アスンシオン旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2017年11月26日(日)9時50分前、ウルグアイ(Uruguay)モンテビデオ(Montevideo)から1時間50分ほどのフライトでパラグアイ(Paraguay)アスンシオン(Asuncion)のシルビオ・ペティロッシ国際空港(Aeropuerto International Silvio Pettirossi)に予定通り到着。アスンシオンの東15㎞のルケ(Luque)にある空港で、3300m級滑走路1本を持つ。空港の名前は20世紀初頭のパラグアイの航空のパイオニアであるシルビオ・ペッティロッシ(Silvio Pettirossi)にちなむ。1980年にストロエスネル大統領国際空港(Aeropuerto Internacional &quot;Presidente Stroessner&quot;)として開港したが、彼の失脚後現在名に改称された。<br /><br />イミグレを通り、荷物を受け取って税関を通ると、まずは両替。残っていたアルゼンチンペソとウルグアイペソで35000Gを得る。0の数が多くてビビるがたった700円ほどで、大したものは買えない。市内に向かうが、ここは空港からの路線バスが3600Gでホテルの近くまで行くはずなので、事前に調べた情報に従ってターミナルビルを出て、右手に進む。情報では200mほどでバス停があると云うことで、歩きにくいほどをスーツケースを持って進む。<br /><br />で、バス停らしきところに辿り着いてあとはバスを待つだけと思っていたら、近くに車を止めてた2人連れの女性に声を掛けらる。英語で話してくれてどうもホテルまで送ってくれると云う。いやあ、悩んだ。初めて来た国で、こう云う誘い掛けに乗るって結構勇気がいるんだよね。最初断ったんだけど、遠慮せずにと云うし、若い女性2人でまともそうだし(失礼)、信じてみることにする。結果、至極まともで、とても親切な方で、まっすぐホテルまで送ってもらえた。ありがとう、助かった!<br /><br />この2人の女性のうち、運転してた方とはお友達になり、今も繋がってるが、その後日本にも来られた。私がこの旅から帰ってからは日本にいる間もジャマイカ行の準備で忙しかったので逢えなかったが、また逢えるのを楽しみにしている。彼女、深くは知らないけど、1年半前には日本に何か月かいたし、今は韓国に長くいるよう。なんかすごい人。<br /><br />と云うことで、あっと云う間にって感じでアスンシオンに入る。パラグアイの首都で、郊外の都市とともに、国の人口の約30%、200万人を超すアスンシオン都市圏を形成する。町の名前は、1537年にこの地にやって来たスペイン人のフアン・デ・サラサール(Juan de Salazar)がここに砦を築き、聖母の被昇天(Asuncion de Maria)を記念する祝日である8月15日であったことからヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・アスンシオン(Nuestra Senora de la Asuncion)と名付けたことに由来している。<br /><br />パラグアイ川(Rio Paraguay)の東岸に位置し、河口からの距離は約1600㎞あるが、標高は43m程度。旧市街の北側にアスンシオン湾(Bahia de Asuncion)と呼ばれる湾処があり、ここに港が造られた。アスンシオンの少し下流で合流するピルコマヨ川(Rio Pilcomayo)がアルゼンチンとの国境になっており、合流以降は川向うはアルゼンチンとなるが、アスンシオンは合流地点より上流にあるので、対岸はグランチャコ。<br /><br />1541年に先住民の攻撃のため放棄されたブエノスアイレス(Buenos Aires)からの避難者を迎え、街としての体裁が整えられた。南米都市の中では歴史は古く、スペイン人やクリオーリョ(Criollo=現地生まれのスペイン人の子供)たちの南米大陸中南部の征服と植民地建設のベース基地となった。ここから出発した植民団がラプラタ川(Rio de la Plata)流域内外の広い範囲に都市を建設したため、諸都市の母(Madre de Ciudades)とも呼ばれる。ブエノスアイレス(Buenos Aires)の港が隆盛する17世紀後半までラプラタ川(Rio de la Plata)流域最大の港だった。1811年の独立と共に首都となった。三国同盟戦争(La Guerra de la Triple Alianza)の後半、1869年から76年まではブラジルに占領された。<br /><br />現在も海をもたないパラグアイの重要な貿易港。旧市街地は河岸の低地に、19世紀以降の新市街地は高い台地上に発達している。旧市街にはスペイン風のコロニアル建築が数多く残り、人口の1/4が集中する首都とはいえ、どこか地方都市のような穏やかさが漂う。港の風景ものどかで牧歌的。町の中心部は緑が多く、6月から9月には国木であるラパチョ(Lapacho)の街路樹がピンク、白、黄色の花を付ける。新市街の中心付近には高層建築が見られるが、それ以外には10階以上の建築物は少ない。<br /><br />車で送ってもらったので10時半過ぎにはホテルに無事チェックイン。旧市街地の中心、英雄広場(Plaza de los Heroes)に近いグランホテルパラナ(Gran Hotel Parana)(表紙の写真)。ロビーも広く、宿と云うよりホテルって感じ。部屋も綺麗。ただ、残念だったのは、部屋でWifiが繋がらない。ロビーではOKだったんだけど。1泊308,000G(6196円)。<br /><br /><br />観光に出発だが続く。

アスンシオン(Asuncion, Paraguay)

0いいね!

2017/11/26 - 2017/11/26

82位(同エリア84件中)

旅行記グループ パラグアイ

0

0

ちふゆ

ちふゆさん

2017年11月26日(日)9時50分前、ウルグアイ(Uruguay)モンテビデオ(Montevideo)から1時間50分ほどのフライトでパラグアイ(Paraguay)アスンシオン(Asuncion)のシルビオ・ペティロッシ国際空港(Aeropuerto International Silvio Pettirossi)に予定通り到着。アスンシオンの東15㎞のルケ(Luque)にある空港で、3300m級滑走路1本を持つ。空港の名前は20世紀初頭のパラグアイの航空のパイオニアであるシルビオ・ペッティロッシ(Silvio Pettirossi)にちなむ。1980年にストロエスネル大統領国際空港(Aeropuerto Internacional "Presidente Stroessner")として開港したが、彼の失脚後現在名に改称された。

イミグレを通り、荷物を受け取って税関を通ると、まずは両替。残っていたアルゼンチンペソとウルグアイペソで35000Gを得る。0の数が多くてビビるがたった700円ほどで、大したものは買えない。市内に向かうが、ここは空港からの路線バスが3600Gでホテルの近くまで行くはずなので、事前に調べた情報に従ってターミナルビルを出て、右手に進む。情報では200mほどでバス停があると云うことで、歩きにくいほどをスーツケースを持って進む。

で、バス停らしきところに辿り着いてあとはバスを待つだけと思っていたら、近くに車を止めてた2人連れの女性に声を掛けらる。英語で話してくれてどうもホテルまで送ってくれると云う。いやあ、悩んだ。初めて来た国で、こう云う誘い掛けに乗るって結構勇気がいるんだよね。最初断ったんだけど、遠慮せずにと云うし、若い女性2人でまともそうだし(失礼)、信じてみることにする。結果、至極まともで、とても親切な方で、まっすぐホテルまで送ってもらえた。ありがとう、助かった!

この2人の女性のうち、運転してた方とはお友達になり、今も繋がってるが、その後日本にも来られた。私がこの旅から帰ってからは日本にいる間もジャマイカ行の準備で忙しかったので逢えなかったが、また逢えるのを楽しみにしている。彼女、深くは知らないけど、1年半前には日本に何か月かいたし、今は韓国に長くいるよう。なんかすごい人。

と云うことで、あっと云う間にって感じでアスンシオンに入る。パラグアイの首都で、郊外の都市とともに、国の人口の約30%、200万人を超すアスンシオン都市圏を形成する。町の名前は、1537年にこの地にやって来たスペイン人のフアン・デ・サラサール(Juan de Salazar)がここに砦を築き、聖母の被昇天(Asuncion de Maria)を記念する祝日である8月15日であったことからヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・アスンシオン(Nuestra Senora de la Asuncion)と名付けたことに由来している。

パラグアイ川(Rio Paraguay)の東岸に位置し、河口からの距離は約1600㎞あるが、標高は43m程度。旧市街の北側にアスンシオン湾(Bahia de Asuncion)と呼ばれる湾処があり、ここに港が造られた。アスンシオンの少し下流で合流するピルコマヨ川(Rio Pilcomayo)がアルゼンチンとの国境になっており、合流以降は川向うはアルゼンチンとなるが、アスンシオンは合流地点より上流にあるので、対岸はグランチャコ。

1541年に先住民の攻撃のため放棄されたブエノスアイレス(Buenos Aires)からの避難者を迎え、街としての体裁が整えられた。南米都市の中では歴史は古く、スペイン人やクリオーリョ(Criollo=現地生まれのスペイン人の子供)たちの南米大陸中南部の征服と植民地建設のベース基地となった。ここから出発した植民団がラプラタ川(Rio de la Plata)流域内外の広い範囲に都市を建設したため、諸都市の母(Madre de Ciudades)とも呼ばれる。ブエノスアイレス(Buenos Aires)の港が隆盛する17世紀後半までラプラタ川(Rio de la Plata)流域最大の港だった。1811年の独立と共に首都となった。三国同盟戦争(La Guerra de la Triple Alianza)の後半、1869年から76年まではブラジルに占領された。

現在も海をもたないパラグアイの重要な貿易港。旧市街地は河岸の低地に、19世紀以降の新市街地は高い台地上に発達している。旧市街にはスペイン風のコロニアル建築が数多く残り、人口の1/4が集中する首都とはいえ、どこか地方都市のような穏やかさが漂う。港の風景ものどかで牧歌的。町の中心部は緑が多く、6月から9月には国木であるラパチョ(Lapacho)の街路樹がピンク、白、黄色の花を付ける。新市街の中心付近には高層建築が見られるが、それ以外には10階以上の建築物は少ない。

車で送ってもらったので10時半過ぎにはホテルに無事チェックイン。旧市街地の中心、英雄広場(Plaza de los Heroes)に近いグランホテルパラナ(Gran Hotel Parana)(表紙の写真)。ロビーも広く、宿と云うよりホテルって感じ。部屋も綺麗。ただ、残念だったのは、部屋でWifiが繋がらない。ロビーではOKだったんだけど。1泊308,000G(6196円)。


観光に出発だが続く。

PR

0いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

パラグアイで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
パラグアイ最安 1,401円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

パラグアイの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP