2019/07/29 - 2019/07/31
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funasanさん
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インスブルックの周囲は2000m級の山々に囲まれ、夏はハイキング、冬はスキーにと世界中から自然愛好家が訪れる。2度の冬季オリンピックも開催されている。しかし、我々はスキーも登山もしない。単なる市内観光であるが、これが予想外に良かった。
インスブルックは女帝マリアテレジアが愛した古都で、素晴らしい歴史的建物が残っている。旧市街をブラブラ歩いているだけでハプスブルク家の栄華を体験できる。その美しい街並みを多数の写真で紹介しよう。
写真:黄金の小屋根前の広場
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ACホテル最上階(14階)の部屋のカーテンを開けると…、写真のような見事な風景が広がる。これを見ているだけで盛り上がってくる。
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インスブルックの標高は574mとそれ程高くはない。しかし、ヨーロッパの内陸にあり、周囲が高い山々に囲まれているので、まさに山岳リゾートの雰囲気がする。
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インスブルックのトップシーズンは冬のスキーシーズンでホテル代金は跳ね上がる。一方で夏の登山・ハイキングシーズンは冬に比べればそれほどでもないようだ。ACホテルの一番安い部屋は7月下旬で1泊2名で16000円程度だった。
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私はマリオットのポイント宿泊であるが、マリオットポイントで4連泊すると5泊目がおまけで無料宿泊になる。よって、このホテルに5連泊しても(17500×4)7万ポイントでいい。来年はここに無料で5連泊して登山・ハイキングorスキー?どんどん夢が広がっていく。
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さて、市内観光に出かけよう。ACホテルを出ると、すぐ目の前がこの素晴らしい山岳風景(写真)である。私は若い時、登山が大好きで中部山岳地帯の北アルプスはほとんど登った。そんな若い時の感性が蘇(よみがえ)ってくる。
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インスブルック観光は「凱旋門」(写真)からはじまる。なぜここに凱旋門が?これはマリア・テレジアが息子レオポルトの結婚記念として1765年に建設したもの。
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凱旋門の小さなアーチ(写真)の向こうにインスブルックの旧市街が広がる。ここをくぐっていこう。
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凱旋門をくぐると大きな道路になり、交差点をはさんで「マクシミリアン通り」(写真)反対側は「サルールナー通り」となり、インスブルック中央駅に向かう。幹線道路である。
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凱旋門から真っすぐに向かう道路が「マリア・テレジア通り」(写真)。観光客はここからハプスブルク家の栄光の世界に入る。では、日本の皆様もどうぞ…
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マリア・テレジア通り(写真)には路面電車も通っており、中央駅から電車に乗って旧市街の入口まで来ることができる。しかし、徒歩でも十分回れる距離である。
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マリア・テレジア通りの右側に赤茶色の重厚な建物(写真)があった。この1階にレストランがあり、夕方から大勢の客が夕食を取っていた。
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赤茶色の重厚な建物の反対側に、3階建ての長大な建物(写真)がある。真っ白な外壁が実に美しく、その先に「ゼルヴィーテン教会」がある。
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ふと見ると1階にお洒落なパン屋さんがオープンしており、路上にテーブルをセットしてオープンカフェ(写真)になっている。地元の人か観光客か、パンを食べながらモーニングコーヒーを楽しんでいる。いい感じ~。
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マリア・テレジア通りをどんどん歩いていく。次々に立派な建物「Taxis palais Kunsthalle Tirol」(写真:美術館)が現れ嬉しくなってくる。私はその都度、色々な角度から写真を撮る。
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マリア・テレジア通りの一角にある豪華な建物(写真)。単なるオフィスビルか?
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凱旋門から旧市街に伸びるマリア・テレジア通り(写真)はこの町一番の大通りで、豪華な建物のオンパレード、ここをのんびり歩いているだけでも楽しい。
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途中で急に道路が広くなり、道路全体が広場になったような場所に出る。その中央に大理石製の「聖アンナ記念柱」がある。
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聖アンナ記念柱(写真)はスペイン継承戦争(1701年~1714年)の時、侵入したバイエルン軍が聖アンナの日に撤退したのを記念して建てられたという。
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聖アンナとは聖母マリアのお母さん、つまりイエスキリストのおばあちゃん。記念柱の上でアンナ(写真)が微笑んでいる。アンナも普通のおばあちゃんとして孫のキリストを可愛がったのであろうか?
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それを解くヒントがルネッサンスの天才「レオナルド・ダ・ヴィンチ」による絵画『聖アンナと聖母子』(写真)にある。1508年頃の作品で、聖母マリアと幼児キリスト、そしてマリアの母聖アンナが油彩で描かれている。幼児のキリストが子羊を捕まえているが、実はこの子羊はキリストが将来遭遇する受難の象徴である生贄(いけにえ)の子羊である。母マリアはそれをたしなめようとしている。そして祖母アンナは心配そうに母子を見守っている。(ルーヴル美術館所蔵)
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聖アンナ記念柱の周囲は広場のように広く、両側に様々なショップ、レストランが店を構えている。
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宿泊しているACホテルはクラブラウンジがないので、今夜は街のカフェかレストランで夕食にする。店先のメニューを見ながら「どの店がいいかな~」と物色するのは実に楽しい。
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広場に面したカフェ(写真)に座って、時間を気にせず道行く外国の人々を眺めるのが楽しい。
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マリアテレジア通りが終わりになると、道は急に狭くなり、インスブルック旧市街への入口となる。ヘルツォーク・フリードリヒ通り(写真)が旧市街のメインストリート。
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そして、この道の突き当りの建物に奇妙な出窓(写真)がある。黄金色に輝く小屋根があり、その下に何枚ものレリーフが埋め込まれている。これは「黄金の小屋根」と呼ばれている。
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神聖ローマ皇帝のマクシミリアン1世が広場で行われる行事を見物するために、1494~1496年に造らせたロイヤルボックスである。建物3階の内部にはマクシミリアン博物館という展示室になっている。
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この黄金の小屋根の斜め向かいにある「ヘルプリングハウス」(写真左)が凄い!外壁全面にロココ様式の華やかな飾り漆喰が施されており、見る者を圧倒する。
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左にヘルプリングハウス、右に黄金の小屋根の建物(写真)を見て、狭い道を東の方に歩いていく。ここらは旧市街の中心でいつも観光客であふれている。
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建物の多くにエルカーという出窓(写真)があり、夏の花が小さな路地の雰囲気を盛り上げてくれる。
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そして、その一角にホテル「ゴールデナー・アドラー」(写真)がある。1390年創業とインスブルックで一番古く、ゲーテやモーツァルトも泊まった600年以上もの歴史を誇るホテルである。
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このホテルは現在も「ベストウエスタン・ゴールデナーアドラー」として営業している。歴史あるホテルであるが宿泊代金はそれほど高くはなく、1泊2名14000円程度で泊まれる。
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このホテルの玄関脇には宿泊した有名人の名前を刻んだプレート(写真)が掲げられている。写真右最上段に「1773 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト」とある。モーツァルトは1756年ザルツブルクで生まれ、1781年ウィーンに定住している。
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ザルツブルクからインスブルックまでの距離は200km近くある。特急列車で1時間50分、モーツァルトは父親と一緒にこの長距離を馬車に揺られながら演奏旅行に来たのであろう。1773年、モーツァルト17才の時である。
写真:ゴールデナーアドラー前のホテル -
アドラーホテルの先を1区画過ぎるとイン川の堤防(写真)に至る。インスブルックは「イン川にかかる橋」という意味で、12世紀にイン川の橋のたもとの集落から始まったという。
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私はイン橋(写真)に立って驚いた。目の前の山並みが日本の上高地・河童橋から眺める穂高連峰にそっくりなのだ。正面左から西穂高、中央に奥穂高、つり尾根の右に前穂高!
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イン橋(写真)を渡ってみよう。川幅は相当広く、しかも、大量の雪解け、いや、氷河の溶けた白濁の水が勢いよく流れている。
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イン川の対岸にはパステルトーンの建物(写真)が並んでいる。遠くから見るとおもちゃの積み木のように可愛らしい。
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イン川の上流を見てみよう。川幅いっぱいに水が流れていく。今日は7月30日、連日の熱波でアルプスの氷河が大量に溶け出しているのか?
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イン川と穂高連峰(実際はノルトケッテの山々)を後にして、再び旧市街にもどる。今度は黄金の子屋根から反対方向に行く。道はますます狭くなり周囲に土産物屋が集中している。
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まずはインスブルックの大聖堂「聖ヤコブ教会」(写真)に行く。チロルを代表するバロック建築の教会で18世紀前半に造られた。
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教会内部(写真)は荘厳な雰囲気が漂う。主祭壇上にあるルーカス・クラーナハ作の『救いの聖母』、ドーム天井の華麗なフレスコ画、どれも一級の絵画であろう。これら本物の芸術が無料で鑑賞できる。
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大聖堂の裏側を回りこむと、今度は緑が美しい「王宮庭園」に至る。大きな木の木陰に寝転がって少し休憩する。空気が乾燥しているので、木陰に入ると涼しい。まさに高原の風が吹いてくる。
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公園で休憩し、元気を回復したら再び観光だ。王宮公園の隣に「州立劇場」(写真)が建っている。劇場にしては外壁がシンプルで拍子抜けである。
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そして、この劇場と向かいあう所に白亜の「王宮」(写真)がある。1460年頃にチロルのジークムント大公によって建てられた城を、マクシミリアン1世が拡張した。
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さらに、1754年~1773年にマリアテレジアによってウイーン風の華麗なロココ様式に改築された。ところで、インスブルックを愛し、インスブルックに豪華な建物を残したマリアテレジアとは何者ぞ?
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マリアテレジアとは…
神聖ローマ帝国のカール6世の娘で、ハプスブルク=ロートリンゲン朝の皇帝フランツ1世の皇后にして共同統治者、オーストリア大公、ハンガリー女王、ボヘミア女王で、ハプスブルク帝国の領袖であり、実質的な「女帝」として知られる。(ウィキぺディアより) -
彼女は1717年オーストリアのウイーンで生まれ、1780年死去。彼女の生きた18世紀は王侯貴族にとっては天地をひっくりかえす動乱の時代だった。彼女の死からわずか9年後、フランス革命(1789年)が起こった。
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マリアテレジアの末娘マリー・アントワネットはフランス王ルイ16世と結婚したために、フランス革命後、1793年、処刑されてしまった。ルイ16世もアントワネットもギロチンによる斬首刑だった。
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絶対王政時代が幕を下り、ブルジョワ革命が成功した。フランス革命と娘の処刑を見ずして死んだマリアテレジアは幸せだったのかもしれない。
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この王侯貴族にとっては激動の18世紀後半に、天才音楽家モーツアルトもベートーベンもウイーン(注)で活躍している。歴史、建築、音楽を偲びながらインスブルックの旧市外を巡ると、また、違った味わいが感じられる。
私の「ウイーン滞在記」参照
https://4travel.jp/travelogue/10397409 -
さあ、夕食だ~!旧市街のメインストリートにあるカフェ・レストラン(写真)の一番道路側の席に陣取って夕食にする。
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まずは、コーラ(3.0ユーロ)、前菜にグルメサラダ(12.0ユーロ)パンが付いてこなかったので、パンの代わりにピザプレーン(4.5ユーロ)を追加する。
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メイン料理は当たり外れのない「アラスカサーモンヒレ」(14.5ユーロ)。味が少々濃かったが美味しく食べた。ここは旧市街のメインストリートで、次々に観光客が通り過ぎる。その顔・服装を見ながら妻と国当てゲームをする。これが面白い。
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顔つきを見て、欧米系、中東系、インド系、アジア系、このくらいの区別はつく。しかし、アジア系の中でも日中韓の区別は難しくなってくる。それを推測する。最後にラテ・マキアット(3.3ユーロ)、税サ込みで合計40ユーロ支払った。1ユーロ=120円で換算すると4800円。チューリッヒに比べるとぐっとお安くなる。
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夏のヨーロッパの日没は遅い。夜の10時近くになってやっと暗くなってくる。夕闇迫る凱旋門(写真)を後にホテルに帰る。明日はドイツのニュルンベルクに行く。ヨーロッパ国際特急列車の旅も終わりに近くなってきた。
→「シェラトン・カールトン・ニュルンベルク」に続く
私のホームページに新著紹介・旅行記多数あり。
『第二の人生を豊かに』
http://www.e-funahashi.jp/
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