2019/08/04 - 2019/08/04
62位(同エリア158件中)
あおしさん
北九州旅行3日目は北九州からローカル線に乗って筑豊の旧炭鉱地域をまわってみました。
「黒いダイヤ」と呼ばれた石炭やセメントの原料である石灰を多く産出したこの地域はかつては日本を支えた地域です。
そのゆかりの場所めぐりです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
下関のカプセルホテルに宿泊し、朝は下関駅からスタート。
JR西日本の駅ですが、JR九州の電車での出発です。下関ステーションホテル 宿・ホテル
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関門トンネルをくぐって、北九州市の中心駅・小倉駅へ。
ここで日田彦山線に乗り換え。
2両編成のデイーゼルカーで、のどかな雰囲気のローカル線です。
まずは呼野駅で途中下車。
このあたりは石灰の産出地で、後ろの山も石灰を採取するために削られています。呼野駅 駅
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小さな集落ですが、向こう側にはマンションの廃墟のような建物が何棟も見えます。
これはかつてここで石灰採取をしていた会社の社宅。
駅で列車を待っていたおばあさんのお話では、昭和30年ごろには最新のマンションのような社宅だったそうで、そのころは多くの人が社宅に住みにぎやかだったそうです。
現在も居住しているのは数家族だけで、人が住んでいない棟は廃墟同然とか。呼野駅 駅
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この呼野駅からは石灰を満載にした貨物列車が多く発車していきました。
今は石灰も取れなくなって貨物列車も無くなり、広い駅構内は草むらになっていました。 -
かつての呼野駅の写真がありました。
当時は駅員さんも常駐する駅舎もあり、SLに引っ張られた貨物列車がここに多く発着していたのです。 -
呼野駅から南下すると、金辺峠を越えて、北九州から筑豊地域に入ります。
最初の駅が採銅所駅。
奈良の大仏にも使われた銅を産出したとのことで、採銅所という地名になったそうです。大正レトロの駅舎 待合室では充電もできます by あおしさん採銅所駅 駅
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採銅所駅の駅舎は大正4年の開業以来の貴重な駅舎。
リニューアルされて、観光や移住の相談ボランテイアの人が常駐してる案内所として使われていました。 -
この駅舎は当時としては一級品の駅舎でした。
外側壁面の飾りや待合室天井の星形文様やシャンデリアなど大正モダンを感じさせます。 -
当時はさぞかし活気があったと思いますが、今はのどかな農村。
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採銅所駅からさらに日田彦山線を南下します。
のどかな雰囲気の車内です。 -
かつては炭鉱の町・田川市の中心駅、田川伊田駅に到着。
35年ぶりです。
駅舎は新しくなっていましたが、かつて来たときには多くあった商店や食堂などは少なくなり、活気があった駅前も閑散としていました。田川伊田駅 駅
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田川伊田駅の裏手にはかつて三井の巨大な炭鉱・田川伊田鉱業所がありました。
今は閉山になり、石炭歴史博物館になっています。
かつて使われていた伊田竪坑櫓。田川市のランドマーク by あおしさん石炭記念公園 公園・植物園
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博物館にある当時の伊田鉱業所のジオラマ。
竪坑櫓を中心に鉱業所の建物、そして炭鉱夫たちの住まいである炭鉱住宅が多くありました。一番の見どころは炭鉱住宅 by あおしさん田川市石炭 歴史博物館 美術館・博物館
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かつては多くの炭鉱住宅が炭鉱の近くに並び、活気のある町となっていました。
東宝特撮映画「ラドン」は炭鉱住宅の集まる町が舞台になっていて、当時の人々の暮らしぶりが描かれています。 -
ここでは筑豊の炭鉱について歴史の説明や展示がされています。
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明治になり筑豊で炭鉱が多く開発されると、「炭鉱成金」も登場しました。
麻生太吉もその1人。
15歳から多くの炭鉱を開発し、さらにセメント事業などにも手を広げ、巨万の富を得ました。
1898年・第6回衆議院議員選挙で衆議院議員に当選しています。
麻生太郎元総理大臣の曽祖父にあたる人です。
明治以来の政治家一家は1894年・第3回衆議院議員選挙以来の鳩山家の方が古いですが、鳩山家は東京の選挙区で落選し、今は福岡の選挙区になりましたので、同一の選挙区からの政治家一家では日本で一番古い家になります。
麻生家に次ぎ古いのは1908年・第10回衆議院選挙以来の小泉家です。 -
ここの石炭歴史博物館での見ものは炭鉱住宅です。
かつて全国の炭鉱の周りには多くの炭鉱住宅がありましたが、今ではほとんど見られなくなってしまいました。
その意味ではこの博物館は炭鉱住宅を見ることができる貴重な場所です。 -
明治時代の炭鉱住宅の様子。
4.5帖ひと間に土間だけ。
便所は共同便所、台所(流し)は屋外、浴室もありません。
天井もなく、窓もサマンコ(無双窓)と呼ばれる窓でした。 -
大正時代の炭鉱住宅の様子。
部屋は和室6帖になり、台所(流し)も土間、つまり屋内になりました。
さらに窓には障子が張られるようになりました。 -
昭和時代には部屋は和室6帖と4.5帖になりました。
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台所も流しだけではなく厨房も置かれるように整備されました。
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「月が~出た出た~ 月が~出た~♪」
この田川市は炭鉱附氏発祥の地です。田川市のランドマーク by あおしさん石炭記念公園 公園・植物園
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田川伊田駅に戻り、隣の田川後藤寺駅へ。
かつて多くの石炭満載の貨物列車が発着した名残でとても広い駅構内です。
ここから後藤寺線というローカル線に乗り換えます。田川後藤寺駅 駅
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隣の船尾駅で途中下車。
この駅は麻生セメントのプラントが現在も稼働しており、プラントの中の駅です。「工場萌え」の駅 by あおしさん船尾駅 駅
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駅を囲む巨大なプラント。
「工場萌え」の駅でした。 -
後藤寺線で新飯塚駅へ。
新飯塚駅からJR九州の赤いバスに乗ります。新飯塚駅 駅
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新飯塚駅からバスで10分。
伊藤伝右衛門邸へ。炭鉱王の豪邸で見ごたえがありました by あおしさん旧伊藤伝右衛門邸 名所・史跡
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伊藤伝右衛門もまた「炭鉱成金」の1人です。
旧公家の貴族・柳原子爵家の娘、柳原白蓮を妻にしたことでも有名です。
朝ドラ「花子とアン」では、彼をモデルにした嘉納伝助が登場し、有名になりました(演じたのは吉田鋼太郎さん、白蓮は仲間由紀恵さん)新飯塚駅から伊藤邸まで利用しました。9月末で廃止されるそうです。 by あおしさん路線バス (JR九州バス) 乗り物
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伊藤伝右衛門は炭鉱開発で財をなし、この豪邸を建てました。
応接室。
英国風の豪華な応接室です。 -
食堂。
窓ガラスからは豪壮な庭園を望むことができます。 -
本座敷。
15畳敷の大広間と12畳敷の次間の広い座敷です。 -
中座敷。
伊藤伝右衛門の居間でした。 -
奥座敷。
本座敷や中座敷のように格式張っておらず、やや女性的な雰囲気の部屋です。 -
二階座敷。
伊藤は白蓮を奥さんにすると、ここの2階を増築し、彼女の居間としました。
ここから眺める庭園は見通しがいい景色でした。 -
伊藤邸は5時で閉館。
伊藤邸の門もまるで大名のようです。
伊藤は大富豪となり、また衆議院議員にも当選して、社会的には成功者でしたが、妻・白蓮は年下の若い男と駆け落ちするなど(白蓮事件)、家庭や健康には恵まれませんでした。
麻生家と異なり、伊藤家は事業家、政治家一家としては続くことはできませんでした。
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