今回の旅行目的は桂林と張家界で、広州はフライト前の余った時間で・・・・といった位置づけ。 -
天井
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西洋的な装飾も
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暖炉
一応、記録として、室内画像を並べていきます。 -
第一夫人だか第二夫人だかの部屋
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炊事場
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風呂にトイレ(水洗?)
1930年代、40年代の当時としては画期的なものだったのでしょう。 -
食器は、富豪にしては地味な感も。
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「楽天楼」
洪水や泥棒などから守る見張りの役目を果たした建物とか。 -
庭園
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左手前が「花藤亭」 右奥が「鳥巣」
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右手前が「鳥巣」(文字通り、鳥を飼っていたようです)
左奥が「花藤亭」 -
庭園内に造られた人工の川
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謝維立が亡くなった愛妻をしのんで、彼女の死後に建てた建物。
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死後に建築したものですから、女性が住んでいたわけではありませんが、建物内には生前の彼女をしのぶ衣服や調度が配置されています。
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刺繍をほどこした手紙入れ
地上と天国で手紙をやり取りしたのでしょうか。 -
在りし日の二人
「そんな美人だった訳でもないのですね・・・」って、ガイドの李さんに言ったら、人間の素晴らしさは外見ではないと叱られました。 -
麻雀が好きだったようで、雀卓などもありました。
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雰囲気もいいこのあたりで、李さんに言われて、ポーズをとる李さんの写真を何枚も撮影。
誤解されるといけないので付け加えると、広州に到着したときに、わざわざ桂林のガイドに、私が不用心なので腰にまくポーチを買わせないと電話してくれたように、面倒見がいい面も。
まあ、ユニークな女性でした。世界遺産「開平楼閣」よりも面白かったです。 -
「開平楼閣」観光を終えてホテルに。
李さんとも別れて、翌朝の早朝フライトで日本へもどります。 -
ホテル近くの安い店で夕食
鴨だかアヒルだかの料理 -
大都会広州ですから、ホテル周辺も賑やかです。
正面のお店が夕食を食べたところ。 -
ホテル周辺
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人ごみの中には、こんな格好の若者も
チャイナドレスは満州族の伝統衣装からのもので、漢族にとっては本来は異文化です。
そんなことから「漢服」を見直す動きが若い世代にあると聞きますが、その流れでしょうか?
それとも、単なるコスプレでしょうか?
若い人が奇抜なものを求めるのは日本も中国も同じです。
という結論で、今回の桂林・張家界旅行は終了です。
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