2019/05/15 - 2019/05/20
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tono202さん
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全州で3泊して周辺の行楽地にもバスで足を伸ばします。
まずは、全州からバスで40分の鎮安へ。
ここにある馬耳山(マイサン)の奇岩の姿と、麓に積まれた石塔に出会いにハイキングに出かけました。
馬耳山までは前回で報告。
今回は馬耳山から塔寺を経て南部駐車場までのルート報告です。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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馬耳山(マイサン)西峰直下のテラスから東峰をゆっくりと眺めて小休止。
遙かには鎮安の街並みが広がります。
新羅時代には、「西にある多くの山々の中で最も美しくそびえる山!、ソッタ」と謂われ、高麗時代には「龍が天に上ってたような気相がする山」と言われたのがうなづける気がしてきます。 -
東峰を仰ぎ見ながら下山路を下って行きます。
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そして鞍部から塔寺への南向きの階段を下りていきます。
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10分足らずで東峰の岩嶺の麓の寺に到着。
ここが塔寺かなと思っていると・・ -
塔寺ではないようです。
本堂の背後に馬耳山の東峰を背負って鎮座します。
まさに日本の神社風に言えば「天孫降臨の聖なる甘南備山を御神体とする拝礼所」的な雰囲気がします。 -
西側には、先ほど頂上に立った西峰が迫ります。
ここにお寺が出来たのは20世紀になってから。
もともとは仏教施設はなかったようです。 -
儀式に用いられる大きな太鼓と鉦がここにもあります。
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下りて行くと塔寺への入場券販売所。その横にはお手洗いもあります。
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塔寺から女子高校生の遠足集団が大勢登ってきました。
南部駐車場から歩いて、北部駐車場へ抜けていくのでしょう。
多くの人たちがこの遊歩道を利用しているようです。 -
新緑盛りの森の中の道を下りて行くと・・
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岸壁の中の洞に石塔が並んでいます。
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あんなところにどうやって登って、建てたのか?
そんな疑問がわき上がってきます。
同時に、どこかで見た風景だなあと思えてきます。
背後に聖山を控え、そこに並ぶ洞・・・
そうです。四国霊場の奥の院の行場の雰囲気です。
あるいは国東半島の修験道の行場の雰囲気です。 -
そんな思いを抱きながら境内に近づきます。
石塔があちらこちらに林立します。 -
境内はその名の通り石塔が林立します。
いつ誰がこの塔を立てたのか?
このお寺の歴史は?
現れた景観に驚くと同時に、いくつもの「?」が私の頭の中にわき上がります。 -
一般には、これらの塔群はひとりの男によって積まれたと伝えられているようです。時代は1920年代のことで、イガプリョン(李甲龍)という男がこの山に入り「億兆蒼生の救済と万民の罪を贖いする石塔を積みなさい」という啓示を受けます。そこで、この聖地に祈りを捧げ石を積むという業を開始します。
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1935年頃には、木製のトタン屋根住宅に改築して石弥勒を安置します。以後30年以上にわたって、ひとりでこつこつと積み上げます。最盛期には百を超える石塔があったようですが、今では約80が残っています。築造方法も石(石材)を整えて作ったものではなく、自然石を積み上げたももので特別な工法が用いられているようではないようです。また塔の高さは1mから15mまであり、その大きさや形も不規則です。
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この地はその後、イガプリョンの孫である李旺善が韓国仏教太古宗に寺院登録を行って、正式名称は「韓国仏教太古宗塔寺」のようです。
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石塔を積み上げたイガプリョン(李甲龍)の像は、この祠の中にちょこんと座っていました。敬意を払って御参りして、石塔の向こうに見える本堂を目指します。
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現在の本堂は、1986年に建立された前面3間側面2間の瓦屋根の大雄殿です。
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現在、安置されている弥勒様は石造ではなく金色に輝いていました。
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御参りを済ませ、本堂の上にある石塔を見に来ます。
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本堂上の一番上に位置する円錐塔です。
他の塔に比べて規模や造形美が引き立つと言われます
現在は、寺側は左から月光塔、薬剤師塔、日光塔と呼んでいます。
薬師殿の薬師如来の脇侍左側に月光菩薩、右側に日光菩薩があることから、これを模しているようです。 -
しかし、この石塔群の由来について専門家は違った意見を述べています。
①まず、イガプリョン(李甲龍)の入山以前に、ここには壊れた石塔がいくつかあったという記録や証言があるようです。
②また、石塔群は、現在は寺の境内にありますが、百年前には仏教寺院はなかったのです。前述したように、今の塔寺(塔寺)がこの地に建立されるのは、1930年代以降のことです。したがって、寺院建立以前に存在した石塔は仏塔とは呼べないようです。
③さらに石塔には1トンを超える石も用いられています。これをイガプリョン(李甲龍)一人で積み上げたというのは、合理的な説明ができません。
以上から、この石塔群を一人の男が積み上げたというのは俗説であると専門家は指摘しています。 -
イガプリョンがここにやって来る前にも、いくつかの塔がすでにあったいう言い伝えがいくつか伝わっています。また、日韓併合下で1928年に松島性が書いた「マイサンヘンガム(馬耳山行感)」という紀行文には「塔の中層までは残っていたが、それから上の相輪部はなかった」と記されているようです。
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ここからは次のようなことが考えられます。
①馬耳山塔寺付近は聖地であり、いつの時代かに石塔が積まれた。
②それも忘れられ一部は崩れ、緑が生い茂った。
③しかし、馬耳山へ「聖地巡礼」きた人物の中には、薮の中に石塔があることを見た人が現れる。
④ガプリョン(李甲龍)がやってきて残っていた下部塔を積み直し、石塔を覆った薮を除去して林立する石塔を「再発見」した。
⑤そして「修復」と同時に新たな石塔を積み上げ続けた。
こんなSTORYになるようです。 -
本堂上の石塔には、1928年の時点では相輪部はなかったということ。
そして、もともとあった石塔は仏教とは関係なく、そのため「仏塔」とも呼べないようです。 -
そんな経緯を後になって知りました。
しかし、ここからみる光景は宗教的で神秘的な光景に溢れています。 -
そして塔寺を後にして、南部駐車場に下りて行きます。
ここにも駐車場があり数十台の駐車はできるようですが、ここまで上がってこれるのは特別な車だけのようです。多くの人は南部駐車場から車道を歩いてやってきます。 -
参道沿いには櫻の古木が並びます。
桜の季節には美しい光景で多くの人たちが訪れるようです。 -
10分ほど歩くと川をせき止めたダムが公園化されています。
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背後に東西の馬耳山の岩山が見えます。
ここもいい撮影ポイントのようです。
ここから川沿いの道を下っていくと、寺院の境内が現れ、そこからはレストランやお土産店がならびます。このエリア自体が1980年頃に国立公園に指定され、その後高速道路が伸びてきて、モータリゼーションの普及と共に新たに観光地化された所のようで、古い「門前町」の風情はありません。お洒落なレストランがいくつかありました。しかし、南部駐車場発のバス便は便数が少ないようなので、先を急ぎます。 -
塔寺から20分足らず1,6㎞を歩いて南部駐車場に到着。
この案内所には、もう30年近く前に韓国の方と結婚して、こちらに住まわれている日本人女性が勤務していました。
バスがやって来るまでの時間、いろいろな事を教わりました。感謝。 -
女性によると、この地域の観光開発が進んだのは高速道路の開通後で、それまでは、ここは都市圏から遠く「秘境」で訪れる人も少なかったようです。それが、今では車で多くの人がやってくる観光地になり、新しくレストランやお土産店も建ち並ぶようになったようです。
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やってきた12:50発の市内循環バスに乗りこんで鎮安バスセンターまで帰ります。運賃は100円で15分程度。
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鎮安バスセンターからは、全州行きのバスに乗ります。この路線は20分~30間隔で運行していました。帰りのバスでは、爆睡。宿舎には14:30頃には帰ってきました。そして、いつものようにシャワーを浴びてお昼寝です。
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