2019/05/15 - 2019/05/20
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tono202さん
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早朝からの全州韓屋村周辺散歩。
9:00開門の慶基殿に、開門と同時に入場。
誰もいない静寂の雰囲気で李成桂の御真影と対面できたが・・・
それもつかの間、30分後には郷土学習の小学生達のグループ学習集団が何十と出現。
ボランティアスタッフの持つスピーカーから説明で大賑わい。
そして韓服コスプレの修学旅行生の集団の出現
若い人たちがこれだけ訪れて太祖:李成桂も満足でしょう。
そんなことを考えながら慶基殿を歩いた報告記です。
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開門9:00前の慶基殿
人の影も見えず静寂の中です。 -
正門の前の下馬碑です。
「至此皆下馬雑人毋得入」と彫られています。
ここではいかなる者も此処で馬から下りなければいけないということでしょう。
下馬碑を支えているのは・・・?
亀ではなく阿吽の口の形をした雌雄の獅子のようです。 -
開門までに説明版で内部の予習を行います。
正門から真っ直ぐに3つの門をくぐると正殿。
そして右側に竹林と全州史庫があるようです。
さて開門です。 -
真っ先に入場券を求め入場。
気合いが入ります。 -
誰もいない参道を噛みしめるように歩みます。
浮かんでくるのは、次のような疑問です
なぜ全州に李氏朝鮮の開祖:李成桂の御影が安置されているのか?
それは李成桂の本貫地が全州であったためとされます。
李成桂は高麗王朝の将軍として倭寇討伐に成果を挙げ、都への凱旋途上に先祖の家があったと伝わる全州に立ち寄り戦勝の宴を開きます。その場所が、この地から近い梧木台(オモクテ)と呼ばれる丘の上です。ここで李成桂は祝杯を挙げながら高麗王朝を倒し、自分が王になることを決意した漢詩を詠んでいます。この決意は8年後に実行に移されます。
当時の東アジア際情勢は元末明初の転換期で、元王朝に従っていた高麗は、最大の軍事力を握る李成桂に元を助け明を討つことを命じます。しかし、李成桂は遠征途中から軍を引き返し、高麗王朝にとって換わって新たな李氏朝鮮王朝を開きます。そして、李成桂は全州を自らの本貫の地と定めたのです。 -
2つ目の門をくぐると・・その向こうに見えてきたのが正殿のようです。
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この向こうが御真影が祀られる正殿で聖域化され写真撮影は禁止のようです。
この正殿が建てられたのは李成桂が亡くなって2年後の1410年のことです。
李成桂の晩年は失意の連続でした。それは韓ドラ時代劇の王朝の後継者をめぐる宮廷内部の争いそのものです。そのような中で、王位に就いた新王は、王族の結束を図るためにもこの地に慶基殿を建て全州を聖地としたようです。
ちなみに御真影は歴史の中で幾たびかの危機に直面します。秀吉軍の侵攻や17世紀の清軍侵攻の際には、周辺の山野を転々とします。 1894年の東学農民戦争の際にも避難して守られているようです。現在、掲げられている御真(オジン)は
レプリカで、国宝の本物は慶基殿の敷地内にある御真博物館に移されているようです。 -
御真影との対面を終えて向かうのは正殿東側へ・・
こんもりとした竹林が茂ります。 -
この竹林は、韓ドラ・ロケ地の聖地のようです。
この時は誰もいない静かな空間でしたが10分後には、ここには韓服コスプレの人々の撮影場所として賑わっていました。 -
連れ添いは、それよりもこの梅の木の姿に惹きつけられたようです。
W型に幹が地面に着いた後で上に伸びています。
樹齢100年の梅の木で、ミス・キョンギジョン(慶基殿)とも呼ばれ、ここの名物・梅木であるようです。
季節は5月。花はもちろん終わっています。
連れ添い曰く「心の目で見よるんよね」 -
見えてきた碑文には「朝鮮王朝実録紀績碑」と刻まれています。
朱と緑で塗られたあでやかな高床式の倉庫です。 -
これが全州史庫(????・チョンジュサゴ)で、李氏朝鮮王朝の史書「朝鮮王朝実録」を保管するために建設されました。中国歴代王朝と同じように万一に備えて4部作られ、そのうちの1つが王朝の本貫である全州に保管されました。壬辰倭乱(文禄の役)などにより他の3か所の実録は失われましたが、ここの史庫の実録だけが当時の人々の努力によって避難していたために消失を免れます。本物は、現在はソウル大学に保管されているようです。
現在の建物は1991年に再建されたもので、湿気防止のため高床式になっています。郷土学習で訪れた小学生達が自分たちの郷土の歴史を学ぶ姿が印象に残りました。急なはしごのような階段を登って行くと、内部は・・・ -
小さな展示室になっていて史書に使われた製紙法や
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史書の保管方法
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実録のレプリカなどが展示されていました。
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史庫から下りてくると、周辺は賑やかになっていました。
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正殿の中では修学旅行団が記念写真を撮っています。
歓声と案内スタッフの説明が携帯スピーカーから響きます。
さっきまでの静寂が嘘のようです。 -
正殿の前を通って正殿西側に行ってみます。
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西側エリアに入ると・・
瓦屋根からミナレットが天に伸びているような光景が目に飛び込んできました。
まるで中国の西域都市の何処かにいるような感じ。
ミナレットではなく早朝に見学したビザンツ様式の聖堂の塔部分がここからは、こんな風に見えるようです。 -
慶基殿では王朝開祖の聖地として、いろいろな儀式が年間を通じて行われていたようです。その行事の進行のために必要な付属施設がここに集められています。
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例えば、ここは???(造餅廰)です。
この建物は?(餅)や???(ユミルガ)、??(タシク)など、祭祀に必要なお供え物を作って、保管しておく場所です。 -
餅づくりのために、釜の上には甑と磨臼があります。
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こちらは保管場所
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他にも、
??(馬廰)は朝廷から儀式に参列するために訪れた官吏たちの馬をつないでおいたところ
??(西斎)、??(東斎)は祭祀のための施設で、??(斎閣)と呼ばれ、祭事を行う官吏たちが、身も心も清めて神に会う準備をする????(斎戒儀式)という儀式を行った建物
???(祭器庫)祭祀に使われる各種祭器、器物、器具などを保管。
など祭礼に必要な棟が並んでいました。
ここでもスタッフに説明を受ける小学生の姿がありました。 -
入口から一番手前にあるのが、この???(守僕廰)です。ここは、祭祀に関する仕事を担当する下級役人の詰め所でした。大きな儀式があるときに、その準備のために一定の期間はここで居住していたようです。
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慶基殿を一巡してきました。
王朝創設者の本貫地に、創設者の御影を祀るために作られた施設というのがこの慶基殿の性格なのでしょう。それなら日本では、どんなものがこれにあたるのか?
例えば江戸幕府を開いた徳川家康を祀るために本貫・生誕地の三河に「東照宮」を造営するといったものでしょうか。
木陰の下ではフィルドワークを終えた小学生が休んでいます。
私も朝から歩き通しで疲れました。
小休止します。 -
コスプレ族の行き交う慶基殿前の道向こうへ・・
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ここで10時のおやつタイム。
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窓から行き交う観光客を眺めます。
時間が経つにつれて、その数は多くなります。
そして、その殆どが小学生か修学旅行の学生達
さらに出会う女学生達はみな韓服コスプレ・・・
ここでコスプレして歩くことがこの国の流行のようです。
私たちはこの喧噪を避けて、宿舎にもどりお昼寝タイムへ -
夕刻に訪れた時には、昼間の雑踏は嘘のよう。
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散歩がてっらに慶基殿の周りを一周歩いてみると・・・
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北門辺りにも人影無し・・・
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慶基殿の北側は、ビルが立ち並ぶ普通の区画。
昼間の賑わいが信じられません。
そして、歴史を感じさせる建物や遺物はありません。
「街並み保存」で人工的に創り出された雰囲気が濃厚です。
若者には受けているようでうが、中年・熟年の観光客の姿は少ないように思えました。また、外国人の姿も余り見かけません。
果たして、この賑わいがいつまで続くのか・・・要らぬ心配をしてしまいました。
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