2019/05/07 - 2019/05/07
12位(同エリア334件中)
クッキーさん
リマを早朝に発ち、4時間余りバスに乗ってビスコへ。
そこでセスナ機に乗り、遊覧飛行で 空から地上絵を俯瞰してきました。
地上絵は 1994年に「ナスカとフマナ平原の地上絵」の名称で世界遺産登録されましたが、2016年に「ナスカとパルパの地上絵」と名称変更をされています。
ナスカ平原に刻まれた川や灌漑用水路、あるいは洪水の痕跡、砂漠の風景にも 地上絵以上に心を揺さぶられました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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18:10(現地時間4:10)
この日のモーニングコールは3:30。朝食は4時からということで 食事は なんとかお腹に収めた、という感じ。
ナスカ近郊のピスコまで約240km、4時間30分の移動日です。
天候が安定している午前中に遊覧することが多いため、ほとんどのツアーで早朝(未明)出発になるそうです。 -
20:34(現地時間6:34)
朝は大渋滞のリマだそうですが、まだ夜が明けきらない中、バスはグングン進みました。
途中下車で トイレ休憩。 -
早朝のお土産物屋さんです。
ここへは 帰りにも寄って、お土産購入。 -
こんなにも大きなバスでの移動。
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5/6 20:46(-14)
ここは 駐車場の奥にある入り口で、道路に面した側には 頑丈な木の扉があり、バスが到着すると 中から開けるようになっていました。 -
21:03(-14)
走っている道路は、両側には全く何もなく・・・
お土産物屋さんの建物が 頑丈な扉で囲われている意味が、なんとなく理解できました。
パンアメリカンハイウェイ(Pan-American Highway)を南下しています。
南北アメリカ大陸を縦断する壮大な幹線道路網で、その距離48000kmとも。 -
ハイウェイ沿いには バラック小屋ともいえないような小屋が点在するだけです。
ガイドさんの話では、不法移民が住み着いて 少しずつ集落を形作り、ある程度の大きさの集落になると、政府?などからの支援が受けられるようになるのだとか。
ガイドさんが、周囲の風景やペルーの様々な国内事情などのお話をしてくれるので、眠る暇もなくひたすら外を眺めていました。
早朝からの移動ですから 体力温存のためにひたすら睡眠、という方もいらっしゃいます。 -
バラック小屋よりも少しマシな、屋根が付いている建物が 養鶏場だとか。これらは日系の会社によって運営されているのだそう。
海沿いといっても、ここは雨の少ない海岸砂漠地帯(コスタ)なので、反対側には砂丘(砂漠?)がひたすら続きます。
寒流が沿岸を流れる地域では、上昇気流が発生しにくく、降水は少なくなるのだとか。ペルーの沖合いには 南極からやってくる冷たい海流が流れているので、こうした海岸砂漠が続いています。
冷たい海水からは水分が蒸発せず、雲ができなくて雨が降らないのだと、地理の授業で習ったような記憶が。 -
22:03(-14)
一転して現れた 畑の風景。
これらは お隣の国・チリの大資本によって経営され、アスパラガスは世界一の規模、輸出用として栽培されています。他にも アーティチョーク、パプリカ、玉ねぎ、トウモロコシ、アボガドなども。 -
22:28(-14)
ピスコの町に入ったようです。 -
リマに比べると、かなり小さく、のどかな町です。
ここピスコは、2007年のペルー地震(M8.0)で大きな被害を受けた所で、当時は、日本にも津波の警報が出るくらいのニュースになりました。 -
5/6 22:34(-14)
こじんまりした町とは釣り合わないくらい立派な空港です。
セスナ機に乗るだけなので、「飛行場」的な施設を想像していたので ビックリ。
ナスカの地上絵へ向かう拠点として整備されたばかりですが、ゆくゆくは国際空港としての役割も期待されている空港だそうです。 -
到着時は、私たちの団体以外利用者はいませんでした。
ターミナルに入って、最初のミッションは・・・体重測定。セスナ機の場合は、機体のバランスをとるために仕方のないこと。 -
席の番号が書かれているチケットが配られました。窓際の席だといいのですが。 あとはベンチでボーッとしている間に集合となりました。
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待つ間に、現地ガイドさんから レクチャーを受けます。
ペルー南部の乾燥地帯に描かれた謎の地上絵。紀元後、約 800 年にわたって栄えたナスカ文化の時代に描かれたこれらの絵は、直線や幾何学図形、動物、魚、虫、植物などさまざま。
地上絵は、初め 暦説も言われていましたが、今では 神に奉げるためのものだったという説が有力だとか。もちろん宇宙人が描いたものではありません。
地上絵の端にあった杭の存在や、地上絵の縮小図の発見などから、小さいモデル図から比例拡大して描いたという 拡大説が妥当と考えられています。
砂礫の砂漠の上にある酸化鉄の石を取り除くと 黄土色の岩盤が現れます。これが地上絵の成り立ち。
何故消えずに残ったのかというと、気象条件のなせる技。日中の暑さにより砂礫が熱をもつので、その熱の放射で地表に対して暖かい空気層をつくり出し、南風による表面の浸食を防ぐのです。雨もほとんど降らない気候環境から雨による浸食もほとんどない状況をつくり出しました。 -
23:22(-14)
いよいよセスナ機に搭乗です。搭乗する機体はこちら。
大人になって 乗り物酔いすることはほとんどありませんが、酔い止めの薬を準備していました。
それなのに・・・荷物の奥の方で薬が行方不明になり、きっと入れ忘れたのだろうと、諦めて搭乗したのですが、甘く見過ぎていました。 -
23:38(-14)
飛び立って間もなく現れた、一面 薄灰色の地表。
ところどころに 取り残されたような緑の塊が見えています。 -
かなり大きな緑の区画が見えますが、
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砂漠を押しのけて畑を作っているのか、逆に 作った畑が砂漠に浸食されつつあるのか よく分かりません。
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砂漠地帯の中に現れる人工的な畑。
日本で見られるソーラー発電パネルのように見えます。
年間降水量が圧倒的に少ないというこの地域で、どうやって水を得ているのでしょうか。 -
この辺りが ペルー海流沿いにできたアタカマ砂漠でしょうか。
寒流の影響で形成された「海岸砂漠」です。40年間、全く雨が降らなかった地域もあるといわれています。 -
左が機長、右が副機長さんです。
計器もバッチリ正面に見える…そう、ちょうど機体のど真ん中に座っています。
夫が窓際の席なので、写真を撮りたい私としては代わってほしいところですが、体重測定までして決められた席ですから しょうがありません。 -
裸地のような山の間に、幾本かの川の流れの跡が見えています。
-
緑地化と砂漠化のせめぎあいのようです。
延々と時間をかけて訪れたナスカですが、実をいうと、ナスカの地上絵よりも この砂漠の光景が、ヒトの生存に厳しく対峙する風景として 一番心に残りました。 -
機上から。
まだ点在する ソーラーパネルのように見える畑。 -
雲が砂漠に影を落としています。
大自然が広がる中央アンデスには、紀元前 3,000 年を過ぎる頃、人々の定住がはじまりました。 この地域は、大きく分けてコスタと呼ばれる乾燥した海岸漠地域、シエラと呼ばれるアンデス山脈に広がる山岳地域、アンデ ス山脈東側斜面からアマゾンに続いているセルバと称される森林地域からなります。
変化に富んだ自然環境を巧みに利用しなが ら、古代の人々は次第に社会を確立していきました。プレ・インカからインカにかけて受け継がれた優れた文化は、今から 4,000 年ほど前から築かれてきたとされます。
人々は温暖な海岸地帯で最初の文化を開き、のちに肥沃な土地があるアンデスの谷間へと移り住みます。灌漑用水路を作り、遠くアンデスの山々から水を引き、高度差を利用してジャガイモをはじめとするさまざまな植物が栽培されました。 -
涸れた川の流れは かつてはこの辺りの土地を潤していた証。あるいは 過去の洪水か何かの痕跡?アンデスの山々から水を引いた灌漑用水路も 今では痕跡を残すだけ。
これらの涸れた川に 水が流れていた頃、古代アンデス文明が生まれたのでしょうか?
砂漠に挟まれた 狭い地域の緑が痛々しくさえ思えます。 -
川の流れの跡の上に浮かび上がる 図形のようなものが見て取れます。
かつては 高度な文明をはぐくんだに違いない ナスカ平原。
今では この地域の年間の降水量は10数ミリという砂漠地帯です。 -
中央部に見える 幾筋もの川の流れの跡の左右にも 細長い図形のような文様。これらの直線的な文様も 地上絵だそうです。
動物を描いた地上絵は数十メートル程度の大きさだそうですが、こういった直線や長方形の図形は何kmにも渡り 地の果てまで伸びているかのようです。
カメラから取り出した写真では これらの文様がはっきりしないので、ほとんどパソコン上で画像処理をしています。 -
一面の砂漠地帯。一列に並んだ緑が 痛々しくも健気。
帰国後に読んだ『文明の崩壊』。それを読んだ後 これらの風景を見直すと、近い将来の地球を思い 暗鬱な気分になります。
「社会の崩壊の潜在的要因」
周りの自然を侵食し 耕作が始まることで人口が増え、森林破壊や植生破壊が進み、気候変動をきっかけとする水資源問題、土壌問題が発生。環境問題への社会の対応の遅れ。さらには それぞれの地域が抱える環境の脆弱性。 -
一列に並んだ緑は 防砂林でしょうね。
アンデスの山々から水を引く灌漑用水路ですが、時代を重ねると土壌破壊の主因になるそうです。
お土産屋さんに 塩が多く並ぶペルー。クスコの近くには大規模なマラスの塩田があります。この一帯は付近の水に含まれる塩分濃度が高く、その水を乾燥させて作成しています。
アンデス山脈は、かつての海底が地殻変動で隆起してできた大山脈で、多くの海水が陸に閉じ込められました。約2万年前、最後の氷河期が終わると、氷河が溶けた水は、土中の塩分を溶かしながらやがて塩の湖となります。 雨量の少ない地域だと、水分は徐々になくなっていき、その塩湖は海水より濃い塩分になるのです。
更に水分の蒸発が起こるとやがて塩が結晶化します。 最後には水が完全になくなりそこには一面の塩で覆いつくされるのです。
岩塩は、地殻変動により海水が地上に閉じ込められ数億から数千年のときを経て末結晶化したものです。
灌漑農業では、散布された水は、土の中の塩分を溶かしながら、塩水となって、地中に浸透します。その後、毛細管現象で塩水は再び地表に上昇します。ところが、気候が乾燥しているので、水分が蒸発し、地表に塩分だけが残り 農業に不向きな土壌に変わってしまうのです。 -
0:19
いよいよ副機長さんのアナウンスがはじまりました。200m上空からの遊覧飛行です。クジラと その下にも何か線引きの図形のようなもの。
アナウンスは日本語で、「みぎぃ~ はねのした~(羽根の下)、くじら~」。
その後、反対側の窓からも見えるようにぐぃ~っと急旋回します。「こんど、ひだりね~」
機内は「どれ、どれ、わかんな~い」「見えた~」と、子供のように大騒ぎ。
そして飛行機が旋回するたびに 想像以上に機体が大揺れです。
セスナの影も映っています。 -
地上絵は これまでたくさんのテレビ番組や本で紹介されていますから、形はよく知っていました。
しかし、実際に空から俯瞰して ナスカ平原自体がどんな場所なのか、周囲がどういう地形になっているのかがよく分かり、長年の謎が解決した気分です。
地上絵よりも こういった地形の不思議が魅惑的。 -
あらかじめ、ガイドさんがマップや写真などで説明してくれていたましたが、いざ機上から眺めると、そんな事前情報は何処へやら。
機長さんのなすが儘。カメラのズームを合わせる余裕もなく、窓の外にカメラを向けて機長さんの声に反応してシャッターを押すだけ、という状態でした。
指摘されても 初めはよく分からなかった 宇宙人。 -
宇宙飛行士(宇宙人)も拡大。
ガイドブックなどでも必ず見かける有名な絵ですが、黒っぽい岩山の斜面に描かれていてるので、これは肉眼でもよく見えます。
これは、日本人からは ”ガチャピン”と呼ばれているそうです。 -
サル
これも見つけにくいのですが、グルグルのシッポが目印。 -
0:30
画像処理をして拡大したサル。 -
拡大したサルを 別方向から。
30~40分の遊覧飛行ですが、この辺りから 頭がくらくらと。ひどい乗り物酔いです。そういえばと 添乗員さんのアドバイスを思い出し、もう左右に頭を向けるのは諦めて、ずっと左方向だけ向き そこから見えるものだけ見ることにしました。
それでも セスナ機は右に左にと旋回し 上下の揺れもありますから、体はフラフラです。 -
コンパス
幾つもの川の流れの跡がみえます。その中に明らかに人工的なものと思われる直線や幾何学模様が見えます。 -
広大な平原に描かれている巨大な幾何学模様。
千年前に描かれた地上絵が、川の流れた跡の上にあるということは、川の流れた跡は地上絵よりも古く、少なくとも千年以上昔の洪水の跡だということです。 -
元々視力の良くない私は、あまり見えないことが心配でした。
それというのもこの地上絵、大地に溝を掘ったように描かれていますが、深さは15センチ程度、幅も1メートル前後というものなのです。
セスナの高度は200~300メートル程度です。
とりあえず手当たり次第に撮ってみました。帰国後に パソコンで拡大やら修整しながら確認しています。 -
パソコン処理をして拡大して かすかに見えるハチドリ。
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何かが描かれているようにも見えますが、画像処理をして拡大しても 何なのかよく分かりません。
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ぐるぐるは 生写真でもよく分かります。
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生写真で この位の見え方。
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画像処理をして拡大すると、こんな図形だと判別できますが、名称は不明。
手 かと思いましたが、それは別のところに。 -
コンドル。
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クモですね。
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マヤ文明では、当初トウモロコシ以外の植物や狩猟によって得た動物を含む多様な食生活を送っていたため、干ばつによってトウモロコシ農業が打撃を受けた時も他のものを食べるなどして危機をしのぐことができました。
しかし、階級社会が発達し人口が増加した古典期後期には農業が強化され食料源をトウモロコシだけに頼るようになり、異常な気候変動で 干ばつに弱いトウモロコシが打撃を受けたために、文明が衰退したと言われています。 -
北部海岸と比べて農業環境は恵まれていなかったナスカでは、極端に雨の恵みが少なく干ばつの影響を受けやすかったのです。彼らは 神に祈る為に、優れた芸術品を作りました。巨大な地上絵もその一つ、土器や織物の見事な装飾が知られています。
しかし紀元600年頃までには、干ばつ、洪水などの 深刻、急激な気候変動によって 社会的混乱が起こり、人口の大部分が高地に移住。「ナスカ文化」は、途絶えてしまいました。 -
台形と、細長~い長方形と、一輪の花。
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いよいよ地上絵遊覧もラストになってきました。
写真中央の黒い線(道路)は、パン・アメリカンハイウェイ。道路沿いの展望台からも観賞できるようになっています。 -
画像処理をして拡大すると、右下には 手、中央辺りに 木 が見えます。
ところで、このパン・アメリカンハイウェイは、地上絵があることを知らずに道路を敷設してしまった部分があります。 その結果、道路にかかった絵が分断されています。
トカゲ (木の上が尻尾で、道路の向こう側に見えているのが頭部です)が その一つ。 -
パン・アメリカンハイウェイが切りとっているのは トカゲだけでなく、その向こう側に見える長い長方形の図形も。
地上絵は、道路だけでなく、観光客の侵入が可能なので、観光客による破壊が深刻化しています。
また、雨がほとんど降らない地域だからこそ消えずに残された地上絵ですが、最近はエルニーニョ現象などの影響で海水温が上がり 上昇気流が起こることによって、ナスカ平原と周辺にも雨が多くなっているため、地上絵の浸食が少しずつ進んでいるそうです。降った雨によって育つ植物も、地上絵を破壊するのです。
特に 周辺の山岳地帯に降った雨が、小川のようになり ナスカ平原に流れ込み地表を削る現象は深刻だと言われています。
破壊される前に見学出来てよかった、で済まされる問題ではありませんが・・・ -
0:38
最後に オウムの地上絵を見て、遊覧飛行が終わりました。
機内で 1人2ドルのチップを集め、二人のスタッフに渡ししました。 -
5/7 1:36(-14)
なんとか乗り物酔いに耐え、ようやく空港に戻りました。 -
2:05(-14)
ランチタイムです。
セビーチェというシーフードマリネ、付け合わせのトウモロコシは初めての味で、皆さんに好評でした。アロス・コン・マリスコという魚介のパエリアも美味。
デザートはパンケーキ。
飲物は 相変わらずピスコサワーを頂きました。どういう訳か、チチャモラーダ(紫とうもろこしのジュース)も飲んでいますね。これは 夫の注文だったかと。
甘いけどちょっぴり酸味があり飲みやすい味でした。
ツアー料金に食事代金は含まれていますが、飲み物代は別料金です。飲物の種類にもよりますが、1人大体5ドル前後でした。 -
おじさんの頭に注目してください。
ナスカの地上絵のいくつかが彫られているのが 分かりますか?
カメラを向けてお願いすると、快く頭を向けてくれました。 -
エルピロトというレストランは、日本人ツアー御用達みたい。
天井が高く 居心地の良いレストランでした。壁面のあちこちにも 地上絵が描かれています。
午後1時過ぎにレストランを出て、リマに戻ります。 -
4:04(-14)
太平洋がきれいに見えるかと期待していたのですが、ハイウェイと海沿いの距離や高低差、バスの速さの関係なのか、海らしい風景は この一枚だけ。
行くときにトイレ休憩をしたお土産物屋さんに寄り、トイレ休憩を兼ねてショッピングタイム。集団心理で 思わぬ大人買いです。
夫は アルパカのセーターを欲しそうでしたが、サイズが合わず ここでは断念。 -
7:02(-14)
リマ市内に入ったようです。 -
激込みの渋滞。
-
リマ市内は 車窓から見るだけ。
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7:23(-14)
市街地に近づいた頃、山の斜面に沿って 階段状に伸び上がっている住宅街が見えました。山肌に張りつくように建っています。
これらは「不法占拠の家」と呼ばれているそうで、他人の土地でも数世帯まとまってその地に数十年住むと 所有権が発生するそうです。地方などから出てきた人たちは、こうやって占拠した土地に住み着いていくのだとか。 -
5/7 9:18~9:54(-14)
夕食。シーザーサラダ、魚料理、ポテトの凝縮された美味しさは 相変わらずです。デザートも。
食後は 空港のショップへ行ってお土産探しで時間つぶし。ガイドさんによると、カカオ73%のチョコレートがお勧めだそうです。 -
19:50(-14)
朝6時頃。ほぼ一晩中 灯りが付いていた空港。 -
20:42(-14)
モーニングコールは5時半。荷物の回収はドアの外に 6時30分。
前日の朝食時間より2時間余り遅いので、ホットミールも用意され 品数も揃っていました。 -
22:34
7:15にフロント前に集合。カードキーはそれまでに返却。
ホテルは空港に隣接していますが、ホテルスタッフがスーツケースを運んでくれるという 至れり尽くせりのツアーです。
クスコへ寄った後に向かうマチュピチュへは、列車に大きなスーツケースが持ち込めないため、マチュピチュ滞在に必要な1泊分の荷物だけを別にしています。
チケットを受け取ってゲートへ。 -
22:42
利用するのはLAN航空。
ロスからリマへの移動で搭乗したラタムと同じグループです。
搭乗する飛行機には、バスに乗って移動しました。 -
22:49(-14)
5/7 9:07(現地時間)クスコへ向けて リマ・ホルヘチャベス国際空港発。
機内は ほぼ満席でした。
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この旅行記へのコメント (1)
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- batfishさん 2020/04/01 20:04:10
- 楽しませていただきました!
- クッキーさん こんばんは!
昨年の5月は南米に行かれていたのですね。
マチュピチュとイグアスの滝は私もいつかは行きたいと思い続けて
いる場所で、ワクワクしながら拝見しています。
やはりこのあたりに行くにはツアー利用が安心ですね。
ツアーもアメリカ経由での長距離フライトや早朝出発、長時間の
バス移動など体力がないとなかなか厳しそうだなぁと思いました。
ナスカの地上絵、画像処理をしていただいたおかげでよくわかります。
ガチャピン、なるほどです(^^)
セスナは結構酔いますよね。私も実際に見ることになったら
多分地上絵より現地の景色に目がいってしまいそうです。
いよいよクスコ経由でマチュピチュへの移動ですね。
楽しみにお待ちしています。
batfish
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