2019/05/07 - 2019/05/07
22位(同エリア786件中)
クッキーさん
リマを出てクスコへ。
クスコは 11~12 世紀頃に建設され、太陽神 を崇拝するインカ帝国の都として栄えた所です。ケチ ュア語で「ヘソ」を意味するこの都市には、帝国内のあらゆる地方から人々が集まっていました。
しかし、16世紀 になるとスペイン人の征服がクスコにも及び、 インカ帝国は一瞬にして崩壊しました。征服者たちは、太陽の象徴である黄金で彩られた神殿や宮殿を破壊し 金銀を略奪して、インカが築いた精巧な礎石の上にスペイン風の教会を建設。
インカ時代の美しく精巧な石組みが残されたコリカンチャ(サント・ドミンゴ教会)や、スペインのコロニアルな建築物が残された独特な雰囲気が漂うクスコの街並みの一端を垣間見ることができました。
5月出発予定の中欧旅行のホテルを全てキャンセルした途端に コロナ鬱のようになってしまいました。世の中には 生活の糧を奪われて大変な思いをしている方々が多く、旅行に行けないことなど 贅沢な悩みだとは分かっているのですが…
回復するまで時間がかかりそうです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
5/8 0:40(現地時間 10時40分)
着陸直前、山肌が近すぎて怖いところもありましたが、無事にクスコ空港(アレハンドロ・ベラスコ・アステテ国際空港)に着陸しました。 -
空港内はシンプル。
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0:58
空港を出てからの第一印象は、空気が澄み渡り 陽射しが強烈だということ。
これは 標高3,400mの高地に位置しているせいでしょうか。 -
気温は思ったほど寒くもなく快適ですが、陽射し以上に注意を払わなくてはならないのが高山病です。クスコは富士山頂とほぼ同じ標高です。
日本からの大半のツアーは、クスコに到着後数時間観光してからマチュピチュに向かうというルートをとるようです。
現地ガイドさんから 1人2本の酸素ボンベを渡されました。 -
酸素ボンベも手助けになりますが、ゆっくり行動すること(走ったりしない)や深呼吸をする、水分補給などが高山病対策といわれています。
いつもせかせかしている私も さすがに気を付けて ゆっくりと歩くことを心がけます。時折 深呼吸も。
空港の外の景色。これがクスコなんだ。 -
クスコを観光した後 すぐマチュピチュに向かいますから、大きな荷物は私たちが乗るのとは別のバスに乗せられて、クスコのホテルに運ばれます。
世界遺産に指定されている街は車両乗り入れの規制が厳しいそうで、私たちは小型バスに乗って観光スポットに向かいました。 -
大型バスは乗り入れ禁止の クスコ旧市街の交通状況です。
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1:35
促されて急いでバスを降り、「サント・ドミインゴ教会・修道院」に歩いて向かいます。 -
サント・ドミンゴ教会の正面にやってきました。
太陽の神殿コリカンチャ跡地は、現在は博物館になっており、入り口は 左側になります。右側の大きな扉が、サント・ドミンゴ教会の入り口になっています。
スペイン人が造った教会ですが、元はインカ時代のコリカンチャ=太陽神殿でした。スペイン人はインカ人が造ったコリカンチャの土台の石組を利用し、その上に教会を建てたのです。 -
コリカンチャの入場券です。
コリカンチャのコリは、黄金という意味を指し、カンチャは、場所という意味があります。つまり、コリカンチャとは、黄金の場所という意味があるのです。
そのコリカンチャという名の通り、太陽の神殿、コリカンチャには、インカ帝国当時、金銀で埋め尽くされていた太陽の神殿だったのです。
1533年フランシスコ・ピサロがクスコに入城し、壁などに敷き詰められていた黄金や金銀財宝をすべて持ち去ってしまったので、今現在は、太陽の神殿、コリカンチャ跡地には、金銀は残っていませんが、当時は、等身大の金のリャマを連れた金の人の像や金のトウモロコシ畑に、金の太陽の祭壇、金の太陽像などがあったそうです。 -
インカ帝国時代のコリカンチャ(太陽神殿)の中庭。今は教会の回廊で取り囲まれた中庭になっています。中庭のある典型的なキリスト教の教会に見えます。
サント・ドミンゴ教会は、太陽の神殿コリカンチャをスペインの征服者が取り壊し、その土台の上に建てられています。
そのため、基本的に中庭の石畳や もともとのサント・ドミンゴ教会の下地のデザインは、インカ時代のコリカンチャのままです。 -
中庭にある一枚岩をくり貫いて作られた噴水。かつてはこの噴水も金色に輝いていたといいます。
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回廊の天井と門のアーチ。落ち着いた色合いが素敵です。
見るべき順路はあるようですが、ガイドさんが 込み具合を考慮して、案内してくれます。 -
二重の扉をくぐり、神殿の大きな部屋に入っていきます。インカの世界観が描かれた金装飾のレプリカがありました。
これは本物を模倣したのでなく、略奪したスペイン側のスケッチに基づくものだそうです。略奪後、溶かして金の延べ棒になってスペインに持ち去られたので、本物は一つもありません。
インカの世界観では世界は三層に分かれています。
コンドルが守る天上の世界、ピューマが守る地上の世界、蛇が守る地下の世界だそうです。 -
ここで一旦外へ出たかと…
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順番を待つ間、クスコの街を眺めます。
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順番を待っていたのは、この 湾曲する石組を見るためです。
ここが太陽の神殿の最奥部です。インカでもっとも神聖な場所は曲線で形作られるそうですが、まさにその典型の場所です。
左に見える突起は、石を運ぶための突起で、通常は設置後、削られるのですが、神殿部分の場合、突起は残して装飾用の取っ手として使ったとのことです。
太陽の部屋。インカ時代、カーブを描く建物は、この太陽の部屋とマチュピチュの太陽の神殿の二か所だけ。
もっとも神聖な太陽の神殿部分です。右側部分は教会の建物です。頑丈な石積みを利用して建てたのでしょうが、今となってはスペインの傍若無人ぶり の名残りですね。 -
湾曲する石組に至る壁面の巨石の見事さに感嘆。
インカ人は クスコを中心に1430年代頃から帝国を造りはじめ、1533年に スペイン人ピサロによって滅ぼされるまで存続します。インカ帝国は100年ほどの短命な帝国でした。 -
右側部分は教会の建物です。漆喰で固めた石積みの壁面は、石が見事に密着しているインカ時代のものと比べると その差は歴然としていますね。
キリスト教を広める宗教活動のため、神殿を破壊して、その上に このサント・ドミンゴ教会を建てたんですが、神殿を破壊したときにインカの石組は頑丈で、破壊しきれなかったため 上部だけを破壊し、下の部分はインカの石組をそのまま利用して教会を建てたそうです。 -
教会の方の 木製の扉です。
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中庭に面した壁面。上の方になるにつれ 石積みが雑になっていて、下に置かれたインカの石とは比べようもありません。
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テラスから見える中庭です。
中庭の先に民家が建っていますが、何年か前に、市長さんが売り払ったため民家が建ったそうです。世界遺産になる前の事だったんでしょうね。 -
先ほど ちょっと覗いた、神殿の大きな部屋に入っていきます。ここは 破壊が少ない 星の神殿だそうです。
いかにもインカ文明を思わせる絵画だと思い、表紙にしようとしていたのですが、調べてみると、現世の美術学生が描いた天の川ですって。星ではなく 暗闇に龍やピューマが描かれているそうです。
インカ皇帝パチャクティによって、クスコの街は力強さを象徴する聖なる動物ピューマの形に設計されたと言われています。サクサイワマン遺跡はピューマの頭に位置し、アルマス広場が心臓部に位置するのだそう。 -
神殿の床はスペイン時代のものらしいですが、すり減り具合が歴史を思わせて いい感じです。
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儀式の部屋?星の神殿?を振り返って。
インカの建造物の中でも特に重要な場所へと通じる門は、このような二重構造になっています。
人目につかない天井も、驚くほど美しく丁寧に仕上げてあります。
スペイン人が後に敷設した床の石畳と比べると、その技術レベルには雲泥の差があります。
頑丈な二重の扉です。スペイン人が新たに扉をつけるために上部を破壊しました。 -
インカ文明と太陽の関連を説明してくれるガイドさん。
一度聞いても 理解しきれるものではありません。 -
その先にある 西洋風の回廊部分です。
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スペイン統治下で教会に変えられた際に施された装飾の残存部分です。修道院として使われた時期もあり、当時の壁の塗りが残っています。
インカ文明の神殿のリユースですが、イスタンブールのアヤソフィア、コルドバのメスキータなどに見られるように、キリスト教もイスラム教 も他宗教の建築物をリユースするとは、ある意味豪胆ですね。 -
星の神殿は 壁は銀で飾られ、壁の20以上もある壁龕には宝石などが納められていたそう。半分壊されたような窓はガラス板で覆われていますが、スペイン人が皇帝の玉座があったところと聞いて宝石を捜した跡だそう。
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西洋風の回廊部分は西洋風です。
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中庭から教会の塔を見上げます。
スペイン人が造らせたサント・ドミンゴも大層立派な教会ですが、コリカンチャの石組みの前には、どうしようもなく見劣りしてしまいます。 -
インカの人々を「未開の野蛮人たち」と見下していたスペイン人たちの眼に、西欧を凌ぐこの建築技術はどのように映ったことでしょうね。
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回廊部分です。宗教画が掛かっています。
インカ帝国時代の石造りの建築のすごさを垣間見ることができます!
教会の中にインカの遺跡(コリカンチャ:宮殿と太陽の神殿)があります。
高い耐震技術が施されたコリカンチャ内部の石造りの部屋 -
太陽の神殿コリカンチャの一部が残っています。
中庭の南東側には4つの小神殿があります。少し空いたということで案内されました。虹、雷の神殿が並びます。
建物内部に残されている石組みはどれもよく磨き上げられており、それぞれの面はまるで接着剤を使ったかのようにぴたりと合わさっています。しかし単にまっすぐ削った石を積んでいるのではなく、石材の側面に凹凸を施し組み合わせているのです。
そうはいっても、やっぱり度重なる地震でゆがんできてるところもあるそうです。 -
手前に置かれた石材。石の繋ぎは くぼみと出っ張りで。
スペイン人によって破壊された跡を見ると、石にはいくつもの小さな穴や溝が掘られていることがわかります。
インカは車輪も鉄も持たない文化。その彼らが現代技術を駆使しても不可能と思える石造の技術を有し、手作業だけでこの神殿を建築したことには畏怖の念さえ抱きます。
外観からはわかりませんが、重要な部分の石壁に使われる石にはいろんな形の凹みが掘られていて、そこに凸部を持った石を噛ませて補強してあるそう。
さらに 壁を僅かに傾かせるという工夫をすることで、互いに支えあう力が生まれ、耐震強度が増しているのです。
過去何度も大きな地震に見舞われているクスコですが、インカの石組みだけはびくともしませんでした。 -
穴を開けるなどの 精密に加工された神殿の石。
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コリカンチャの再現模型です。写っているのは、もっとも大事で神聖な場所「太陽の神殿」部分です。壁上部は金で覆われていました。緩やかなカーブを描いている角の箇所が太陽の部屋。宗教儀式が行われていた場所です。
コリカンチャは、あのマチュピチュ遺跡をも造らせたとされるインカ9代皇帝パチャクティによって建設されたもの。
多くの偉業を成し遂げたとされるこの賢王は、ここに高位の神官たちを住まわせ、生贄を捧げながら太陽神インティを崇め祀らせていました。また太陽神だけでなく、月の女神ママ・キジャや創造神ビラコチャ、雷や稲妻を司るイジャパをも祀っており、それらの神々に捧げられたとされるのが 石の部屋(神殿)だそう。
カミソリの歯一枚通らないといわれる緻密で正確な石組みですが、意外なことにその屋根は美しく切りそろえられた藁で葺かれていたといいます。 -
3つの窓が同じ高さにある壁。
中央の台形の穴が一直線に配置され、石造りの壁の間に開いた小窓を覗くと、向こうの部屋の別の小窓が遠近法で、小さく 中に見えていくという、とても精巧な造りになっています。
大きな石を積んで壁を作っていることを考えると、このインカの石積みの精度の高さは、驚愕です。
各部屋にある台形のくぼみは、神像が置かれたものと考えられています。 -
一見、四角く成形された石を重ねただけのように見えますが、石の重なり合う部分には凹凸の加工が施され、それぞれが噛み合うように組まれています。
また、面取りすることで生じたわずかな陰影が冷たい石壁に躍動感を与えるという見事な石積みです。
1532年、カハマルカでインカ最後の皇帝アタワルパが ピサロに捕らえられ、その身を開放するために差し出した黄金のほとんどは、ここコリカンチャから運ばれたといいます。壁を覆う黄金の帯や装飾品、等身大であったと伝えられる黄金のリャマや牧夫、畑に植えられていた金のトウモロコシなど まさにここは「黄金の神殿」でした。
インカにとって太陽はすべてを遍く照らす最高神、そして皇帝はその太陽の息子。
黄金の輝きは太陽の色であり、皇帝を象徴するものでした。
黄金に眼の眩んだ人々によって破壊し尽くされ、黄金のベールを全て剥ぎ取られてしまいましたが、インカ人の驚異的な石積の技術の結晶だけは残されたのですね。 -
出入口の形は台形になっており、出入口の横の壁も台形になってるのが分るでしょうか?これでさらに頑丈になってます。
とにかく、石組の綺麗さに圧倒されました。
2階に登ることができ、2階はまた別の近代的な美術品が展示された近代的な博物館になっています。そして、サント・ドミンゴ教会とは分離されていますが、2階からサント・ドミンゴ教会の上の階の部分に出ることもできると、帰国後に知りました。 -
外に出て サント・ドミンゴ教会側壁を見上げます。
スペイン人が造った壁面ですから、石と石を結びつける白い材料が見えています。 -
太陽の神殿部分(黒い壁の部分)と教会部分を外側から望みます。
古いレンガ造りの教会。中世の建造物らしいオレンジがかったその外壁の一部に、艶やかで黒々とした石組みの壁が残っています。
外側から見ると、石壁の先端は90度以上の角度で内側にカーブしている様子がよく分かります。その曲線はあまりにも完璧で、当時の建築技術の高さに驚嘆するばかりです。 -
サント・ドミンゴ教会(別名)です。緑の芝生が綺麗なのが印象的です。インカ帝国の宮殿の石積みの上に教会を建てたものです。インカの石積みは、頑健で、その後の大地震のときも崩れたのは後から建てた教会部分のみだったそうです。
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コリカンチャの外の庭園に出ることができるようです。壁面に開いた所に 人の出入りが見られました。
コリカンチャの手前にあるサグラード庭園は エル・ソル通りに面したとても大きく開けた広場の前にあります。
太陽の神殿コリカンチャの博物館は 実際には、上と下にそれぞれ2ヶ所あるのだとか。
一つは先ほど見てきた上の部分。もう一つはこの庭園の下側にあるコリカンチャ博物館です。入り口はサグラード庭園の真ん中の辺り。 -
プレ・インカ時代、インカ帝国時代の出土品などが展示されています。投石器などの武器、リャマの小さい金細工や銀のとうもろこしなども展示されています。
クスコは今でもマンタと呼ばれる伝統的な織物がすばらしいことでも有名ですが、インカ帝国時代より以前からすでに優れていたこともわかります。
犠牲にされたミイラや 頭骸骨を手術した後の穴の開いた頭蓋骨などの展示も。
地下のコリカンチャ博物館を出るとサグラード庭園 の真ん中に出ます。
サグラード庭園の芝生には、インカ時代の精密な石切り加工がなされた石が点在しています。・・・という情報は、ツアー客には垂涎ものですね。
インカの1年に一回の祭りである 南米3大祭りのインティライミ太陽の祭りでは、コリカンチャもサグラード庭園もインカの伝統衣装を着た人々で埋め尽くされるそうです。 -
庭園側から見る太陽の神殿コリカンチャ跡、サント・ドミンゴ教会。
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2:20
通りを巡回するお巡りさん。 -
コロニアル・シティー、クスコ街並み点描。
ひたすらガイドさんの後をついて歩くだけですから、一瞬のうちにシャッターを押すだけです。 -
通りの先に 広場が見えてきました。
前を歩く帽子の女性が、現地ガイドさん。日本人で ペルーの大学で学んだ後、ペルーで生活しているそうです。 -
カテドラル。
アルマス広場に沿って建つこの大聖堂は、かつてのインカ帝国時代にはビラコチャ神殿があった場所。1553年のスペインによるインカ征服後、1550年から100年かけて建造されました。
内部のメイン祭壇は銀を300トン使用しているとのこと。
かつて黄金を纏っていた太陽の神殿コリカンチャに対抗して キリスト教の威信を見せつけるために必要だったんだろうと 勝手な想像を。 -
足元をふと見ると、無防備に横たわる けっこう大型の犬。
こんな人ごみの中で のんびり -
ラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会。
かつてインカ11代皇帝ワイナ・カパックの宮殿であるアマルカンチャ宮殿があった場所に 1571年に最初の教会が建造され その後地震で崩壊し、1688年に再建された 精巧な装飾に彩られたバロック様式の教会。
正面のファサードが美しい 赤茶色の歴史的建造物ですが、外観だけの見学です。 -
スターバックスと分かるものは このマークだけ。街並みにすっかり溶け込んでいます。
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アルマス広場
広々した空間にはカテドラルや公園などがあり市民の憩いの場になっています。また、このエリアを囲むようにおみやげ屋さんや飲食店もあり、観光客でにぎわうエリアです。 -
じっくりとアルマス広場を回る暇もなく、次の目的地へ。
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宗教博物館のあるハトゥン・ルミテック通りを進んでいきます。
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2:44
石垣好きにはうれしい 多彩な石垣や石畳が続きます。 -
クスコの有名観光スポット 12角の石です。この石に言い伝えなどは無く、インカの石積みの精巧さの象徴として有名ですが、教えてもらわないと通り過ぎてしまいそうな感じ。
インカ帝国時代の石工の精巧さを、今に伝えるクスコの石垣ですが、なかでも特に高い技術力を実感できるのが、この「12角の石」です。一見何の変哲もないこの石
は、よく見ると、他の石に合わせて微妙な形状に切り出され、非常に複雑であることが分かります。その隙間はカミソリも通さないといわれるほど、精密に造られています。
有名スポットですから 絶え間なく観光客が訪れるので、ここをバックに記念写真なんて到底無理と思っていたのですが…現地ガイドさんの巧みな捌きで、ツアーの皆さんは無事それぞれに写真に納まりました。しかも あっという間に何回もシャッターを押してくれたのです。 -
12角の石があるのは、宗教美術博物館(別名、大司教宮殿と呼ばれている建物)の外壁です。ここは第6代インカ皇帝ロカの宮殿だったところで、石壁の土台はインカ時代のもの。スペイン人たちに、インカ・ロカ皇帝の宮殿は、破壊され、その土台の上に、邸宅が建てられました。
しかし、その邸宅も1590年の大地震で倒壊し、その後、大司教宮殿が、立てられて、今に至りました。
その1590年の大地震やその後の地震でも インカ帝国時代の土台部分、12角の石、プーマの石、蛇の石がある部分はびくともしていないのですから、インカの技術には 恐れ入ります。 -
通りで一休みするインディオの人達。
背中には お土産物が入っている様子。 -
歴史ある石組みと 現在の町並みの美しさとの融合。
通りはこんな感じで とても狭いです。人波が途切れた時の一枚。 -
細い路地の足元。
-
2:50
クスコは山の斜面にも人が住んでいます。でも、生活は大変でしょうね。
山の上のほうに住んでいる人は生活が貧しい人々で 裕福な人は山の下の便利な所に住んでいるのだそう。 -
アルマス広場に戻ってきました。
インカとスペイン植民地文化の混在ぶりが 世界遺産と評価されています。
バルコニーのあるこの雰囲気は、スペインっぽいですね。 -
カテドラルとラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会。
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赤い線が おそらく歩いたところ。こうしてみるとほんの一部分ですね。
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アルマス広場から。
山肌の上の方まで立ち並ぶ家々が クスコでの印象に残る風景になりました。 -
アルマス広場から。
心惹かれる街並みです。 -
アルマス広場の背景の丘を拡大すると 山の頂上に十字架が見えています。
あの背後にサクサイワマン遺跡があるそうです。巨石の要塞だそうで、訪れるチャンスがなかったことが残念。
ツアーに参加していても、早朝に 個人でタクシーをチャーターして訪れた人がいるんですって。 -
インカ時代、クスコの中心部である広場には歴代の王様達の豪華絢爛な宮殿や立派な公共の建造物が多く立ち並んでいました。
しかし後に、クスコを征服したスペイン人は最初に、インカ時代ワカイパタとウカイパタ(ケチュア語で嘆きの広場または待ち合わせといった意味)という名前であった2つの広場を1つにし アルマス広場と命名しました。
そしてクスコのアルマス広場の傍には大聖堂カテドラルやラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会を建設し、そこから植民地化を進めて行きました。
アルマスは「武器」を意味するスペイン語です。スペイン人の兵士や持っていた武器からそう名づけられました。 -
長い時代を経て、現在広場中央の噴水には金色に輝く インカ皇帝パチャクティの像がたっています。
-
バルコニーに彫られた模様が繊細で魅惑的。
-
3:02
このバルコニーのある建物の少し先の2階が、昼食のレストラン。 -
スープは キヌアのスープだとのこと。
他の料理名は不明。どれも美味しかったのですが、添乗員さんから「高地で体調を崩しやすいので腹八分目に・・・」と言われていましたから、涙を呑んで?八分目で終えました。 -
きれいな色の飲物は たぶん何かのアルコール飲料。いや、さすがにこの時にはアルコールは控えていたかも。
-
コカとは コカインの元になる葉っぱで、日本国内でこの葉っぱをもっていたら即アウトですが、葉っぱそのものは、高山病対策に良いといわれています。
話のネタに一度は飲んでみよう・・・と葉っぱを入れて、カップにお湯を注ぎます。
お味は・・・何かの薬草茶のようだったという記憶。 -
3:50
ちょうど窓際の席が空いたので 室内の様子を一枚。 -
4:25
バスはクスコ市街を抜けていきます。
コリカンチャ(太陽神殿)と12角の石を見て、街並みを歩いただけの 3時間半の滞在にすぎないクスコでしたが、石積みをしっかり見られたおかげで 充実した観光でした。 -
街のはずれを車窓から。
クスコの街を取り囲んでいる山々を越えるので、峠に向けて坂道を上がっていきます。 -
右下に位置するクスコを出て、中央辺りのオリャンタイタンボまでバスで移動。
その後、左上のマチュピチュ村までの列車移動が この後の行程です。 -
5/8 4:52
峠を越え、 -
さらにいくつもの小さい集落などを通り過ぎて行きます。
3000m近い標高で、放牧も行われています。 -
5:00
雪を頂いたアンデスの山。 -
5:04
少し高度が下がったようです。 -
山間の のどかな農村風景。こんな景色が見られるとは思いもよりませんでした。
クスコ市街とは雰囲気が違うと思ったら、家々に 寄棟のような屋根が葺かれているんですね。 -
のどかな農村風景。
-
日干しレンガで作られている住宅?小屋?
-
緯度が低いゆえですが、高地でも普通に農耕がおこなわれています。
高地ですから ジャガイモの畑が多いそうです。 -
車窓に続く のどかな農村風景。
-
5:10
アンデスの山々が近づいたり遠ざかったり、見飽きない風景です。 -
5:12
山肌に刻まれた文字は この辺りの地名でしょうか? -
5:16
遠くの山々との距離感は よく分かりませんが、すぐそこに見えているかのようなアンデス山脈です。 -
5:18
よく見ると 山肌にひっかき傷のようなものが見て取れます。インカ古道のようなものかなあ、と勝手に想像して ロマンチックな気分に。 -
5:19
「聖なる谷」と呼ばれるウルバンバかと。
こんな風景も日本の山間の集落に普通にありそうですね。
この辺りは、標高は高いのですが、気候にも恵まれた地域のため、インカ帝国の食糧庫といわれるほど農業の盛んな地域です。 -
5:52
車窓に レールが見えてきました。 -
5:56
オリャンタイタンボ周辺は、インカ帝国の砦となった遺跡が多数残る場所。クスコからマチュピチュのちょうど中間くらいです。
距離にして90kmくらいなのですが、バスで山道を揺られながら車窓風景を満喫したので、もっとたくさん走ってきたような気がします。 -
6:10
バスを降りて、お土産物屋さんが並ぶ通りを歩くと その先に駅があります。 -
6:13
チケットの購入には パスポートの提示が必要ですが、これも添乗員さんに預けてゆっくりトイレ休憩などをしている間に チケットが準備されていました。
ツアーだから当然のことなのでしょうが、その気楽さに安堵したり 物足りなさを感じたりと、少し複雑な気分です。でも これが最後のツアー旅行でしょうから 気楽さを享受しましょう。 -
小さなホームですが、駅構内は電車を待つ人でにぎやかでした。
人々が列車の近くに集まりはじめ、乗車時間が近づいてきたようです。
一斉に乗り込み始めますが、入り口辺りで自撮りをする人たちの姿も。 -
6:29
オリャンタイタンボを後にして、マチュピチュに向けて出発。
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