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2017年11月26日(日)11時、空港からホテルまで送ってくれた彼女と連絡先を交換して別れ、アスンシオン(Asuncion)市内観光に繰り出す。旧市街(El centro de Asuncion)の中心部は活気にあふれていると云うことだったけど、日曜の昼前は結構閑散としている。昼間は比較的治安も良く、安心して歩き回れるが、経済の低迷による失業者の増加や貧困層の流入を理由に治安は悪化しているとのことなので、いつものように気を付けながら歩き出す。旧市街は碁盤の目のように区画されているため歩き易い。<br /><br />まずは近くの英雄霊廟(Panteon Nacional de los Heroes)に向かう。霊廟の手前まで来るといきなり日本語のプレートが目に入る。何かと思ったら、アスンシオンと千葉市の姉妹都市15周年を記念したプレート。1985年に造られたものなので、姉妹都市になったのは1970年。どうやら千葉市に取ってはカナダのノースバンクーバー(North Vancouver)と共に、最初に姉妹都市提携をしたところらしい。千葉の人、知ってるかしら?<br /><br />英雄霊廟はもともとは1863年に、第2代大統領のフランシスコ・ソラーノ・ロペス(Francisco Solano Lopez Carrillo)の指示により、聖母被昇天礼拝堂(Oratorio de la Virgen de la Asuncion)として建設が始まったもの。しかし直後に三国同盟戦争(La Guerra de la Triple Alianza)が勃発したため、70年以上建設は止まっていた。完成したのはチャコ戦争(Guerra del Chaco)が休戦した1935年の翌年の36年。大統領令によってにより英雄霊廟としてオープンした。<br /><br />ドーム型の霊廟はパリのパンテオン(Pantheon)を模して造られており、カルロス・アントニオ・ロペス(Carlos Antonio Lopez)初代大統領、フランシスコ・ソラーノ・ロペス第2代大統領、チャコ戦争の英雄であったホセ・フェリクス・エスティガリビア・インサウラルデ(Jose Felix Estigarribia Insaurralde)第26代大統領ほか、戦争の英雄たちが祀られている。<br /><br />修復工事中と云う情報があったので、終了していることを期待していったのだが、やっぱり駄目だった。残念。11年から始まった修復作業は7年掛けて18年8月に終了し、今は毎日6時から16時まで開いてるそうだ。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.2150328841703795&amp;type=1&amp;l=8a89379cb0<br /><br />開いてないものはしょうがないので、英雄霊廟の北側のパルマ通り(Calle Palma)を東に歩く。この通りはこの町のメインストリートで、安いレストランや両替所などが軒を連ねている。革製品や時計などを売る露店も並ぶと云うが日曜のせいかそんな店もない。インデンペンシアナシオナル通り(Calle Independencia Nacional)通りを過ぎると、エスティガリビア陸軍元帥通り(Calle Mcal. Estigarribia)と名前が変わるが、両サイドの建物が詳細は分からないがなかなか渋い(下の写真1、2)。<br /><br />英雄霊廟から5ブロックほど東のウルグアージャ広場(Plaza Uruguaya)の北側にあるのが鉄道博物館(Museo del Ferroviario)。もともとの鉄道中央駅(Estacion Central del Ferrocarril)を1992年に博物館として整備し、公開したもの。渡航前に調べられた情報では平日8時から16時までの他、土日も9時から13時まで開いているとあったのだが、情報が古かった。朝の11時過ぎだけど開いてない。これで、アスンシオンの観光ポイントは残りは日曜は休みと分かっているので、全滅。外から見るしかない。ラテンアメリカでは月曜休みが多くて、日曜は開いてるところも多いのだけど、ここは日曜、どこにも入れない。残念・・・<br /><br />さて、この元中央駅、「ミスター石工(Stonemason)」とも呼ばれたイギリス人建築家のアロンソ・テイラー(Alonso Taylor)設計の、とても立派な駅。1961年に完成したが、正式なオープンは64年で、時のフランシスコ・ソラーノ・ロペス第2代大統領もセレモニーに出席したそうだ。2014年には文化大臣も出席して150周年記念イベントが行われた。オープン時にはウルグアージャ広場は当時サンフランシスコ広場(Plaza San Francisco)と呼ばれていたのでサンフランシスコ駅(Estacion San Francisco)と呼ばれた。<br /><br />パラグアイの鉄道は1854年、初代大統領カルロス・アントニオ・ロペスの指示により検討が始まり、57年に建設開始、59年に港とサンフランシスコ広場が結ばれ、61年にトリニダード(Trinidad=現在の植物園(Jardin Botanico))までの区間が開通した。これは南米大陸で最初に運行された列車の1つと見なすことができる。<br /><br />その後最長営業キロ441㎞まで伸び、パラグアイ南東部のエンカルナシオン(Encarnacion)とパラナ川(Rio Parana)の向かいのアルゼンチンのポサダス(Posadas)間をフェリーで結び、アスンシオン・ブエノスアイレス間の直通列車も走っていた。しかし、1990年代初頭には車両の老朽化が進み、線路の補修もままならなくなり、時速20km以上の速度が出せない状況となり、2000年代に入り、全線を通しての旅客列車の運行は中止された。その後、アスンシオン(植物園駅)と近郊の間を往復する蒸気機関車による観光列車と、エンカルナシオン・ポサダス間を1990年に完成した道路・鉄道併設橋のサンロケゴンサレスデサンタクルス橋(San Roque Gonzalez de Santa Cruz Bridge)経由で結ぶ貨物列車のみの運行となったが、2010年にアスンシオン近郊の鉄橋が壊れ、観光列車の運行は停止された。現在再開が検討中とのこと。なお、2000年に鉄道設置を進めた大統領の名前を取り、カルロス・アントニオ・ロペス鉄道(Ferrocarril Carlos Antonio Lopez)に改名された。<br /><br />博物館には、19世紀初頭に蒸気機関車が開通してからわずか29年後にイギリスで製造され、1864年に運転を開始した最初の商用機関車などパラグアイの鉄道の歴史にまつわる設備や車両が展示されているが、外からしか見れれなかった。また、博物館の外、北側には車両や機関車があったが、案内板もなく、展示しているのか廃棄されているのか分からないような状況だった。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.2150322111704468&amp;type=1&amp;l=8a89379cb0<br /><br />英雄霊廟は修復中で入れず、鉄道博物館も日曜休業となってしまっては、もうどこにも入れるところがない。他にも観光ポイント、いくつかあるのだが、どこも日曜はやってない。しょうがないので、せめて外からだけでも見ようと11時半頃歩き始める。<br /><br />鉄道博物館の300mほど東にあるのがアンドレ・バルベロ民族学博物館(Museo Etnografico Dr. Andres Barbero)。20世紀前半に活躍した学者で植物学者のアンドレ・バルベロ博士の先住民に関するコレクションを公開している博物館で、1933年に設立され、現在の場所に1956年に移った。1階は図書館で、2階の博物館にはチャコ(Chaco)、マカ(Makah)、グアラニー(Guarani)などの先住民族の写真資料や、それぞれの文化の石器、土器、生活用具が展示されているそうだが、土日休みの情報通り。<br /><br />次は少し遠い。1㎞ほど歩く。セントロの東は、広く舗装された通りに面して中級・高級住宅地が広がり、セントロとはだいぶ趣が異なり、閑静で美しい町並みになる。そんな中に建つのが国立美術館(Museo Nacional de Bellas Artes)。1909年にオープンした、18~20世紀の現代絵画を展示する美術館。館内は6つの展示室からなり、はじめの3室はヨーロッパ絵画を中心に、パラグアイ以外の南米の作家の作品を紹介。あとの3室ではパラグアイの作家の作品を展示している。規模は小さいが、コレクションのレベルは高い。日曜休みの情報通り。<br /><br />国立美術館で折り返し、旧市街に戻る。途中、La Casa del Medicoと云う、これまた重厚なファザードのショッピングモールもあったが、ここも閉まってる。12時20分過ぎ、鉄道博物館前のウルグアージャ広場(Plaza Uruguaya)まで戻る。この広場の辺りは最初は奴隷小屋と家畜囲いがあった場所だった。独立後、陸軍本部の場所となり、フランシスコ・ソラーノ・ロペス第2代大統領の時代には凱旋門もあり、上にも書いたようにサンフランシスコ広場と呼ばれていた。凱旋門は三国同盟戦争やチャコ戦争の間に失われた。1885年、ウルグアイ(Uruguay)が三国同盟戦争の戦利品を返還し、債務を取り消しにしたことに感謝して現在の名前に改名された。<br /><br />公園の中には多くの銅像が設置されている。中央にあるのはお隣、ウルグアイ建国の父と呼ばれるホセ・アルティガス(Jose Gervasio Artigas)の銅像。彼は晩年はこの国で隠遁生活を送った。椅子に座っている姿の銅像はアウグスト・ロア・バストス(Augusto Roa Bastos)。2005年に亡くなった彼は、パラグアイ史上最も著名な作家と云われる(下の写真3)。ギターを持っているのはアグスティン・ピオ・バリオス(Agustin Pio Barrios)。20世紀前半に活躍したギタリスト・作曲家・詩人で、パラグアイのすべての時代を通じて最も偉大な音楽家の一人と云われる(下の写真4)。なお、2つの銅像の後ろに写る変な形の建物はセルビリブロ(Servilibro)と云う本屋。公園の中に本屋とは変わってる。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.2150328841703795&amp;type=1&amp;l=8a89379cb0<br /><br />12時半を過ぎたので、昼食にする。最初に行った英雄霊廟とパルマ通りを挟んである、1953年創業の老舗レストラン、リドバー(Lido Bar)。外のテーブル席も中のカウンター席も地元客で混み合っているが、なんとかカウンターに落ち着く。パタゴニアボヘミアン(Patagonia Bohemian)と云う地元ビール(25,000G)で、パン付の魚のスープ(Caldo de Pescado)(38,000G)。桁はデカいが、合計で1267円だし、高くない。魚のスープはスルビ(Surubi)と云うナマズの一種で、この辺りの名物。アルゼンチン(Argentina)のプエルトイグアス(Puerto Iguazu)のレストランでもスルビは食べたな。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.2150325978370748&amp;type=1&amp;l=8a89379cb0<br /><br />食事を終えて、いったんホテルに戻る。<br /><br /><br />後半へ続く。

アスンシオン旧市街(El centro de Asuncion, Asuncion, Paraguay)

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2017/11/26 - 2017/11/26

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ちふゆ

ちふゆさん

2017年11月26日(日)11時、空港からホテルまで送ってくれた彼女と連絡先を交換して別れ、アスンシオン(Asuncion)市内観光に繰り出す。旧市街(El centro de Asuncion)の中心部は活気にあふれていると云うことだったけど、日曜の昼前は結構閑散としている。昼間は比較的治安も良く、安心して歩き回れるが、経済の低迷による失業者の増加や貧困層の流入を理由に治安は悪化しているとのことなので、いつものように気を付けながら歩き出す。旧市街は碁盤の目のように区画されているため歩き易い。

まずは近くの英雄霊廟(Panteon Nacional de los Heroes)に向かう。霊廟の手前まで来るといきなり日本語のプレートが目に入る。何かと思ったら、アスンシオンと千葉市の姉妹都市15周年を記念したプレート。1985年に造られたものなので、姉妹都市になったのは1970年。どうやら千葉市に取ってはカナダのノースバンクーバー(North Vancouver)と共に、最初に姉妹都市提携をしたところらしい。千葉の人、知ってるかしら?

英雄霊廟はもともとは1863年に、第2代大統領のフランシスコ・ソラーノ・ロペス(Francisco Solano Lopez Carrillo)の指示により、聖母被昇天礼拝堂(Oratorio de la Virgen de la Asuncion)として建設が始まったもの。しかし直後に三国同盟戦争(La Guerra de la Triple Alianza)が勃発したため、70年以上建設は止まっていた。完成したのはチャコ戦争(Guerra del Chaco)が休戦した1935年の翌年の36年。大統領令によってにより英雄霊廟としてオープンした。

ドーム型の霊廟はパリのパンテオン(Pantheon)を模して造られており、カルロス・アントニオ・ロペス(Carlos Antonio Lopez)初代大統領、フランシスコ・ソラーノ・ロペス第2代大統領、チャコ戦争の英雄であったホセ・フェリクス・エスティガリビア・インサウラルデ(Jose Felix Estigarribia Insaurralde)第26代大統領ほか、戦争の英雄たちが祀られている。

修復工事中と云う情報があったので、終了していることを期待していったのだが、やっぱり駄目だった。残念。11年から始まった修復作業は7年掛けて18年8月に終了し、今は毎日6時から16時まで開いてるそうだ。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.2150328841703795&type=1&l=8a89379cb0

開いてないものはしょうがないので、英雄霊廟の北側のパルマ通り(Calle Palma)を東に歩く。この通りはこの町のメインストリートで、安いレストランや両替所などが軒を連ねている。革製品や時計などを売る露店も並ぶと云うが日曜のせいかそんな店もない。インデンペンシアナシオナル通り(Calle Independencia Nacional)通りを過ぎると、エスティガリビア陸軍元帥通り(Calle Mcal. Estigarribia)と名前が変わるが、両サイドの建物が詳細は分からないがなかなか渋い(下の写真1、2)。

英雄霊廟から5ブロックほど東のウルグアージャ広場(Plaza Uruguaya)の北側にあるのが鉄道博物館(Museo del Ferroviario)。もともとの鉄道中央駅(Estacion Central del Ferrocarril)を1992年に博物館として整備し、公開したもの。渡航前に調べられた情報では平日8時から16時までの他、土日も9時から13時まで開いているとあったのだが、情報が古かった。朝の11時過ぎだけど開いてない。これで、アスンシオンの観光ポイントは残りは日曜は休みと分かっているので、全滅。外から見るしかない。ラテンアメリカでは月曜休みが多くて、日曜は開いてるところも多いのだけど、ここは日曜、どこにも入れない。残念・・・

さて、この元中央駅、「ミスター石工(Stonemason)」とも呼ばれたイギリス人建築家のアロンソ・テイラー(Alonso Taylor)設計の、とても立派な駅。1961年に完成したが、正式なオープンは64年で、時のフランシスコ・ソラーノ・ロペス第2代大統領もセレモニーに出席したそうだ。2014年には文化大臣も出席して150周年記念イベントが行われた。オープン時にはウルグアージャ広場は当時サンフランシスコ広場(Plaza San Francisco)と呼ばれていたのでサンフランシスコ駅(Estacion San Francisco)と呼ばれた。

パラグアイの鉄道は1854年、初代大統領カルロス・アントニオ・ロペスの指示により検討が始まり、57年に建設開始、59年に港とサンフランシスコ広場が結ばれ、61年にトリニダード(Trinidad=現在の植物園(Jardin Botanico))までの区間が開通した。これは南米大陸で最初に運行された列車の1つと見なすことができる。

その後最長営業キロ441㎞まで伸び、パラグアイ南東部のエンカルナシオン(Encarnacion)とパラナ川(Rio Parana)の向かいのアルゼンチンのポサダス(Posadas)間をフェリーで結び、アスンシオン・ブエノスアイレス間の直通列車も走っていた。しかし、1990年代初頭には車両の老朽化が進み、線路の補修もままならなくなり、時速20km以上の速度が出せない状況となり、2000年代に入り、全線を通しての旅客列車の運行は中止された。その後、アスンシオン(植物園駅)と近郊の間を往復する蒸気機関車による観光列車と、エンカルナシオン・ポサダス間を1990年に完成した道路・鉄道併設橋のサンロケゴンサレスデサンタクルス橋(San Roque Gonzalez de Santa Cruz Bridge)経由で結ぶ貨物列車のみの運行となったが、2010年にアスンシオン近郊の鉄橋が壊れ、観光列車の運行は停止された。現在再開が検討中とのこと。なお、2000年に鉄道設置を進めた大統領の名前を取り、カルロス・アントニオ・ロペス鉄道(Ferrocarril Carlos Antonio Lopez)に改名された。

博物館には、19世紀初頭に蒸気機関車が開通してからわずか29年後にイギリスで製造され、1864年に運転を開始した最初の商用機関車などパラグアイの鉄道の歴史にまつわる設備や車両が展示されているが、外からしか見れれなかった。また、博物館の外、北側には車両や機関車があったが、案内板もなく、展示しているのか廃棄されているのか分からないような状況だった。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.2150322111704468&type=1&l=8a89379cb0

英雄霊廟は修復中で入れず、鉄道博物館も日曜休業となってしまっては、もうどこにも入れるところがない。他にも観光ポイント、いくつかあるのだが、どこも日曜はやってない。しょうがないので、せめて外からだけでも見ようと11時半頃歩き始める。

鉄道博物館の300mほど東にあるのがアンドレ・バルベロ民族学博物館(Museo Etnografico Dr. Andres Barbero)。20世紀前半に活躍した学者で植物学者のアンドレ・バルベロ博士の先住民に関するコレクションを公開している博物館で、1933年に設立され、現在の場所に1956年に移った。1階は図書館で、2階の博物館にはチャコ(Chaco)、マカ(Makah)、グアラニー(Guarani)などの先住民族の写真資料や、それぞれの文化の石器、土器、生活用具が展示されているそうだが、土日休みの情報通り。

次は少し遠い。1㎞ほど歩く。セントロの東は、広く舗装された通りに面して中級・高級住宅地が広がり、セントロとはだいぶ趣が異なり、閑静で美しい町並みになる。そんな中に建つのが国立美術館(Museo Nacional de Bellas Artes)。1909年にオープンした、18~20世紀の現代絵画を展示する美術館。館内は6つの展示室からなり、はじめの3室はヨーロッパ絵画を中心に、パラグアイ以外の南米の作家の作品を紹介。あとの3室ではパラグアイの作家の作品を展示している。規模は小さいが、コレクションのレベルは高い。日曜休みの情報通り。

国立美術館で折り返し、旧市街に戻る。途中、La Casa del Medicoと云う、これまた重厚なファザードのショッピングモールもあったが、ここも閉まってる。12時20分過ぎ、鉄道博物館前のウルグアージャ広場(Plaza Uruguaya)まで戻る。この広場の辺りは最初は奴隷小屋と家畜囲いがあった場所だった。独立後、陸軍本部の場所となり、フランシスコ・ソラーノ・ロペス第2代大統領の時代には凱旋門もあり、上にも書いたようにサンフランシスコ広場と呼ばれていた。凱旋門は三国同盟戦争やチャコ戦争の間に失われた。1885年、ウルグアイ(Uruguay)が三国同盟戦争の戦利品を返還し、債務を取り消しにしたことに感謝して現在の名前に改名された。

公園の中には多くの銅像が設置されている。中央にあるのはお隣、ウルグアイ建国の父と呼ばれるホセ・アルティガス(Jose Gervasio Artigas)の銅像。彼は晩年はこの国で隠遁生活を送った。椅子に座っている姿の銅像はアウグスト・ロア・バストス(Augusto Roa Bastos)。2005年に亡くなった彼は、パラグアイ史上最も著名な作家と云われる(下の写真3)。ギターを持っているのはアグスティン・ピオ・バリオス(Agustin Pio Barrios)。20世紀前半に活躍したギタリスト・作曲家・詩人で、パラグアイのすべての時代を通じて最も偉大な音楽家の一人と云われる(下の写真4)。なお、2つの銅像の後ろに写る変な形の建物はセルビリブロ(Servilibro)と云う本屋。公園の中に本屋とは変わってる。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.2150328841703795&type=1&l=8a89379cb0

12時半を過ぎたので、昼食にする。最初に行った英雄霊廟とパルマ通りを挟んである、1953年創業の老舗レストラン、リドバー(Lido Bar)。外のテーブル席も中のカウンター席も地元客で混み合っているが、なんとかカウンターに落ち着く。パタゴニアボヘミアン(Patagonia Bohemian)と云う地元ビール(25,000G)で、パン付の魚のスープ(Caldo de Pescado)(38,000G)。桁はデカいが、合計で1267円だし、高くない。魚のスープはスルビ(Surubi)と云うナマズの一種で、この辺りの名物。アルゼンチン(Argentina)のプエルトイグアス(Puerto Iguazu)のレストランでもスルビは食べたな。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.2150325978370748&type=1&l=8a89379cb0

食事を終えて、いったんホテルに戻る。


後半へ続く。

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  • 写真1 エスティガリビア陸軍元帥通り南側

    写真1 エスティガリビア陸軍元帥通り南側

  • 写真2 エスティガリビア陸軍元帥通り北側

    写真2 エスティガリビア陸軍元帥通り北側

  • 写真3 アウグスト・ロア・バストスの銅像

    写真3 アウグスト・ロア・バストスの銅像

  • 写真4 アグスティン・ピオ・バリオスの銅像

    写真4 アグスティン・ピオ・バリオスの銅像

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