2018/05/26 - 2018/05/27
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frau.himmelさん
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三度目で最後のシニア三人旅。旅行記はなかなか前へ進みません。
さて、「ドナウの真珠」「ドナウの薔薇」と言われる美しい古都ブダペスト。
午前中は王宮の丘を訪れ、中間に中央市場で買い物と昼食をはさみ、午後はもう一つの忘れてはならないブダペストの観光スポット国会議事堂へ向かいます。
王宮の丘から見た国会議事堂は、ドナウを抱いて大きく羽根を広げた優美な白鳥のように見えました。
国会議事堂の周りには、歴史的な人物や、様々なモニュメントがいくつもありました。
これを調べて時系列に並べれば、壮大なハンガリーの歴史のお勉強になるんじゃない!?
・・・そんなことをやっているから旅行記はなかなか前へ進まないのですよね・・・。
また例によって間違い勘違いがありましたらご指摘くださるとうれしいです。
そして翌日。いよいよプラハに向けて出発です。
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王宮の丘を見学していったんホテルへ帰りました。
そして再びブダペスト東駅からM2で出かけます。さきほど王宮の丘から、ドナウ川の畔に羽根を広げているように見えた壮麗な国会議事堂へです。
ここでも駅の係員が何人も出て、チケットの不正乗車を調べています。
今日はなんだかあちこちで検札をやっています。 -
M2地下鉄で降りたったところは、東駅から4つ目、コシュート・ラヨシュ広場駅。
ここが一番国会議事堂に近いのです。
駅を降りてこの像、盲導犬のモニュメントかしら?
と思って調べたら、ギリシャ神話の盲目の預言者ディレシアですって。 -
広場前の道路をレトロな2番の路面電車が走っています。
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ドナウ川に面して大きな国会議事堂が。
修復中でしょうか、黒い囲いがちょっと目障りです。
この国会議事堂は1884年に着工し、完成に20年かかりました。その間に1896年にはハンガリー建国1000年を迎えています。 -
部屋の数は691、建物長は268m。
円蓋ホールの高さは96m、これは聖イシュトバーン大聖堂のドームと同じ高さで、ブダペストで最も高い建物です。
この「96」という数字は建国1000年記念の1896年に因んでいるそうです。 -
国会議事堂のこちら側からドナウ川の向こうを見ると、王宮の丘とマーチャーシュー教会が見えます。
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先ほど、王宮の丘から見た国会議事堂はこちら。
やはりここまで遠く離れないと全容は見えませんね。
それにしても大きな議事堂ですね。どうしてここまで大きな国会議事堂ができたのか?。
この写真からもいくつか見えますが、国会議事堂の周りにハンガリー建国に力を注いだ偉人達の像やモニュメントがいくつもあります。
これらの人物のことを調べていけばハンガリーの歴史が勉強出来るんじゃない?
いつものように拙い研究発表です。間違い勘違いなどご指摘くださるとうれしいです。 -
コシュート・ラヨシュ広場から見た国会議事堂。
イシュトバーン1世がローマ教皇より王冠を授かり、ハンガリー王国が成立します。
またマーチャーシュー1世の時代には、一時期オーストリア帝国をも支配圏内に取り込むほどのハンガリー最盛期を迎えました。
ここまでは今までの観光で調べました。 -
その後、オスマントルコの進出により、ハンガリーはオスマン帝国の配下に入ります。またハンガリーに代々引き継がれた聖イシュトバーンの王冠は、姻戚関係にあったハプスブルク家が継承することになりました。
しかし1683年の第二次ウィーン大包囲でオスマントルコに戦勝したハプスブルク帝国は、ハンガリーのほぼ全域を支配することになりました。
ここにハプスブルク帝国の絶対主義支配に反発するハンガリーの貴族がいました。 -
広場の南側に立つ、ラーコーツィ・フェレンツ2世(1676-1735)です。
ハンガリーの開放を求めてハプスブルク帝国に対して独立戦争を起こしました(1705年)が、1711年には鎮圧されました。
そしてラーコーツィはポーランドへ亡命し、かの地で没しました。しかし彼はハンガリーの精神を植え付けた国民的英雄として今も尊敬されています。
皆様もよくご存じの「ラーコーツィ行進曲」は彼を讃えるハンガリー民謡です。
どうぞお聴きになってください。
https://www.youtube.com/watch?v=vh4tGuaS9iI -
その後、ハプスブルク家によるハンガリー支配は続きました。
1740~1780年まで、女帝マリア・テレジアも、ハンガリーの国王として聖イシュトバーンの王冠を戴いています。
しかしずっと安泰だったわけではありません。
1848年2月革命によりオーストリアが混乱すると、3月にコシュート・ラヨシュ(1802-1894)は、ハンガリーの独立を求め、武装蜂起し自治政府を設立しました(ハンガリー革命)。
広場の向こうに見える群像、中央にはコシュート・ラヨシュの像。 -
コシュート・ラヨシュの革命軍は一度は鎮圧されるも、再びブダペストを奪回し再度ハンガリーの独立を宣言しました。
しかしこれも、オーストリア軍と援軍のロシア軍の前にあえなく敗れ、独立は失敗しました。 -
中央の人物がコシュート・ラヨシュ。
周りの人物像は、コシュート・ラヨシュの革命に協力した貴族や政治家たち。エステルハーズィ侯爵、セーチェニィ伯爵、デアーク・フェレンツの像もあるそうです。
みんなハンガリーの独立が失敗して、悔しくて苦悩の表情でうつむいています。、 -
彼はオスマン帝国へ亡命し、その後アメリカ、イギリス、フランス、そして、1894年に亡命先のイタリア・トリノで死去しました。
彼の遺体はハンガリーに戻され、ブダペストで盛大な葬儀が執り行われました。
コシュートは、現在でもハンガリーの英雄として愛され、至る所に彼の名前が冠された通りや広場があります。コシュート広場、コシュート橋など。
国会議事堂前の広場はコシュート・ラヨシュ広場。 -
王宮の丘に立っていた像は、ハンガリー革命の記念碑。
-
コシュート・ラヨシュが亡命していた間にも、各地の独立運動は活発化し、ハプスブルク帝国はプロイセンとの普墺戦争に敗れるなど弱体化していきました。
これを危惧したのがフランツ・ヨーゼフ1世。
ハンガリーと共に帝国の強化を図り、ハンガリー王国にも自治権を認めるという「アウスグライヒ(和協)」を提案し、オーストリア=ハンガリー二重帝国が成立しました。 -
ジュラ・アンドラーシはコシュート・ラヨシュを支持してハンガリー革命に参加しましたが、革命失敗後はパリやロンドンへの亡命を余儀なくされます。
しかし1857年に恩赦で帰国した後は、「アウスグライヒ」に共感し、フランツ・ヨーゼフ1世のよき協力者となります。
そして二重帝国としては初のハンガリー首相となります。 -
フランツヨーゼフ1世とシシィの戴冠式にジュラ・アンドラーシも立ち合っています。(矢印)
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1878年にドイツ宰相のビスマルクが主催したベルリン会議、7か国が出席して領土問題が話し合われました。
ジュラ・アンドラーシはオーストリア・ハンガリー二重帝国の外相として出席しました。
中央でビスマルクに詰問しているのがジュラ。(矢印) -
19世紀末のハンガリーは、首都ブダペストに地下鉄が整備されたり、大きな建築物ができたり、ヨーロッパ有数の近代都市として繁栄しました。
しかしそのころ、ハプスブルク家にとっては悲劇の連続。
ヨーゼフ1世の皇太子ルドルフが情死し、妻シシィの暗殺、そして皇位継承者のフェルディナントがサラエボで暗殺されます。 -
そして第一次世界大戦の勃発。
そのころのハンガリー首相だったのはティサ・イシュトヴァーン(1861-1918)。 -
フランツ・ヨーゼフ1世の後に皇帝に即位したのはカールス1世(ハンガリーではカルロイ4世)。
ティサ・イシュトヴァーンはカールス1世と意見が対立し解任されます。
そして1918年、第一次大戦の敗北でハプスブルク帝国・二重帝国の崩壊。
ティサ・イシュトバーンは改革派の兵士に殺害されました。 -
その後ハンガリー共和国が成立したものの政情は安定せず。
そこへ入りこんできたのがヒトラー率いるナチスドイツでした。
そしてナチスの支援を受けた反ユダヤ主義のファシスト政党、矢十字党が権力を握るようになります。
写真は矢十字党やナチスが本部を置いていた「恐怖の館」、アンドラーシ通り -
ドナウ川岸にたくさんの靴が脱ぎ捨てられています。
これは矢十字党の兵士によって銃撃され、ドナウ川に沈んでいったユダヤ人たちの靴なのです。 -
矢十字党は、ナチスのホロコーストにも加担し、1944年10月から1945年1月までの3か月と言う短期間で、8万人とも言われるハンガリーに住むユダヤ人が強制収容所に送ったり、処刑しました。
そのうちの2000人がこのドナウ川岸で情け容赦なく射殺されたのです。 -
オシャレな女性の靴、ハイヒール、革靴、ブーツ、その中には子供の靴も見えます。
どれも高価そうです。 -
当時は靴は高価なものでした。
ここに連れてこられたユダヤ人は、靴を脱いで一列に並ぶように強制されました。
そして無情にも射殺され、極寒のドナウ川に沈んでいきました。 -
靴の周りには大勢の人達が祈るようにたたずんでいます。
みんな無言でそれらの靴を見つめています。 -
ここに追悼のプレートがあります。
「1944-45年、矢十字党の兵士によって銃撃された犠牲者に捧げる」 -
1945年1月、ソ連赤軍のブダペスト進撃により、ドイツ軍は追い詰められ、ドナウに架かる5つの橋を全て爆破して撤退しました。
そしてドイツの降伏、ドイツと行動を共にしていたハンガリーも多くの犠牲者を出しました。
第二次大戦終了後、爆破された橋の代わりに、一時的にコシュート広場から対岸のバッチャーニ広場にかけて橋が架けられました。(コシュート橋)
その後数年間で、破壊された5つの橋は現在のように美しい姿で再建され、コシュート橋は役割をおえました。
橋は1960年に解体されて、今は両岸に、ここに橋があったという碑が立てられています。 -
対岸のブダ城と戦後新しく再建されたくさり橋。
-
そしてスターリン支配の、ハンガリー人民共和国が成立します。
赤い星はソヴィエト共産党のマーク。
ソ連によるハンガリー支配の中で、多くの政治活動家や宗教家など反対勢力が拷問・処刑されました。
「恐怖の館」のパンフレットより -
国会議事堂前の広場に、地下に降りる階段がありました。
入り口には「1956年10月25日の記念」と。
ここは多くの血が流された「ハンガリー動乱」の記念館だったのです。
残念ながら中に入っておりません。 -
1956年10月、ソ連に操られていたハンガリー政府への抗議行動として、多くの学生や労働者が蜂起しました。
ソ連のKGB(秘密警察)とも言うべき、ハンガリー国家保衛庁が鎮圧しようと試みますが歯が立たず、ついにソ連軍が軍事介入するのです。
ここ国会議事堂前広場では、ソ連軍の発砲で、約100名が死亡し、300人が負傷しました。
記念館の壁には発砲された弾の痕跡が残っています。 -
この一連のハンガリー革命により2万人の犠牲者を出し、20万人とも言われる難民がハンガリーから逃れました。
(写真:恐怖の館のパンフレットより) -
ところで、このハンガー動乱のメモリアルの近くに当時の首相だった「ナジ・イムレ(1896-1958)の像があったのだそう。
残念ながら気が付かなかったのでネットの写真よりお借りしました。
太鼓橋の上に静かにたたずむナジ・イムレ。
彼は1953年一度は首相の座についていましたが、スターリン主義者との対立により退陣に追い込まれます。
しかし1956年のハンガリー動乱の勃発により、国民に請われて再び首相に返り咲きました。
彼は、社会主義者や反共民族主義者との連立政権を組織し、一党独裁体制の解体、ワルシャワ条約機構からの脱退、そしてハンガリー中立の表明など、次々と民主化路線を打ち出しました。 -
しかしそれを快く思わないソヴィエト連邦、再びブダペストを占領し、ナジを秘密裁判にかけて絞首刑に処しました。
多くの犠牲者を出した動乱はソ連軍によって鎮圧され、ナジ亡きあとはハンガリーは、ソ連を後ろ盾とした共産主義国家として長く続くのです。
その間ナジは、共産主義を裏切った人物としての汚名を着せられました。
ナジの名誉が回復されたのは、ペレストロイカによるハンガリーの民主化の後でした。
今、ナジ・イムレの像は穏やかな目で国会議事堂を見つめています。
ハンガリーの平和な未来を願っているかのように・・・。 -
と、お粗末な私の拙い歴史散策はこれくらいにして・・・。
もう少し国会議事堂周辺を歩いてみましょう。
国会議事堂の模型。
歴史を創った英雄たちの像もいくつか見えます。 -
国会議事堂の正面はこちら。2頭のライオンが見守っています。
入り口の彫像は聖イシュトバーンとマーチャーシュー王?
その上部には歴代の王の紋章。 -
広場には大勢の観光客。
左側から兵士が行進してやってきました。慌てて写真に収めようとしている観光客。 -
広場のこちら側にも大勢の人々。
正面の建物は民族博物館。 -
民族博物館は国会議事堂と同じくらい重厚な建物。
間をトラムが走っています。 -
コシュートの像の近くでパトロールしている警官。
「ユダヤ人の靴」の場所が判らなくて尋ねました。
とっさに何語で訊けばいいかわからなくなり、自分の靴を指さして、「シューズモニュメント?」って聞いた。
いかめしい顔の警官さん、にこりともしないで、同じく指さしで「あっち!」とだけ。
指さし会話は世界の共通言語。 -
ドナウ川の遊歩道を散策します。
現地の若い子たちが犬を散歩させています。
あちらのベンチではおばさまが二人でおしゃべりの真っ最中。
川の畔の散歩はいいですね。心がゆったりします。
ここであの忌まわしいホロコーストや、戦車による力の圧力で大勢の犠牲者を出した悲しい歴史があったとは思えないほどです。 -
対岸の王宮の丘。
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今夜も大勢の客を乗せて夜景ツアーに出かける大型客船。
上階のレストランでは、ウェイターさんが忙しく準備している姿が見えます。 -
ブダ城とくさり橋。
橋の上から急に飛んできたドローンに、通る人もビックリ。 -
地上側のこの建物は「ハンガリー技術アカデミー」
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エルジェーベト橋近くの船着き場は観光船の渋滞が起きています。まさにドナウ銀座。
痛ましい衝突事故が起きましたね。
左手の高台はゲッレールトの丘と女神像。
とうとうここにも行けなかったわね~。 -
この辺より路面電車に乗り、自由広場へ。
シナゴークにも行きたいと思ったけど、疲れたのでとりあえずホテルに帰ることにします。 -
地下鉄4号線でブダペスト東駅に着いた。終点なので一斉に降りる。
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4号線は一番新しい路線です。車両もまだ新しい。
さて「まだチケットの時間が残っているし、ちょっと休んだら最後のブダペスト観光をしよう」とK氏。
I女史と私、その気はあるのだけれど、体力が追いつかない。
結局K氏は一人で出かけたそうです。お元気ですね~。 -
27日。
今日はブダペストを出発する日です。
朝早く目が覚めたので、部屋の窓から夜明けのブダペストの街をしっかり目に焼き付けました。 -
このホテルはツアー客の多いホテルでした。朝から出発する客で混雑しています。
私たちも朝食を済ませてチェックアウトして、ロビーの係にタクシーを呼んでもらいます。 -
ちょうどタクシーが出払っている。タクシーが来るまで何度となく外に出て気に掛けてくれる。
齢は私たちと同じくらいか、何とも親切なベルボーイ(笑)。
タクシーが到着したら、3人分の大きなトランクを車まで運んで乗せてくれる。私たちと同じくらいの歳なのに申し訳ない。チップは2ユーロ渡す。
タクシーが出発するまで見送ってくれた。
昨日のあの掃除係の不愉快な出来事で、このホテルには余りいい感情は持てなかったが、この親切なシニアの係員に免じて忘れよう。
ホテルのロビーには世界時計があった。東京の時刻もある。 -
タクシーでブダペスト西駅へ。
タクシーの運転手も愛想がよく、とても感じがいい。
降車時に2ユーロチップを渡す。
そしたら、段差がある駅の入り口を3つともスーツケースを上にあげてくれた。
気持ちよくブダペストを出発できる。終わりよければすべてよし、ね。 -
西駅はエッフェル塔を造ったギュスターヴ・エッフェルにより設計され、1877年に完成したとても歴史ある駅です。
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落ち着いた外観です。
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駅のホーム
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駅舎の通路、ちょっと暗い感じ。
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レトロな佇まいのチケット売り場。
昔はこんなところで並んでチケットを買ったわね~。
今は遠距離はネットかパスだし、そうでなければ券売機だものね。 -
ブダペスト西駅には「世界で一番美しいマクドナルド」があります。
ちょっと覗いてみましょう。 -
天井は高くて装飾も美しい。あたたかい光を放つ照明も素敵。
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これが「世界で一番美しいマクドナルド」って言われれば、あっそうなの?って感じ。
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せっかくだから、ここで車内で食べるお昼を調達していきましょう。
ところが日本でもマクドナルドに入ったことがない箱入りシニア達。
買い方が判らない、何を注文すればいいのかわからない、言葉が判らない、気後れしてしまって何も買えませんでした。 -
結局、駅の売店で適当に飲み物とパンを買って、プラハ行の国際列車に乗り込みました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- Berg Heilさん 2019/07/24 08:02:02
- かなりの勉強家!!
- 旅行記を書くにあたってかなり勉強されていると感服!! 丁寧な旅行記はとても参考になります。Madam frau hinmmel は才色兼備にしてAdventure 大好きな Lady だと想像しています。ブダペストへは亡き妻と一回 単独一回訪問、一人旅の時はかなり隅々まで歩きました。ナジ・イレムの像、あのハンガリー事件が起こった時、大学生だったので一発でナジとわかりました。当時は左翼の教授が幅を利かせていた時だったので、彼等のソ連びいきの事件への批評や言い訳が的外れで見苦しかったと記憶しています。ベルリンの壁の崩壊を知らないで三途の川を渡った左翼の教授達はかえって幸せだったかも? 学生時代から彼等のいいかげんさ 独りよがり 節操の無さを感じ左翼嫌いになりました。(といっても右翼ではありません)。 2009年 私共はプラハ~ブダペスト間はチェコ航空を利用しました。(東京にチェコ航空の支社があったのでそこでチケットを購入)
- frau.himmelさん からの返信 2019/07/24 17:02:07
- RE: かなりの勉強家!!
- Berg Heilさん、お久しぶりでございます。
コメントありがとうございます。
ドイツ語圏の御大よりそんなお褒めの言葉をいただきますと、恥ずかしくて恐縮してしまいます。
フォートラレヴューをする前はずっとBerg Heilさんの旅行記のファンで、してからも旅行記をいろいろ参考にさせていただいていましたから、もうどれくらいになりますか、長いお付き合いです。
はい、旅行記を書く前は勉強いたします。
全くの付け焼刃ですから、勉強しないと書けませんから。
でも、その勉強が楽しいです。
銅像の場合は、まず人物を特定し、ドイツ語の場合はなんとかなりますが、今回はハンガリー・・・(泣)。
その人物のことを調べるうちに、あれもこれもと、広範囲に広がりすぎて、収拾がつかなくなって、これをどうやってまとめたらいいんだろうと、頭の中がグチャグチャになって・・・。
この過程を楽しんでいます。
Berg Heilさんは、ナジ・イムレをご存じだったとは!、と言うか1956年ってそんな遠い昔ではないですものね。
ブダペストは奥様との思い出の地なのですね。
まだお元気で旅をお続けになっていらっしゃるフォーゲルヴァイデさん、後ほどモラヴィアを拝見させていただきます。気が付かなくて申し訳ありませんでした。
himmel
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