2019/05/07 - 2019/05/08
85位(同エリア1176件中)
クッキーさん
クスコからオリャンタイタンボを経てマチュピチュ村へ。
マチュピチュ村で1泊した後、早朝からシャトルバスでマチュピチュへ向かいました。
高地の断崖絶壁に築かれた インカの失われた空中都市・マチュピチュ。
写真の上の景色でしかなかった絶景を 自分の目で見ているという事実に、心が打ち震えるような感動しかありませんでした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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オリャンタイタンボ 16:36発。
世界で二番目に高い高所を走るペルーレイル。
発車直後に見えるのは、山岳の麓に畑が広がる風景です。
ウルバンバ川に沿って渓谷を下流に向かっているのですが、感覚的には上流に向かっていくような感じでした。 -
この川はアマゾン川の源流のひとつで、太平洋側のペルーにありながら、ブラジルを抜け 大西洋まで流れていきます。壮大な水の旅の始まり。
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車内でのおやつタイム。
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現地時間 18:09
終点マチュピチュ駅に到着しました。駅周辺の様子は ほとんどわからないほど すっかり夕闇に包まれた中、徒歩でホテルへ向かいます。 -
マチュピチュでのホテルは、タイピカラ・マチュピチュ。
村の端の方 割と高い位置にありました。
お部屋もベッドも広々としていて ゆっくりと寛げました。 -
5/8 9:30(現地時間19時半)
前菜のパンプキンスープとデザート。
メインは 撮り忘れていますね。どんな内容だったかも忘れていますが、サーモン料理だと記録していました。
下に見えるデザートは 激甘で、完食した人はいなかったようです。 -
10:52
もう9時近くですが、食後は することもないので、ホテルの周りを散策。
ホテルの前の坂道には、飲食店やお土産物屋さん、 -
マッサージ店などが立ち並んでいます。
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こちらのお店で、添乗員さんお勧めの キャッサバのポテトチップスを見つけました。左下の 丸く囲んだところです。
お試しに、くらいに思って2袋しか買わなかったのですが、今までに食べた中で 一番おいしいポテトチップスでした。
ジャガイモのおいしさがギュッと凝縮されているような味でした。 -
5/8 19:50(現地時間 5:50)
ビュッフェの朝食です。 -
食後は 少し時間があったので、町の中心にある広場までお散歩しました。
ホテルの外観。マチュピチュ村の中では、ずいぶん上の方に位置しているホテルです。 -
ホテルを出て、川沿いの坂道を下っていきます。
この村の先は アマゾンのジャングルに続く熱帯地帯だそう。
標高2000mにあるマチュピチュ村ですし、季節柄 暑くはありませんが、植生をみると熱帯地方の趣き。 -
この辺りは レストランも点在するホテル街のようです。
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列車か徒歩しか交通手段がないこのマチュピチュ村の中は、観光客と ここで働く村の人たちだけの 秘境リゾートですから、治安も良く、ひとりでぶらぶらしても大丈夫な感じです。
昨夜 夕闇の中で見た橋が見えてきました。 -
観光地なのに 素朴で鄙びた感じのする村の佇まい。
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橋を渡って 通りを行くと、学校が。
朝早い時間なのに もうサッカーに興じる人(子供?)の姿。
石のレリーフは インカ帝国の9代皇帝パチャクティの姿でしょうか? -
手前の校舎の中の体育館の中では、ダンス?の練習中。
学校の先は普通の民家が立ち並ぶだけなので ここで引き返します。 -
赤い橋の先にある 川沿いを散策。
マチュピチュ村駅は、その昔、アグアス・カリエンテス(スペイン語で「お湯」「温泉」の意味)駅と呼ばれていました。その理由はこの村に温泉が湧くからなのです。まさに温泉街のような町です。
左手の山の裏側にマチュピチュ遺跡があるとは、たった今知った事実。ウルバンバ渓谷沿いに歩いているだけでは、峠の向こうにインカの都市があるとは まったくわかりません。 -
支度を整えて、6:45にロビー集合&出発です。
ホテルに荷物を残して出かけます。うれしいことに、荷物は マチュピチュ駅まで運ばれるとのこと。 -
シャトルバスのチケットは既に手配されていました。なんと手際のいいこと。
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川際の広場に見られるのは インカ帝国の9代皇帝パチャクティの銅像。
マチュピチュ遺跡へは シャトルバスに乗車します。 -
遺跡を発見した探検家の名前からつけられたハイラム・ビンガムロードを登っていきます。ロードと行っても、ヘアピンカーブの続く山道。乗車時間は短いのですが、車酔いする方は酔い止めが必要かも…
坂を登ってもなかなかマチュピチュ遺跡は姿は見えません。
ウルバンバ渓谷の尾根に作られた空中都市は、クスコを首都とするインカ帝国がスペイン軍に侵略された時にも発見されなかったため、破壊されることなく、奇跡的に残ったというのも頷けます。 -
30分弱で遺跡の入口にあるバス停に到着しました。
標高はマチュピチュ村の2000mから400m上がってきました。
入口のトイレは 1人2ソルで有料ですが、遺跡の散策がスタートするとトイレはないので、ここでみんな一斉に向かいました。確か、ドルで支払ったはず。
写真右、人が並んでいる小さな小屋が入場ゲートです。 -
朝8時前です。ゲートでは、列車と同様にパスポートとチケットを提示します。
マチュピチュには入場制限があり、1日3000人までと決まっています。
半日で約5000円ほどする入場料は、世界遺産の中でもトップクラス。 -
5/8 21:47(am.8:47)
ゲートを入ってすぐに遺跡が見えるという訳ではないようです。
歩道沿いの石垣を見上げると、まるで日本のお城の城壁のよう。掲げられた 様々なプレートの中に 世界遺産のものはあったのかしら? -
遺跡入り口から崖に沿った道を200mほど歩くと、最初の建造物群が現れました。草を葺いて復元されたこれらの建物は、コルカと呼ばれる貯蔵庫です。
ジャガイモを乾燥させたチューニョ、キヌア、乾燥リャマ肉などの食料のほかに 農具や土器なども保管されていたそう。 -
米エール大の学者ハイラム・ビンガム氏により1911年7月24日に発見されたマチュピチュが 徐々にその姿を現し始めます。
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ガイドさんからは、左に向かう坂道へ進むようにと促されているのですが、コルカの向こうには段々畑と さらにその先には遺跡の一部も見えています。こんな光景を目にすると、スルーするなんて無理な注文です。
この後 いくらでもこれ以上の光景を見られるのにね。ガイドさんは あきらめ顔で待ってくれていました。 -
コルカの手前を左へ、かなり急な石段を登っていきます。途中、トレッキングの装備の一団と出会いました。ガイドさんによれば、インカ古道を3泊4日で歩いている方たちだとか。
このガイドさんは とてもタフな方で、古道ツアーを何度もこなしているそうです。その話の中で、ツアー客の一人は、奥様に上手く言いくるめられて参加した男性、途中何度もギブアップしかかったものの、引き返すこともできませんから、宥めすかされてようやく完走したそうです。
他の説明は多くを忘れているのに、こんな雑談はちゃんと覚えているという… -
5/8 22:00
やがて目の前が突然開け、最初の展望スポットに到着しました。
憧れ続けていた景色が目の前に広がっています。 -
こんな高地の断崖絶壁に 400年以上も前に都市を築いたという不思議、写真の上の景色でしかなかった絶景を 自分の目で見ているという事実に、感動しかありません。
ここでしばらく撮影タイム。 -
正面に見えるのは、約2700mのワイナピチュ山(若い峰の意味)。
マチュピチュ遺跡(遺跡中核部分)の面積は5平方キロメートル。
1440年頃に建設がはじまり、インカ帝国スペインに征服されるまでの80年ほど
人々が暮らしたそうです(一説には800人くらい)
皇帝や神官、技術者などの住居の他、さまざまな作業場や儀式に関する施設などがあります。 -
5/8 22:11
ようやく撮影タイムに区切りをつけ、見張り小屋へ向かいます。
階段を上がる人の列とは別に、左手の石畳を歩く人たちの姿が。 -
こちらは、太陽の門へ向かう インカ道の石畳だそうです。
古道とはいうものの、意外と広く しっかり整備されている歩道ですね。マチュピチュ村に2泊するツアーでは、ここを歩く設定になっているみたい。
羨ましい気持ちで見送ります。 -
階段を上がった先の広場では、早速 ラマのお出迎え。
中央にいる数人のグループが私たちのツアー仲間で、中央に立つ青い上着の女性が現地ガイドさん。
遺跡内の最も高いところに位置する見張り小屋も見えています。 -
ここは入場口から100m上がっており 標高は2500mです。
最も定番の風景が撮影できるという展望スポットに到着して、再びここで撮影タイム。 -
絶景。
ここでもガイドさんは、押し寄せる観光客をうまく捌き、ツーショットを瞬く間に何枚も撮ってくれました。いつもは写真を嫌う夫ですが、この絶景を目の前にして写真に撮られるのを拒否しませんでした。 -
南の一番高いところに建つ見張り小屋は かつてのように屋根が葺かれています。
日本の城でいう、櫓ですね。外敵の侵入を見張るために設けられた施設のため、遺跡の中でも一番高いところにあります。 -
5/8 22:20
感動の景色と対面の後、見張り小屋が立つ上の広場へ。 -
石垣の途中にある石の出っ張りは、階段の役割をしています。
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背後の山が マチュピチュ山。マチュピチュとは「老いた山や峰」という意味で、ビンガムが地元の人に聞いてつけたものだといいます。
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見張り小屋の奥から。ここでも 撮影タイムです。
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ここからは 段々畑や遺跡の全容が見渡せます。
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左下の谷底にあるのが マチュピチュ村。
崖の下に落ちていくように築かれた石垣の段々畑。こちらが南側ですから、かつてはメインの畑だったのでしょうか。
ちょっとでも油断すると、転げ落ちそうです。 -
メイン広場の左側には 市街地入り口、そのはるか奥に主祭壇やインティワタナ。
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儀式の岩。ハイラム・ギンガムが調査した際、周辺に川石が多数散らばっていることから、この辺りを墓地と考え、葬儀の石と名付けられました。
実際は、周辺の山々の神に奉げ物をした儀式の石と思われます。
美しい三角錐のヤナンティン山の稜線をかたどっているかのようなライン。
手前の平らな部分に奉げ物を置いたそう。
インカの建造物によく見られる 3段の階段が彫られています。
手前にステップが刻まれています。 -
石垣の間に 四角い建造物。
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急かされることもなく、思う存分シャッターを切ります。
何しろ、一生に一度のことですから。
ドローンはありませんが、これだけ俯瞰できたら十分です。 -
マチュピチュは、1440年頃 インカ帝国の9代皇帝パチャクティによって建造されたといいます。古い建造物は、インカ以前の紀元前まで遡るという説もあるようです。
パチャクティ皇帝を含む王族や貴族のための別荘地だったという説が有力ですが、多分に宗教的配慮をもって造られた都市だったそうです。 -
ハイラム・ビンガムが発見した当時のマチュピチュです。
こんなにも荒れ果てていたのに、神殿辺りは ほとんど崩れていません。 -
何故 このような高地の断崖絶壁に都市を築いたのか詳しいことはわかっておらず、マチュピチュは新・世界七不思議のひとつにもなっています。
高地の断崖絶壁にあることが、太陽観測に最も適し、かつ宗教的理念として、太陽に近いところである、という点が場所選定の理由として挙げられるという説も。 -
遺跡内の建造物は、復元されたものも一部ありますが、その多くは、インカ帝国が滅亡した15世紀から放置され、400年近くこの山奥の秘境に眠り続けていたものです。
文字を持たないアンデス文明の謎を解き明かすために、この地で活動する日本人の考古学者も多いそうです。 -
この後 市街地へ入るのですが、実際に歩いて見ると まるで迷路を歩いているかのようでした。
主神殿と、その右側にある3つの窓の神殿をズーム。 -
メイン広場の右側は、技術者の居住区辺り。
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階段を上がった先の右側 高いところが、貴族の居住区でしょうね。
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メイン広場の奥にある草葺きの建物の右に、聖なる岩があります。
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主要な施設が集まった広場の全体像はこんな感じです。
インティワタナのある丘の頂上まで 段々畑が続いています。
神殿の畑など耕作地で栽培された農作物は 神への供物として栽培されていたか、神が人間に下賜されたものとして人々に食べられたか、いずれにしても宗教儀礼的意味が色濃く反映されているそうです。 -
左手前の巨石が見えるところが、石切場です。
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絶景を堪能して、次へ向かいます。
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5/8 22:57
左に見張り小屋、草地に横たわっているのが 儀式の石。 -
振り返ると、マチュピチュ山にかかっていた雲が取れてきました。
この位置から見ると、石垣は まさに城壁のように見えます。
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正面の高い山はワイナピチュで「若い山や峰」という意味だそう。
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ワイナピチュをズーム。
頂上近くにも インカの時代の石垣が作られているのが見えます。 -
ここから下って遺跡の中心方面(市街地)に進んでいきます。
遺跡内は、基本的には一方通行のルート見学スタイルになっています。 -
歩道は歩きやすく整備されていますが、柵がないところも多く、そこは「自己責任」。どの角度から見ても感動します。
見張り小屋から左右に見える段々畑がすごい。
建造から500年を経てなお健在な急斜面の石積みです。 -
傾斜を巧みに利用した段々畑は、高度差を活かし、水や日光の当たり具合などを有効活用しているそうです。その技術で食料を計画的に生産して、この高所にある都市に暮らす住民を支えてきました。
かつては 作物は200種類、儀式用が主だったとみられています。
見張り小屋から下に広がる段々畑は 太陽の上る東向きに造られ、日中には太陽の熱で石が温まり、夜も温室のような機能を果たしました。 -
きちっと詰まれた石組みの内側は、上から土、川の砂、小石、石と4層になって 水はけや保水が考えられている優れもの。ここには水路は引かれておらず、豊かな雨水で作物が育ったそう。
現在は、芝生が植えられてきれいに整備されています。
段々畑の間には、水はけのため 石でできた小さな水路もあります。 -
絵葉書からスキャンした風景。ワイナチュピから見るような構図は、見張り台方向から見てきた印象とは 異なって見えます。
左端の建物はサンクチュアルロッジ、左上に延びているのがインカ道。
段々畑が延々と広がる様子は 見事としか言いようがありません。 -
添乗員さんにいただいたマチュピチュの地図を携えていましたが、実際は ガイドさんの誘導で歩くだけでした。
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5/8 23:06
手前の三角屋根、石積みの建物が並んでいるところは 作業小屋。
その左側に見える 四角い空間はカリャンカ(訪問者の休憩所)。マチュピチュ内にはいくつかのカリャンカが設置され、マチュピチュに食料などを持ってきた訪問者が利用したのだとか。 -
居住区北側の斜面にも 段々畑が。
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だんだん市街地が近づいてきました。
カリャンカと作業小屋。
作業小屋は、建材の石の加工が行われていたとされる場所。職人たちが住んでいたと思われます。 -
手前にある段々畑と市街地の間には 深い濠と高い壁があり、生産区域と居住区をはっきり分けています。市街地の入り口から続く 石畳のようになっているところの手前が 濠ですね。
濠は 雨水を排出する役割も果たしていたそうです。 -
5/8 23:10
市街地入口。要塞のような 石垣で囲まれた市街地の 正門だったところ。
今は石積みだけですが、かつてはここに扉があったと思われます。
このあたりから人が増えてきました。 -
横長い巨石の上に見える出っ張った石の中央には 穴が開いており、両側の石の間にある窪みの中には 縦に石がはめ込まれています。
ここに リャマの皮で作ったヒモを通して木を結び付け、扉を取り付けていたと思われています。 -
放し飼いのリャマたちが、風景に溶け込みつつ 雑草の手入れに励んでいます。
このリャマたちは コマーシャルの撮影用に連れてこられたものが増えたのだそうで、現在20頭ほどだとか。 -
見張り小屋を見上げる位置から振り返ります。
マチュピチュ山に 少しガスがかかっています -
市街地の中を歩いていますが、いったい どの辺りなのか?
こうして並べてみると、石積みに使われた石の大きさや積み方が 様々だと分かります。 -
さきほど通ってきた見張り小屋と段々畑。
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5/8 23:17
主神殿からインティワタナへ。
この構図を見ると、主神殿から 太陽に近づき、太陽を観測し、太陽を崇めただろうインカの神官の姿が 目に浮かぶようです。 -
三角屋根があることからすると、王女の宮殿の上辺りの居住区のようです。
遺跡内部を歩くと、まるで迷路のよう。
ガイドツアーなので、実際には その都度解説があったはずですから、真面目に聞いてさえいれば、ちゃんと分かったはずなのですが。 -
太陽の神殿といわれているところ。曲線を石組みで表す高い技術を用いて造られています。直線的な石組みの建物が多い中で、非常に特徴があります。クスコにあった太陽の神殿「コリカンチャ」によく似ていますね。
太陽の神殿はインカ帝国時代には各地に建設されており、太陽信仰を司っていました。
窓が二つあり、東の窓は冬至の朝、南の窓は夏至の朝に太陽が正確に差し込むといわれているため、暦に関する建築物だったのではないかとも考えられています。
下部には ミイラを安置する墓だったと考えられている洞窟があるそうですが、見逃したかと。ビンガムは王家の墓だと考えましたが、王家のものかどうかは不明。
神殿の内部に入ることはできませんが、中に大きな自然石が置かれています。 -
5/8 23:22
ガイドさんについていくので迷うということはありませんが、気分の上では もう既に迷子状態。
太陽の神殿の隣にある 王女の宮殿? レベルの高い石積みで造られているいることから、神聖な場所、あるいは高貴な人が使用していたと考えられています。
ここにも門が見られます。 -
多分 原因の一つは、カメラを向ける先が 今見学しているところだけでなく、振り返ってみたり、もっと先をフォーカスしたりと、見学に集中していないため。
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5/8 23:25
メイン広場も 上からの俯瞰。 -
石切り場といわれるところ。
マチュピチュ遺跡に使われた多くの石材は、この採石場から切り出された花崗岩が使われています。しかし、この辺りにあった石だけでは無理だと考え、文字も車輪も持たないインカ文明で、神殿に使われたような巨石を どのように運んだのか など、まだまだ謎だらけ・・・のマチュピチュ遺跡です。 -
5/8 23:30
石切り場から 遺跡の中にあるミニ植物園へ。
この植物園は近年作られたものですが、アンデス特有の珍しい植物が栽培されています。 -
一段高い場所に上がると、三方を建物に囲まれた神聖な広場へ出ます。
クスコのコリカンチャの石組みに似ている 巨石の石組み。
一部 ずれているのは地震のせいかな?
ガイドさんがいろいろと 詳しく説明してくれているのですが、団体行動なのでそれについていくのと、写真を撮るので手一杯な私。メモまでは取れません。 -
発見時の写真から。
巨石の石組みが しっかりと残されていることだけでも驚きなのに、住居地区の小さい石組みも あまり崩れているようには見えません。 -
神聖な広場から見えるメイン広場。
段々畑ではなく テラスのように見える石垣です。 -
神聖な広場には 神殿など祈りをささげるための施設が集まっています。
ここが主神殿。三方に壁があり、開いている部分が広場に面しています。
右が崩れかけてはいるものの(地震による地盤沈下が原因)、他の建物の比べると石組みの緻密さが際立っています。
このエリアがいかに重要であったかを物語っています。 -
5/8 23:35
3つの窓の神殿。
メイン広場に向って大きな窓が3つある建物跡です。窓は太陽が昇る東側を向いており、その窓から入ってくる光と影で様々な世界観を表現していたシンボルの石組みです。 -
3つの窓の両脇には閉じられた窓があります。神聖な場所だけあって、石組みの石に巨石が使われており細工も見事。神々しさを醸し出しています。
表面上はただ積んでるだけに見えますが、中で、凹凸のかみ合わせの細工がされているので、ビクともしないのです。インカの石積み職人さんの 技術と根気のなせる技。 -
5/8 23:38
ふと後ろを振り向くと、見張り小屋の背後に聳え立つマチュピチュ山が すっきりした姿を現していました。 -
5/8 23:42
ここがどこだったのか、どうしても思い出せないのですが、コリカンチャの石組みにも似た 立派な巨石の積み方が見事ですから たぶん主神殿の背後にある小部屋、エコーの部屋と呼ばれる建物かと・・・。
小窓も 耐震性の台形の形をしています。 -
5/8 23:45
また 現在地に集中せず、遠くに見える見張り小屋方面を振り返っています。
私たちが歩いていた頃よりも はるかに多くの観光客が 列をなしています。
以前は、自由に歩き回れたそうですが、今ではガイドツアーのみで 歩くルートも決められています。 -
5/8 23:47
神聖な広場の前方をさらに進み 階段を上がると、遺跡内でも一番高い場所にある、高さ1.8mの インティワタナ(日時計)が現れました。巨石を削って造られているインティワタナは「太陽を繋ぎ留める石」という意味。暦を読み解く為の日時計として使われていたらしく、石の角が東西南北をさしています。
3つの窓の神殿や この日時計から、インカの人々が 太陽神を崇めていたことが分かりますね。
巨石を削ってこの形にするため、岩の割れめや穴に水をふくませた棒を入れて 膨張する力を使う方法や、穴などの大きさや深さ、角度などを考えながら、イメージ通りの形にする技術をもっていたようです。
使用する花崗岩を、より硬い黒曜石で加工する技術も習得していたのだそう。 -
マチュピチュの中央にある広場は、北から南に階段状に低くなっており、最も高い場所にあるのが メイン広場です。
段々になって広がるテラス状の広場です。
さまざまなイベントや儀式が行われました。居住区側には 観客席の跡もあるということなので、この 段々になっているところが それなのかしら? -
インティワタナから聖なる岩 方面を俯瞰。
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向こうは垂直に切り立った崖。
手前に築かれた石垣は おそらく山崩れを防ぐ目的で作られたものでしょうね。どうやって築かれたのか不思議なくらいの急峻です。
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この辺りに見えるのは、農業試験場と呼ばれる段々畑かと。花粉分析により数多くの植物を栽培していたことが分かっています。
低地でしか生育しないコカの木などを、マチュピチュでも育つように品種改良したらしいとのこと。 -
5/8 23:56
インティワタナから長い階段を下りてきました。
石段を登ったり下ったり・・・とにかくアップダウンの連続です。
メイン広場の端から眺める遺跡の全景。
マチュピチュって、高い所にある 平らな台地のようなものだと思っていましたが、すり鉢状の地形だったんですね。
なぜこのような急峻な山の上にマチュピチュを造ったかという質問に対して、ラファイエット単科大学のナイルズという方が、「パチャクチがこの場所を選んだのは……圧倒する景色としか答えようがありません」と。
マチュピチュやワイナチュピなどの山々に囲まれた風景を眺めていると、それもありなん、と思ってしまいます。 -
メイン広場の観客席。左側が技術者の居住区。
どうも メイン広場の中は歩かなかったようです。 -
5/9 0:00
先ほどから何度も俯瞰してきた 復元された小屋(ワイラナ)の右側に見えている大きな岩が 、聖なる岩。幅7.6mもある一枚岩を加工して、後ろにある“ヤナンティン山”をそのまま模しています。
インカの人々にとって山々は神であり、この場所にマチュピチュが造られたのも、周囲の山の神に祈りを捧げる意味があったのではないかとされているのだそう。
山とぴったりと重なっていて 見事。 -
ワイラナという建築様式で建てられた建物。聖なる石や山々を拝む場所にあり、儀式を行う前や、ワイナチュピへ登る前の準備室として、あるいは見張りや管理に使われたとされ、二つの建物が向かい合っています。
当時の様子を忠実に再現しており、風通しのいい三方の壁には、石積みの上に粘土が塗られ、屋根はイチュというイネ科の植物で葺かれています。
この辺りで 皆さんが集合するまでの間の休憩。
ツアーガイドでの散策ですが、割と自由に あちこち歩いたり、多少遅れても気長に待ってもらえたりと、ツアーの窮屈さは あまり感じませんでした。
ちょうど10時です。歩き始めて約2時間が経過。
この付近に集まっていたリャマたちは、とても人に慣れていました。 -
絵葉書からスキャンした 月の神殿。
-
5/9 0:01
遺跡は ずいぶん込み始めています。
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この旅行記へのコメント (2)
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- kiju-jiさん 2020/11/01 12:00:01
- クッキーさん。kiju-jiです。
- うっかり、先のコメントで吉○○○さんの旅行記と書いて失礼しました。
沢山の方からイイネを頂き、それぞれの方の旅行記を読んでいる間に頭の中でこんがらがってしまいました。先ずはお詫びまで・・・。
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- kiju-jiさん 2020/11/01 11:54:05
- クッキーさん。初めましてkuju-jiといいます。
- 懐かしく拝見させていただきました。私達がペルーに入ったのは2004年の11月。奥さんとまだ体力があるうちにと、珍しく意見が満場一致で・・・。リマまで確か29時間ぐらいだったと思います。マチュピチュ、ナスカの地上絵、クスコなどなど。
吉備津彦の旅行記は写真が多く、当時が詳しく思い出されます。当時はデジカメは持っていましたがメモリー(オリンピックのスマートメモリー)がまだ高価で1日100枚と決めて写真を撮っていました。自動焦点、手振れ補正機能などなかった。
時間を見つけて吉備津彦さんの旅行記を読まさせていただきます。
では又。最後にドイツ旅行ほかの旅行記にイイネを有難うございました。
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