2019/09/24 - 2019/09/25
105位(同エリア286件中)
風待ちさん
対馬にはリアス式の入り組んだ海岸を持つ浅茅湾があります。そこから、多くの美しい津を持つ島・津島とも、韓国の馬韓に対する島・対馬からきているとも言われています。大陸に近い国境の島で、古くからの中国、朝鮮との交易、、交流の歴史・遺跡が多く残る島です。行ってみて、あらためてその歴史の深さ、重さがずっしりと見応えある壱岐・対馬に感動してしまいました。対馬に1泊、壱岐に2泊の旅。今年のハイライトとなりました。
対馬1日目。厳原港12:45着~万松院~万関橋~和多都美神社
~烏帽子岳展望台
2日目。金田城趾~小茂田神社~椎根の石屋根~お船江
~厳原港13:00発
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 船 レンタカー ジェットスター
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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○一日目。まず、厳原港からレンタカーで5分ほどの万松院へ。
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いかにも苔むした塀が訪訪れた者を一気にタイムスリップさせます。
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すぐ脇には、これもまた古めかしい石垣が。
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対馬藩主 宗家の居城だった金石城の搦手門(からめてもん)です。搦め手とは、城の裏門、転じて相手の攻めやすい側面弱点、注意の届かない部分との意味のあるよう。
この日は祝日の翌日で、国の名勝金石城庭園は閉まっていましたが、まさに搦め手門は攻めることが出来ました。 -
高石城庭園出口。本日休園。
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万松院の前には彼岸花の群落があり、クロアゲハがたくさん飛んでいました。時を経た史跡にふさわしい光景。
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対馬藩主 宗家の菩提寺。1615年、宋 義成が父 義智の菩提のために創立。当初は松音寺と言ったけれど1623年に父の法号万松院に因んで寺号を改めたといいます。
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諌鼓(かんこ)
領主に対し諫言(目上の人の非をいさめようとすることば)しようとする人民に打ち鳴らさせるための鼓 との説明があります。龍の刻まれた石柱の上の鼓は鳴ることがあったのか?鳴らせたのか?疑問が残ります。 -
朝鮮国王より墓前に寄贈されたという三具足。三具足とは、仏具の呼称で花立て、香炉、燭台で一組となる仏具のこと、。知らなかった~。ひとつ賢くなったかな?
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孟蘭塔行列とありますが、孟蘭盆会(先祖の供養をするうらぼんえ)のための行列か?描かれているのは日本人の大名行列のような絵でした。
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本堂を出て、墓所へ向かいます。
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こころ静まる階段。歴史を感じさせます。
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この上に宗家代々のお墓が。
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歴史を見守ってきた杉の大木。
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長い歴史を刻み込んだ肌。
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宗家の墓石の一つ。
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歴史を刻んだ石垣。
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さて二カ所目は、万関橋。
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近代的な万関橋ですが、見るのはこの橋ではなく眼下の開削された万関水道です。1900年軍事上の理由で、当時の帝国海軍が万関地峡を艦船が通るようにしたのです。対馬海峡側と朝鮮海峡側が水路でつながったのです。
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浅茅湾につながる水路。
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和多都美神社。海の中に鳥居が続いています。
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海彦山彦伝説と竜宮伝説に彩られた海の女神「豊玉姫を祭る古社。
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全国でもめずらしい三柱鳥居。磯良恵比寿と立て札にありますが、中央にある石がご神体のようです。鱗状の亀裂のある奇妙な石(?)
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本殿前の鳥居
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鳥居の中から海を見て。
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近くの烏帽子岳展望台へ登ってみました。リアス式の内海、浅茅湾が見えます。絶景!
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小さな船が帰ってきました。
一日目は終了。宿に向かいます。 -
○2日目 金田城趾。ここで、おとといの台風の跡を見に来たという美津島町の職員の方に会いました。国指定の特別史跡とは言っても、国からは何の助成もないので、維持管理はとても大変だとおっしゃっていました。
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660年に滅亡した百済再興のため、倭・百済軍は663年白村江で唐・新羅軍と戦い、大敗します。664年、大和朝廷は国防の最前線として壱岐・対馬・筑紫に防人と熢台(のろし、飛び火)を置きます。万葉集に登場する防人の歌の任地となるのです。そして、667年11月にはここに金田城を築いたことが日本書紀に記されているとのこと。
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城山登山口に車を止め歩いていきます。
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自生のダンギクの花が咲いていました。
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歩きはじめて15分ほどで最初のビューポイントヘ。
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金田城壁石垣とある標識まで到着。
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石塁の一部が見えてきました。
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日本で最も古い城の姿。
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登山道から降りてきました。
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東南角石塁。防人達はどんな思いで見張りに立ったのでしょう?
「対馬の嶺は 下雲あらなふ 可牟の嶺にたなびく雲を 見つつ偲はも」
「唐衣 裾に取りつき 泣く子らを 置きてそ来ぬや 母(おも)なしにして」 -
三の城戸に行こうとして登山道を進み東屋のある分かれ道に来てしまいました。先ほどの東南角石塁とは反対方向に行けば良かったのですが、ここでタイムアップ。次に向かいましょう。
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しらたけスカイラインを通り、小茂田神社を目指します。名峰・白嶽が見えました。
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元寇の古戦場(佐須浦)の看板。ここは津島市厳原町小茂田。すぐそばが海。
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1274年、1281年の二度に渡り蒙古襲来を受け、、対馬・壱岐は惨状を呈したとあります。
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ここ、小茂田浜神社は宋助国公以下国難に殉じた人々を祀っている神社。
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対馬に入って初めて見る耕作地。
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椎根の石屋根。どこか韓国風のつくりの倉庫。
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強い風にも耐える石屋根。
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13;00のジェットホイルで壱岐に渡るまでの勝負。お船江跡とはどれ?
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この先の河口にあるらしい。
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対馬藩の御用船を係留した船だまり。4つの突堤の一つが見えました。
後はガソリンを満タンにし、レンタカーを返却、壱岐に向かいます。
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