イスタンブール旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2019年の秋の旅は17年振りのトルコ周遊の旅を考えています。トランジットを除いた旅としては4回目ですが、4トラベルの旅行記としては長らく1回目のイスタンブールの旅をアップしていませんでした。理由としては当時のネガフィルムが残っておらず、写真をするしかなかったからです。その残された写真もかなり色褪せていたので、スキャンする気がなかなか起きませんでした。3度目の旅を計画する合間にその当時の旅が思い出されてきて、旅行記としてアップしたい気持ちが大きくなりました。プリントした写真はかなり部分だけだったので、残されていたホテルの資料やチケットの半券やショップのカードなどを組み合わせて、記憶をたどりながらの旅行記になります。幸い予定表がしっかり残されていたので助かりました。<br /> まず何故イスタンブールに行こうと考えたかというと、この年は北海道の札幌で「五番舘西武」にLOFTを出店させる仕事で3か月ほど出張していたことから始まります。東京へ帰る前に留辺蘂の農業試験場にいた弟の家族に会うことと、温泉で数日くつろぐことでした。札幌のゼネコンの方に相談すると、「函館の谷地頭温泉と長万部の二股ラジウム温泉がいいですよ。」と言われ、そのまま列車に乗って函館を目指しました。そして谷地頭温泉の「池之端」に宿泊した翌朝に立待岬を目指して歩き、春の日差しになった津軽海峡を望みながら「今年は海峡イヤーにするぞ。」と心に決め、仕事を終えた後に「北極星」に乗って東京へ戻りました。そしてHISのカウンターでイスタンブール往復のアエロフロートのチケットの購入と、ペラ・パレスホテルを予約しました。春の旅でボスポラス海峡を見て、秋の旅ではスペインを周遊して、タリファからモロッコのタンジールへジブラルタル海峡を渡り、海峡を渡る年となりました。

ペラ・パレスに泊まり、毎晩絨毯屋に入り浸っていたイスタンブール1週間の旅。

14いいね!

1997/04/12 - 1997/04/19

1322位(同エリア4367件中)

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kojikoji

kojikojiさん

2019年の秋の旅は17年振りのトルコ周遊の旅を考えています。トランジットを除いた旅としては4回目ですが、4トラベルの旅行記としては長らく1回目のイスタンブールの旅をアップしていませんでした。理由としては当時のネガフィルムが残っておらず、写真をするしかなかったからです。その残された写真もかなり色褪せていたので、スキャンする気がなかなか起きませんでした。3度目の旅を計画する合間にその当時の旅が思い出されてきて、旅行記としてアップしたい気持ちが大きくなりました。プリントした写真はかなり部分だけだったので、残されていたホテルの資料やチケットの半券やショップのカードなどを組み合わせて、記憶をたどりながらの旅行記になります。幸い予定表がしっかり残されていたので助かりました。
 まず何故イスタンブールに行こうと考えたかというと、この年は北海道の札幌で「五番舘西武」にLOFTを出店させる仕事で3か月ほど出張していたことから始まります。東京へ帰る前に留辺蘂の農業試験場にいた弟の家族に会うことと、温泉で数日くつろぐことでした。札幌のゼネコンの方に相談すると、「函館の谷地頭温泉と長万部の二股ラジウム温泉がいいですよ。」と言われ、そのまま列車に乗って函館を目指しました。そして谷地頭温泉の「池之端」に宿泊した翌朝に立待岬を目指して歩き、春の日差しになった津軽海峡を望みながら「今年は海峡イヤーにするぞ。」と心に決め、仕事を終えた後に「北極星」に乗って東京へ戻りました。そしてHISのカウンターでイスタンブール往復のアエロフロートのチケットの購入と、ペラ・パレスホテルを予約しました。春の旅でボスポラス海峡を見て、秋の旅ではスペインを周遊して、タリファからモロッコのタンジールへジブラルタル海峡を渡り、海峡を渡る年となりました。

旅行の満足度
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
10万円 - 15万円
交通手段
高速・路線バス タクシー 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 旅の始まりは成田空港からアエロフロートの582便でモスクワへ向かい、トランジットのノボテルで1泊して、翌朝の503便でイスタンブールに向かいました。当時のことは自分で作成した予定表が残っていたのと、毎日両親へ出していた絵葉書と記憶だけが頼りです。

    旅の始まりは成田空港からアエロフロートの582便でモスクワへ向かい、トランジットのノボテルで1泊して、翌朝の503便でイスタンブールに向かいました。当時のことは自分で作成した予定表が残っていたのと、毎日両親へ出していた絵葉書と記憶だけが頼りです。

  • そして、ホテルに備え付けの便箋セットとその中に残されたチケットの半券や名刺も残されていました。

    そして、ホテルに備え付けの便箋セットとその中に残されたチケットの半券や名刺も残されていました。

  • 当時の空港はイェシルキョイ国際空港で、昨年開港した新空港の前の前の空港でした。空港からはHavasの空港バスで約1時間、タクシム広場まで移動して、イスラクティル通りを歩きながら宿泊先のペラ・パレスに向かいます。<br />

    当時の空港はイェシルキョイ国際空港で、昨年開港した新空港の前の前の空港でした。空港からはHavasの空港バスで約1時間、タクシム広場まで移動して、イスラクティル通りを歩きながら宿泊先のペラ・パレスに向かいます。

  • 辿り着いたペラ・パレスの建物を前にすると、その堂々たる姿に往時を思い描かせました。ただ、宿泊した1997年当時は少しくたびれた4★ホテルという印象でした。<br />

    辿り着いたペラ・パレスの建物を前にすると、その堂々たる姿に往時を思い描かせました。ただ、宿泊した1997年当時は少しくたびれた4★ホテルという印象でした。

  • チェックインした後は古い手動のエレベーターで1階に上がります。部屋は106号室で、ベランダからは金角湾が望めました。

    チェックインした後は古い手動のエレベーターで1階に上がります。部屋は106号室で、ベランダからは金角湾が望めました。

  • 並んだ客室の扉には「マタ・ハリ」や「グレタ・ガルボ」の文字が並んでいます。そして突き当りの101号室は「アタチュルク・ルーム」で、午前中の決められた時間であれば内部を見学する事が出来ました。

    並んだ客室の扉には「マタ・ハリ」や「グレタ・ガルボ」の文字が並んでいます。そして突き当りの101号室は「アタチュルク・ルーム」で、午前中の決められた時間であれば内部を見学する事が出来ました。

  • 部屋で少し休んだ後はホテルの中を探検してみました。往時を偲ばせる豪華な造りではありましたが、かなりくたびれた感じは否めませんでした。トータルで5泊しましたが、週末はバンケットルームでの朝食でしたが、週が明けると極端に宿泊客が減ってしまうので小さな部屋での食事になりました。

    部屋で少し休んだ後はホテルの中を探検してみました。往時を偲ばせる豪華な造りではありましたが、かなりくたびれた感じは否めませんでした。トータルで5泊しましたが、週末はバンケットルームでの朝食でしたが、週が明けると極端に宿泊客が減ってしまうので小さな部屋での食事になりました。

  • 夜遅く帰ってくると周辺はおろかロビーも薄暗く、異国情緒を感じるというよりはちょっと怪しい雰囲気が流れていました。

    夜遅く帰ってくると周辺はおろかロビーも薄暗く、異国情緒を感じるというよりはちょっと怪しい雰囲気が流れていました。

  • そうは言ってもイスタンブールでは伝説のホテルで、ここに泊まる目的もアガサ・クリスティーが「オリエント急行殺人事件」を執筆したという事もありました。残念ながらアガサの部屋は宿泊している人がいたので中を見ることは出来ませんでした。

    そうは言ってもイスタンブールでは伝説のホテルで、ここに泊まる目的もアガサ・クリスティーが「オリエント急行殺人事件」を執筆したという事もありました。残念ながらアガサの部屋は宿泊している人がいたので中を見ることは出来ませんでした。

  • この旅の21年後にエジプトを旅した際に、ツアーの予定にないアスワンの「オールド・カタラクト」とルクソールの「ウインター・パレス」で食事をしたのも、この旅がベースにあってのことでした。

    この旅の21年後にエジプトを旅した際に、ツアーの予定にないアスワンの「オールド・カタラクト」とルクソールの「ウインター・パレス」で食事をしたのも、この旅がベースにあってのことでした。

  • 週が明けた月曜日に101号室の見学をさせてもらいました。現在もこの当時のままなのでしょうか?部屋に置かれた時計の文字盤はアタチュルクの亡くなった時間に合わせて止められているとのことでした。

    週が明けた月曜日に101号室の見学をさせてもらいました。現在もこの当時のままなのでしょうか?部屋に置かれた時計の文字盤はアタチュルクの亡くなった時間に合わせて止められているとのことでした。

  • このホテルでの思い出がもう一つ。正面入り口の右側にあった「オリエント・エクスプレス」というメインバーです。2回利用しましたが、他にお客の姿を見ることはありませんでした。

    このホテルでの思い出がもう一つ。正面入り口の右側にあった「オリエント・エクスプレス」というメインバーです。2回利用しましたが、他にお客の姿を見ることはありませんでした。

  • 1992年に池袋の西口(芝浦工大高校跡地)に開業したホテル・メトロポリタンの2階に同じ名前のバーが出来て、いつかはイスタンブールと思っていたので感慨深いものがありました。オープンしてすぐに父と一緒に飲みに行って、ジャック・ダニエルをボトルキープしてもらって嬉しかったのを覚えています。素敵なバーでしたが、近年の改装で半分くらいのスペースになってしまったのが残念です。

    1992年に池袋の西口(芝浦工大高校跡地)に開業したホテル・メトロポリタンの2階に同じ名前のバーが出来て、いつかはイスタンブールと思っていたので感慨深いものがありました。オープンしてすぐに父と一緒に飲みに行って、ジャック・ダニエルをボトルキープしてもらって嬉しかったのを覚えています。素敵なバーでしたが、近年の改装で半分くらいのスペースになってしまったのが残念です。

  • 1回目はホテルの名前を冠した「ペラ・パレス」というカクテルを注文してみたり。2回目はやはりホテルの名前のラベルがかっこいいワインをボトルで注文してみました。カクテルが700,000TL++、ワインが2,500,000TL++で1杯700円ボトル1本2,500円くらいでした。ワインは父へのお土産に1本持ち帰りました。

    1回目はホテルの名前を冠した「ペラ・パレス」というカクテルを注文してみたり。2回目はやはりホテルの名前のラベルがかっこいいワインをボトルで注文してみました。カクテルが700,000TL++、ワインが2,500,000TL++で1杯700円ボトル1本2,500円くらいでした。ワインは父へのお土産に1本持ち帰りました。

  • イスタンブールへ行ったことがある方にしか分からないと思いますが、新市街からはかなり急な坂道を下り、ガラタ橋を渡ってスルタンアフメットへも坂を上るように歩きました。

    イスタンブールへ行ったことがある方にしか分からないと思いますが、新市街からはかなり急な坂道を下り、ガラタ橋を渡ってスルタンアフメットへも坂を上るように歩きました。

  • 1990年にアカデミー賞外国語映画賞を受賞した「ジャーニー・オブ・ホープ」という映画があります。貧困から逃れるためにスイスから送られた叔父の絵葉書を頼りにイスタンブールからミラノを経由してスイスへ密入国する家族の物語で、ガラタ橋が出てくるシーンを思い出しながら歩きました。

    1990年にアカデミー賞外国語映画賞を受賞した「ジャーニー・オブ・ホープ」という映画があります。貧困から逃れるためにスイスから送られた叔父の絵葉書を頼りにイスタンブールからミラノを経由してスイスへ密入国する家族の物語で、ガラタ橋が出てくるシーンを思い出しながら歩きました。

  • アカデミー賞外国語映画賞は89年が「ニュー・シネマ・パラダイス」で、91年が「エーゲ海の天使」92年が「インドシナ」と何十回と観ている映画が目白押しでした。ニューシネマ・パラダイスを観てイタリアのシチリアを旅して、インドシナを観てはベトナムのホーチミンやフエの皇帝廟、マレーシアのペナン島やハロン湾にレマン湖も旅しました。

    アカデミー賞外国語映画賞は89年が「ニュー・シネマ・パラダイス」で、91年が「エーゲ海の天使」92年が「インドシナ」と何十回と観ている映画が目白押しでした。ニューシネマ・パラダイスを観てイタリアのシチリアを旅して、インドシナを観てはベトナムのホーチミンやフエの皇帝廟、マレーシアのペナン島やハロン湾にレマン湖も旅しました。

  • スルタンアフメットを歩いていると若いトルコ人の男の子に声を掛けられました。まだ高校生で名前はウミットといい、日本語が話せました。主だったところを観光しても時間が余ってしまう気ままな1人旅だったので、しばらく彼に付き合うことにしました。

    スルタンアフメットを歩いていると若いトルコ人の男の子に声を掛けられました。まだ高校生で名前はウミットといい、日本語が話せました。主だったところを観光しても時間が余ってしまう気ままな1人旅だったので、しばらく彼に付き合うことにしました。

  • 最初からおじさんがスルタンアフメットで絨毯店を経営していると言っていたので、最後はその店に連れていかれるのだろうと思っていました。

    最初からおじさんがスルタンアフメットで絨毯店を経営していると言っていたので、最後はその店に連れていかれるのだろうと思っていました。

  • その日はいくつかのジャミーを見学して、ウミットとおじさんの絨毯店にも立ち寄り、紅茶をごちそうになって帰りました。特に絨毯を勧められるわけでも無く、拍子抜けしたことを覚えています。

    その日はいくつかのジャミーを見学して、ウミットとおじさんの絨毯店にも立ち寄り、紅茶をごちそうになって帰りました。特に絨毯を勧められるわけでも無く、拍子抜けしたことを覚えています。

  • 翌日は待ち合わせをして、2人でトプカプ宮殿の見学にも行きました。1人で見て歩くよりも2人の方が楽しかったので良かったです。

    翌日は待ち合わせをして、2人でトプカプ宮殿の見学にも行きました。1人で見て歩くよりも2人の方が楽しかったので良かったです。

  • 当時のチケットが残っていて、大人が500,000TLで400円、学生が250,000TLで200円でした。

    当時のチケットが残っていて、大人が500,000TLで400円、学生が250,000TLで200円でした。

  • 翌日はイスラクティル通りをぶらぶら歩いてタクシム広場の先にあるアエロフロートのオフィスへリコンファームをしに出向きました。今では必要ありませんでしたが、この当時は72時間前のリコンファームが航空会社によっては必須で、月曜の午前中は電話が通じなくて時間がかかることが良くありました。

    翌日はイスラクティル通りをぶらぶら歩いてタクシム広場の先にあるアエロフロートのオフィスへリコンファームをしに出向きました。今では必要ありませんでしたが、この当時は72時間前のリコンファームが航空会社によっては必須で、月曜の午前中は電話が通じなくて時間がかかることが良くありました。

  • 確かこの時も月曜日だったので、電話しないでオフィスに出向きました。

    確かこの時も月曜日だったので、電話しないでオフィスに出向きました。

  • その後はジュトンを買ってテュネルで下の町まで下りて、カラキョイ桟橋からモトル(水上バス)に乗りました。

    その後はジュトンを買ってテュネルで下の町まで下りて、カラキョイ桟橋からモトル(水上バス)に乗りました。

  • 桟橋から少し歩いてドルマバフチェ宮殿にも行きました。1,500,000TLとすごい金額です。ここで撮った写真はプリントアウトしていなかったようで、ネガが無い今となっては記憶しか残っていません。入口の衛兵が微動だにしなかったことと、瞬きも出来ないので他の兵士が涙をぬぐっている姿に驚きました。宮殿内は撮影禁止でしたが、バカラ製の巨大なシャンデリアと赤いじゅうたんの階段が印象に残っています。

    桟橋から少し歩いてドルマバフチェ宮殿にも行きました。1,500,000TLとすごい金額です。ここで撮った写真はプリントアウトしていなかったようで、ネガが無い今となっては記憶しか残っていません。入口の衛兵が微動だにしなかったことと、瞬きも出来ないので他の兵士が涙をぬぐっている姿に驚きました。宮殿内は撮影禁止でしたが、バカラ製の巨大なシャンデリアと赤いじゅうたんの階段が印象に残っています。

  • この日の晩御飯はシルケジ駅の「オリエント・エキスプレス」で晩ご飯を食べました。ペラ・パレスに泊まったらここで食事しないといけない気分でした。この店にはイスタンブールに来るたびに立ち寄っています。この後の2002年の旅でも2回通ったのでこの秋の旅でも妻を連れていきたいと思っています。食事の後はスルタンアフメットの絨毯屋に寄って、しばらくキリムについて勉強させてもらいました。

    この日の晩御飯はシルケジ駅の「オリエント・エキスプレス」で晩ご飯を食べました。ペラ・パレスに泊まったらここで食事しないといけない気分でした。この店にはイスタンブールに来るたびに立ち寄っています。この後の2002年の旅でも2回通ったのでこの秋の旅でも妻を連れていきたいと思っています。食事の後はスルタンアフメットの絨毯屋に寄って、しばらくキリムについて勉強させてもらいました。

  • イスタンブールと言えばエジプシャン・バザールとグランド・バザールに立ち寄らない訳にはいきません。特に買い物をするわけではありませんが、喧騒の中に身を置くのは楽しいものでした。

    イスタンブールと言えばエジプシャン・バザールとグランド・バザールに立ち寄らない訳にはいきません。特に買い物をするわけではありませんが、喧騒の中に身を置くのは楽しいものでした。

  • 買い物はないと言いながら海泡石(かいほうせき)の店で香合に使えそうな小さな蓋物をお茶の先生をしている叔母と母にお土産にしました。どこぞのお茶の先生が注文した棗が売っていましたが、彫刻がされていないとつまらないので買いませんでした。そして店じまいしているガラス屋さんで香水瓶を10本まとめて5ドルで購入。「これから夜行バスで故郷に戻るんだ。」と若い店主はいい、かなり値段を負けてくれました。

    買い物はないと言いながら海泡石(かいほうせき)の店で香合に使えそうな小さな蓋物をお茶の先生をしている叔母と母にお土産にしました。どこぞのお茶の先生が注文した棗が売っていましたが、彫刻がされていないとつまらないので買いませんでした。そして店じまいしているガラス屋さんで香水瓶を10本まとめて5ドルで購入。「これから夜行バスで故郷に戻るんだ。」と若い店主はいい、かなり値段を負けてくれました。

  • 1991年と95年にそれぞれ1か月かけてイタリア半島を旅して、ビザンチン美術の素晴らしさに触れたので、イスタンブールへ来ることを計画していました。

    1991年と95年にそれぞれ1か月かけてイタリア半島を旅して、ビザンチン美術の素晴らしさに触れたので、イスタンブールへ来ることを計画していました。

  • ヴェネツィアのサンマルコ寺院の黄金のモザイクやラヴェンナの数々の教会や廟のモザイク、ローマに残る教会のモザイク、シチリアのモザイクを観て周った後はここへ来ないといけません。

    ヴェネツィアのサンマルコ寺院の黄金のモザイクやラヴェンナの数々の教会や廟のモザイク、ローマに残る教会のモザイク、シチリアのモザイクを観て周った後はここへ来ないといけません。

  • この旅の次の年はギリシャの内陸部をじっくり回り、アテネの教会群やオシオス・ルーカス修道院、カストリアの教会群も巡りました。

    この旅の次の年はギリシャの内陸部をじっくり回り、アテネの教会群やオシオス・ルーカス修道院、カストリアの教会群も巡りました。

  • どこへ行ってもそのモザイクで描かれたキリストや聖母マリアの姿が似通っているのには驚かされました。まるで同じ人が製作しているのではないかと見まごうばかりです。

    どこへ行ってもそのモザイクで描かれたキリストや聖母マリアの姿が似通っているのには驚かされました。まるで同じ人が製作しているのではないかと見まごうばかりです。

  • 「聖母子と12世紀の皇帝ヨハネス2世とコムネノス夫妻」 <br />正面から見据えた聖母子像はヴェネツィアのムラーノ島やトルッチェロ島の聖堂のモザイクと酷似しています。左右の皇帝や皇后の表現はラヴェンナの大聖堂に似ています。

    「聖母子と12世紀の皇帝ヨハネス2世とコムネノス夫妻」
    正面から見据えた聖母子像はヴェネツィアのムラーノ島やトルッチェロ島の聖堂のモザイクと酷似しています。左右の皇帝や皇后の表現はラヴェンナの大聖堂に似ています。

  • 「キリストと皇帝コンスタンティノス9世とゾエ夫妻」

    「キリストと皇帝コンスタンティノス9世とゾエ夫妻」

  • 肝心なイエスの姿を納めた写真が残っていませんでした。ほとんどのモザイクが正面から描かれることが多いですが、このモザイクのゾエの顔には人間らしさを感じました。

    肝心なイエスの姿を納めた写真が残っていませんでした。ほとんどのモザイクが正面から描かれることが多いですが、このモザイクのゾエの顔には人間らしさを感じました。

  • イエスのモザイクは部分だけの写真が残っていました。ギリシャ十字とハート形の描かれた聖書と右手の形の写真が撮りたかったようです。ファサードの十字架の下には右手を上げるキリスト像があります。右手の人差し指と中指を伸ばしていますが、これは人差し指が Ι(ギリシャ文字のイオタ)、中指が C(同シグマ(Σ))、親指と薬指とで Χ(同キー(カイ))、小指が Cを表しており、イエス(ΙC) キリスト(ΧC)を意味します。<br />イエス・キリストは、ギリシャ語で「ΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ」と書きますが、<br />ΙC・ΧCは、それぞれの語頭・語尾による省略形です。

    イエスのモザイクは部分だけの写真が残っていました。ギリシャ十字とハート形の描かれた聖書と右手の形の写真が撮りたかったようです。ファサードの十字架の下には右手を上げるキリスト像があります。右手の人差し指と中指を伸ばしていますが、これは人差し指が Ι(ギリシャ文字のイオタ)、中指が C(同シグマ(Σ))、親指と薬指とで Χ(同キー(カイ))、小指が Cを表しており、イエス(ΙC) キリスト(ΧC)を意味します。
    イエス・キリストは、ギリシャ語で「ΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ」と書きますが、
    ΙC・ΧCは、それぞれの語頭・語尾による省略形です。

  • 午後はカーリエ博物館を目指して旧市街をさまよい歩きました。ヴァレンス水道橋を越えたあたりからはひたすら西に向かって歩きました。どこをどう間違えてもテオドシウスの城壁に突き当たるからです。途中カッコよく見えた建物はパナーギリシャ正教大学(Phanar Greek Orthodox College)でした。コンスタンティノス・ディマディスによって設計されたこの建物は、1881年から1883年にかけて、さまざまな様式を組み合わせ、オスマン帝国の金貨17,210ポンドをかけて建設されました。学校としての機能にもかかわらず、建物は城のような形状のため、「ヨーロッパで5番目に大きな城」と呼ばれるそうです。

    午後はカーリエ博物館を目指して旧市街をさまよい歩きました。ヴァレンス水道橋を越えたあたりからはひたすら西に向かって歩きました。どこをどう間違えてもテオドシウスの城壁に突き当たるからです。途中カッコよく見えた建物はパナーギリシャ正教大学(Phanar Greek Orthodox College)でした。コンスタンティノス・ディマディスによって設計されたこの建物は、1881年から1883年にかけて、さまざまな様式を組み合わせ、オスマン帝国の金貨17,210ポンドをかけて建設されました。学校としての機能にもかかわらず、建物は城のような形状のため、「ヨーロッパで5番目に大きな城」と呼ばれるそうです。

  • テオドシウスの城壁に登ってみると驚きの光景が広がっていました。旅をしていた時期がちょうど「犠牲祭」というイスラムの祝祭のタイミングでした。旧約聖書に出てくるアブラハムが神への忠誠心として息子であるイサクを生贄にささげようとしました。その忠誠心を称えるため、ヒツジやヤギなどの動物を生贄として捧げ神に感謝の気持ちを伝えるためのお祭りです。生贄となる家畜は定められた年齢に達している事が重要で、羊なら6カ月、ヤギなら2歳と決まりがあります。

    テオドシウスの城壁に登ってみると驚きの光景が広がっていました。旅をしていた時期がちょうど「犠牲祭」というイスラムの祝祭のタイミングでした。旧約聖書に出てくるアブラハムが神への忠誠心として息子であるイサクを生贄にささげようとしました。その忠誠心を称えるため、ヒツジやヤギなどの動物を生贄として捧げ神に感謝の気持ちを伝えるためのお祭りです。生贄となる家畜は定められた年齢に達している事が重要で、羊なら6カ月、ヤギなら2歳と決まりがあります。

  • これを見て金角湾沿いを歩いているときに牛を連れて歩いていた人の意味が分かりました。さすがに市内で家畜を屠るわけにもいかず、テオドシウスの城壁の向こう側に広がる場所が使われていたのでしょう。実際の情景はもっとすごいものがありました。

    これを見て金角湾沿いを歩いているときに牛を連れて歩いていた人の意味が分かりました。さすがに市内で家畜を屠るわけにもいかず、テオドシウスの城壁の向こう側に広がる場所が使われていたのでしょう。実際の情景はもっとすごいものがありました。

  • 細い路地を歩いているとたくさんの子供たちに出会いました。興味津々にカメラを見ていましたが、この子たちももう30歳近くになっているだろうと思うと時の流れを感じます。

    細い路地を歩いているとたくさんの子供たちに出会いました。興味津々にカメラを見ていましたが、この子たちももう30歳近くになっているだろうと思うと時の流れを感じます。

  • カーリエ博物館の建物自体は、東ローマ帝国の時代にあった11世紀に正教会修道院の付属教会堂として建設されたもので、14世紀までに増改築が繰り返されています。オスマン帝国の時代になるとモスクに改装され、名称もカーリエ・ジャミイと改められましたが、トルコ共和国によってその美術的価値が認められ、無宗教の博物館となります。

    カーリエ博物館の建物自体は、東ローマ帝国の時代にあった11世紀に正教会修道院の付属教会堂として建設されたもので、14世紀までに増改築が繰り返されています。オスマン帝国の時代になるとモスクに改装され、名称もカーリエ・ジャミイと改められましたが、トルコ共和国によってその美術的価値が認められ、無宗教の博物館となります。

  • ビザンティン美術の傑作とされるモザイクは180以上の場面が描かれていますが、主に7つの主題にわかれています。フレスコ画は80以上の場面を構成し、3つの群をなしています。外光の具合でうまく写真が撮れなかったのが残念です。

    ビザンティン美術の傑作とされるモザイクは180以上の場面が描かれていますが、主に7つの主題にわかれています。フレスコ画は80以上の場面を構成し、3つの群をなしています。外光の具合でうまく写真が撮れなかったのが残念です。

  • 生神女就寝(コイシメス)のモザイクです。ハリストス(キリスト)が中央に描かれ、ハリストスは幼女の姿をしたマリアの霊を抱いています。幼女の姿はマリアの純潔を意味しています。

    生神女就寝(コイシメス)のモザイクです。ハリストス(キリスト)が中央に描かれ、ハリストスは幼女の姿をしたマリアの霊を抱いています。幼女の姿はマリアの純潔を意味しています。

  • アナスタシス(復活)の場面のフレスコ画も素晴らしかったです。ギリシア語で「立ち上がること」を意味するアナスタシスは、「立ち上がる」や「起き上がる」という意味から聖書の中では「復活」と訳されています。

    アナスタシス(復活)の場面のフレスコ画も素晴らしかったです。ギリシア語で「立ち上がること」を意味するアナスタシスは、「立ち上がる」や「起き上がる」という意味から聖書の中では「復活」と訳されています。

  • 毎日ガラタ塔の先のペラ・パレスから丘を下って、ガラタ橋を渡って旧市街をよく歩いたものです。

    毎日ガラタ塔の先のペラ・パレスから丘を下って、ガラタ橋を渡って旧市街をよく歩いたものです。

  • 時間があったので水上バスでアジア側にも足跡を残し、アジア側の始発駅であるハイダルパシャ駅にも入ってみました。いつかここから旅を始めたいと漠然と考えていましたが、5年後にはここから夜行列車でカイセリまで移動してカッパドキアを旅する事が出来ました。<br />今回旅の計画の中でいろいろ調べてみると、現在はここは駅として使われていないようで、残念な気がするとともに、17年前に旅しておいてよかったと思います。

    時間があったので水上バスでアジア側にも足跡を残し、アジア側の始発駅であるハイダルパシャ駅にも入ってみました。いつかここから旅を始めたいと漠然と考えていましたが、5年後にはここから夜行列車でカイセリまで移動してカッパドキアを旅する事が出来ました。
    今回旅の計画の中でいろいろ調べてみると、現在はここは駅として使われていないようで、残念な気がするとともに、17年前に旅しておいてよかったと思います。

  • 今回行かなければならない場所の1つが地下宮殿でした。この当時は現在のほどのライトアップはされておらず、異様な雰囲気でした。また訪問する観光客も絶対的に少なかったので、たった1人でこの中を歩くのは不気味でした。

    今回行かなければならない場所の1つが地下宮殿でした。この当時は現在のほどのライトアップはされておらず、異様な雰囲気でした。また訪問する観光客も絶対的に少なかったので、たった1人でこの中を歩くのは不気味でした。

  • 何となく当たりをつけて写真を撮ると横倒しになったメドューサの顔が浮かびあがりました。

    何となく当たりをつけて写真を撮ると横倒しになったメドューサの顔が浮かびあがりました。

  • スルタンアフメットにある「プディング・ショップ」も行かなければならない店でした。ここは毎晩通っていた絨毯屋の近くだったので、ウミットと弟のジハンと3人で夕食を食べに行きました。現在は店の造りも違っているようです。

    スルタンアフメットにある「プディング・ショップ」も行かなければならない店でした。ここは毎晩通っていた絨毯屋の近くだったので、ウミットと弟のジハンと3人で夕食を食べに行きました。現在は店の造りも違っているようです。

  • この店は東西を行き交うヒッピーたちの情報交換の場として知られていた伝説の店で、沢木耕太郎の「深夜特急」の中でも旅の途中にこの店に立ち寄っています。店内の掲示板でアムステルダムまでの同乗者を求める張り紙を目にしたときの心情を、「旅の終わり(ロンドン)が不意に現実的なものになってきた。そのことにまったく用意のできていなかった私はうろたえてしまった。」

    この店は東西を行き交うヒッピーたちの情報交換の場として知られていた伝説の店で、沢木耕太郎の「深夜特急」の中でも旅の途中にこの店に立ち寄っています。店内の掲示板でアムステルダムまでの同乗者を求める張り紙を目にしたときの心情を、「旅の終わり(ロンドン)が不意に現実的なものになってきた。そのことにまったく用意のできていなかった私はうろたえてしまった。」

  • 沢木耕太郎の旅ほどの長さは無くても、2か月程度の旅は何度も経験しています。前半はこの旅は終わるのだろうかと思えるほどゆっくり進みますが、半分を過ぎた途端に加速度的に終わりが近づいてくると感じることがあります。そして旅の最終地にたどり着くと異様なほどの寂しさに襲われることがあります。沢木耕太郎もそんな思いだったのだろうかと思う事があります。

    沢木耕太郎の旅ほどの長さは無くても、2か月程度の旅は何度も経験しています。前半はこの旅は終わるのだろうかと思えるほどゆっくり進みますが、半分を過ぎた途端に加速度的に終わりが近づいてくると感じることがあります。そして旅の最終地にたどり着くと異様なほどの寂しさに襲われることがあります。沢木耕太郎もそんな思いだったのだろうかと思う事があります。

  • 5年後の1997年にはこの「VAROL」という絨毯屋は無くなっていました。ジハンやウミットの兄弟やおおじさんや従弟や使用人の若者たちはどうしているのでしょう。出身はトルコ東部で、クルド系の方々だったと記憶しています。

    5年後の1997年にはこの「VAROL」という絨毯屋は無くなっていました。ジハンやウミットの兄弟やおおじさんや従弟や使用人の若者たちはどうしているのでしょう。出身はトルコ東部で、クルド系の方々だったと記憶しています。

  • 絨毯にはあまり興味はありませんでしたが、ヘレケの絨毯についてもおじさんからいろいろ教えてもらいました。一番興味を持ったのがキリムやジジムで、ワインを飲みながら勉強させてもらっているうちにどうしても欲しいものがありました。4日ほどかけてかなり安くしてもらいましたが、今見てもその美しさと共に当時の思い出が蘇ります。

    絨毯にはあまり興味はありませんでしたが、ヘレケの絨毯についてもおじさんからいろいろ教えてもらいました。一番興味を持ったのがキリムやジジムで、ワインを飲みながら勉強させてもらっているうちにどうしても欲しいものがありました。4日ほどかけてかなり安くしてもらいましたが、今見てもその美しさと共に当時の思い出が蘇ります。

  • 最終日にはボスポラス海峡クルーズにも行きました。中途半端は嫌なので、アナドル・カヴァウまで行くロングクルーズです。かなり長時間なので途中で飽きてきますが、前半の周囲の美しさは言葉にならないものがあります。アナドル・カヴァウでボートを降りて丘の上まで登る1時間ほどの自由時間がありました。そこから眺めた黒海の美しさは言葉になりません。いつかイスタンブールからサムスンからシノップ経由でトラブゾンまでフェリー旅をしたいと思っていましたが、その航路は無くなってしまったようです。

    最終日にはボスポラス海峡クルーズにも行きました。中途半端は嫌なので、アナドル・カヴァウまで行くロングクルーズです。かなり長時間なので途中で飽きてきますが、前半の周囲の美しさは言葉にならないものがあります。アナドル・カヴァウでボートを降りて丘の上まで登る1時間ほどの自由時間がありました。そこから眺めた黒海の美しさは言葉になりません。いつかイスタンブールからサムスンからシノップ経由でトラブゾンまでフェリー旅をしたいと思っていましたが、その航路は無くなってしまったようです。

  • 最後の晩はイスラクティル通りの古い羊料理屋に入ってみました。メニューは羊の頭のタンドーリだけで、脳みそ付きと脳みそ無しが選べました。同じ料金なので脳みそ付きを注文し、厨房にも連れていかれて調理前の羊の頭も見せてもらいました。出てきた料理は頭蓋骨は無かったので安心しましたが、大体の部位は想像できました。美味しかったのですが、大きめの肉片をどかしたら目が合ってしまい、そこからは食べる事が出来なくなった思えがあります。<br />またこの当時ミネラルウォーターを買うのがもったいなくて、水道水をそのまま飲んでいました。そのせいだと思いますが、帰国後2週間で全身に赤い湿疹が出て、病院に行くとA型肝炎と診断されました。その後2週間で全身の皮膚が剥けたのには驚きました。皮膚の厚い掌や足の踵はその形のまま剥けました。その後爪が伸びてくるその全てに白い筋が入っていました。おかげで手足の爪が生え変わる時間が良く分かりました。そんな一生忘れる事が出来ないイスタンブールの旅でした。

    最後の晩はイスラクティル通りの古い羊料理屋に入ってみました。メニューは羊の頭のタンドーリだけで、脳みそ付きと脳みそ無しが選べました。同じ料金なので脳みそ付きを注文し、厨房にも連れていかれて調理前の羊の頭も見せてもらいました。出てきた料理は頭蓋骨は無かったので安心しましたが、大体の部位は想像できました。美味しかったのですが、大きめの肉片をどかしたら目が合ってしまい、そこからは食べる事が出来なくなった思えがあります。
    またこの当時ミネラルウォーターを買うのがもったいなくて、水道水をそのまま飲んでいました。そのせいだと思いますが、帰国後2週間で全身に赤い湿疹が出て、病院に行くとA型肝炎と診断されました。その後2週間で全身の皮膚が剥けたのには驚きました。皮膚の厚い掌や足の踵はその形のまま剥けました。その後爪が伸びてくるその全てに白い筋が入っていました。おかげで手足の爪が生え変わる時間が良く分かりました。そんな一生忘れる事が出来ないイスタンブールの旅でした。

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