2019/05/15 - 2019/05/20
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tono202さん
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エアソウルでソウル便の格安チケットを手に入れた。
さてどこへ行こうかと考える。
ソウルには、食指は動かない。田舎に行ってみたいという気持ちはある。
しかし「辺境」までは気力と体力に自信が無い。
そこで浮かんで来たのが全州。
ソウルからは、ほどよく離れ、地方主要都市でありながら田舎っぽさも残す韓屋村もあるという。
仁川空港から直通バスも出てアプローチも良さそう。韓屋に民泊して何日かを過ごすことにしよう。
そんなイージーな考えで全州散策が始まりました。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
仁川空港からリムジンバスで4時間、やってきたのは全州
韓屋村の南端にあたる南川橋の近くのゲストハウスに転がり込みました。
橋の上には楼閣が載っています。 -
晴煙楼と名付けられ夕涼みがてらにカップルがやって来て愛をささやく場としても有名のようです。流石にこの日は、お邪魔せずに見学のみ。
しかし、全州滞在中に何度もこの橋にやってきては「黄昏」ました
この橋の向こうは教育大学があり学生街が始まります。
橋のこちら側と向こう側では建物の姿も雰囲気も物価までもが、ちがうようです。
川が境界線になっているようです。 -
さて、翌日早朝
南川橋から全州街歩きのスタートです。
世界街歩きの気分です。
川沿いに下流に向かって歩き出します。 -
整備された散歩道を歩いて行くと対岸に露天市が立っていました。
早速、のぞきに行ってみましょう。 -
収穫されたばかりのにんにくが、荷台一杯に載せられ運び込まれています。
どんな野菜や食材が運び込まれているのでしょうか。 -
農家のおばさん達が持ち込んだ作物が、地面にそのまま並べられています。
-
一番目に付いたのは、収穫されたばかりのにんにくです。
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そして根菜類
このシート1枚が一人の商売スペース。 -
これはニラ?」
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そして魚貝類も並びます。
全州は韓国一の広さを誇る平野にあり、穀倉地帯の中心都市です。
そして海までの距離も遠くはありません。
陸と海の両方の新鮮な食材が豊富であることがうかがえます。
これが「食は全州にあり」という言葉に、つながっているのかもしれません。 -
川沿いの道から上がるとそこは南部市場
青空Marketを見てきた目には、この市場に並ぶ店は「正規のお店」のように写ります。 -
朝早いので南部市場のお店の殆どは、まだ開いていません。
何を食べようかな・・・・ -
宿の女将さんが教えてくれた地元民愛用のお店で、もやしクッパをいただきます。
空腹のお腹に熱い汁が染み渡ります。
辛さも耐えられるほどの辛さです。
過去の経験から「激辛」類は、避けて通ることにしています。 -
お腹を起こして、南部市場を北に向かうと見えてきたのは豊南門のようです。
-
ここはかつての都城の南門にあたり、ここから東の慶基殿に伸びる現在の韓屋村の目抜き通りがかつての城壁があった場所になるようです。
今はロータリーとなって各市外バスの停留所が並んでいます。南部市場で買い物をしたおばさん達が荷物を提げて、この停留所からバスに乗り帰路につく姿が見えます。 -
今は城壁はなく二層の楼閣だけが残ります。
登城はできません。 -
ロータリーの一画にある公園には、ポツンと例の少女が座っています。
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「日韓関係は最悪状態」とネットやマスコミは伝えます。
しかし、今回の韓国滞在中にこのことで不愉快な思いをすることはありませんでした。政治と市民の交流は別回路として機能していることを感じます。 -
このロータリ付近でバスから下車した高校生が向かうのは殿洞聖堂の隣の聖心女子高校。私たちも聖堂を目指します。
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韓屋村のどこにいてもよく見えるので、ランドマークタワーの役割を果たしてくれた教会の尖塔です。殿洞聖堂は韓屋村のシンボルと言われるのに納得します。
改めて聖堂を見上げると下はロマネスク様式で、上に目をやるとビザンチン様式のドームが乗っかっている折衷様式です。韓国委の三大聖堂のひとつであるようですが、この聖堂が最も美しい洋風建築物といわれているようです。
(参考史料 河出書房新社刊 「韓国歴史散歩」。 -
李朝時代には西学(キリスト教)は何度か迫害を受け殉教者を出しています。
全州でも、1791年の辛亥迫害、1801年の辛酉迫害によって殉教がでています。
19世紀後半に日本の手で開国させられるとキリスト教の布教も認められるようになります。そして、カトリック勢力が布教団を送り込みます。 -
その際に、日本の天草と同じく殉教者が出た場所は聖地とされます。
全州も聖地とされ豊南門(プンナムムン)の外に聖堂が建てられ始めます。
日露戦争後のことで、1914年に竣工しました。
そういう意味では、明代や清代に基盤を置く中国のカトリック聖堂よりも韓国の聖堂ははるかに新しいことになります。
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ちなみに工事を請け負ったのは中国人。
多くの苦力(クーリー)たちによって、処刑地である豊南門の城壁を壊した石で聖堂の礎石を据えたと伝えられいます。その後、中国人達はこの地に住み着き中華街を形成していきます。 -
聖堂内部に入るには正面側からは入れません。側面側に回り込むとハングルで「信仰心のあるものだけ拝観可」と書いてあったので、その場限りの信者として入らしていただきました。ステンドグラスが見事でした。
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聖堂の隣は、先ほど紹介した聖心女子高校。
これももともとは教会の付属学校です。 -
韓屋村周辺は、教会を中心に聖心女子高、全州女子高、北中学校、全州高校、全州工業専門学校などの全州の名門学校が集中する教育の拠点地域に成長していきます。
地方の地主は、子供の教育のために韓屋村の中に家を買い、地方から全州留学に来た学生は、韓屋村の別邸に住んで通学したのです。 -
当時の男性は、北中学校を経て、全州高校に進学することがエリートコースだったようです。女性は、全州女子高校や聖心女子に進学するために勉学に励みました。
そして、富裕層は子弟の通学のために韓屋村に別邸を構えたのです。
韓屋村の形成にはそんな歴史があるようです。 -
さて、道路を挟んで北側が慶基殿です。
ここから北が後百済時代の都城であったことは先ほど述べました。 -
門の前の碑文
人がいません。それもそのはずです。
門が開いていません。 -
入場券売り場で確認すると9:00開門とのこと。
30分以上時間があります。
どうしようか・・・・ -
隣の小学校をのぞき込みながら考えて・・・
梧木台の登ってみることにします。 -
梧木台にはいくつかの入口がありますが、どの道を登っても上に向かって上るとたどり着けます。
その途中のテラスから韓屋村の遠景を見ることが出来ます。
ちなみに頂上からの視界はありません -
確かにこの区域だけ黒い瓦屋根の家々が続いています。
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階段をゆっくりと登って10分足らずで到着。
頂上は平らですが周囲は木々に阻まれて展望は効きません。 -
この丘は李氏朝鮮王朝の開祖である李成桂の先祖の邸宅があった場所と伝えられています。李成桂の4代前のご先祖さんにあたる李安社は役人に睨まれてこの地にいられなくなり、中国国境附近に逃れ定着します。そこで李成桂は生まれ、武人として功績をあげ出世していきます。当時、倭寇に悩まされていた高麗王朝は李成桂を半島南部に派遣し、倭寇を撃退。李成桂はこの凱旋途上に、先祖の家があった全州に立ち寄り戦勝の宴を開いたとされます。その場所がこの地で梧木呼ばれています。
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ここで李成桂は祝杯を挙げながら高麗王朝を倒し、いつか自分が王になるとともとれる密かな決意を秘めた漢詩を詠みました。これが1380年のことです。この決意は8年後に実行に移されます。
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当時の東アジア際情勢は元末明初の転換期で、元に王朝に従っていた高麗は、最大の軍事力を握る李成桂に元を助け明を討つことを命じます。しかし、李成桂は遠征途中から軍を引き返し、高麗王朝にとって換わって新たな李氏朝鮮王朝を開きます。そして、李成桂は全州を自らの本貫の地と定めたのです。
この建物は自由に上がって休息することが出来ます。 -
丘の裏側はバイパスの切通になっていて、車がひっきりなしに通り静かな環境でありません。しかし、全州に3泊して何度か散歩ついでにここにはやってきました。
私を惹きつけるものがあるのでしょう。早朝は誰もいないので、掃き清められた広場を抜けて正殿に上がり込んで木の床に寝っ転がっていると落ち着いた気分になり、昼寝までしてしまいます。しかし、日中は韓服コスプレのお嬢さん方で賑わいます。 -
さて、もう慶基殿も開門時刻です。
行って見ましょう。
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