2019/08/18 - 2019/08/20
975位(同エリア1633件中)
ペコちゃんさん
- ペコちゃんさんTOP
- 旅行記407冊
- クチコミ106件
- Q&A回答1件
- 621,435アクセス
- フォロワー21人
遅い梅雨明けだった今年の夏も、その後は猛暑の毎日。
涼を求めて、中一・中二の孫娘2人を連れて2泊3日の夏休み旅行に出かけました。
昨夏は4人で白馬に行きましたが、今年は ” 伊香保~草津~軽井沢 ” 。
来年は高校受験を控えているので、 ” 今年が最後かな~ ” と思いながら、涼しい所で夏休みを楽しんできました。
草津温泉は、1980年代に次々と建てられた大規模ホテルがバブル崩壊で次々に廃業し、年間300万人が訪れた観光客は、2010年に260万人に激減。
2010年から草津町長になった黒岩町長は、草津の中心地「湯畑」を一変させる改革に乗り出し、古き良き木造の公共温泉や散策できる広場などを次々に建設すると客足が戻り始め、商店や旅館経営者など地元住民自らも、魅力的なサービスや町づくりを進めた結果、2017年の観光客は321万人へと増加。
そんなこともあり、6年振りに訪れた草津の街は街全体がリニューアルで活性化され、ちょっとビックリしました。
写真は、今回最初に立ち寄った、水沢観音の近くにある「地球屋榛名」の天井から吊るされた、巨大な13,556個のつるし飾り・・・ギネスで認定された世界一の「つるし飾り」です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
<1日目>
8時前に車で出発し、関越を走って上里SAで休憩後、駒寄スマートICで降りて伊香保に向かいます。
途中の田んぼに、マネキンで作った案山子が・・・夜は不気味でしょうね。 -
最初に立ち寄ったのは、水沢観音の近くにある「地球屋」。
道を挟んで、右側にパン工房と雑貨屋、左側に「もの作り体験工房・地球屋ハルナグラス」があります。 -
駐車場の左側にある建物は、自家培養天然酵母・無添加の「地球屋パン工房」、右の建物は古民家を移築して造られた「地球屋榛名」。
-
「地球屋榛名」には、ギネスで認定された世界一の「つるし飾り」が展示されています。
-
店内に入ると、天井から吊るされた巨大な13,556個のつるし飾り!
全長が7.5m、重量は280kgもあり、大きすぎて全体がカメラに収まりません。
このつるし飾りは、2006年に『世界一大きなつるし飾りを作ろう』との社長のアイデアで、2006年に因んで2006個のつるし飾りを作ることから始まりました。 -
その後、店のスタッフの人達だけでなく、多くの方々の応援も得て、布の折鶴など細工物が作られ、ついに13,556個の巨大なつるし飾りが完成し、ギネス認定されました。
-
「つるし飾り」は、縮緬(ちりめん)などの着物の布を解いて作った細工物を紐で繋げて、竹等で作った輪に吊るして飾りにした物です。
細工物一つ一つに長寿や健康などを願う意味があり、江戸の時代から女の子が生まれたお祝いに桃の節句に飾ったと云われています。 -
飾りの中に入って真下から見上げると、こんな感じ・・・圧倒されます。
当初は「いざゴーゴーゴー」の語呂合わせで13,555個の予定でしたが、社長の数え間違いで13,556個になったそうです。 -
店内に飾られた大小のつるし飾り。
最近は桃の節句だけではなく、端午の節句用や喜寿や米寿など長寿のお祝い用のつるし飾りも作られています。 -
巨大な鯉のつるし飾り。
和風の店内には、リサイクル着物・古布を使った創作服や縮緬細工・創作人形などが所狭しと並べられていました。 -
地球屋では、いろんな創作体験ができますが・・・
-
お目当てはハルナグラスの「もの作り体験工房」。
-
孫達は、あれこれ悩んで「サンドブラスト」に決定!
-
建物の2階に上がると、様々なガラスの加工品が展示販売されています。
-
2階の右側が体験工房・・・夏休みなので、多くの家族連れが挑戦中。
孫達は小さなジョッキグラスを選び、シールの模様を鋏で切って貼り付けています。
貼りつけたシールに空気が入らないよう、気を付けながら真剣そのもの。 -
砂のような研磨材を吹き付けて、出来上がり!
シールを貼った所は研磨されないで、模様になります。
夏らしいデザインのカップ・・・夏休みの良い思い出になることでしょう。 -
1階は「地球屋バターファクトリー」・・・ここではバターやチーズの手作り体験ができます。
-
地球屋の次は、伊香保へ。
万葉集にも登場する伊香保温泉ですが、シンボルの石段が誕生したのは、1576年頃と伝えられています。
長篠の戦で織田・徳川連合軍に敗れた武田勝頼が、多くの負傷兵治療のため、高い場所にある源泉を各浴舎に引湯する目的で、真田昌幸に命じて造らせたそうです。 -
現在の石段は、1980年から5年をかけて大改修され、みかげ石が敷かれています。
2010年には石段が新設・追加され、365段に・・・「温泉街が1年365日、賑わうようになってほしい」という繁栄の願いが込められています。
1段目の海抜は715m、365段目は783m・・・夏でも涼しい訳です。 -
石段を登り始めてすぐの所にある「伊香保関所」と「旧ハワイ王国公使別邸」へ立ち寄り。
-
三国街道(高崎~越後)の裏往還の要所として、幕府の命により寛永8年(1631)に設けられた伊香保関所(伊香保口留番所)・・・2006年に復元された建物です。
関所は番役人として年番で伊香保の大屋2名、下番2名の計4名が勤め、明治2年の関所廃止令で閉所となるまで、238年に亘って役割を果たしました。 -
右奥の高い石は役人が腰かけた「取調べ石」、手前の平な石は旅人が平伏した「お辞儀石」。
伊香保温泉は江戸の時代から子宝の湯と宣伝され、女性客が多かったので「入鉄砲に出女」の詮議が厳しく取締られました。 -
土間に置かれた「山駕籠」。
-
内部は3部屋あり、当時の通行手形や古文書、武具などが展示されています。
-
伊香保関所の先にあるのは、ハワイが独立国家だった頃の「ハワイ王国公使別邸」・・・駐日公使のロバート・W・アルウィンが1891年に購入し、夏の別荘として使用していた建物で、日本に現存するハワイ王国の数少ない建物のひとつです。
(ハワイ王国:1795~1893、ハワイ共和国:1893~1898、その後はアメリカの準州として併合されました。) -
ここは1階。
-
2階からの眺めは、なかなかのものです。
当時は現在の建物の左側に平屋もある、大きな建物でした。 -
別邸の右側にあるガイダンス施設。
内部にはアルウィンの紹介パネルや、当時使用していた家具類などが展示されています。 -
ベンジャミン・フランクリンの子孫であるロバート・ウォーカー・アルウィン(1844~1925)は、1881年に横浜駐在ハワイ王国総領事官に就任し、1898年のハワイ王国崩壊までハワイ共和国弁理公使を勤め、3万人近くの日本人をハワイに移民させました。
また日本人女性と結婚し、明治政府が認めた国際結婚の第一号でもあります。
パンフレットを見ると、大きな建物だったことが分かります。 -
ここに置かれたアヒルちゃんは、石段街にある射的屋さんの景品。
みんな、名前を書いて、ここにお供えするようで、すごい数のアヒルちゃんで溢れてました。 -
伊香保温泉には昔から文人墨客が数多く訪れましたが、与謝野晶子もその中の一人・・・石段に与謝野晶子の『伊香保の街』という詩が刻まれています。
” 榛名山の一角に、段また段を成して、羅馬時代の野外劇場の如く、斜めに刻み附けられた 桟敷形の伊香保の街、屋根の上に屋根、部屋の上に部屋、すべてが温泉宿である、そして榛の若葉の光が柔かい緑で 街全體を濡らしてゐる。街を縦に貫く本道は 雑多の店に縁どられて、長い長い石の階段を作り、伊香保神社の前にまで、Hの字を無数に積み上げて、殊更に建築家と繪師とを喜ばせる。 ” -
200段を越えて、ちょっと疲れたので、岸権旅館の入口すぐ横にある無料の足湯へ。
泉質が「黄金の湯」の源泉かけ流しの為、鉄分の独特な香りがします。
お湯の色に圧倒されて、孫達は最初、足を入れるのを躊躇していました。
因みに、岸権旅館は映画「テルマエロマエ」のロケ地。 -
真田昌幸が造った石段の内部には、「黄金の湯」の源泉を流す湯樋が通され、今も往時と変わらず、温泉を各旅館に配湯するシステムになっています。
-
これが、湯元から流れる源泉を分岐させる「小満口(こまぐち)」。
石段街には全部で四つの小満口があり、温泉が中を流れていく様子を見ることが出来ます。 -
明治20年代の伊香保温泉・石段街。
建物やお店が変わっても、賑わいは変わりません。(写真はWikipediaより) -
石段のところどころに埋め込まれた干支のプレート。
江戸時代に、伊香保温泉の引湯権を与えられた12軒の宿があり、「大屋」と呼ばれて干支があてがわれ、明治維新まで年番で名主や関所の役人を勤めました。
現在のプレートがある所は、当時の屋敷跡を示しています。 -
幅が広く登りやすい石段でしたが、途中から幅が狭く勾配も急になるので、結構疲れる・・・
-
やっと伊香保神社の鳥居が見えてきました・・・狛犬の所が321段目。
-
上から見下ろした左右の狛犬と石段街・・・いい眺めです。
-
365段の最上段に鎮座する「伊香保神社」。
-
神楽殿。
-
境内にある万葉歌碑。
『伊香保ろの 八坂の堰塞(いで)に 立つ虹(のじ)の 顕(あらは)ろまでも さ寝をさ寝てば』
(意:伊香保の山裾にある、八尺もある大きな水門からほとばしる水しぶきに、朝日が当たって虹がはっきりと見えるようになるまで、お前と一緒に寝ていられたら、どんなに楽しいだろう) -
鳥居の脇には、松尾芭蕉の円い句碑と江戸時代後期の尊皇思想家の高山彦九郎の『腰掛の石』が並んでいます。
芭蕉の句:『初時雨 猿も小蓑を 欲しげなり』・・・伊賀の山中で初時雨にあった時に詠んだ句ですが、何故、この句碑がここに? -
伊香保神社から露天風呂を目指して、さらに進みます。
-
その途中にある河鹿橋・・・朱色が目を引きます。
-
河鹿橋と並行して架けられた紅葉橋。
この辺りは紅葉の名所です。 -
その先にある「伊香保温泉飲泉所」。
左の蛇口が温泉、右からは普通の水が流れており、試しに飲んでみると鉄錆の味・・・味は不味くても、ミネラルや鉄分を豊富に含み、痛風、慢性アレルギー性疾患、肥満症などに効能があるとか。 -
べルツ博士の像・・・ドイツ人のエルヴィン・フォン・ベルツ(1849~1913)は、1876年に東京医学校(現在の東京大学医学部)の教師に招かれ、その後、日本人女性とも結婚し、27年に亘って日本医学界の発展に尽くし、温泉療法を日本に紹介しました。
草津温泉を世界に紹介したことで有名ですが、伊香保温泉には別荘を構えて、よく訪れています。 -
昔から「上州三名湯」と言われた草津温泉・伊香保温泉・四万温泉。
伊香保温泉の源泉のそばにあるのが、この「露天風呂」。 -
源泉「黄金(こがね)の湯」を掛け流す露天風呂(入湯料:450円)。
上:男性用、下:女性用(写真はポスターより) -
露天風呂の脇にある2号源泉の「源泉湧出口観覧所」。
ドーム型のガラス越しに、毎分1400リットルという源泉が勢いよく噴出する湧出口の様子を見ることができます。
湧き出したばかりの湯は、酸化していないため無色透明ですが、空気に触れることで茶色い「黄金の湯」となり、露天風呂はこの源泉がそのまま使われています。 -
伊香保から榛名湖に向かい、「湖畔亭」で昼食。
-
上の写真:コケから(鶏のから揚げ)丼+わかさぎフライ
下の写真:ぶた汁うどん
結構、美味しかったです。 -
榛名山と榛名湖を見ながら一息ついて、草津へ向かいます。
-
1時間半ほどで、今日のお宿「ホテル 二ュー紅葉」へ到着。
-
お部屋は和室のツインベッド・・・広々しています。
10階建ての最上階の部屋なので、眺めは良好・・・ベランダから西の河原公園が見えました。 -
まだ16時前なので、草津の街を散策します。
先ず、西の河原へ・・・ホテルの入口を出て右にある黄色の看板の所から、急坂の近道を下ります・・・『えー! ここを歩くの?』
近道ですが、まるで登山道・・・このホテルに宿泊した人だけのプライベートロード(?)です。 -
西の河原公園・・・草津温泉街の西方にあるので「西の河原」と呼ばれます。
-
河原の至るところから50℃以上の温泉が湧き出し、その量は毎分1万5千リットルもあり、湯川となって流れます。
園内は2016年頃から整備が始まり、石畳で歩きやすくなりました。 -
「鬼の茶釜碑」。
西の河原は「鬼の泉水」と言われ、かつては訪れる人も稀でした。
河原一帯から温泉が湧き出していましたが、その中で「鬼の茶釜」は代表的な温泉湧口で、茶釜が沸騰するような音を立てて湯を吹き出していたそうです。
「わき出る湯口は われもおそろしや 鬼の茶釜の 湯土産噺」に、当時の様子が窺えます。 -
公園の中ほど、少し小高くなった所に観光客を見下ろすように、2体の胸像が佇んでいます・・・左がベルツ博士、右がスクリバ博士。
親友だった両博士は、度々草津を訪れて草津温泉を科学的に研究し、その医学的効用を世界に紹介しました。
またスクリバ博士は、町民を無料で診察し、町民から深く親しまれました。 -
湯川はPH1.62という強酸性の為、河原に草木は育ず、かつては荒涼とした景観でしたが、現在は綺麗に整備されています。
-
エメラルドグリーンや琥珀色の美しい輝きを見せる西の河原。
硫黄の匂いはなく、温度も適温。
しかし、強酸性のため、釘などの鉄は溶けてしまいます・・・釘は1週間で溶けてしまうとか。 -
西の河原露天風呂の近くに、無料で浸かることのできる大きな足湯があります。
-
6年前の写真を見ると、ここに新しく足湯が造られたようで、周辺も整備されて雰囲気がすっかり変わっていました。
-
江戸時代初期の儒学者・林羅山が有馬温泉・下呂温泉と共に日本三名泉の一つに数えた草津温泉・・・こんな大きな足湯で、疲れも取れました。
-
露天風呂の上にある東屋。
-
東屋の左側にある「不動滝」。
-
一番奥は「高温につき立入禁止」。
-
河原から「ニュー紅葉」が見えました・・・最上階の2部屋が私達の部屋です。
-
西の河原から中心街を歩き、湯畑に向かいます。
-
西の河原通りを歩くと、「草津ガラス 蔵」の入り口に「3色のポスト」が・・・店内には、ガラス製アクセサリーがズラリ。
-
ジブリのお店があり、ここも入ってみました。
-
マンホールの蓋も草津の魅力を伝えています。
-
草津温泉のシンボル「湯畑」。
52℃の温泉が、毎分4000リットルも湧出する源泉地の一つです。
7本の湯桶に流して高温の温泉を冷やし、旅館や共同浴場などへ給湯しています。 -
武将たちが傷を癒しに訪れた戦国時代から、多くの人々に愛された温泉郷の草津・・・昭和50年に造られた湯畑の石柵には、その中でも、歴史に名を残す『草津に歩みし百人』が刻名されています。
-
湯畑の標高は1,156m・・・夏でも朝晩は寒いくらいです。
-
7本の湯樋で冷まされた湯が、湯滝から流れ落ちる様は圧巻。
さすが自然湧出量日本一。 -
草津温泉のシンボルとも言える湯畑。
『千と千尋の神隠し』で使われた効果音は、湯滝の音だそうです -
沖縄の海を連想するエメラルドグリーン。
-
旅館や土産店が建ち並ぶ「西の河原通り」。
-
温泉街を見守るように建っている「草津山 光泉寺」。
奈良時代の高僧・行基が開いたと言われるお寺で、病人の為に祈って杖を突いたら地面から温泉が湧き、そこにお堂を立てたのが始まりだとか。 -
夏休み期間中は毎日、湯畑前の「湯路広場」で大道芸があり、観光客を楽しませてくれます。
-
ちょうど「アルジェントサーカス」の2人によるサーカス芸とクラウンのコメディショーが始まりました。
右下の写真は、スタチューパフォーマーのボールド山田さん。 -
ホテルに戻り、夕食前に温泉へ。
-
お楽しみの夕食・・・今日も、よく歩きました。
-
食後は、仲良く従妹二人で太鼓の競演。
二人ともすごく上手で高得点・・・さすが私達の孫、リズム感が半端ない!!
「太鼓の達人」に「エアホッケー」、部屋に戻ってからは恒例の「UNO」のゲームと大いに盛り上がった1日目でした。 -
部屋のベランダに出てみると、ライトアップされた幻想的な西の河原公園が、妖しくブルーに浮かび上がっていました。
隣の部屋では、孫二人が夜遅くまでガールズトークに花を咲かせていたようです。
明日は、草津から軽井沢に向かいます。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ペコちゃんさんの関連旅行記
この旅行で行ったホテル
草津温泉(群馬) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
88