2012/01/02 - 2012/01/02
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MIUMIUさん
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このブログは、私たち熟年夫婦が撮りためた写真を旅の備忘録として整理し、アップしたものです。
コロナ禍で海外に行けない状況が続く中、
昔の旅行の写真を眺めながら過去の記憶を辿り、その記憶を整理をしていく事は、脳みその活性化を図る事にもなるかもしれません。(;^^
少しずつでも頑張ってアップしていければいいな、と思っていますが、
10年前の旅行なので記録が散逸し思い出せないことも多く、
つくづく、熟年夫婦が老年夫婦になりつつあるのか…と痛感させられます。
当時、冬のヨーロッパ旅行をどこにするか選ぶとき、先ず、寒過ぎない場所! という妻(超寒がり)のリクエストに応えて、
マドリッドとその近郊を選びました。
旦那は建築オタクのようなもので、歴史的な建築物を見る事ができればどこでもよかったのです。
年末年始のマドリッドは結果的には予想外に寒くはありましたが、
多少情報操作して妻に誤信させたかもしれません。
しかし、北欧・中欧・東欧に比べたら暖かいに決まってます。
年末年始にも関わらず、フィンエア-の格安航空券をゲットできたこともあり、期待感いっぱいで出かけることになりました。
== 全日程 ==
★2011/12/29
11:45 関空発 フィンランド航空
↓
15:10 ヘルシンキ バンター空港着
17:00 ヘルシンキ バンター空港発
↓
20:45 マドリッド バラハス空港着
【1】 https://4travel.jp/travelogue/11508125
◇12/30 マドリッド市内観光
【2】 https://4travel.jp/travelogue/11508127
◇12/31 アビラ & セゴビア 1日観光バスツアーに参加
【3】 https://4travel.jp/travelogue/11508141
◇2012/1/1 トレド観光 トレド泊
【4】 https://4travel.jp/travelogue/11508149
◇1/2 午前トレド観光 → 午後マドリッド観光
【5】 https://4travel.jp/travelogue/11508154 ←今ここ
◇1/3 アランフェス観光 → 夜マドリッドでフラメンコショー
【6】 https://4travel.jp/travelogue/11508157
◇1/4 10:10 マドリッド バラハス空港発 フィンランド航空
↓
15:30 ヘルシンキ バンター空港着
17:25 ヘルシンキ バンター空港発
↓
◇1/5 10:00 関空着
2023.09.02 EDIT
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 鉄道 タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
【1/2】
パラドール・デ・トレドで迎えた朝。
朝食をとる為にレストランへ。 -
ビュッフェ形式の朝食。
-
豊富なメニューがズラリ!
フルーツやサラダ、ドリンクの種類が多くてテンションアップ。 -
どれもおいしそう!
-
ついつい取り過ぎてしまったけど、ま、いーか!
-
昨日の朝食(アトーチャ駅カフェ)とエライ違い…(^^;
-
この日は落ち着いた雰囲気の中でのんびりと朝食をとった。
-
朝食後、またテラスへ。
テラスはレストランの窓側にあるので、食事をしながら眺望を楽しむこともできる。
が、今朝は曇り空でちょっと残念。 -
元々は
9:15トレド発のバスに乗り、コンスエグラに10:40着という予定だったが、
色々考えた結果、今回コンスエグラ行きは諦めることにした。
『ラ・マンチャの男』の舞台となった風車の並ぶ丘、見たかったなぁ -
フロントで駅に行く方法を尋ねたら、歩くかタクシ-しかないとのこと。
(歩けるわけないやん)
タクシ-を呼んでもらい、トレド駅に着いた。トレド駅 駅
-
しばらく、駅舎を見学。
昨日到着した時に写真は撮ったが、じっくり見ていなかったので。
アーチ型の窓や、デザインされた時計塔、細かい装飾が本当に美しい! -
わかりにくいが、
壁の幾何学模様のタイルと、床にはめ込まれたタイルには、
ブルボン朝のフルール ド リスやレオン王国の獅子など、
トレドの歴史に関連する紋章が描かれている。 -
トレド駅が開業したのは1858年だが、現在のデザインに改装されたのは1919年のことで、壁に掛けられた写真に建築当時の姿を見ることができる。
-
宮殿の広間のような駅構内。
-
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小雨が降りだした。
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ホーム沿いにある、貴賓室のようなカフェ。
壁のタイル装飾が素晴らしく、床のタイルは駅構内と同じタイル。
列車が出発するまでここで休憩。 -
こんなに素敵なカフェなのに誰もいない。
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プラットホームからの景色。
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Avantの前で記念撮影。
この頃は、記録として残ればいいという考えで、余り構図など気にしていなかった。
2004年からあったらしい4Travel旅行記も、当時は知らなかった。
ブログに載せるのなら、もっと丁寧に撮っていれば良かったと、
今になって思う。 -
トレドよ、さようなら。
-
30分後、マドリッドに到着。
アトーチャ駅から上がってきたところ。
晴れていて日差しが眩しい! よかった! -
アトーチャ駅周辺。
-
メトロのアトーチャ駅に向かう。
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ソフィア王妃芸術センター。
ここは、後ほど訪問。 -
なんか知らんけど人がいっぱい並んでるなぁ・・・
!? もしかして、ソフィア王妃芸術センターに入る為の行列!?
それで、ここに来るのを後回しにしたのかも?
そんな気がしてきた… -
メトロのアトーチャ駅近くにある王立音楽院。だと思う。
-
アトーチャ駅からメトロに乗り、オペラ駅に着いた。
-
王宮とアルムデーナ大聖堂に向かう。
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-
王立劇場。
初日(12/30)にもこの辺に来ている。 -
オリエンテ広場を通過。
オリエンテ広場 広場・公園
-
王宮前のアルマス広場。
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彫像がズラーッと並んでいる。
歴代の王?著名人? -
スペインって、真冬の半袖Tシャツ率が高い気がする…
-
アルマス広場を挟んで向かい側にある
カトリックの大聖堂、アルムデーナ大聖堂。
外観は、ネオ・クラシカル様式で、内装はゴシック・リヴァイヴァル様式
と、かなり変わったつくりとなっている。
なので、国民の評判は半々なんだとか。アルムデナ大聖堂 寺院・教会
-
大聖堂の外に例の馬小屋オブジェが設置されていた。
-
閉まっていた扉のレリーフが見事。
-
16世紀から建設計画はあったが、スペイン内戦や計画が頓挫したり…で中断。
1950年に本格的に構想が固まり、1993年に完成したとか。
やはり、新しいんですね!
20世紀に唯一ローマ法王による献堂式が行われ、
2004年には、国王フェリペ6世の結婚式が行われた。 -
主祭壇。
階段があり、誰もが祭壇のすぐ間近に行けるようになっている。 -
十字架のキリスト像の下に、生まれたばかりのキリストを抱く聖母マリア像。
バックには絵画が並び、正教のイコンのように見える。 -
幾何学模様の天井にもビックリ!
複雑な柄と色のリズミカルで斬新だ。 -
鮮やかなステンドグラスは古典的に見える。
-
大聖堂を上から見て十字架の中央部分の天井。
夜空を表現しているような美しさ。 -
-
後方のパイプオルガンは大きさもさることながら、ユニークな形状。
素晴らしい音が奏でられるに違いない。 -
-
何となく現代的なステンドグラス。
-
私達も主祭壇の前の階段を上がってみた。
こんな近くに来てもいいの? と不思議にも感じた。 -
真下から見上げると、その迫力に圧倒される。
-
礼拝堂のステンドグラスかな?
これはかなり現代的。 -
新旧入り混じった内装のアルムデーナ大聖堂は、
かなり変わってるというか、異色の聖堂だなぁ!と実感できた。
こういう聖堂が歴史の深いスペインに存在するなんて、なんかいいですね!
何十年、いや何百年もかけて古典的な聖堂になっていくんだろうな。。。 -
アルムデーナ大聖堂を出ると、王宮前に長蛇の列が!
-
マドリッド王宮は、オリエンテ宮とも呼ばれるスペイン王の宮殿。
実際には王族は郊外のサルスエラ宮殿に居住しているとのこと。
現在この宮殿は政府の所有で、国家行事に使用されている。マドリード王宮 (オリエンテ宮) 城・宮殿
-
とても美しい白亜の宮殿だ。
-
この場所は、イスラム支配時代の9世紀後半に要塞があった場所。
(だから小高い丘にあるんですね)
王宮の歴史をざっくりと辿ってみると・・・
1083年、カスティーリャ王国の宮廷となる。
1561年、遷都後に国王の居城となる。
1734年、火災で焼失。
1738年、フェリペ5世が新たな宮殿建築を命じ、1755年、完成。
1764年、カルロス3世が住み始める。
以後、歴代の王の居城となった。 -
-
-
しばらく列に並び、入場できた。
-
内部の写真はこれだけ。
撮影禁止だったんでしょうね。
写真がないと具体的な記憶が殆ど残っていないものなんだなぁと
改めて実感。
決められた見学ルートを進んでいったが
とにかく全てが絢爛豪華だったのは記憶している。 -
青空だと美しさが際立ちますね。
-
王宮の両側には細長い建物が伸びていて
アルマス広場を囲んでいる。 -
正面に向かって右側。
この先端が見学者の入口になっている。 -
長い回廊がある。
-
多分、これは王宮の左側に伸びる建物の先端かと。
ここは武具博物館になっている。 -
アルムデーナ大聖堂と王宮でかなり長時間を費やしたので
お腹が空いてきて、例のチューロスを食べに行くことにした。 -
ラマーレス広場沿いの、三日前にランチしたレストラン。
-
アレナル通りを東へ、来た道を戻っていく。
-
アレナル通り沿いには大きな建物ばかり。
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-
サン・ヒネス教会が見えてきた。
-
-
三日前に来た時、開店前だった『チョコラテリア・サン・ヒネス』
1894年創業のチューロスの老舗。
やっぱり人気店らしく混んでいるが、少し待っていたら入れた。
店内は甘い香りと油の熱でいっぱいで、活気に満ちていた。 -
メニューはチューロスとチョコラーテ(ホットチョコレート)がメインで
コーヒーもあったようだ。
待つ間、チューロスを揚げていく様子を間近で見ることができる。
巨大な鍋の泡立つ油の中に、次々とニョロニョロとチューロスのタネが投入されていくサマは、なんというか、インパクト大!
大胆に盛られたチューロスをアツアツのチョコレートに思い切り浸し
多くの老若男女が楽し気にほおばっていた。 -
周りのテンションにはとてもじゃないがついていけない私達… 笑
お腹が空いていたのでいただきましたが
私達には、揚げたてのチューロスはオイリー過ぎて、多くは食べられなかった。
チョコラーテは甘すぎたかも。
でも、チューロスのサクサク感とチョコラーテのトロトロ感が絶妙で
マドリッドで長く親しまれているおやつ、というのも理解できました。 -
お腹があたたまり(胸ヤケも少々…)更に東へ。
マドリ-のブキニスト。 -
再びプエルタ・デル・ソルにやってきました。
ホテルの近くまで戻ってきているのだけど、ホテルには戻らず、
ここからメトロに乗って、またアトーチャ駅へ。 -
アトーチャ駅近くにある、ソフィア王妃芸術センターに到着。
ソフィア王妃芸術センターは月~土曜(休館の火曜除く)の閉館時間2時間前と、
日曜の午後が入場無料になる。
例えば、『ゲルニカ』だけをお金をかけずに見たいという場合は、無料入場も良いと思う。
この日は月曜日なので、閉館時間2時間前の無料入場を利用できるが
時間が少し早かったので入場料を支払った。ソフィア王妃芸術センター 博物館・美術館・ギャラリー
-
入口は大通りから一本入ったファン・ゴイティソロ広場側にある。
やはり列ができているが、朝よりはだいぶ短い列だ。 -
スケルトンのエレベーターがかなり目立つ建物。
当時は、入口に向かって右側の1基のみだったが、
今は、入口の左側に同様のエレベーターが増設されている。
元々は18世紀に建てられた病院だったという。
1992年に改装して、ソフィア王妃芸術センターとなった。
ソフィアとは、前王妃の名前。
なんと知的な響きのする名前だろうと思った。
ドイツ語では、ゾフィーという。
これは、ハプスブルク家に関連してよく聞く名前だ。
モダンに生まれ変わった古い建物の中に、現代アートが多く展示されている。
2階には、19世紀末から20世紀始めにかけての作品。
4階には、スペイン内戦以降から現在までの作品。
大規模な図書館もあり、企画展や講演会なども開催されている。 -
ここからは、作品の写真がつづきます。
美術館で撮影した写真をブログに挙げるのはどうなのかな…?
ソフィア王妃芸術センターは近代の作品が多いので、特に気になった。
が、他のブログで上手に撮影した同じ作品が多く挙げられているので、
ここに上がっている下手な写真が問題になるとしたら、まあ一番最後かな。
No Photoの場合は当然撮影していないが、
そうでないものでも「個人観賞用なら可」とか、いろいろあってややこしい。 -
絵だけではなく、このようなオブジェも多く展示されている。
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パブロ・ピカソ「フランスのために命を落としたスペイン人のオマ-ジュ」(1947年)
第二次世界大戦中、ナチス・ドイツに対抗するレジスタンス活動に参加し、
フランスで戦った多くのスペイン人亡命者が命を落とした。
そうした同胞たちに対するピカソのオマージュである。 -
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近代的な建物の模型。
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設計図も。
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アリギエロ・ボエッティ(1940年12月16日? 1994年2月24日)の作品。
彼の作品でよく知られているのは、世界の大きな刺繡地図のシリーズだ。
それらの中で最も有名なのは、国旗のデザインで各国の形を表した世界地図である。
彼はカブールの刺繡学校の女性に、最初の地図を刺すよう依頼した。
当初1つだけを作るつもりだったが、最終的に生涯でおよそ150を委託し、同じ寸法のものはなかったという。
これは、その一つらしい。 -
サルバドール・ダリ『月光による静物』(1929)
この絵はキュビズム風だが、シュールなイメ-ジを持っている。
このときすでにキュビスムの元祖ピカソは、作品の中で明らかに矛盾する要素の組み合わせを表現していた。
ダリの作品のテーブルに横たわっている胸像は、ピカソの「Studio with Plaster Head」(1925)を思い起こさせるが、ギターなどの画像は、首が隣に横たわっている魚の体に不思議なことに似ているが、ダリ自身のアイデアだ。 -
パブロ・ピカソ「Bust and Palette」(1925年)
こちらはパブロ・ピカソのキュビズム作品。 -
サルバドール・ダリ『静物』(1924)
ダリが美術学校で学んでいる時代に、キュビスムの実験をしだした頃に書かれた絵。
当時は、マドリードにはキュビズム芸術家は一人もいなかったし、おそらくキュービズムを理解していなかったといわれている。 -
サルバドール・ダリ 『ギタ-を演奏するピエロ』(1925年)
-
サルバドール・ダリ 『ルイス・ブニュエルの肖像』(1924年)
モデルはサルバドール・ダリの友人で映画監督。
後の1929年にシュールリアリズム運動を知り、ダリと共同監督で製作した無声短編映画の『アンダルシアの犬』は、予想に反して拍手喝采を受けた。
因みに、
初めて上映された時、ブニュエルは観客の抗議を予想してポケットに投石用の小石を詰め込んでいた…
という逸話が残っている。 -
サルバドール・ダリ『大自慰者』(1929)
一見何の絵なのか分からない。描かれている女性はダリの生涯のパートナーとなるガラという女性。その女性との営みを様々な寓意を用いながら表現している。
中央の岩は、カタルーニャにあるクレウス岬の自然の岩を描いており、下部は歪んだ人間の横顔になっている。
描かれてるバッタやアリのような昆虫をは、ダリは子供のころから恐れていた。 -
サルバドール・ダリ 『ミレーの建築学的晩鐘』
ダリは幼い頃から生家に飾ってあったミレーの《晩鐘》を目にし、月日が経つにつれ、そのイメージは頭の中で増幅していった。
幼年時代、晩鐘が鳴るとともに《晩鐘》の複製が見えるという体験をしたと、ダリは自伝『我が秘められた生涯』に記している。
長年にわたって《晩鐘》に固執し、これをモチーフに作品を多数残している。
凡人にはどこが《晩鐘》なのか釈然としない。 -
サルバドール・ダリ『子ども、女への壮大な記念碑』( 1929年)
ダリが父親に関係を反対されていたガラの姿を初めて登場させたのが本作品であり、
ダリ自身の説明によるとタイトルにある「子ども、女」はガラのことを示す。
「記念碑」はダリとガラが恋に落ちた思い出の海岸に点在した岩が元になっているが、
その光景は幼少期から青年期に及ぶ恐怖心の象徴的な存在でもあり、
ダリはその恐怖心をガラに捧げたことを表現しているとされる。
ダリはこの記念碑の中に自分が恐れや執着を持つさまざまなモチーフを結合させている。
吠えるライオン、片側の眼を共有する自分と妹アナ・マリアの顔、王冠を被る『大自慰者』の矮小化された顔(中央左側の下方)、攻撃的な父の姿、煙草を持つ手、恥ずかしさからか恐怖のためか手で顔を覆っている姿2体など。 -
サルバドール・ダリ『ヒトラーの謎』(1937年)
ダリはヒトラーの運命と人格に非常に興味があり、様々な形で表現している。
乾いて壊れた木にぶら下がっている黒い壊れた受話器と、折りたたまれた蝙蝠傘が目を引く。
大きな涙がチューブを流れ落ちている。これはヒトラーとイギリス首相チェンバレンの直接会談における交渉が不成功であったことを象徴しているといわれている。 -
ロブスタ-の静物(生物)画
-
-
ダリ 『窓際の少女』1925年。
ダリのシュルレアリスム以外の絵画も展示されている。
ダリが彼の妹アンナ・マリアを、ダリの家があったカダケスで描いた絵画。 -
なんでピカソの『ゲルニカ』の写真がないのだろう。
見た記憶は確かにある。
縦3.5m、横7.8mもある巨大な作品で何とも言えない迫力に圧倒された。
この作品だけを見に来ても損はないといわれる作品なのに。
HDDのフォルダの隅々まで探したが見当たらない。
後で調べてみると、この作品は現在撮影禁止だそうで、当時もそうだったのかも。
因みに、この日のこの後の写真がほとんどない。 -
ソフィア王妃芸術センターでの写真の後は、なぜかこの写真だけ。
トマトかパプリカのスープのような? サンドイッチも食べたようだ。
どこでこの夕食をとったのか、メモが残っていないので不明。
暗くなってからホテルに戻ったのは確かです。
明日はもぅ最終日。
マドリッドから南に50キロ弱のアランフェスを訪ねます。
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