2019/09/06 - 2019/09/11
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ちゃたろうさん
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この旅行記のスケジュール
2019/09/08
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私はヨーロッパの歴史の中ではドイツの歴史に興味があり、以前からエルツ城とホーエンツォレルン城に行ってみたいと思っていました。今回このお城とノイシュバンシュタイン城や、かつて訪れたことのある街も観光するツアーを見つけたので参加しました。
★主な旅程
・ 9/6 (金) 東京(成田)発11:25 →JL407→16:30 フランクフルト
・ 9/7 (土) フランクフルト→リューデスハイム→ライン川クルーズ→
ザンクトゴアール→ヴィアーシェム→エルツ城観光→
ルートヴィヒスハーフェン
・ 9/8 (日) ルートヴィヒスハーフェン→ハイデルベルク散策→へッヒンゲン
→ホーエンツォレルン城観光→へッヒンゲン→フュッセン
・ 9/9 (月) フュッセン→ホーエンシュバンガウ→ノイシュバンシュタイン城観光
→ヴィース→ヴィース巡礼教会観光→ロマンティック街道ドライブ
→ローテンブルク
・ 9/10 (火) ローテンブルク観光→ヴュルツブルク観光→フランクフルト空港
→19:40 発→JL408
・ 9/11 (水) 東京(成田)着13:55
★今回利用したツアー
H.I.S. Impressoドイツ満喫紀行6日間
★旅の感想
エルツ城とホーエンツォレルン城を観光するツアーはあまりないと思いますのでツアーに参加できて満足です。更にとても有名なノイシュバンシュタイン城やヴィース教会の素晴らしさも味わえて充実した旅でした。こうした少しオタク的なお城と一般的に人気のある場所をコンパクトにまとめてあるよく出来たツアーだと思います。
また、かつて訪れたハイデルベルクやローテンブルクに再び来られたこともとても幸せに感じました。旅行中お天気は最終日以外は雨が降ったり止んだりでしたがお城はむしろ幻想的で中世の物語のようで忘れがたい景色となりました。
添乗員さんもしっかりした感じの良い方で信頼できました。ホテルや食事も特に問題もなく快適でした。観光地を含みながらも全体的に治安の良い地域の旅で心穏やかに過ごせたのもとても良かったと思います。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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ホテルの朝食です。パンもおいしくナッツ入りチョコクリームをつけると良く合います。
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パンやおかずのコーナーです。いろいろあると楽しいです。
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ホテルのロビーです。落ち着いた雰囲気です。
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ホテルの様子。
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ルートヴィヒスハーフェンの街です。電車が見えました。
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ハイデルベルクの街です。また雨が降ったり止んだりです。どの通りや路地を撮ってもきれいだなと思います。
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歩いているとハイデルベルク城が見えてきました。懐かしいです。
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チョコレートのお店です。まだ開店していませんでした。この絵の女性はハイデルベルク城で生まれてフランスのオルレアン公と結婚したリーゼロッテという人です。早い時間ですと街が静かでゆっくり歩けますが、お店が開いてないのですよね。
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高台にあるお城の背後に霧が出ていました。ハイデルベルク城はエルツ城とは異なり三十年戦争やルイ14世の攻撃で破壊されて廃墟になっている部分もあるので独特なふんいきがあります。
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はっきり写っていませんが聖母子像です。街とよく合うので撮ったつもりでしたが。お城への登り口のコルンマルクトというところにありました。
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マルクト広場にある聖霊教会です。教会の外壁にお土産などのお店が併設されていて珍しい感じがしました。この時間では開店してませんが、帰り道には営業し始めていました。
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教会の向かいにある市庁舎です。
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お店の看板。
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カール・テオドール橋近くのホテルの看板です。このお店はホテルの看板です。
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カール・テオドール橋にある猿の像です。手に鏡を持っていて触ると金運が良くなるそうです。猿の顔の部分は空洞になっていて人が顔を入れて写真を撮れます。私は猿の写真撮るだけにしました。そうしているうちに鏡を触るのを忘れました。。。
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猿の像の近くにとても小さなネズミの像があります。昔このあたりに穀物倉庫があったということです。
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カール・テオドールの像です。この橋を建設した選帝侯です。ネッカー川にかかる橋は12世紀からあったそうですが自然災害で何回も壊れたそうです。そしてカール・テオドールが堅固な石橋を建設したそうです。
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プファルツ選帝侯のお城として立派だったのでしょうね。多くの戦乱で廃墟になってしまって残念ですが今も威厳は感じます。今回はお城には行きませんでしたが橋から見上げただけでもハイデルベルクを訪れてよかったと思いました。
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霧にけむるネッカー川の景色もとても美しかったです。
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ハイデルベルク城は何枚も写真を撮りたくなります。橋から見上げる城と街並みは本当に美しく歴史を感じさせて忘れがたい景色となりました。いつかまた来たいなと思わせます。
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橋の入り口にある門です。大きくてとても立派です。昔の城壁の一部だそうです。
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もう一度カール・テオドール侯を見上げました。このときは薄日もさしていました。
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聖霊教会の高い塔です。そびえ立っています。
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ホテルツムリッターです。昔は騎士の館だったそうです。とても立派な建物です。観光には便利かもしれませんね。メインストリートであるハウプト通りに面しています。
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薬局の看板です。ヘビの巻きついた盃で医学や医療の象徴だそうですね。ヨーロッパの他の国でも見かけました。
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まだ人が少ないハウプト通りです。
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有名なハイデルベルクの学生牢の看板です。なぜか天使の絵です。1386年創立のハイデルベルク大学で規則違反をした学生を閉じ込めて罰したそうです。昔は各大学にもあったそうです。1914年まで使われていたということでした。
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学生牢の外観。内部の壁には当時の入所者の落書きでいっぱいだそうですね。
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学生牢近くの大学広場に面したハイデルベルク大学旧校舎です。今は博物館と講堂だそうです。ハイデルベルク大学は歴代の君主の考えや時代ごとの状況でカトリックとプロテスタントに支配されていたそうです。「宗教の振り子」と呼ばれる状況だったということです。
ハイデルベルク大学講堂 建造物
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旧大学校舎の前に噴水です。ライオンの像があり舌を出していて面白いです。
これはプファルツ選帝侯の紋章だそうです。プファルツ選帝侯は7人いる選帝侯のなかでも最も重要な地位の選帝候なのですね。 -
ハイデルベルクを出発してへッヒンゲンに向かいます、途中土砂降りでなんだか旅がどうなるかと心配になりました。せめて土砂降りはやめてほしいなと祈りました。ふと窓を見ると遠くにお城が見えてきました。
ホーエンツォレルン城 城・宮殿
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ホーエンツォレルン城が見えます! 私の写真くらいだとわかりにくいですが、実際に目で見たときは霧の中に現れた古城がとても幻想的で感動しました。物語の世界です。とうとうお城の近くに来たなあと興奮しました。
ホーエンツォレルン城 城・宮殿
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お城の貯水塔だそうです。
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山の途中にある駐車場で降りてシャトルバスに乗り換えます。ここはお城の入り口で「鷲の門」というそうです。このレリーフの人物はブランデンブルク選帝侯フリードリヒ1世です。入り口が混んでいて雨降りで大変撮りにくかったです。。
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トンネルのような岩むき出しの通路です。
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お城に上がる途中の通路と霧。遠くの景色は霧で見えません。
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お城の門と塔です。
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城内のレストランで昼食でした。このサラダはとてもおいしかったです。新鮮な各種野菜が彩りよく盛り合わせされてドレッシングもちょうどよいお味でした。私は現地在住の日本人の方のブログの読者で、この旅のことをお話したらレストランまで会いにきてくださいました。一緒に食事をしてお話をしたり城内も見学しました。
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マウルタッシェンというこの地方の郷土料理です。パスタ生地に、ひき肉やほうれん草や玉ねぎが入った料理です。これはドミグラスソース風のソースがかかっていました。マッシュポテトも付いていて食べやすくおししかったです。
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食事後、城内を見学しました。写真撮影はほとんどのところでできないので少ししかありません。これは紋章のステンドグラスでしょうか?城内は文字通り巨大なスリッパを靴の上にはかされて歩くのでとても歩きにくいです。ロシアの美術館やお城で靴にカバーはかされますがそのほうがずっと歩きやすかったです。いつもはガイド付きの見学だそうですが、今日は自由見学ということでした。
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聖ミヒャエル礼拝堂の内部です。15世紀につくられて19世紀に城に移転したそうです。これは竜を退治する聖ゲオルクの像です。とくに撮影禁止と書かれていませんよと教えてもらい、そっと撮影しました。私は各地にある聖ゲオルク像が大好きですので。
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お城の中庭の眺め。城の地下室もあり、かつての貯蔵庫だったようです。
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こちらはプロテスタントの礼拝堂です。ホーエンツォレルン家は相続財産分割で2つの家系に別れ異なるキリスト教の宗派に属しているので2つの礼拝堂があるのだそうです。この礼拝堂には、かつてフリードリヒ大王と大王の父フリードリヒ・ヴィルヘルム1世の棺が安置されていたそうです。このことを知るとホーエンツォレルン家の重要な場所であることが実感できます。
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お城からの帰り道も霧で遠くは見えませんでした。遠くを見晴らせたら美しいでしょうし気持ち良いだろうなと思いました。
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お城で買った絵葉書です。本来は堂々とそびえ立つお城が見えるのですね。内部もとても荘重なホールや王妃の美しい部屋、宝物館の王冠や鎧など見どころがありました。この城は11世紀には原型が存在しツォレルン家が支配していたそうです。いつごろホーエンツォレルンと名乗ったかはわからないようですが、1214年にシュヴァーベン家とフランケン=ブランデンブルク=プロイセン家にわかれました。前者はこのあたり一帯を治め後者は中・北部フランケン地方の領地を得て、その後ブランデンブルク選帝侯からプロイセン王になっていったのでした。城そのものは長い歴史のなかで破壊されて放置されていたのをプロイセン国王
フリードリヒ・ヴィルヘルム4世が19世紀に再建したのです。 -
山から降りてきました。振り返っても霧がかかっていてよく見えませんね。ホーエンツォレルン家発祥の地と城を見ることができてうれしかったです。個人的にはホーエンツォレルン城は、お天気や時間や季節に関係なく遠くから眺めて堂々とした城を見て感動する瞬間が一番だなと思いました。
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シュヴァーベン地方の田園風景です。どこまでも広々として美しいです。
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道路標識です。インスブルックを指しています。そちらも行きたいなと思います。
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さてフュッセンのホテルに着いて夕食です。ビュッフェ方式でサラダなど各自取り、メインは持ってきてくれました。メインはお魚のムニエルと温野菜、インディカ米のご飯でした。サラダはザワークラウトやトマトやキュウリ、人参、白菜もありました。白菜はおいしかったです。ムニエルはとてもおいしくてよかったです。写真忘れましたが、ホテルオーナが親日家で名物のカレーとご飯もビュッフェにありました。ご飯はジャポニカ米で少しやわらかいですが普通でした。カレーはしっかりカレーの色ですが全くカレーの味ではなくてクリームシチューのようで幼児も食べられそうです。どうやると、こうなるのか不思議でした。
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どうみても大根おろしですが、レモンシャーベットです。下にベリーソースがあり酸味がありますが甘さもありおいしかったです。
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いつも気になるシャワーです。固定式でなくてよかったです。
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シンプルで使いやすかったです。
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お部屋です。
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ホテルの鍵です。今回の旅ではフランクフルトのイビスホテル以外は皆こういう古風な鍵でした。部屋に入ってから中からも鍵をかける方式でした。
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お部屋の中に飾られていた絵です。大好きな鳥の絵でした。おしどりの絵はとてもかわいくて和みました。
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旅行記グループ
ドイツお城巡りの旅
この旅行記へのコメント (4)
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- jijidarumaさん 2019/10/23 02:01:45
- ハイデルベルクのリーゼロッテ
- ちゃたろうさん、
今晩は。
ハイデルベルクのリーゼロッテのチョコレート・・・表紙だけなのか、
この名で売っているのか分かりませんが、一寸びっくりしました。
この王女の名前はハイデルベルクを訪れる方でもあまりご存じない
かと思います。
実は2012年05月の旅で、この王女の碑が哲学者の道にたつ、
≪Liselottensteinリーゼロッテ(エリザベート・シャルロッテ)の記念碑≫
に気付きました。帰国してから調べてみました。
ハイデルベルクについては書くことが多く、伝説など共にこの
リーゼロッテの事も書いています。
伝説の中に、王女リーゼロッテの結婚話にからんだ話が出てくる
(*伝説①②の大樽から聞こえる幽霊音楽)のですが、この時は記念碑と
伝説が関連するとは、全く考えもしなかったのです。
*伝説:①ハイデルベルクのワインの大樽から聞こえる幽霊音楽、
②ワイン樽の監視人を務めた道化師・小人ペルケオ
ホーエンツォレルン城は確かに広い裾野があって円錐形ような山上に
立っている雄姿が誠に素晴らしいです。
シュヴァーベン地方には素晴らしい三つの名城群があります。
Schloss Sigmaringenジクマリンゲン城、Burg Hohenzollern
ホーエンツォレルン城(プロイセン王家)と共に、Schloss Lichtenstein
リヒテンシュタイン城です。
それではまた。
jijidaruma
- ちゃたろうさん からの返信 2019/10/23 17:10:18
- Re: ハイデルベルクのリーゼロッテ
- jijidaruma さん、こんにちは。コメントありがとうございます。チョコレート店が開店前だったので詳しくはわからないのですが、たぶんチョコレートの容器の絵柄かもしれないですね。私はプファルツ選帝侯家について以前から興味があります。リーゼロッテはもちろん、叔母のゾフィーという方には特に関心がありまして調べたこともあります。ドイツの歴史に詳しいjijidaruma さんの旅行記は、私の行かれないお城や街や教会なども紹介されていて、とても勉強になります。質問させてください。帝国自由都市だった街の古い建物には帝国自由都市の紋章が残っていますか。私はローテンブルクの市庁舎では見たことがありますが、ご存知でしたら教えていただけるとうれしいです。
- jijidarumaさん からの返信 2019/10/24 00:59:29
- 帝国自由都市の紋章
- ちゃたろうさん、
今晩は。お役に立つのか分かりませんが、調べてみました。
まずは帝国自由都市(独:Freie Reichsstadt)についてですが、中世よりドイツ(神聖ローマ帝国)で見られた都市の一形態で、地方領主や司教の統制下でなく、皇帝直属の地位におかれ、一定範囲における自治を行使した都市を指すのだそうです。
帝国自由都市は領邦と同等の地位にあり、帝国議会へ代表を派遣することができた。
ドイツの都市は封建領主に属する「領邦都市」と、帝国直属の「帝国自由都市」とに分かれていたようです。
(神聖ローマ皇帝は元々の領地である「家領」と「帝国領」をわけていて、「帝国領」が帝国自由都市です)
「帝国自由都市」の分布図(18世紀)を見ると、ライン川あたりの西南ドイツに「帝国自由都市」の地位を認められた都市が多数できています。財政的に恵まれていたという事が理由でしょう。
<帝国直属を表す鷲の紋章>
帝国自由都市の紋章をローテンブルクの市庁舎で見たとの事ですが、文字通り町の歴史を見たのでしょう。
ドイツ連邦共和国の国章は古の神聖ローマ帝国の鷲の紋章であり、ドイツの歴史を物語っています。
さて、表から数えてみました53の帝国自由都市(Wiki:もっとあるかもしれませんが)、その内ザックリいうと、20の都市が現在も帝国の鷲をデザインした紋章を使用しています。
以下に列挙しましたが、これらの都市を検索すると、紋章が分かります。
色々なデザインになっていて、謂れを見ると、面白いです。
アーヘン、アーレン、ボプフィンゲン、ドルトムント、フランクフルト・アム・マイン、ゲルンハウゼン、ゲンゲンバッハ、ゴスラー、ハイルブロン、ケルン、リューベック、メミンゲン、ネルトリンゲン、ノルトハウゼン、ニュルンベルク、ロイトリンゲン、シュヴァインフルト、ヴァイセンブルク、ヴェッツラー、バート・ヴィンプフェン、
「それらの町の古い建物に帝国自由都市の紋章が残っていて、見ることができるか」とのご質問には、見た事があるような、ないような・・・正確な意味ではアルバムを見ても分からないでしょう。紋章にフォーカスしていないので・・・。
(私も紋章が好きで、わざわざ毎年の旅の写真集に訪れた町の紋章をコピーし紋章の項を作っていますが)
尚、ローテンブルク・オプ・デア・タウバーの古い旗は(Fahne mit Reichsadler und Rothenburger Brustschild)、つまり1545年の帝国の鷲とローテンブルクの胸板(塔と橋のある城のデザイン)があり、そこに帝国の鷲を見ることができましたが、現在の町の紋章は「銀地に、赤い2本の胸壁のある塔のある城。塔の間には三角屋根の小楼」という古くからのデザインを使用しているようです。
・・・・・
jijidaruma
追伸:
フォローして頂きありがとうございました。私の方もフォローしますので、
宜しくお願いします。
- ちゃたろうさん からの返信 2019/10/24 08:49:15
- Re: ハイデルベルクのリーゼロッテ
- Jijidaruma さん、いろいろ調べて下さりありがとうございました。歴史ある街の紋章はデザインも素敵ですし、その謂れを調べて想いを馳せたりすると
楽しいですよね。フォローもして下さり、ありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。
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