2019/05/03 - 2019/05/03
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たびたびさん
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七日目の今日はかきつばたの街、知立です。東海道五十三次の39番目の宿場である池鯉鮒宿のあった街ですが、それよりも、伊勢物語にうたわれた「かきつばた」の街といった方が通りがいいかな。八橋のかきつばたもしっかりチェックして、今日のメインの知立まつりに臨みます。
さて、知立の象徴、知立神社は、三河国の二宮。三島市の三嶋大社、名古屋市の熱田神宮と並ぶ東海道三大社の一つともいわれた神社。東国の平定に赴いた日本武尊が当地で戦勝を祈願。平定後にこれを感謝して建国祖神の4柱を祀ったのが始まりと伝わります。
その知立神社の5月の例祭が今回の知立まつり。今年は間まつりで本祭りと違って、大きな山車は出ないのですが、一回り小さな花車という五台の山車もてっぺんに派手な装飾があってなかなかきれいじゃないですか。知立神社の境内では、大勢の観客に見守られながら花車5台が土ぼこりを揚げながらくるくる引き回されて壮観。それも独特の作法があって、意外な見ごたえがありました。
他方、本祭りじゃないと見られないということだった文楽にカラクリ人形も特別講演という形ですべて拝見できまして、本祭りと同じように楽しめたのも意外な誤算。これなら間まつりでも全く見劣りはしていないと思います。
そして、夕暮れからのライトアップされた花車が最後の見どころ。これも本当に美しい。昼間とはまた違った絶対的な美しさ。うっとりとなって眺めました。
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恵那から夜に知立に入って、ここで前泊。
ということで、晩飯はブッシュクローバー。知立駅近くの洋食のお店です。 -
いただいたのは、マッシュポテトと組み合わせたハンバーグ。
むむ。これは柔らかくてふわふわジューシー。私が最も好きなタイプですねえ。マスターに尋ねるとこれは玉ねぎが多めなのだとか。そうそう我が家もそうしてますよ~
どっちにしても、ホテルで修業をした腕の確かさもあるよう。店内は悠々広いし、すっきりとした清潔感もある。私にとってはこれ以上ない晩飯になりました。 -
そして、今日の泊りはアイリスイン知立。知立駅からはすぐだし、道も分かりやすいので迷うことはありません。
二階のフロントの前が広いスペースで、コーヒーとかジュースとか無料の飲み物が用意されていたり、簡単ですが、朝食のサービスもありました。部屋もまずまず。総合的に利用価値の高いホテルだと思います -
翌日。さっそく早く起きて、早朝からの散策です。
遍照院は、知立の中心部からだと少し歩きます。 -
真言宗豊山派の寺で、三河三弘法の一番札所。本尊は空海自らが彫ったと伝承される見返り姿の自像で、見返弘法として親しまれています。
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山門から境内は広々として明るくオープンな感じ。真言宗の寺にあるような山岳仏教的な雰囲気はありません。気軽に訪ねられるお寺です。
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続いては、慈眼寺。鎌倉時代から続く曹洞宗の名刹で、三河西国三十三観音の二十八番目札所。
江戸時代の初期、馬の供養のためにお堂が作られたということで、本尊は馬頭観世音菩薩。境内には馬塚もあります。広い大通りに面していて、境内は塀とかで囲まれていない。こっちもオープン。あちこち出入りが自由で公園みたいな感覚もなくはないですね。
ここから、今度はかきつばたの方に向かいます。 -
かきつばたは、知立駅から三河八橋駅に移動して。
かきつばた園のある無量寿寺に向かいます。日吉山王社は、無量寿寺の創建において、山門鎮護の神として日吉山王宮より勧請したという神社。無量寿寺の境内にあるのですが、鳥居から参道、本殿と続く雰囲気は、境内社ではなくて、別の独立した神社を思わせるもの。どうかすると無量寿寺の参道より立派かもしれません。 -
これが本殿です。
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そして、その並びが無量寿寺の本堂。こちらは、臨済宗妙心寺派の寺。
ただ、そんなことよりも、平安時代の歌人、在原業平が伊勢物語で「かきつばた」の和歌を詠んだことで知られるカキツバタの名勝地。それも今回は、史跡八橋かきつばたまつりが行われている最中。まったく絶好の時期ですよね。 -
八橋かきつばた園は、無量寿寺の境内奥。本堂の裏手の小さな法の池と、さらに奥に進んだ大きい方の池の二か所です。
こちらは、小さい方。 -
あー、咲いてる咲いてる。
いい感じですね。この緑と紫の組み合わせがいいんですよ。 -
今度は大きい方の池。
京都だと大田神社のかきつばたが有名ですが、これだと規模としては同じくらいかな。 -
ちなみに、満開のかきつばたは、密集すると葉っぱの緑と紫の花のコントラストで目がチラチラする不思議な美しさが楽しめます。その独特の感覚も同じように味わえました。
境内には。カメラマンがたくさんいて、のどかな一日。 -
イチオシ
私も、しばし時を忘れて。。
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ただ、ここでのもう一つの見どころは知立市八橋史跡保存館。
無量寿寺の境内に建つ施設で、八橋かきつばたの歴史、伊勢物語の在原業平関係の文化財を展示紹介しています。
「昔おとこありけり」で始まる伊勢物語ですが、「からごろも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ」のかきつばたの下りがとくに有名。都に置いてきた妻を偲ぶ歌ですよね。
館内では、この伊勢物語の解説やその物語にまつわる絵画や美術品を多数展示。伊勢物語の世界にどっぷり浸れます。テーマは、在原業平の都を離れた旅と女性遍歴。元祖源氏物語的なところもあって、古くからこの世界に思いを寄せた人がこんなにも多かったのか。改めて、その魅力に触れたような気がしました。 -
少し周辺の散策もしてみます。
これは在原寺。 -
江戸時代、寛平年間に業平の菩提を弔うための業平塚が築かれた際、その塚を守る人の御堂として創建されたと伝えられます。
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少し進むと、これが在原塚。
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これは、業平供養塔。
業平の遺骨を分け、寛平4年(892年)にここに塚を築いたのですが、この供養塔はその後のもの。室町時代の宝篋印塔です。
いぼ神さまの信仰もあるようです。 -
イチオシ
その向かいにあるのは、根上りの松。歌川広重の「五十三次名所図会」にも描かれている松とも言われ、一里塚みたいな感じですが、根が2mほども持ち上がっている見事な姿。見る角度によって、整っていたり、ゆがんでいたりで、少し、印象が変わるかな。
つまり、この通りはかつての鎌倉街道。阿仏尼の「十六夜日記」の一節が刻まれていて、阿仏尼もここを通ったのかなと想像するとそれも楽しいかなと思います。
さて、これで八橋は終了。知立駅の方に戻りましょう。 -
まずは、両口屋 喜泉。知立駅から歩いて10分足らず。
あんまきが有名な知立ですが、このお店も地元に根付いたお菓子屋さんです。 -
きらくまんじゅう、別名、酒元まんじゅうという酒饅頭が名物です。酒の基になる種を使ったというので、やっぱり麹菌で膨らませた饅頭。このふっくら感と沁みるような甘さがとってもいいですね。女将さんも気さくで、ちょっと一息つきました。
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池鯉鮒宿は、池鯉鮒宿本陣跡の石碑と説明版がありました。
説明によると、品川から数えて39番目の宿駅である池鯉鮒宿には本陣・脇本陣が各一軒。本陣は嶺家が勤めていたが、その後、永田家へ。敷地3千坪、立坪3百坪の広大な面積があったのですが、明治8年に取り壊されたそうです。
なお、碑は妙な方向を向いているので、通りからは見えにくい。見つけるのに苦労しました。 -
知立神社に少しづつ近づいて。
これは、知立古城跡。まあ、公園なんですが、碑がやけに立派です。
なんでも、知立神社の神官永見氏の居城。桶狭間合戦後に落城。後に、刈谷城主水野忠重が屋敷を建てたり、将軍上洛用の旅舎として使われたりしたこともあったようです。宿場の遺跡とみた方がいいかもしれません。 -
少し進んで。
了運寺は、知立神社の別当寺院であった神宮寺七坊の一つとして開かれたのが始まり。別当寺にしては、知立神社からは少し離れています。楼門形式の山門がとても存在感を放っていて、これが一番の見どころでしょう。 -
本堂も奈良の古寺を思わせる雰囲気があると思います。
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ところで、知立のあんまきのメジャー店は藤田屋ですが、元祖と言われるのがこの小松屋本家。ここからは知立神社にまっすぐ向かう参道が始まります。
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家族経営みたいなお店で、店内の腰掛に座って、ちょっと一服です。
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歴史があるというあんまきですが、みると知立のゆるキャラの焼き印があって、なんか軽いような。味は普通ですが、せっかくのあんまきの元祖。申し訳ないですが、これでは気分が半減するように感じました。
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これが知立神社へ向かう参道です。緩い下り坂になっていて、ここを山車が通るのは一つの見どころだとも聞きました。
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さて、知立神社に到着。
広場のように明るい境内ですね。 -
入ってすぐに見えるこの多宝塔は、知立神社の建物の中では唯一の国指定重要文化財。 室町時代に建てられたものですが、今でもその端正な美しさは健在で、知立神社のシンボル的な存在だと思います。
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知立神社は東海道三社の一つということですが、
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まあ、正直言えば、他の二社と比べると全国的な知名度は低いでしょう。
しかし、この清々しい雰囲気は確かに特筆です。 -
知立神社の養正館は、知立神社の境内といっても隣りの知立公園のエリア。
明治18年に建てられ、明治天皇お小休みの記念館。もともとは、明治用水土功会事務所で、私立愛知工芸学校、私立岡崎工芸学校、知立裁縫女学校が使用。その後、現在地への移転をしたという複雑な経緯が紹介されていました。
ただ、建物自体はかなりボロボロ。つっかい棒に支えられて、どうかすると崩れてしまいそうに見えました。 -
その傍らにあるのが芭蕉の句碑。ごちゃごちゃした植え込みの中にあって、ちょっとわかり辛いかも。
句は、元禄5年9月。江戸深川で詠まれた句なのですが、池鯉鮒の宿の言葉が入っていて、やはり地元にちなむものではあると思います。 -
そして、この知立公園は、知立神社の外苑に相当するもの。
一部、手入れが行き届かずに荒れたようなところもなくはないですが、花しょうぶの田んぼがけっこう広くて、美しい緑が目にまぶしいです。もうすぐ知立公園花しょうぶまつりも行われるようでした。花の時期はかきつばたが終わってからになるので、かきつばたと時期が重ならないのもいいかもしれません。 -
少し移動して。
総持寺は、第3代天台座主、慈覚大師円仁の創建。この地を訪れた円仁が毒蛇に噛まれ重篤となり知立神社に祈願したところ、これが治癒。それに感謝し、別当寺となる寺を開いたと伝わります。 -
山門から本堂の建物は、痛みもほとんどなくて、立派な構え。整備がよく行き届いている寺だと思います。
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さて、知立まつりを見物する前に、早めの昼飯にしておきたいと思います。
アジアンキッチンロサニは、知立神社の近くの国道沿い。ただ、神社からは市街中心部と反対側なので観光客には縁遠いエリアかもしれませんね。 -
あんまり流行っていそうになかったのですが、ここのカレーなかなかうまい。向こうの人がやっているようですが、辛いのが苦手の私でもOK。これなら日本人にも違和感はないでしょう。店内も広いしいい店なんですが、看板がさびていたりする外観が、イメージ的にマイナスになっているような気がします。
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今年は間まつりで本来は文楽もからくり芝居もないと思ったら、特別講演と銘打って、それが見られるということ。知立公園の隣りの空き地に場が設けられていて、急遽、そこで席を確保しました。
演じられるのは、本まつりの時に登場する大きい山車。からくり芝居を行う町と文楽を行う町は分かれていて、それぞれが自分の山車で行うのですが、今回は、西町の山車を使って、5町が交代で演じます。
まずは、中新町
鎌倉三代記 三浦之助母別れの段
あらすじの説明から、 -
唄いと三味線がスタンバイ。
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始まりましたね。
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時は鎌倉。源頼朝亡き後の北条時政は、頼朝の遺児源頼家をないがしろにして幕府の実権を握ろうとし、佐々木高綱や和田義盛、三浦義村ら有力御家人との抗争を繰り広げ、ついには戦となっていた。
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戦場で負傷した三浦之助義村が登場。
病気の母親のことを気にかけて様子を見に来たのです。 -
しかし、そこにいたのは、時政の娘、時姫。時姫は、父を裏切り、敵である三浦之助義村を慕って、ひとり家を出る。愛しい三浦之助の母の面倒を見ていたのです。
-
イチオシ
な、なんで?
驚く三浦之助。 -
しかし、かまわず、三浦之助の姿を見て時姫は駆け寄り介抱する。
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親に背いて焦がれた殿御、夫婦の固めないうちはとその決意は固いのでした。
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さて、一方の母御。
武門に生まれながら戦場を離れた息子の未練を叱り、「最早この世で顔合わす子は持たぬぞ。この障子の内は母が城郭、そのうろたえた魂で、薄紙一重のこの城が、破るるものなら破ってみよ」と。 -
イチオシ
母と会うことは叶わず、
-
戦場に帰るしかない三浦之助。
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もう一度、勇気を振り絞ります。
-
それを見送る時姫。
-
二人の恋は叶うのでしょうか。。。
-
続いては、
本町
傾城阿波の鳴戸
巡礼歌の段 -
これは、人形浄瑠璃の定番中の定番ですね。
「あーいー。ととさんの名は十郎兵衛、かかさんはお弓と申します」は、知らない人はいないかもしれませんね。
十郎兵衛からの知らせを読むお弓。追手が迫っていて、ここも急いで逃げなければならないというのです。 -
そこへ幼い巡礼の娘が登場。おつるです。
-
これこれ何とした。娘に声をかけるお弓。
-
イチオシ
こんな幼い娘が何としたこと。事情をあれこれ尋ねます。
-
心を許した娘は、「余所の子供衆が、母様に髪結うて貰うたり、夜は抱かれて寝やしやんすを見ると、わしも母様があるならあの様に髪結うて貰はうものと、羨やましうござんす。」
親のいない寂しい生い立ちや -
「悲しい事は一人旅ぢゃてゝ、何処の宿でも泊めてはくれず、野に寝たり、山に寝たり、人の軒の下に寝ては、叩かれたり。怖い事や悲しい事も、父様や母様と一所にゐたりや、こんな目には逢ふまい物を、何処にどうしてゐやしやんすぞ。」
一人で旅する苦労を語り、泣き出します。 -
そして、遂には、この娘がわが子と分かる.
「あーいー。ととさんの名は十郎兵衛、かかさんはお弓と申します」。 -
胸が張り裂けんばかりのお弓。しかし、罪を負った我が身。迫る追手からも早く逃げなければなりません。
ここは故郷に帰りなさいとなだめ、路銀の足しにとお金を渡すお弓。 -
泣く泣く分けれをする母子です。
-
あー、名残惜しい。
-
しかし、ここで分かれるのはやはり間違い。
後のことはまた考えるでいい。思い直して、おつるを探しに行くお弓です。 -
続いて。
室町
傾城阿波の鳴戸
十郎兵衛住家の段
盗賊に襲われそうになった娘を助け、家に連れ帰った十郎兵衛。危ないところだったのー。もう安心していいぞ。 -
しかし、娘が大金を持っていることを知ると執拗にそれを自分が預かると迫る十郎兵衛。その姿は、盗賊と変わりません。
いやだとさわぐ娘の口を押えて。。 -
しかし、それがもとで娘は息をせぬ人に。やや、殺してしまったか。慌てる十郎兵衛。
-
そこに帰ってきたお弓。
-
十郎兵衛に娘おつるに会った報告に、早くおつるを探そうと訴えます。
-
しかし、おつるはもうそこにいる。
十郎兵衛が冷たく言ったその先には、息をせぬおつる。 -
なんで、なんで~
意味が分からないお弓。しかし、事情を聞いたお弓は夫婦の罪深さにおびえるばかり。 -
そこへ追手が飛び込んできて、切った張ったの大捕物。しかし、何とか役人を切り倒して死地を逃れる十郎兵衛です。
この先どうなっていくのでしょうか。 -
続いては、
山町
染模様妹背門松
蔵前の段 -
染模様妹背門松は、お染・久松の心中事件を題材にした作品。
すでに山家屋清兵衛への嫁入りが決まっている質店油屋の娘お染が、丁稚久松との恋を思い切ることができず、心中を遂げるという物語。
羽曳野市の野中寺には、実際にお染久松の墓があります。
https://4travel.jp/domestic/area/kinki/osaka/tondabayashi/tondabayashi/hotplace/11342664/ -
舞台は、久松が押し込められた土蔵。
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お染が思いを断ち切れず
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久松に会いに来るというシーン。
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久松を恋しがるお染の思いを演じますが、まあそこまでかな。
本来は、お染のいいなづけや久松の両親の温かい人情とそれを裏切りながら恋を貫こうとする二人の思いの葛藤が見どころなんですが、この時間ではそこまで伝えることはできません。 -
西町
一の谷合戦
からくり人形芝居 -
山車は、文楽とからくり人形の両方が演じれるようになっていて、からくり人形は上の方の舞台です。
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一の谷合戦と言えば、義経のひよどり越え。平家の頑強な抵抗を受けて、攻めあぐねていた形勢を一気に逆転。平家を敗走に追い込みます。
ただ、平家物語のあわれとしては、熊谷直実と平敦盛かな。息子と変わらぬ若い敦盛を討ったことで、世の無常を感じ、出家することになる直実。ハイライトの多い平家物語でも、いくつかの代表的な下りのひとつでしょう。 -
その辺りを期待していたのですが、この物語はちょっと違うような。
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源氏と平家の間に立って、この裏切り者がどうとかこうとか。
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その裏切り者を
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成敗して。。
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うーん。
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ちょっとこの筋書きよくわかりません。
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人形も高いところだし、イマイチかな。
そして、最後にその裏切り者が台を離れて落ちてくるのがハイライト。 -
それを下で受け止める役があって、今回は大村知事がその役割を務めました。貴重な人形を傷つけないように!見事にキャッチして、記念撮影です。
-
貴重な人形も最後に撮影させてもらいました。
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イチオシ
この人形は50万円くらいするそうです。
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さて、文楽とからくり人形芝居を無事に見終えて、今度は知立神社の境内に戻ります。
すると花車が勢ぞろいしていました。てっぺんに付いた飾りが特徴的ですねえ。 -
万燈というのにちょっと似ていなくもないですが、
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かなりユニークですよね。
-
そんな派手に飾ればいいってもんでもないと思いますけどね。
ただ、しかし。。これは何ですか。広場でくるくる回してますよ~ -
回した後は、しずしずと出ていきます。
あれれ、なんでしたっけ? -
場所を変えて、よく確認しましょう。
-
花車を傾けて、
-
イチオシ
スタンバイした花車。
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引き手が一斉に力を込めて
-
引き回す。
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ぐるぐる
-
ぐるぐる。
あの~。中にはお囃子の人もいるんですけどねえ。こんな激しくて大丈夫なんでしょうか。 -
花車が交代して、もう一回ちゃんと確認しますよ~
-
イチオシ
引き手が一列に並んで、これが準備態勢。
そして、 -
それー
-
気合を込めて、引き回します。
-
ぐるぐる
-
ぐるぐる。
すごい勢いで、土煙が上がります。 -
ほー
-
そなんですか。
-
花車なので、こうやって回せるんですね。間まつりもいいじゃないですかと感心していたら、本まつりでも、やっぱり大きな山車をこうやって回すんだそう。
-
あー、そうなんですか。
-
見た目の華やかさとこの激しさのギャップ。
まあ、そうしたところが余計、観客を興奮させるんでしょうね。 -
また、一列に整列して、準備態勢。
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一気に
-
力を込めて
-
引き回します。
-
うーん。
-
この町は、ちょっとパワー不足かな。
-
土煙が上がるほどは
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勢いがないですね。
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まあ、それでもがんばって~
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最後の力を
-
ふり絞ります。
お疲れさまでしたあ。 -
神社のパーフォーマンスを終えた花車はこうしてまた市内を巡行します。
ただ、見どころはまた夕暮れのようなので、それを待つ間に晩飯にしましょうか。 -
晩飯は、うなぎの旭屋。知立の名物店だそうで、今朝、弘法さんの遍照院を訪ねた際にチェックしておいたんですよね。このレトロなお店は圧倒的な存在感があります。
-
イチオシ
さて、うなぎの方ですが、あれれ。タレは甘さがほとんどなくて、かなりあっさり系。これでは物足りないような感じなんですけど。。
しかし、食べ進むにつれて、うなぎの脂のあまさが沁みてきて、ちょうどいい具合になってくる。なるほどー。これはあり!ありですよ~
値段も特上丼が2300円とかなりリーズナブル。知立に行ったら是非寄ってみる価値ありの名店です。 -
落ち着いてところで、駅前に戻ってきました。
すると、夕暮れにライトアップされた花車。 -
なるほどー。昼間と違って、一気に美しさが増している感じ。これは印象が全く違いますよ~
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例の引き手の態勢もまたやってましたが、
-
やっぱり見るべきはこのてっぺんの飾りの美しさ。
-
イチオシ
すごい、
-
すごい。
-
すごいじゃないですかあ。
-
表通りをゆっくりと進んでいく花車。
-
これなら、余裕をもって追っかけできますね。
-
知立まつり。
-
これで最後まで見届けましたよ。よかった、よかった。ありがとうございました。
さて、明日は、亀崎潮干祭。明日はもっといい天気になりそうなので、楽しみです。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- mom Kさん 2019/12/24 09:41:34
- 知立ですね
- たびたびさん、おはようございます。旅行記に目を止めてくださってありがとうございます。ソウルや尾道には、皆さんの反応が早くて驚いています。両者、人気の地であることわかりました。
私はたびたびさんの「知立」は、名前さえ知りませんでした。このようなお祭りの地。うかつ。
大体愛知県エリアはとりわけほぼ私の未開発地です。だからこのようなお祭りの、このようなレストランがあるところなんて、行かねば、です。
日本も広い。今回の瀬戸内旅で、同宿だった一人サイクリストの方は、三重県津市の瀬戸内通いの旅人。「御手洗はきっとお好きだと思いますよ」と教えてくれました。
帰宅して、どんなところか今調査中。知立も加わりました。ありがとうございます。
- たびたびさん からの返信 2019/12/24 11:00:55
- RE: 知立ですね
- 御手洗は、ももへの手紙のところですね。広島市からだと呉経由になるんですが、かなり遠い。ただ、私もいつかは必ず行きたいという場所の一つです。瀬戸内海は、やっぱり、古くから文化の行き来が盛んだったところ。今の感覚だと不便な場所が、実はかつては表通りだったりして、御手洗もそんなことだったんだろうなと思います。
知立にも興味を持っていただき、ありがとうございました。愛知は、最近、攻めまくっているエリアなんですが、今でも、得体のしれない場所というイメージからなかなか抜け出せないでいて、奥が深い。その辺りも、付け加えておきたいと思います。
たびたび
- mom Kさん からの返信 2019/12/25 16:49:10
- 古くからの友人も
- 御手洗ご存じでしたか。日本建築学会が出している「建築雑誌」という月刊誌。友人の事務所で5月号が「瀬戸内テリトーリオ」(イタリア語らしい)特集で瀬戸内エリアの建築的に注目度の高い集落にこの名を見つけ、早速雑誌を借りてきたところです。
3月から祝島に行く計画立てているので、何とか周れないかと思案しているところです。
不便が最近の私のキーワード。愛知エリアは、歴史専攻の友人が城郭マニアでつぶさに周り、報告してくれていました。知らないなあと思うばかり。日本の東西の分岐点であり、戦国以降は、領土は絶えず変化し、攻防激しかったところでしょう。それでも知立のように文化と伝統を育む地力、人間力は素晴らしいと感じます。
2年前、最後の子ども歌舞伎を和歌山県二川集落で観覧。小学校がなくなったのです。村人たちの動きにほれぼれでした。
来年も美しいもの、人に出会えますように。よい年をお迎えください。
- たびたびさん からの返信 2020/01/10 14:33:25
- RE: 古くからの友人も
- 正月明けに御手洗に行ってきました。広駅から1時間半。なかなか遠いところでした。帰りに三之瀬にも寄りましたが、朝鮮通信使の関係や前町長が力を入れた美術館とかが充実。グルメの関係は御手洗の方がいいと思いますが、観光スポットとしては後者の方が上かもしれませんね。参考まで。
たびたび
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