2019/06/22 - 2019/07/04
99位(同エリア601件中)
つっち~さん
BozenからCortinaD迄 続くドロミテ街道はWW1以前の墺伊国境だった為, WW1では激しい山岳戦争が繰り広げられました。司令部のあったコル(高台)・ディ・ラーナでは頂上部が地雷や激しい爆撃で吹き飛んでしまったとの事でしたので様子を見学に行きました
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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昨(2018)年11月初めに襲った爆弾低気圧により、多くの杉の木が倒れましたが道路は復興したものの、それ以外は未だ処理中でした
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黄色のポピーが咲いている草原から眺めたマルモラーダ
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ドロミテは険しい岩山で有名ですが、日光白根山のような緑に覆われた(多くはスキー場として使われている)普通の山も沢山あります
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マルモラーダ、手前はポルタ・ヴェスコボの丘(スキーのゲレンデ)
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ラガツォーイ(左側)とトファーネ3山
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草原の花とマルモラーダ
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草原の花とセッラ山塊
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コンチュリネスの手前にある SetSas等の岩壁が綺麗でした
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頂上に咲いていたワタスゲ
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WW1戦争記念碑と慰霊教会
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遠くにペルモ(左)とチヴェッタ(右)が望めます
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同じく左からアヴェラウ、ヌーヴォラウ、グセラ、そしてクローダ・ラーゴ+フォルミン。その奥にはソラピスとアンテラオが霞んで見えます
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コルディ・ラーナ頂上の十字架とセッラ山塊。もう雪が無いのでピッツ・ボエに登れそうです
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頂上から見たラガツォーイとトファーネ3山(中央にトファーナ・メッツォも見えます)
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戦争資料館にあったWW1当時のラーナ司令部地図。頂上部は地雷や爆撃で15mくらい吹き飛ばされたそうです
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これは噴火口の後では無く、地雷や爆撃で吹き飛ばされたクレータです
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塹壕の遺跡傍にあった、少しグロテスクな記念碑
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隣町 SaleseiのWW1当時の出陣風景
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ハプスブルク家に雇われたスイス兵の記録。ラディン語はスイス山岳部でも話されている言葉なので、その遠戚関係かも知れません
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午後になるとチヴェッタにも陽が当たってきます。でも今年の初夏は猛暑だったので空気が霞んでいます。左下コッレ・サンタルチアの丘にある杉の木が、昨年末の爆弾低気圧で薙ぎ倒された跡が見えます
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イチオシ
左から ラヴァレッラ~コンチュリネス連山(手前はSetSasの岩棚)、ラガツォーイ山塊、そしてトファーネ3山
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左からドロ最高峰のマルモラーダ、セッラ山塊。下に見える茶色の山肌も、昨年11月頭の暴風雨により数100本単位で倒れた杉の木林の筈。東にあるコッレ・サンタルチア村や南側のカレッツア湖辺りの丘はより壊滅的です
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アラッバからリヴィナロンゴ村に入る左カーブに、チヴェッタのビューポイントがあります(最も近いのはコッレ・サンタルチア村)。今年は薬局の白い建物と道路が昨年末の暴風雨 被害のため屋根や歩道を修復中でした
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今回のトレッキング・マップ。登山道入り口にも10台分くらいの駐車場がありますが、倒れた杉の木の処理作業中でトラック通行量が多いので(作業の邪魔にならないように)、リヴィナロンゴ村の無料パーキングに停めて歩きました。
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Bozenの町を出てエガ谷からヴィーゴ、カナツェイを抜けてポルドイ峠経由でコルチナに向かう道がドロミテ街道です。WW1以前はこの(正確には黄色の分水嶺)北側がハプスブルク家の領土でした。(今でもドイツ語が第一言語で、山岳部は大昔からのラディン語圏です。1990年頃までイタリアからの独立紛争がありました)
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